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!morning thunder=朝の神鳴り!

 思いつきを書きながら、思いもかけない場所に行き着つきたい それだけが望みです

ステータスシンボル

2006-05-01 17:53:14 | Weblog
 新車の販売が、不調である
 軽へのシフトが起きている
 ステータスシンボルとして車が機能しなくなったとしたら、結構なことだと思う
 あんなもの動けばいいんです
 それ以上でもそれ以下でもない
 では、新たなステータスシンボルはなにか?
 いい加減、モノは止めにして欲しい
 中身が空っぽな分をモノで取り繕うとしているのが見え透いてウンザリだからだ
 勿論ブランド物も止めにして欲しい
 じゃ何を買うのか?買うものがないって!!
 その答えを自力で出せないようなら、やっぱり車でも買えばとしかいいようがない
 
 
 
 
 
 
 
 
 

思いつきと気まぐれ

2006-04-30 09:26:57 | Weblog
 あれとかこれとかそれという代名詞を多用するようになると、ボケはじめている証拠だそうだ
 幼い子供も似たようなもので、やはり代名詞的に反応している
 年寄りが涙もろくなるように、子供も良く泣く
 自分と他人との区別は付かない状態だ 自我機能が緩んだ状態である
 PTSDの根拠となる経験の基層だ
 誰にでもある
 この代名詞的経験というのが、原発的体験を形成しており、体験の基礎となる この基礎の上に、アレとコレは同じだといった知的反省(同値類別)により、こんなようなモノという範疇が形成される こうしたこんなようなモノに、固有名詞や普通名詞がラベルとして貼り付けられるに過ぎない
 匿名的というのは、この原発的経験の名前である 代名詞的といってもいいし、オノマトペ的経験といってもいい
 固有名の経験は原理的にこうした匿名的経験やオノマトペ的経験に分解できる 一見匿名的経験を実名的経験と対立的に考えがちだが、厳密にいうとこの二つは対立的な関係にない 作用する階層が違う
 匿名的体験、オノマトペ的経験とは、ふっと湧いてくるアレであり、コレである
 気まぐれであり、思いつきでもある
 双方向的とは、この気まぐれや思い付きを公開し、匿名性を増殖させることである
 などと思いついたのだが、いかがなものか?
 
 
 
 
 

脱中心化と双方向的匿名性

2006-04-28 18:25:20 | Weblog
 脱中心化というのは、まず軍事的な概念だ 司令部を持たないということだが、何もしないわけではく 各自が司令部として勝手に、状況を判断し、勝手に動く
 敵にとっては戦いにくい相手である ここが眼だとか、ここが足だとか、ここが頭だとかいうことがない
 すべてが、末端でもあれば周辺でしかないのだ ここをたたけば潰せるというところがない 致命的なダメージというものを受けにくい
 司令部からの命令で一糸乱れぬ集団行動というわけにはいかないが、それとて、共有される情報の質が高ければ、思わぬ奇襲作戦で相手の裏をかくことも可能だ
 これは、未分化な誕生状態に組織を維持するやり方だ
 沸騰している
 こんな戦闘集団が歴史上存在したことはないだろう
 その都度適当に人を集めて映画を作るといったプロジェクトタイプの集団に似ている
 映画のもつ自由な光のある程度の部分は、こうした映画集団の「かりそめ」性にあると思う
 ただ、成功した映画集団は「組」になる傾向がある
 
  

双方向的匿名性

2006-04-28 12:25:56 | Weblog
 お互い顔も、名前も知らないのに、連絡だけは付いている状態をこういう風に表現する
 これが、匿名でブログを書き、匿名でブログを読む人との間で成立している
 この双方向的匿名性が、極めて重要だということをしばらく考えたい
 この双方向的匿名性という概念に馴染みのない方も多いと思う
 今朝思いついたのだから、実は私も馴染みはない これから何となく分かる予定だ
 とりあえず名前だけ付けておく 
 名前だけだったりするかもしれない
 こうした関係にある人間同士が、街ですれ違っても、「やあ」などとは言わない
 だって、誰だか知らない人にいきなり「やあ」とはいわないからだ
 お陰で、安心して街に出かけられるというものだ
 普通、双方が実名を名乗るなり、自己紹介をすれば、知人である 個人情報の共有がなされている 当然、知人の秘密は守ることが前提だろう 相手を特定できるので、責任の所在がはっきりしているから、滅多なことはできないといわれている
 逆に知人関係は、秘密の共有体でもあるので、身内を守るために、いろいろやりすぎる場合もある
 片方が有名人とか企業で、もう片方がお客の場合は非対称性の匿名性ということになる しかし、顧客の囲い込みでは、不特定多数の客との関係を知人関係に変換しようと努力しているといえる みんなお友達というのが、最終目標なのだろう
 コレに対して、双方的匿名性では、内と外との区別が曖昧で、出入り自由なところがある 水を網ですくうようなもので、不安定で半端な関係と思われる
 しかし、この関係には積極的価値がある
 脱中心化、分散、拡散の利益がある
 個人が、個人の利益を確保しつつ、個人の限界を超える可能性の中心に、この双方向的匿名性がある
 一方向的、非匿名的つながりのもつリスクを解消する可能性だ
 一方向的、非匿名的つながりとは、つまり家族とか企業とか同級生とかいった集団のことである
 こうしたつながりが、命令的、脅迫的である場合、特に重要だ
 とりあえず思いついたことを書いた
 
    
 
 
 

基本技術

2006-04-27 17:37:15 | Weblog
 車の運転を考えるとその最低限の基本技術は、まず前に走らせることと止まること 次にまっすぐ走ることと曲がること(ハンドル操作)、減速と加速(アクセル操作)、後進(ギヤ操作)ということになる
 コレだけ教えて、後は実地に経験を積んで下さいというやり方がある
 しかしコレだけしか知らないで、高速や雪道に出かけるとかなりヤバイ すぐ事故りそうだし、駐車もおぼつかないからすぐにお巡りさんのお世話になりそうだ 信号なんか無視だろう それこそ右も左もない
 こうして、雨の日はどうする 雪の日はどうする 夜はどうする 坂道はどうする 右折左折 鉄道はどうする 追い越しはどうする ガス欠だとどうする パンクしたらどうしようなどと心配をして、自動車学校は繁盛することになる
 しかし、ただ自動車を動かすだけなら、知っておくべき基本技術は多くない
 ときどき思うのだが、スリップしたら大変なのでといって、ポンピングブレーキの話ばかりして、肝心の運転ができないということがある気がする
 本末顛倒だ
 どうもこのあたりのバランスが悪いと、本来愉しいはずの技術の習得が、知識の詰め込みになってしまう 心配性もほどほどにと言いたくなる
 ところが、これが生死に関わる場合、教える側としては、取り返しが付かなくなるリスクが気になってやはりポンピングブレーキの話に熱がこもる
 踏み切りの横断も気になってくる 下手すりゃ大惨事だ
 まだ、運転はうまくいっている方なのだろう
 これが、別の分野になると何じゃこりゃと言いたくなることが多い
 思いやりなのだろうが、いらぬお節介と気がつくまでかなり時間がかかったりする
 コーチングの難しさだろう
 
 
 
 
 
 

 

 
  

形式主義10

2006-04-18 15:39:00 | Weblog
 最近でっち上げた、形式主義と時間資本主義との関係を明白にすべきだ 
 しかし、ごく最近のことなので、何にも思いつかない
 同一人物の頭の中で思い浮かんだのだから、おそらく何か関係がありそうな気もする
 コレだけはいえる 何とか主義というのをつけると、えらそうに見えるということだ
 コレはちょっと前に、藤原紀香が「藤原主義」という本を書いていることに端を発している
 この本をなんとか読まずにバカにするために「何とか主義」というのが採用されたのだ
 死ぬほど笑った 
 ワタシとて「何とか主義」を主張したくなろうというものだ
 告白するが、立ち読みはした
 なぜかその時の自分を思い出すと「無かったこと」にしたくなる
 恥ずかしいを通り越して、頭が真っ白だ
 韓風に記憶喪失という手もあるな!

惚れ薬と媚薬

2006-04-16 10:48:16 | Weblog
 今朝の思いつきだ
 愛している 愛している 愛している 誰もがたやすく口にする 佐野さんの曲にそういうフレーズがあった
 媚薬というのは、このたやすい愛に対応している make love とか sex と馴染みがいい 媚薬の薬効は、関心を目の前アレに集中させ固定させることにある  視線について言えば、それを痛いほど硬く硬直させるといってもいい すべての行動が、耐え難いほどアレと硬く結びつく 要するに欲情させるわけ
 惚れちゃったんだよというのは、都晴美だ 何回も連呼しないようだ この惚れるに対応するのが、惚れ薬ということになる 媚薬と異なりこの薬効は、関心の分散、トリビアル化をもたらす 視線について言えば、触覚的になり、口唇愛的になる
 惚れた対象の無意味なクセや仕草までが熱烈な愛撫の対象になる 栄光化されるのだ
 村上春樹風に言えば、惚れるのには、才能がいる
 
 
 
 

オープンソース

2006-04-15 12:48:45 | Weblog
 オープンソースの考え方が今後どういう展開を遂げるのかは、とても気になる
 技術の革新の飛躍的な発展により、まったく新しい社会編成を生み出す予感を誰しも感じているのではないかと思う
 その一方で、クリアーされない問題も多い
 技術開発による独占利潤と技術開発の改良、発展による技術自体の発展がユーザーに与える便益との間で、綱引きが行われているのだ
 オープンソース運動がある程度進展したのは、この後者の便益が前者を上回るケースが存在しているからである
 ところが、この技術的進歩自体の便益がある程度達成されると、独占利潤の誘惑の方が大きくなるという皮肉な現象が起こる
 プログラム以外の他の技術領域では中々この運動が成立しにくい
 オープンソースというのは、数少ない現代のフロンティアだろう
 現代版ユートピア思想だ
 私は、この運動の発展をかなり期待している方だろうと思う
 基礎的分野でさえ、人は一人では、技術を完成させることが出来ない まして、修正、改良、応用など思いつくことさえできないと思うからだ
 
 
 

フロンティアとコミュニティとグーグルカレンダー

2006-04-15 11:27:09 | Weblog
 徐々に沈みこんでいく船を見ながら、アメリカも沈み始めたら早いのだろうななどと思っていた
 まだまだ余力はあるので、そう簡単には沈まないだろう
 ここで、アメリカの原点を思い出だすのも悪くないと思う
 アメリカのフロンティアは、太平洋を渡り、日本そして中国へ移ろうとしている
 アメリカのコミュニティーは、空洞化しているように思う
 フロンティアの消滅とコミュニティーの空洞化は、同じ現象だ
 軍事化と内面の崩壊
 フロンティアとコミュニティーの共存は、西部劇の中にしかなくなってしまった 日本は、10年遅れで、後を追っている
 グーグルカレンダーの解説を読みながら、フロンティアとコミュニティーの共存は今もバーチャルな世界で夢見られているのだと思い直した
 look for america!


 
 
 

囲い込みと長井秀和の真実

2006-04-15 10:01:05 | Weblog
 囲い込みというのが、ほとんど本能的に嫌いで囲われそうになると早々に逃げ出したくなるのだが、コレは表面的にそうであるだけで、どうも私の深層は、囲い込まれたいと思っているに違いない 
 バスに乗り遅れるなどというおもいっきり情けない夢を見る以上、ほぼ間違いない 
 私は囲い込まれたいのだ
 私は囲い込まれたいぞ
 私を囲い込め
 私を囲い込んでね
 お代官様お願いします
 あほなことも五回ぐらい書くと、かなりすっきりして、少し理性が戻ってくる
 さて、私は何に囲い込まれたいのか?
 お世話をしてくれるいい旦那は、どこにいるのか?
 権威とかマチガイナイといってくれる人はどこにいるのか?
 ナイと分かっているがゆえに、なおさら欲しいのがこうした保障だ
 長井秀和が全力で証明しようとしている唯一つの真実である
 
 
 
 
 

バスに乗り遅れる

2006-04-15 08:51:46 | Weblog
 バスに乗り遅れるという夢を見た
 何か面白いことに夢中になっていて、バスの出発時間に遅れてしまう 着替えの入ったカバンも見つからない 
 時間は迫っていて、とても間に合いそうにない
 置いてきぼりか?と絶望的な気分になる
 こうした夢は、付和雷同のミーハーに典型的な夢だと思う
 目が覚めると、次のバスを待てば良いのにと思ったりする
 実に気の毒な状況で、同情してしまう
 切符がない
 降りる場所を間違える
 違うバスに乗る
 切符が買えない 
 実に切実ではないか!!
 バス以外にも、飛行機や電車や宇宙ロケットまで出てきたことがある
 この前は、飛行船のようなものも出てきた
 結構乗り物が好きなんだと思う
 夢の中で、現実以上に乗りものが頻出する
 閉塞感のあらわれなのかな?
 
 

形式主義8

2006-04-14 11:46:02 | Weblog
 執事喫茶で、執事にふさわしいイメージとして藤村俊二の名前があがっている 
 正直意外だった
 藤村俊二を、まったく別の意味で注目していたので虚を突かれるといってもいい
 しかし、考え直した
 執事というのは、お嬢様の引き立て役と考えれば、その背景への同調性という意味で、藤村俊二を形式主義者の父という位置づけにできると思いついた
 藤村俊二の他にもう一人あげるなら井上順だろう
 われわれ形式主義者は、この二人の偉大な父を持っているのだ!!
 疑問をお持ちの方は、彼らの写真を他の人たちと並べて、その血の薄さ、そのこだわりの無さ、その愛想のよさに気が付くだろう
 ついでに言えば、我々形式主義の母は、森光子である 

形式主義7

2006-04-13 10:07:59 | Weblog
 形式主義は、もともとMCを分類するという遊びから思いついたものだ
 MCつまり司会者というものは、目立たず、背景に退き、客を引き立ているものだというのが基本だ
 コレは言い換えると、司会者は、「普通」であるということを意味している 普通だから客が引き立つ 司会者は個性的であったり、独自であってはならない
 司会者は、必然的に形式主義者でもある 昨日の結論から言えば、ミーハーでもある しかし、勘違いしないで欲しいのだが、ミーハーであるということは、流行や波やトレンドに対して、自分の独自の考えや個性的なスタンスを持つことではない
 受け売りでもない 
 むしろ流れそのものに同調し、流れに身を任せることである
 上手に流行を取り入れて、今風の個性を身にまとうのもわるくはない
 しかし、傾向そのもの、流れそのものの強さ、広がりと共鳴することの方がはるかに重要だ
 我々は、個性や独自性に呪われている こだわりなどとバカ丸出しである 重要なのは、このユニークさの呪いを破壊し、「普通」に目覚めることだ
 すると、個性や独自性は、アレンジャーの気まぐれでしかないことが分かる
 形式主義者は、アレンジャーなのだ 

形式主義6

2006-04-12 13:51:47 | Weblog
 水増しされた私から今度は、ホントウの自分を作るという愉しい作業が残されている
 可能な限りの水増し、粉飾をする必要がある 良いお手本は、勿論我等がホリエモンである 実によく膨らんだ
 何処かへ飛んでいってしまったが、かなり遠くであることは、間違いない
 ホントウの自分とはいっても、元が元だけにかなりみずみずしい
 なんとなく、自分だけにしかわからない言葉で書いている気がする
 要するに、相互性というか、双対性の問題なんだ
 トレンド、波、流行を片っ端から追いかけるということと関係がある
 世の中で起こっている事件や出来事に全て首を突っ込むということと関係がある
 お節介と関係がある
 形式主義者とは、ミーハーのことである
 
  
 
 
 
 

形式主義5

2006-04-12 09:38:54 | Weblog
 夢見が実にいい
 コレは良い前兆だと思う
 さらに形式主義に対する思いつきを書く気になった
 形式主義的に「私」を定義すると、私に見える人は全部私である 私のようなひとはみんな私とみなす つまり私は水増しされ、水ぶくれし、粉飾される
 水臭いという言葉が示すように、水とは他人である 他人の血である 私は献血マニアなので、かなりの人が私の血によって水増しされているはずだ
  最近は、献血以外にも臓器移植もあるようなので、こうした人造人間、改良人間もふくめて、人は水増しされている 誤解される私も私なので、私はさらに水増しされる
 こうしてみずみずしくなった私は、何をするのか?
 当然、水を差しにいく
 種に水を差すと発芽する 発芽とは水増しである