goo blog サービス終了のお知らせ 

!morning thunder=朝の神鳴り!

 思いつきを書きながら、思いもかけない場所に行き着つきたい それだけが望みです

夏の意味

2006-09-01 12:53:59 | 生活とその意見
 今年の夏は、実に情けない
 夏を情けないと思ったのは、生まれてはじめてである
 腹が立つ
 どうなってるんだ! 
 責任者出て来い!
 である
 お陰で一つわかったことがある
 夏というインターバルは、梅雨前線と秋雨前線との間を分かつものだということだ
 この前、やっと梅雨明けだと思ったら、秋雨前線がどうのこうのなどとホザイテイル
 梅雨前線のことは昨日のことのように覚えている
 夏よ、なぜそのぎらぎらの太陽で私に梅雨を忘れさせてくれないのか?
 オカシイを通り越して不条理である
 どう考えても、梅雨前線と秋雨前線との間で、史上最強軍事同盟が締結されたとしか思えない
 頼む、今からでも遅くない、連中の間に楔を打ち込み息の根を止めてくれ
 もう本当にうんざりしている
 
 踏んづけてやりたい!
 

倒産セール

2006-09-01 12:03:46 | 生活とその意見
 近所に靴屋がある
 この店が倒産セールをやった
 安いのかなと思って、買いに行った
 しばらくして、第二弾の倒産セールが行われた
 ちょっと興味があって見に行った きっと、商品が残り少なくなっているのだろうと思った
 棚が空っぽだったりして
 しかし、以前と品揃えは変わらない
 むしろ、充実の品揃えなのだ!
 きっと倒産セール第三弾もあるに違いないと確信した
 それから、たぶん五、六回倒産セールの広告が入ってきた
 そして、ついに潰れるのかと思ったら、持ち直して通常営業をしている
 安売り店として今も営業を続けている
 「倒産」商法である
 これって、詐欺じゃないの?????

 

裏稼業

2006-08-30 13:13:17 | 生活とその意見
 裏稼業を思いついた
 既にあるのかもしれない
 犯罪を実際に犯した犯人は、通常はその犯行を誰か別の人に肩代わりさせ、うまく逃げ延びたいと思うだろう
 一方、犯罪を犯してはいないが、犯人になりたがる人も少数ながらいるようだ  犯罪を犯すことなく犯人として有名になりたい、注目されたいということなのだろう 最近話題の連中だ
 愉快犯はこうした二つの接点で成立する犯罪者ということになる
 こうした異なる需要つまり隠れたいと目立ちたいがあるところでは、仲介業が成立する
 法外な斡旋料をもらい、犯罪予備軍に、犯人になりたがる人を斡旋するのだ
 犯人になりたがる人の体液や毛髪もセットでつけておけば、完璧だろう
 決め手はDNA鑑定 動かぬ証拠だ
 さてと商売!商売?
 このビジネスモデル誰か買いません?
 いまなら、3割安でお届けしますよ!!!
 
 
 

男らしさ

2006-08-29 09:36:15 | 生活とその意見
 私は女々しくはないと思うが、男らしいわけではさらにない どっちかというと女々しいと思う
 思考や迷いより「決断」や「行動」と相性がいいのが、男らしさというものではないかと思う
 決断を回避し、「行動」を先の延ばしにするために考えているような所がある
 もっと正確に言うと、「決断」を男らしい男に迫り、「行動」せざるを得ないように追い込むことを目指しているのだから、かなり女々しい
 例えば、戦争をするには考えず、「行動」し、男らしく死んでくれる「兵隊」が大勢いる
 お陰で、勝てる見込みの低い作戦をつつがなく計画し、実行できるのだ
 何度でも好きなだけ
 かくして戦争を商売にしている人間は「男らしさ」を利用して生き延びることが出来るといえる
 考えず、迷わず、行動し、だまって死んでくれる男を作ることが、いかに重要かよく分かる
 男らしさは、さわやかさ同様、馬鹿と同義である
 私はさわやかな男らしさなど信じない!!
 
 

ディズニー

2006-08-28 14:18:21 | 生活とその意見
 今では、「○○銀座」というと寂れ果てた商店街を思い浮かべる
 本物の方は、生き延びてはいるのだがもはや新しい模倣者を探すことは至難だろう
 「銀座」というビジネスモデルに代わって出現したのが、「ディズニーランド」というビジネスモデルだろう
 ディズニーの場合、単なる商売ではなく、むしろ総合芸術=テクノオペラとでも言うべきものを取り込んでおり、好き嫌いを越えて存在感を示している
 古代神話の復活のような所がある
 無視するにしても、無視のしがいがあるということだ
 若い恋人達が「ディズニーランド」「ディズニーシー」に行っていないとすれば、それは当人達の意図とは無関係にそれだけでいろいろな意味を持ってしまうということでもある
 大したものなのだ!
 誘惑に対する抵抗力あるいは流行に対する鈍感さにおいて突出しているといえる
 どうしてこうなったのか?
 それは我々の消費行動が、高度化したことに関係がある
 高度化とは、つまり必要ないものを買うということだ
 必要から遊離した欲望に対して、どうアプローチしていくかという戦略において、銀座とディズニーでは、レベルが違う
 モールは必然的にディズニー化していっている
 さらに、広範な影響力を持つことになると思う
 いつディズニーは銀座のようにその成長の限界に達するのだろうか?
 常に他者を古く色あせたもの追い込める限り、その優位はゆるがないだろう
 時々チェックしないと足元をすくわれる気がしている
 
 
 
 
 
  
 

喧嘩

2006-08-27 09:32:01 | 生活とその意見
 二人の大人が、殴り合いの喧嘩をしている
 一人の方のパンチがニ三発決まる
 勝負は決まっているのだが、もう一方はなお殴りかかる
 見兼ねて、止めに入ろうか迷う
 まったくいきさつがわからないのだ
 「もういいだろう」
 これぐらいしか、思いつく言葉がない
 私以外に2、3人賛同者がいて、喧嘩は収まった
 そういう夢だった
 いいことをしたのか、どうなのかいまだに良く分からない
 気は済んだことは済んだ


バーコード

2006-08-26 12:29:49 | 生活とその意見
 バーコードとは、頭頂部のハゲをカバーするために、周辺部の髪を長く伸ばし、この髪を頭頂部方向に極力集めるカツラなどによらない自助努力のことだ
 育毛剤とか植毛やカツラなどの人工的努力ではなく、いまある自然なものを有効活用しようとする努力でもある 
 何とかしようとしても、なんともならないようなので、問題の困難さが浮き上がるが、当の本人の自己評価は案外イケテルということなのかもしれないので、同情するのは、損かもしれない
 もし私がバーコードならどうしようか?
 自分の背中に「私のバーコードにタッチしたい人はご自由に!!」と紙を張る
 実はバーコードをみると純粋にガクモン的関心が湧き、触りたくなるのだ 同じことだろうが、純真なこどもに還ってとにかくバーコードを頭皮から引き剥がしたくなるのだ
 抑えがたい劣情!!
 理性ある思いやりのある人間にはあるまじき行為ではアル
 そこで莫大な理性を浪費して、この誘惑に抵抗しているのだ
 こうした劣情を持っている人がこの世に私ひとりということはありえない!
 ならば私がイエスのように犠牲になって、彼らの罪を引き受けようという次第である
 このひとに触れ!!
 
 
 

刑罰としての作文

2006-08-22 17:55:19 | 生活とその意見
 刑罰として、「老人ホームで介護一ヶ月の刑」というのを考えている人がいるようだ
 労働全般に刑罰としての要素があるので、労働ならなんでもいいような気もする
 刑務所でも働いているのだから同じことだ
 しかし、私が法務省のお役人なら、「作文」の刑というのを創設したいと思う
 学校で課せられる宿題のなかで、「感想文」ほど退屈なものはない 特に、退屈な体験についての感想文ほど苦痛なものはない
 原稿用紙一枚でも途方もない長さに感じられるのだから、二枚などといわれた日には、泣きたくなる
 作文は、刑罰になりえる
 それでも最初は、何とか埋めることが出来るかもしれない
 書くことが少しはあるかもしれない
 しかし、そのうち何も書くことがなくなる
 それでも書かないといけない
 書かないと死刑だ!
 きっと傑作になる
 刑罰の名前は、「千夜一夜物語」である
 きっと叫びたくなるだろう
 「もう二度と悪いことはしません 許してください それだけは勘弁してください 死んだ方がマシだ」ってね!!

 
 
 
 
 

人生における過度の単純化3

2006-08-22 09:33:40 | 生活とその意見
 最新のものをより多く獲得することが、もっとも良い生活であるという方向に人生を単純化する
 新しいものは、古いものを下敷きに改良されているとすれば、古いものより良い つまり新しいほど、良いということは自明とも思える 根拠があるので強固な思い込みを形成している
 多くの資源が新製品に対して配分されているので、この思い込みはほとんど無意識に信奉されていると言っていいだろう
 別の単純化もある
 つまり、なるべく少ないものを持ちそれをなるべく長持ちさせることがもっとも良い生活であるという方向に人生を単純化する方向だ
 古いもので間に合わせることができるのなら、それは本物だからだ 新しさは、見かけでしかなく、まやかしでしである 本物は、本物であるがゆえに長持ちする
 少なくていいのも、それが本物であるからだ 修理して持たせればいい
 この二つの単純化は、対立するように思えるが、相互補完的でもある
 つまり本物の新品というものもある
 このバランスのなかに、よさがあるのだろう
 
 
 

人生における過度の単純化2

2006-08-21 10:44:45 | 生活とその意見
 過度の単純化がある以上、適度な単純化というものもあるように思う
 適度の単純化は、複雑な事態に良い指針を与え、問題の根本的解決へと導いてくれる点が、過度の単純化の単なる問題の先送りと異なる
 例えば、ハゲの適度な単純化として、短髪がある
 ハゲる前の状態を100とする ハゲたので、100が50になったわけだ
 差し引き50の損の状態である
 この損の50を、育毛剤やらかつらが埋め合わせをすることになる
 なんとかして昔の100に復古したいという願望が、この過度の単純化の母胎となる
 ここで、短髪はハゲる前の状態を100から10に縮減する
 こうなると半分ハゲているとして5ハゲていることになる
 100のうち僅か5ハゲているに過ぎないのだ この程度の損失は、誤差範囲である
 気にするには及ばない
 ハゲた人は、坊主頭にすることが、適度な単純化というものである
 これほどに知的な坊主頭がモテないはずはない
 バーコードよりはるかに正しい方向に向いている
 眼鏡男の後は坊主頭がモテルと思う
 適度な単純化を全ての業界で見出すべきだろう
 

人生における過度の単純化1

2006-08-20 18:29:42 | 生活とその意見
 人生における過度の単純化の例として、ハゲがある
 ハゲだから、自信がない ハゲだから、余裕がない ハゲだから、もてない 人生がうまく行かないのは、ハゲだからだ 
 育毛剤やかつら業界は、こうした人生の過度の単純化の上に生える毛のようなものだ
 この過度の単純化の上に全ての業界は成立している
 人生はもうちょっと複雑かもしれないという疑惑も、業界の圧倒的存在の前にかすみがちだ
 つまり、かつらをつけ、流行の車にのり、最先端のファッションを身にまとい、おしゃれな場所に住み、トレンディーなお店に出かければ人生ばら色などとホンキで信じれる現実があるということだ
 全ての人間は、何処かの業界に所属しているので、こうした過度の単純化は、乗り越えがたい壁、呪縛として作用する 人は己が所属を全面的に否定できないものだ
 我々に出来るのは、この業界同士の比率を変化させ、「適切」なポートフォリオを作ることぐらいだ
 例えば、かつらは諦めて、その分は、ブランドの靴に変更するといった類のことだ
 そこにその人のリスク感覚が反映される
 これを業界ではライフスタイルとか個性的生き方という
 悪酔いや悪夢から覚めるように、この過度の単純化から目覚める手立てはないのだろうか?
 
 
  

陽水とボードレール

2006-08-19 09:40:43 | 生活とその意見
 陽水とボードレールは、似ている
 まったく根拠はないが、思いついた
 この手の思いつきは、その気になって、証拠を集めればそれなりのお話になる予感がする
 どちらも「芸術家」なので、所属する時代とのスタンスを測れば、それらしき類似を見つけられると思う
 ボードレールの頃のフランスと今の日本に類似を見出すこともできるだろう
 芸術家の時代とのスタンスというのは、下々の者には、フィードバックとして働く
 芸術家は、このスタンスによって背景に沈み込む「時代」の感触を伝えるのだ
 この思いつきのお陰で、私の陽水に対する評価が決定的に変化した
 「芸術」は「政治」であるという確信を強くした
 言葉が、陽水以前と陽水以後で変わった気がする
 それは、「いいこと」なのか?
 
 
 
 
 
 

おしゃべり

2006-08-18 13:53:32 | 生活とその意見
 おしゃべりが過ぎると落ち着きがなくなり、心が荒れて、ささくれ立ってくる
 さらにしゃべりすぎたという後悔が加わって、下降スパイラルに突入する
 適度なおしゃべりは、過剰なエネルギーの発散になるのである程度必要だと思う
 ところが適度とか適切さという分別から程遠い人間なので、すぐ抑えがきかなくなる
 よく電話を何十時間もかけるバカがいるというが、私も実は同類なのだ
 かき回した沼のようなもので、澄むのに時間がかかる
 
 

言葉

2006-08-18 09:38:49 | 生活とその意見
 日々の生活で言葉を使わないわけにはいかない
 ところが言葉は、概ね無意識に使われる
 そこで、逆転がおきて、言葉に振り回され、拘束され、不自由になる
 かといって言葉を節約すればそれだけ言葉に振り回されなくなるというものでもない 
 沈黙はさらに饒舌 
 うるさい!
 さらに言葉にはやっかいな性質があって、身の丈にあった言葉というのは、ある段階までは、有りがたい、サポーティブなものだが、しかしあまりにぴったりだと人の体は生身なのでいつかその言葉も賞味期限を迎える ところが賞味期限を迎えても、そのぴったり感が忘れられずすてられなくなり、ぴったりでない服を脱ぎ捨てるように脱ぎ捨てるのは難しい
 じゃ最初からハダカでいいじゃないかといわれても、年中南国の楽園にいるわけではないので、そうもいかない
 言葉に対する違和感は、あって当然だ
 言葉の手前で、動ける隙間などというユートピアを思い描きたくなる
 これがまた言葉以外のなにものでもない
 こうした言葉のぴったり感、ユートピアは要警戒と思う
 
 

報酬回路

2006-08-17 18:24:14 | 生活とその意見
 脳内に報酬回路というのがある
 大好きなチョコレートや音楽を聞くときなどに活性化される
 不安や恐怖は抑制される
 オノマトペでいえば、ぞくぞくする感じの状態のことだ
 こういうぞくぞく感というのは、一日最低1時間やそこらは味わわないと、「人間」という気がしないというか、生きている気がしないと思う