2012年8月12日の日曜日、事前の天気
予報は雨でしたが、午前中は曇りとなり、
昼前から快晴に。富岡八幡宮例大祭
(深川八幡祭り)の連合神輿渡御が盛大
に行われました。神輿の数は全部で54基。
番号は55番までですが、4番と42番は
なく、岩手の平泉も参加しているので、
実際の数は54基。神輿の大きさは町会に
よって様々ですが、立派な神輿が揃って
います。壮大さは日本を代表するものと
言えるでしょう。
「江戸三大祭り」の一つとなっています。
その三つとは、神田、山王、深川なん
ですが、浅草の三社祭とかも「江戸三大
祭り」を主張したりしています。でも、
今回、天皇皇后両陛下が富岡八幡宮で
神輿渡御をご覧になられたという事実は
末代まで語り伝えられることになるので
しょう。
で、こちらが、富岡八幡宮の永代通り
沿いに特別に設置された建物。材木も
特別の物が使われているそうです。
この写真は、土曜日に撮影した物なので、
建物の中にはまだ誰もいません。
どなたかがYouTubeに当日の様子を
アップしていただいているので、
ついでにご紹介しておきます。
こんなに至近距離でご覧になっていた
というのもすごいですね。
さて、私はというと、現在、富岡二丁目
のマンションに住んでいるのですが、
本籍地は冬木町。妻の実家が冬木町の
材木屋で、今は亡き義父が冬木町の総代
だったので、祭りは冬木町のほうで参加
しております。この地域は、江戸時代から
材木関係の集積地だったので、材木の扱い
には相当な歴史があるんですね。
当日は朝から祭りの衣装に着替え、妻と
従姉妹とともに神輿に参加しました。
4年前、初めて参加したのですが、今年
は写真も撮りたいしどうしようかと、
ぎりぎりまで決めかねておりました。
しかし、こういう機会はなかなかない
です。意を決して参加することにしたの
です。子供の頃から冬木町の御神輿を
担いでいるベテランの私の妻は、4年ぶり
なので、上がるかどうか心配と言って
おりました。御神輿は担ぐのではなくて、
肩を入れて上げるのだと言う妻の言葉に
多少不安になる私でした。
神輿は朝の7時半に一番から富岡八幡宮
前を出発していきます。永代通りを東陽
三丁目で大門通りを進み、扇橋でから
深川資料館通りを進み、三好、白河、
清澄を通り、清洲橋を渡って、箱崎、
新川に。永代橋を渡り、永代通りを
門前仲町交差点を通り、富岡八幡宮まで
およそ8キロ。
今年の冬木町の御神輿、丸太が前回より
も太くて重く、ちょっと担いだだけで息
が切れてしまいました。御神輿だけでも
3尺というサイズで、他の御神輿と比べ
ても大きいほうなのですが、丸太も太い。
後で、他の町内のと比べてみたのですが、
太さは歴然でした。箸より重い物を持っ
ことのない(?)私にとって、これは
あまりにも荷が重すぎました。
何度か御神輿に入ったのですが、すぐに
息切れをしてしまいます。歳ですね。
まだ3分の1も来ていない扇橋あたりで、
中央前方の棒を担いでしまいました。
御神輿を放り上げる時に、落下する
御神輿に右手親指が当たり、突き指、
その衝撃で、尻餅をついてしまいました。
「外に出ろ!」という声を聞いて、
必死に脱出する際に右膝を擦りむいて
いました。さらにへんな形で身体を
ねじっていたので、右と左の脇腹
が痛くなっておりました。日頃の運動
不足のおかげです。
扇橋の小休止の後、三つ目通りで離脱。
歩いて冬木町の実家まで帰り、膝に
絆創膏を貼って、祭り半纏を普通の服に
着替え、カメラを持ってでかけたのです。
その頃には空は真夏の快晴に。
カメラに防水用のカバーをかけて、
永代通りを永代橋まで行って待機。
こういうことでもないと祭りの全貌を
見ることができませんでした。災い
転じて福となす、です。しばらく待って、
一番の深濱の神輿の登場です。
3尺五寸、重さ約一トン。54基中、一番
でかい神輿です。
このお祭りは別名、「水掛け祭り」とも
呼ばれるのですが、各ポイントで、盛大
に御神輿に水掛を行っています。佐賀町
のトラックの水掛などは有名ですが、
それがこちら。
女子柔道の銀メダリストの杉本美香選手
もこのトラックで水掛をやってたそうです。
消防署も気合いを入れて水掛けをサポート。
こういう放水スポットが何カ所かあります。
すごい水量で、近くにいるとビショビショ
になってしまいます。
御神輿が次から次へと通り過ぎていき
ましたが、後半で岩手の平泉の登場です。
東北の復興への願いも込めて、平泉が来た
時は沿道から拍手が起きました。
旗の後ろを歩いているお坊さんは中尊寺
から来たようです。
こちらは平泉の御神輿。担ぎ手も平泉から
来ているようですが、見事な担ぎです。
永代橋付近で、冬木町の御神輿を待って
いたのですが、そこからは冬木町を追い
かけました。門前仲町の交差点では、派手
に揉んだりします。
人ごみに混じって写真を撮っていたりした
ら、後ろのほうでどこかのおじさんが、
一緒に来ているおばさんに説明をしている
声が聞こえてきました。
「冬木町の御神輿は一番立派で、昔から
一番荒々しくて有名なんだよね」と。
う~ん、そんな御神輿を私が担いでいたとは...
御神輿のゴールは富岡八幡宮なのですが、
冬木町の御神輿はそこから、冬木町の町内
に進んでいきます。富岡二丁目から、冬木
町に入るところで、沿道で富岡二丁目の
金棒の女性たちが整然と頭を下げて、冬木
の御神輿を見送っている姿に感動しました。
なんだかここに江戸の粋を見たような...
富岡二丁目の金棒は実にきちっとしています。
ちなみに金棒とは、御神輿を先導して歩く
女性達のこと。金棒を曵きながら道を清めて
いくのだとか。
かくして、冬木の御神輿は、最終ゴールの
神酒所(みきしょ)まで辿りつくのですが、
このお祭りに命をかける(?)妻と従姉妹
は最後までがんばっておりました。所々、
女性だけで担ぐところもありましたが、
冬木の女性陣は実に力強かったです。
こちらもよろしくお願いいたします
↓
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予報は雨でしたが、午前中は曇りとなり、
昼前から快晴に。富岡八幡宮例大祭
(深川八幡祭り)の連合神輿渡御が盛大
に行われました。神輿の数は全部で54基。
番号は55番までですが、4番と42番は
なく、岩手の平泉も参加しているので、
実際の数は54基。神輿の大きさは町会に
よって様々ですが、立派な神輿が揃って
います。壮大さは日本を代表するものと
言えるでしょう。
「江戸三大祭り」の一つとなっています。
その三つとは、神田、山王、深川なん
ですが、浅草の三社祭とかも「江戸三大
祭り」を主張したりしています。でも、
今回、天皇皇后両陛下が富岡八幡宮で
神輿渡御をご覧になられたという事実は
末代まで語り伝えられることになるので
しょう。
で、こちらが、富岡八幡宮の永代通り
沿いに特別に設置された建物。材木も
特別の物が使われているそうです。
この写真は、土曜日に撮影した物なので、
建物の中にはまだ誰もいません。
どなたかがYouTubeに当日の様子を
アップしていただいているので、
ついでにご紹介しておきます。
こんなに至近距離でご覧になっていた
というのもすごいですね。
さて、私はというと、現在、富岡二丁目
のマンションに住んでいるのですが、
本籍地は冬木町。妻の実家が冬木町の
材木屋で、今は亡き義父が冬木町の総代
だったので、祭りは冬木町のほうで参加
しております。この地域は、江戸時代から
材木関係の集積地だったので、材木の扱い
には相当な歴史があるんですね。
当日は朝から祭りの衣装に着替え、妻と
従姉妹とともに神輿に参加しました。
4年前、初めて参加したのですが、今年
は写真も撮りたいしどうしようかと、
ぎりぎりまで決めかねておりました。
しかし、こういう機会はなかなかない
です。意を決して参加することにしたの
です。子供の頃から冬木町の御神輿を
担いでいるベテランの私の妻は、4年ぶり
なので、上がるかどうか心配と言って
おりました。御神輿は担ぐのではなくて、
肩を入れて上げるのだと言う妻の言葉に
多少不安になる私でした。
神輿は朝の7時半に一番から富岡八幡宮
前を出発していきます。永代通りを東陽
三丁目で大門通りを進み、扇橋でから
深川資料館通りを進み、三好、白河、
清澄を通り、清洲橋を渡って、箱崎、
新川に。永代橋を渡り、永代通りを
門前仲町交差点を通り、富岡八幡宮まで
およそ8キロ。
今年の冬木町の御神輿、丸太が前回より
も太くて重く、ちょっと担いだだけで息
が切れてしまいました。御神輿だけでも
3尺というサイズで、他の御神輿と比べ
ても大きいほうなのですが、丸太も太い。
後で、他の町内のと比べてみたのですが、
太さは歴然でした。箸より重い物を持っ
ことのない(?)私にとって、これは
あまりにも荷が重すぎました。
何度か御神輿に入ったのですが、すぐに
息切れをしてしまいます。歳ですね。
まだ3分の1も来ていない扇橋あたりで、
中央前方の棒を担いでしまいました。
御神輿を放り上げる時に、落下する
御神輿に右手親指が当たり、突き指、
その衝撃で、尻餅をついてしまいました。
「外に出ろ!」という声を聞いて、
必死に脱出する際に右膝を擦りむいて
いました。さらにへんな形で身体を
ねじっていたので、右と左の脇腹
が痛くなっておりました。日頃の運動
不足のおかげです。
扇橋の小休止の後、三つ目通りで離脱。
歩いて冬木町の実家まで帰り、膝に
絆創膏を貼って、祭り半纏を普通の服に
着替え、カメラを持ってでかけたのです。
その頃には空は真夏の快晴に。
カメラに防水用のカバーをかけて、
永代通りを永代橋まで行って待機。
こういうことでもないと祭りの全貌を
見ることができませんでした。災い
転じて福となす、です。しばらく待って、
一番の深濱の神輿の登場です。
3尺五寸、重さ約一トン。54基中、一番
でかい神輿です。
このお祭りは別名、「水掛け祭り」とも
呼ばれるのですが、各ポイントで、盛大
に御神輿に水掛を行っています。佐賀町
のトラックの水掛などは有名ですが、
それがこちら。
女子柔道の銀メダリストの杉本美香選手
もこのトラックで水掛をやってたそうです。
消防署も気合いを入れて水掛けをサポート。
こういう放水スポットが何カ所かあります。
すごい水量で、近くにいるとビショビショ
になってしまいます。
御神輿が次から次へと通り過ぎていき
ましたが、後半で岩手の平泉の登場です。
東北の復興への願いも込めて、平泉が来た
時は沿道から拍手が起きました。
旗の後ろを歩いているお坊さんは中尊寺
から来たようです。
こちらは平泉の御神輿。担ぎ手も平泉から
来ているようですが、見事な担ぎです。
永代橋付近で、冬木町の御神輿を待って
いたのですが、そこからは冬木町を追い
かけました。門前仲町の交差点では、派手
に揉んだりします。
人ごみに混じって写真を撮っていたりした
ら、後ろのほうでどこかのおじさんが、
一緒に来ているおばさんに説明をしている
声が聞こえてきました。
「冬木町の御神輿は一番立派で、昔から
一番荒々しくて有名なんだよね」と。
う~ん、そんな御神輿を私が担いでいたとは...
御神輿のゴールは富岡八幡宮なのですが、
冬木町の御神輿はそこから、冬木町の町内
に進んでいきます。富岡二丁目から、冬木
町に入るところで、沿道で富岡二丁目の
金棒の女性たちが整然と頭を下げて、冬木
の御神輿を見送っている姿に感動しました。
なんだかここに江戸の粋を見たような...
富岡二丁目の金棒は実にきちっとしています。
ちなみに金棒とは、御神輿を先導して歩く
女性達のこと。金棒を曵きながら道を清めて
いくのだとか。
かくして、冬木の御神輿は、最終ゴールの
神酒所(みきしょ)まで辿りつくのですが、
このお祭りに命をかける(?)妻と従姉妹
は最後までがんばっておりました。所々、
女性だけで担ぐところもありましたが、
冬木の女性陣は実に力強かったです。
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