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!morning thunder=朝の神鳴り!

 思いつきを書きながら、思いもかけない場所に行き着つきたい それだけが望みです

大器晩成

2006-12-23 14:45:24 | 生活とその意見
 大器晩成というのは、死語だろう
 早熟ならまだバリバリの現役だ
 早熟への賛美には、出荷時期を早くして、投下資本の回転を上げようということ以上の意味はない
 イチゴの出荷と変わらない
 自然に育てれば、とてもクリスマスにピークを持ってくることなどできない
 それなりの資本投下が必要なのだ
 資本は、投下直後にリスクに変わる
 回収に時間がかかればかかるほど不確定因子が増大し、元も子もなくなる可能性が大きくなる
 大器晩成などといって悠長に待っている暇などない
 time is money
である
 じゃ大器晩成するはずだった人たちは、どうなってしまったのだろうか?
 多分、何か変だなと思いつつ、細々と生きているのだろう
 クリスマスのイチゴを見るといつも変な気がしていた
 確かに、見かけは完璧なまでに美味しそうなのだ
 ただ、お味の方はさほどでもないよなーー

 
 
 


説得力のない話

2006-12-23 10:10:47 | 生活とその意見
 説得力について少し書いてみたくなった
 説得力のない人間が、説得力についてなのほどかのことを書こうというのだから、それだけで笑える
 まず、体験豊富な人には説得力があるだろう
 特に失敗ばかりしている人の体験談とか、イケナイことをした人の告白なんかも説得力があるだろう
 しかし、この手の説得力には明白な限界がある
 個人の有限回の特殊なケースにおける結果でしかないので、違う人に聞けばほぼ同じ状況でまったく違う結果が導き出せるからだ
 そこで、この説得力を増大させるため、こうした個別のケースをかき集めることとなる 
 数を集め結果に注目して分類すると少しパターンが見えてくるものなので、これに適当に名前をつけてカテゴライズする
 うまくすれば、こうした結果に影響を与える因子を抽出あるいは仮定できるだろう これでかなり説得力が増す
 教訓、寓話、ことわざのようなものができる
 殺しも文句に結実させれば、なお親切だ
 さらに、こうした仮説をさらに真実らしくさせるため仮説の抽象度を上げ、異なる分野への理論の応用を少しする
 こうすればさらに説得力が増す 読む人間が身近な課題にこの理論を応用することをが容易になるからだ
 正しくても使えないのでは、退屈だし、退屈は説得力の敵である
 さらに、経済的余裕、肩書き、学歴、身だしなみ、容貌、愛嬌のよさと親切も揃えば完璧である
 自分に「ないもの」を数え上げてみた
 結論的に言えることは、この文章には説得力がないということである
 皆の衆、実に説得的な結論ではなかろうか!?
 
 
 
 
 

分かってはいるのだが・・・・

2006-12-21 11:47:19 | 生活とその意見
 クリスマスセール 今なら20~30%引き
 この表示がペットショップの前に赤くでかでかと張られていた
 ペット産業というものが厳然と存在し、在庫整理、賞味期限、流行というものが存在することなどペットも衣料品や食料品と変わらない
 商品なのだから当然なのだ
 分かってはいる
 命あるものをどうのこうのという気もない
 しかし、このセールの文句を見たときショックを感じたことも事実だ
 仏壇のセールを見たときとどこか似ている
 見ないようにしていたモノを目の前に見せ付けられたような気持ちだ
 世の中には「ヤッテハイケナイコト」というのがあるとどこかで信じていたい
 ところがそういったナイーブな信念というか、自己欺瞞が暴かれてしまう
 それが結構つらいのだ
 かわいい子犬を見ながら、今ならお買い得なわけか?
などと呟いた
 
 
 

厚着

2006-12-20 10:11:52 | 生活とその意見
 厚着派と薄着派というのがあるなら、絶対厚着派だと思う
 冬より夏が好きだ
 多分、ご先祖様は、南方系ではないか
 嫌なのだが厚着をせざるをえない
 厚着の何が嫌かというと、あのもこもこした感じだ
 「も」にまつわる抑圧的オノマトペが思い浮かぶ
 もんもん もくもく もたもた もじもじ もそもそ もやもや もわもわ もちもち 
 もうイやでゴじゃいますーってカんジ!!
 まどるっこしいー
 自分の体が自分の体ではない感じがする
 横領された体
 冬は横領された季節だ
 人の借金を肩代わりした感じだ
 「熱い」ニュースなら何でも歓迎したくなる!!
 
 

空を見上げる余裕

2006-12-20 09:48:58 | 生活とその意見
 空を見上げる余裕ぐらいないとなー
 先日双子座流星群がやってきた
 少し粘れば、一つや二つは見れるものだ
 夜空を切り裂く一瞬の輝き
 一度はまると癖になる
 流れ星だけでなく、雲や夕焼けのように空を見上げれば浮世離れした愉しみに事欠かない
 これだけでも生きていて良かったなと思える
 我ながら、無欲だと思う
 

祈り3

2006-12-19 10:22:16 | 生活とその意見
 近所の神社で、年末に少しボランティアをしたことがある
 炊き出しの手伝いだ
 参拝者に年越しそばを振舞うのだ
 その時驚いたことがある
 神社に来るのだから、誰もがお参りをする
 それほど霊験あらたかというほどではない、常駐の神主もいない小さな神社である
 お参りが終わると、大体みんな顔見知りで、焚き火を囲んで立ち話に花を咲かせるというのが普通のパターンである
 一組のカップルがお参りをしていた
 男は、型どおりのお参りをしていた
 賽銭を投げ、二礼二拍一礼でお終い
 ところが、女の方は、早々に参拝を済ませた男を尻目に、一心に「祈っている」のだ
 神にすがっているという印象だ
 真剣にして真摯な祈りだ
 男は女の祈りが周囲の視線から浮かないように、女の袖を少し引く
 男が社会的な配慮を優先させているのが分かる
 そんなに「マジ」で祈って欲しくないのだ
 繰り返すが、そんなにマジで祈って欲しくないとは、どういうことか想像してみて欲しい!
 しかも男は女の祈りの「内容」がどういうものかは知っているのだ
 しかし、その祈りの強さは男の想像を遥かに超えている
 男は「普通」だが女はチガウ!
 真摯な「祈り」とはこうしたものだろうと思う
 むき出しの「祈り」は、過剰にして異様なのだ
 それは隠しようがない
 こうした祈りがある限り、この神社も捨てたものではないと罰当たりな感想をもった
 その後カップルがどうなったかは知らない
 
 
 

たんぽぽ

2006-12-18 15:31:45 | 生活とその意見
 玄関を毎日拭き掃除する
 掃除後、靴を揃えていたら、綺麗にしたはずの玄関に綿ぼこリのようなものが見えた
 近づいてよくみると、たんぽぽが、一つ飛び込んで来ていた
 つい忙しくして、こんなことにも気がつかないのだなあと反省した
 そっとつまみ上げて、窓から放した
 勢いよく飛んでいった
 どこかで芽を出すのかな?
 今日は気分がいい
 たんぽぽのお陰である
 
 
 
 
 
 
 

 

ネット上に神は存在しないのか?

2006-12-18 09:57:32 | 生活とその意見
 神社本庁によれば、ネット上に「神」は存在しないそうだ
 従って、ネット上での参拝やお守りには、ご利益は「ない」ということのようだ
 これは、神社本庁の見解であって、「神々」の見解ではないと思う
 ネット販売が利益を生むと分かれば、神社本庁の見解も変わるだろう
 実に俗な判断である
 今の所は、ネットの世界を安易で、不道徳な輩の俗な世界と切り捨てることに意味があるとみなしたようだ
 つまり、神社本庁はネットをいかがわしいく、紛らわしい「同類」とみなし、この「同類」どもを異端として切り捨てたことになる
 逆に、ネットの世界の穢れを「お払い」すれば、いいと思う
 俗な世界であればこそだとは思わないようだ
 純潔、原理主義とは、衰弱の別名である!!
 「朝の神鳴り」のお言葉をそのままお伝えする!!!
 
 
 
 

祈りと感謝

2006-12-17 09:39:03 | 生活とその意見
 ここの所すっかり宗教的になっている
 しかし、これほどに重要なことを信教の自由などといって、棚上げしておくというのには抵抗がある
 宗教は、宗教のプロや商売人達の独占物ではない
 政治と宗教を分離するという政教分離の建前という歴史的必然というのは理解できるが、だからといって宗教を全て個人の自由という枠で括るのには無理がある
 感謝という日常的なことさえ宗教的次元を抜きにすると、サービスのに対する対価、報酬といった程度の規定しか出来ない
 それは感謝でなく、社交辞令でしょ!!
 非力な自分の祈りが、啓示なり奇蹟によって祝福される時、人のできる唯一のことは、感謝以外にない
 自分を越えた何ものかに対する感謝だ 普通この何ものかをとりあえず「神」とか「仏」と呼ぶに過ぎない
 名称などどうでもいい
 科学でさえというか科学こそその根底で「祈りと感謝」抜きに語るのは、おかしい
 ところが現実には「祈りと感謝」は、我々の日常から最も遠い所に追いやられている
 代わりに「占いと権利」が幅を利かす
 罰当たりの近代に未来はないと知るべきだ
 

 

宗教的なるもの

2006-12-16 10:00:01 | 生活とその意見
 昨日祈りについて書いて、初めて「宗教的なるもの」について何ほどかのことを書けたような気がした
 私にとっての「宗教」の核心部分に「祈り」がある
 全ての宗教の「祈り」に通じるものがあると同時に、やはり私個人の特殊な解釈を施された特異な「宗教」という気もする
 それでいて、事実として、私個人を越えていると思う
 書きたくないことを書かされたような気分だ
 頼めば何でも願いが叶う全能の神など信じているわけではない
 しかし、ある意味全能以上のものを信じているともいえる
 
 
 

 
 
 
 
  

祈り2

2006-12-15 09:53:09 | 生活とその意見
 祈るというのは、最先端で起きることだ
 無力な自分を諦めて、神頼みをするというのは、祈りとは無縁の行為だ
 むしろ「非力」な自分を自覚した時、祈ることが必然化する
 「非力」と「無力」の間には、神が存在する
 「非力」とは、力がその限界に何度も撥ね返させられている状態だ
 力がその最大値に達している者だけが「非力」の自覚をもつ
 「非力」は、力の最大値である
 無力はそのずっと手前で、力を温存しているいってもいい
 「非力」のさなかで、祈る
 啓示と祝福がやってくる
 予定説の力の真髄だ
 

銀河

2006-12-14 13:35:32 | 生活とその意見
 昨日、銀河の夢をみた
 ずいぶんとスケールの大きな夢だった
 この手の遠出する夢だとさすがに現実に戻るのに時間がかかる
 銀河も一つでなく、いくつかを股にかけていた
 何のことだか分からないが、面白かった
 宇宙ものでは、流星に乗って地球に帰還するというのを以前見たがそれ以来だ
 前世は、宇宙人か?
 
 

祈り1

2006-12-13 22:22:11 | 生活とその意見
 神頼みなど迷信だ
 何のご利益もない
 くだらない
 と思っている方は、これ以上読む必要はない
 神に祈る
 何か啓示を示される
 その啓示に導かれて、問題が解決する
 確かに神秘的だ
 しかし、信仰深い人の間では、普通でもあれば、あたりまえのことだ
 何でもお願いすれば、願いが叶うのではない
 不可能のものを望んでも無駄だし、突き詰めていない、現実逃避や甘え、依存など論外だ
 厳密に規定された祈りの形式に従えば、啓示は必ずやってくるといってもいいとおもう
 祈り方を学ぶべきだといっていい
 不思議なことに、学校では教えてくれない
 宗教的なるもの抜きに人が生きていけると思うのは無謀だ
 なぜ人は祈らないのだろう? 
 神なき世界とはなんと奇妙な時代だろうと思う


 
 
 
 
 
 

死と生

2006-12-13 09:19:20 | 生活とその意見
 死を遠ざけながら生きる
 死を忌避しながら生きる
 死から逃げ回りながら生きる
 死を見ないようにして生きる
 死をないことにして生きる
 死を忘れようとして生きる
 死を意識しないで生きる
 死をどうでもいいことにして生きる
 死を外部で起きる脅威として生きる
 死を先延ばしにして生きる
 死をごまかしながら生きる
 生きるとは差し当たりそういうことなんでしょうね

近所のおばあちゃん

2006-12-11 16:50:31 | 生活とその意見
 近所のおばあちゃんが亡くなられた
 よく知っていたとはいえない
 しかし、会えば挨拶ぐらいはした
 いつも回覧板を持ってきていた 
 花が好きで、自分の敷地以外の場所も頼んで花を植えていた
 温室が窓越しに見え、ところ狭しと蘭の花が並べられていた
 丸顔で腰が曲がっていた
 お風呂で心肺停止になったようだ
 90歳は過ぎていた
 家には藤棚があり、毎年見事に咲いていた
 今年も咲いたな思っていた
 ご冥福をお祈りする