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!morning thunder=朝の神鳴り!

 思いつきを書きながら、思いもかけない場所に行き着つきたい それだけが望みです

霧雨

2006-11-26 14:48:55 | 生活とその意見
 霧のような雨が降っている
 空は厚い雲に覆われ、肌寒い
 厚着をした
 やっと師走の気分が兆し始めたが、遅い、しかも弱い
 今年はちゃんと終わってくれるのかと心配になってくる
 寒さにも年を越える勢いというものが必要だと思う
 四季の移ろいをわずらわしいと思う一方で、愉しみにもしている
 霜が降らないか?
 氷は張らないか?
 雪が降らないものか?
 せっかちなのだ
 もう少し北風が強く吹いてくれてもいいと思ったりしている
 せめてこの霧雨、もう少し強く降ってくれないものか?
 天気に文句ばかりいっている
 

  
 

2006-11-25 15:36:28 | 生活とその意見
 家からほぼ直線で、300メートルぐらい離れた所に、神社がある
 自転車で神社から家の方角に帰る時、ほとんどべダルを踏む必要がない
 下り坂になっているので当然なのだが、ちょっと見たところとても緩やかな坂なので神社と家と間にそれほどの高低差があるように思えない
 だから不思議な力に助けられるように、家に自然に帰っていけるような錯覚を覚える
 神社は、このあたりでは一番高い所に立地しているということらしく、しばしば洪水に襲われたこの街で、この神社は浸水を免れたという言い伝えがある
 人によってまちまちだが2メートルから5メートルぐらいの高低差ではないかという噂である
 300メートルで5メートルとしてもかなり緩やかな坂だ
 この程度の坂でさえペダルを踏まずに家に到着できるというのは、驚きだ
 よく人生を山登りに例える人がいる
 一歩一歩登っていけば、徐々に視界が開けてくる
 それを愉しみに生きていこうというものだ
 私としてはむしろスキーの方がいいような気がしている
 山頂からスキーで滑り降りてくる
 その間にいろんな滑り方を習得していく
 何もしないで滑り降りるだけでも愉しい
 愉しいだけかよといわれそうだが、基本的に滑るのは愉しいよなと思う
 神社からペダルを踏まないで、家路を辿りながらそんなことを思いついた
 
 
 
 

小学校の思い出

2006-11-25 10:08:42 | 生活とその意見
 当時の小学校では、学期ごとに学級委員を選んでいた
 一学期に男女それぞれ一人を選らぶ
 私は、大抵三学期の学級委員に選ばれる運命だった
 つまり、二度の選挙戦に破れ、そろそろいいだろうという感じで三学期の学級委員に納まるのだ
 子供心に、なぜ三学期なのか不思議だった
 ところが五年生の時、一学期の学級委員に選出された
 これには「裏」があった
 クラスにはボスがいた
 このボスが、私を一学期の学級委員にすべく、クラスの女子の票をまとめたのだ
 私は、このボスに票の取りまとめを依頼していはいない
 それほど熱望すべきポストではない
 さらに、このボスは、自分自身も「女子」の学級委員として選ばれ、我々二人は一学期間仲良く学級委員として、善政に努めたのであった
 我等のクラスのボスとは、明るく体操の良くできる頭も悪くない大柄な女の子だったのだ
 当時素直で純真な私の耳にも、このボスが私のことを好きらしいという噂が流れてきていた
 彼女は、他を寄せ付けない断トツのボスで、学級はおろか学年さらに、上級生の一部にまで食い込む女王だった
 彼女に逆らうものは、恐ろしい目に遭うことを誰もが理解していた
 一人としてその勇気を持たなかった
 男子の間でも、彼女の権勢は凄まじく、彼女の側近の女子に好意を寄せる男子たちは、全て彼女の軍門に下ったといっても過言ではない
 彼女は、私と彼女の相合傘の落書きを机の上に彫って喜んでいた
 私もそれを「偶然」目にしたが、何の感慨も浮かばなかった
 純真でもあれば、鈍感でもあったので彼女の幼い恋心など想像だにできなかった
 私にとって彼女は、元気の良すぎる女子でしかなかったのだ
 あの一学期の間、我々は、二人並んで反省会とか何かの司会をした
 彼女は私に協力的だったと思う
 統率力が抜群だった
 しかし、彼女と私の距離が、近くなることも遠くなることもなかった
 少年は残酷だ
 今思うと彼女は、私が誰のこと好きなのか知りたかったろうなと思う
 遠い思い出だ
 みんな元気かなーー
 
 
 
 
 
 
 
 

何となく

2006-11-24 11:21:34 | 生活とその意見
 言おうと思ったが、何となく言いにくかった
 気は進まないが、何となくやってしまった
 何となく、止めた
 何となく、そうした方がいいような、そうしない方がいいような気がした
 何となくというのは曲者だ
 誤魔化しているともいえない
 むしろ十二分な根拠がある
 突き詰めないといえばそうだが、突き詰めても仕方がないという部分もある
 何となくというのを、「神」とか「悪魔」だと思うと割と納得がいく
 関係性というと哲学的ではある
 
 
 
 
 

チューブ交換

2006-11-21 15:08:09 | 生活とその意見
 自転車がまたパンクした
 いつものようにパッチ貼りをしようと思ったが、事態は深刻で、チューブの劣化が原因、残る治療法は、チューブ交換しか残されていないと知れた
 なにやら臓器移植を思わせる展開で、このオペは、当初、経験豊富な専門医(自転車屋さんのこと)に任せようと思った
 しかしちょっとネットで調べているうちに、ひょっとしたら簡単なのではという思いが日増しに募り、ついに今日最良のオペ日和となった 
 新鮮な交換用チューブを合法なルートから仕入れ、オペ開始である
 まず、自転車をひっくり返し、ボルトを緩め、ブレーキを外し、チェーンを外し、ついに後輪が外れた そして、ぼろぼろの古いチューブを外した 数えてみたら10箇所以上にパンク修理の跡がある 随分と修理したものだ
 新品のチューブに代えた
 これで後は折り返しだ
 大体順調だったのだが、ブレーキのねじの方向が合わず少し考え込んでしまった
 よく構造を調べるうちに原因が分かり、難なくクリアー
 大体二時間近くかかり、チューブ交換は完了した
 メデタシ メデタシである
 ブラックジャックの気分だ
 
 

繰言

2006-11-21 10:12:03 | 生活とその意見
 同じことを繰り返し喋る
 大抵は、つらい暮らし向きの愚痴だ
 当人にとっては、日々新たに実感される傷のようなものだ
 しかし、それを聞くものにとって同情できる場合もあるが、さほどでもない場合が圧倒的に多い
 繰り返されるに従って、当初その言葉の連なりが持っていた意味はインパクトを失い、呪文のようなものに変質する
 うんざりもするし、その反復により強固にされた傷がかさぶたへと物体化される気さえする
 我慢して聴いていると、細かな口調まで正確にマネ出来るようになる
 呪文はさらに昇華(消化?)され、音楽にようなものとして鑑賞されるようになる
 音楽のリズムを刻むように、相槌を打つ
 ささいな変調に敏感に反応し、同じ愚痴でも今日はご機嫌だねとか、低調だと分かったりする
 かくして、繰言が音楽に魔界転生することととなる
 

愉しく生きると生きるのは愉しいの間

2006-11-20 11:31:31 | 生活とその意見
 愉しく生きる 面白おかしく生きる つらい時もあるが、なるべくポジティブに生きる そんな風に思うとき、生きること自体は、何でも書ける白いキャンバスである
 現世での救済を否定する大抵の宗教では、生きることは、真っ黒な苦痛に満ちたものであったりする
 愉しく生きることを続けていれば、そのうち生きること自体が愉しくなってくるかもと思っても、愉しければ愉しいほどその背後に恐怖が張り付き、心底愉しいというわけには行かなくなるような気もする
 愉しいと生きるの言葉の入れ替えは簡単だが、実際問題として難しいのだ
 深淵がある
 私は、生きることは愉しいと思う
 それはあなたが幸せだからよと言われそうだが、そうでもない
 多分人に羨ましがられるような幸福とは無縁の生活だと思う
 それでも、生きることは愉しいことだと思う
 愉しく生きようと「努力する」と生きることは愉しくなくなるような気がする
 どんどん遠ざかっていくのだ
 何か「コツ」のようなものがある
 
 
 

まずいのに売れるパン屋

2006-11-17 15:04:59 | 生活とその意見
 パンなどというものは、嗜好品なのだからまずいのに売れる等と誹謗してはいけないとは思う
 人によっては、まずいと思われるかもしれないパンが良く売れている店というべきなのだろう
 まして近所である
 妬んでいると思われては、困る
 まったく妬んでいない
 商売繁盛は、いずれにしろ結構なことだと思う
 店のイメージ作りとか宣伝は上手だ
 まずいと断定しにくい雰囲気を醸し出していることも事実だ
 これと対照的なパン屋がある
 ごく普通のパン屋だが、割と美味しい
 でも流行ってはいない
 売れ残っている
 つまり美味しいけど売れないパン屋だ
 美味しくて売れるパン屋、まずいけど売れるパン屋、美味しいけど売れないパン屋、まずくて売れないパン屋
 見ていて納得のいくのは、最初と最後のケースだろう
 もっとも大きな矛盾を感じるのが、まずいのに売れる場合だ
 きっと私の感覚がずれているからだろう
 何度食べても、まずいものはまずい!!
 
 
 
 
 

多様な価値とゴミ処理

2006-11-16 09:42:53 | 生活とその意見
 自分の時間やお金や人脈といったものを使って、珍しいもの、面白そうなものを手に入れる それによって、いろいろな経験を積む
 日々同じことの繰り返しでは、満足できないのだ
 そこで、馴染みのないものにチャレンジすることになる
 馬鹿げていることや無視していたことのなかにも落ちこぼしがあるかもしれない
 喰わず嫌いも一旦好きになると、結構長続きする場合が多い
 かくして多様さというものを維持することは重要だろう
 多様な価値を許容する社会というキャッチフレーズは結構なのだが、唇寒しという状況があることも事実だ
 多様な価値、多様な生き方というなら多様な働き方、多様なビジネスモデルを許容する経済的システムが必要だろう
 例えば、中野に住むホームレスが、アニメのセル画をゴミ捨て場から拾って曼荼羅華に売っている アルミ缶を拾い集めて、売る仕事もある 家電の中古の輸出もある
 何れも社会的規範からは少し外れたところでの商売だ 条例違反になる地域もある
 こうした商売に良識は眉をひそめるのは理解できる
 行政の怠慢とか 漠然とした不安
 しかし、生物の生態系と類似のゴミ処理システムを構築するという立場に立てばこのリサイクルシステムは悪くない
 価値化できるゴミの対象を広げる仕組みを作れば、ゴミはゴミでなくなる可能性がある このための費用とゴミ処理の費用を比較すれば、いい勝負なのではないか?
 多様な価値の実現とは、常にゴミをどうするかという問題として現象する
 
  
 
 
 
 
 

庭師

2006-11-15 13:45:43 | 生活とその意見
 いつものように庭の剪定が始まった
 ところが、今年は親子の庭師にちょっとした事件が起こった
 松が三本あり、これらの松は親父の担当のはずだった
 しかし、今年は、二番目に取り掛かる松を最初にやり、玄関脇の松を、息子が下から見上げている
 ひょっとしてと思ったら、息子の方がこの松を剪定し始めた
 ついに今年から親父も息子に松を任せることにしたようだ
 今日息子の方に「松をやったんですね すっきりしました」と声をかけた
 「ええ、まあ」といった感じで、嬉しそうに笑った
 私も調子に乗って、「松は難しんでしょう?」などとさらに追い討ちをかけようと思ったが、我慢した
 松が出来れば、一人前だろう
 今日は気分がいい!

無邪気なお人好し

2006-11-15 10:01:20 | 生活とその意見
 今朝自分のブログを見たら、スポンサー誘導枠に三つの広告があった
 しばらく見ていたが、さほどの感慨もわかず、目障り、邪魔、ウザイ、どうでもいいという一連の感情が沸き起こり、スパムのトラバと同じ扱い つまり非表示にしてしまった
 スパムのトラバでも、それなりのものは削除しない方針なのではある
 商品の販促を否定し、自分のブログが無償の愛や良心に基づくものであるといいたいわけではない
 客観性とかね 不偏不党 中立 何じゃそれ!!
 資本主義的不浄に染まることを潔しとしないという左翼的心情とも関係ない
 国有化など最悪の独占企業しか生まない
 むしろ気に入った商品や企業についてタダで宣伝してもいいというぐらいの気持ちがある
 事実いくつかの企業や商品について、はっきりお薦めをした前科もある
 そういう意味で、私もどこかの回し者である
 だから、他社の製品を無節操にお薦めして、私腹を肥やすのはどうなんでしょうと思う
 しかし、どこかの回し者であるにも関わらず、そのどこかからの金銭はおろか粗品の授受さえないのだから、宣伝しなくてならない義理もない 
 私は、タダで無意識に宣伝している無邪気で、きまぐれなお人よしなのだ
 大抵の人と同じように
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ファミリア・ストレンジャー

2006-11-14 14:43:03 | 生活とその意見
 顔は知っているが、挨拶も話も付き合いもない人のことをファミリア・ストレンジャーというそうだ
 時折その中の誰かが、挨拶らしきものをすると一応こちらも曖昧に挨拶を返す
 きっと知り合いの知り合いの知り合いぐらいではありえる
 ファミリー・ストレンジャーの含有率がどの程度かによって、自分の地元への馴染み具合がわかる
 知人というほどでもなく、他人なのだが、はっきり他人ともいえない存在
 確信はないが、こちらが覚えている顔は相手もこちらの顔を覚えているような気がする
 相手が知っているのに、こちらはまるで知らない場合、プチアイドル状態ということになる
 逆だとこちらが、プチミーハー状態ということだろう
 折角だからファミリア・ストレンジャーのことを、少し意識してみようかと思う
 結構いる!
 

 
  
 

死のフィードバック

2006-11-14 09:48:06 | 生活とその意見
 何かをやる
 それに対して、反応する
 非難
 嘲笑
 賞賛
 びっくりする
 無視
 無反応
 無関心
 これらの評価が、最初の何かをやるということに反映する
 そして
 懲りずに同じことをやる
 まったく逆のことをやる
 少し強くやる
 少し手加減してやる
 しばらく様子を見る
 別のことを試す
 そして、再度フィードバックを見極める
 これを繰り返す
 アメとムチを上手に利用すれば、「最初の行動」を最適化させることができることの理論的根拠だ
 おだてれば、豚も木に登る
 けなし続ければ、自信がもてず、自分で自分を駄目にする
 自滅する
 こうした根強い神話が成立している
 一方、このフィードバックは、成長期を過ぎ、大人になればかなりアヤシクなる
 よく言えば、自立する
 悪く言えば、人の話を聞かないで自閉する
 よく言えば、孤高
 悪く言えば、孤立
 よく言えば、誇り高く
 悪く言えば、独善
 けなされれば安心し、褒められれば気持ち悪いという捩れたシステムを長期にわたって維持してきた気がする
 単なる天邪鬼
 長すぎた少年期
 大人になるとは、孤独というか沈黙というフィードバックの比重が大きくなるということではないかと思いつく
 つまり「死」のフィードバックだ

 
 
 
 
 
 

注目

2006-11-13 10:03:08 | 生活とその意見
 注目しないこと、無視していることの方が、圧倒的に多い
 そのため、見逃していることも多いだろうという恐怖がある
 それでも注目するものを限定することのメリットが、見逃す不安よりも大きいので、無視し続けている
 見逃す恐怖がある閾値を越えると、トレンドやランキングをチェックする 権威に頼る
 こういった恐怖が、注目されているものがさらなる注目を集めること、つまり専門家や権威の成立のメカニズムだろう
 注目というとき、受動的に鑑賞している 楽しんでいる 夢中 集中 我を忘れるという要素がその中核にある
 そこから利益や教訓や情報や理論を得る場合もあるがそれは二次的で、それより注目すること自体の愉しみというのが最重要だろう
 その注目の体験から、自分の能力に応じた愉しみを受け取る
 何に注目すべきかは、その人に何が必要かということとどのくらいの能力があるかによって決まるのだろう
 注目するということと、目標設定は同義だ
 能力を超えた目標設定や不必要な目標設定をし勝ちだ
 あちこち目移りするのは、日替わりで目標を変えるようなものだろう
 たいしたことは出来ない
 見(身?)に覚えがある!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

迷信

2006-11-12 20:59:53 | 生活とその意見
 右足が落ちる前に、左足を出し、その左足が落ちる前に右足を出せば、空を歩けるはずだ
 誰がそういったのか知らないが、そう信じ、ハシゴの上から何度か本気で試したことがある
 小学校の2年生だったと思う
 理屈は、完璧なので歩けるはずだった
 おそらく、子供なので、右足が落ちる前に左足がどうしても間に合わないだけのことだとその場は一応収まったように思う
 水晶の小さな欠けらを土に埋めこみ毎日水をやるとだんだん大きくなる
 信じて疑わなかった
 何度か水をかけて、掘り出してみるとホントウに大きくなっていた
 ヤッパリホントウだ
 あの時は嬉しかったなー
 しかし、この水晶の成長もそれ以降は止まったようだ
 ビー球を水の入った瓶の上に置く
 この水の量にノウハウがある
 そして、このビー球をある特別な角度から見ると、ビー球の中に宇宙が見える
 私はゆっくり目をその指定された角度から覗き込んだ
 これまたホントウに宇宙が見えた
 めだかが鯨になると信じて、飼っていた
 何か呪文を唱えていたように思うが、忘れた