都道府県の8割が直面する産科医不足。背景には24時間体制の過酷な勤務実態と、お産をめぐる訴訟や刑事責任に問われるケースの増加がある。勤務医たちはプレッシャーに押しつぶされるようにして、生命誕生の現場から離れている。
▽医療ミス
大阪府の男性産婦人科医(38)は昨年12月、出産した母親の死亡事故をきっかけに、産科の診療所を辞め、お産を扱わない診療所を開いた。
亡くなった母親は後で死亡率の高い羊水塞栓(そくせん)症だったことが分かったが、直後には医療ミスを疑われた。遺族から殴られ、警察では6時間も取り調べを受けた。
「ただでさえ大切な患者さんを失って苦しい思いをしている時に、これでもかというほど打ちのめされた」。結局、限られた人数では、出産は扱えないと結論を出した。
医師は「社会ではお産を軽く考える風潮があるが、実際は命にかかわることもある。医療の現実と患者の意識のずれが、一方的に医師にぶつけられている」と訴える。
▽走る動揺
大阪府の公立病院勤務が長い産婦人科の女性医師(41)は、外資系の製薬会社への転職を決めた。緊急手術など臨床現場での経験は約15年。当直明けで翌日も仕事をする36時間勤務などもこなしてきた。
転職を決めた理由は忙しさではない。「忙しくても収入が悪くてもやっていける。でも寝ずに働いて、患者から暴言を浴びせられたり、訴えられたりするプレッシャーの中では、何のためにやっているのか分からなくなる」
医療訴訟は2004年まで増加を続け、05年は減少したものの1996年の1.7倍。医療事故をめぐる警察への届け出は、97年は21件だったが、03-05年は毎年、200件を超えた。立件数も97年の3件から毎年増加し、05年は91件。福島県立大野病院で起きた出産時の死亡事故では、医師が業務上過失致死容疑で今年2-3月に逮捕、起訴され医療関係者の間に動揺が走った。
警察庁は「医療事故の捜査は病院や患者側からの通報が前提。過失の立証が難しく、警察側から積極的に掘り起こしをするわけではないが、通常の捜査と同様、過失が立証できれば立件する」とのスタンスだ。
▽患者救済
勤務医を辞めていく実態などを著書「医療崩壊」にまとめた虎の門病院(東京)の小松秀樹(こまつ・ひでき)医師は「尋常じゃない働かせ方と訴訟など患者とのあつれきの中、産科だけでなく勤務医全体が病院から離れ始め、危機的な状況だ」と警告する。「医療は不確実で、過失がなくても重大な結果になることがある。警察が介入すべきではないし、現実を理解せずに報道するメディアの責任も大きい」
一方で患者にとってみれば、医療ミスを問う手段は訴訟や刑事告訴などしかないのも事実だ。医療消費者ネットワークMECON代表世話人の清水とよ子(しみず・とよこ)さんは「警察に駆け込む人が増えているのは、病院が真実を隠し、国が患者救済の法律も制度もつくっていないため。それがない限り、患者側は警察に社会的制裁を与えてほしいと考えるのではないか」と話す。
こうした実態を受け、厚生労働省は8月末に発表した「新医師確保総合対策」の中で、訴訟リスクを回避するため医師に責任がなくても患者に補償する「無過失補償制度」の創設を打ち出した。
自民党もこの問題で検討会を設置し、年内に結論を出す方針。ただ、財源や対象者をどうするかなど課題は多く、実現までにはまだ紆余(うよ)曲折がありそうだ。
(共同通信、2006年10月31日)
****** 共同通信、2006年10月31日
▽医療ミス
大阪府の男性産婦人科医(38)は昨年12月、出産した母親の死亡事故をきっかけに、産科の診療所を辞め、お産を扱わない診療所を開いた。
亡くなった母親は後で死亡率の高い羊水塞栓(そくせん)症だったことが分かったが、直後には医療ミスを疑われた。遺族から殴られ、警察では6時間も取り調べを受けた。
「ただでさえ大切な患者さんを失って苦しい思いをしている時に、これでもかというほど打ちのめされた」。結局、限られた人数では、出産は扱えないと結論を出した。
医師は「社会ではお産を軽く考える風潮があるが、実際は命にかかわることもある。医療の現実と患者の意識のずれが、一方的に医師にぶつけられている」と訴える。
▽走る動揺
大阪府の公立病院勤務が長い産婦人科の女性医師(41)は、外資系の製薬会社への転職を決めた。緊急手術など臨床現場での経験は約15年。当直明けで翌日も仕事をする36時間勤務などもこなしてきた。
転職を決めた理由は忙しさではない。「忙しくても収入が悪くてもやっていける。でも寝ずに働いて、患者から暴言を浴びせられたり、訴えられたりするプレッシャーの中では、何のためにやっているのか分からなくなる」
医療訴訟は2004年まで増加を続け、05年は減少したものの1996年の1.7倍。医療事故をめぐる警察への届け出は、97年は21件だったが、03-05年は毎年、200件を超えた。立件数も97年の3件から毎年増加し、05年は91件。福島県立大野病院で起きた出産時の死亡事故では、医師が業務上過失致死容疑で今年2-3月に逮捕、起訴され医療関係者の間に動揺が走った。
警察庁は「医療事故の捜査は病院や患者側からの通報が前提。過失の立証が難しく、警察側から積極的に掘り起こしをするわけではないが、通常の捜査と同様、過失が立証できれば立件する」とのスタンスだ。
▽患者救済
勤務医を辞めていく実態などを著書「医療崩壊」にまとめた虎の門病院(東京)の小松秀樹(こまつ・ひでき)医師は「尋常じゃない働かせ方と訴訟など患者とのあつれきの中、産科だけでなく勤務医全体が病院から離れ始め、危機的な状況だ」と警告する。「医療は不確実で、過失がなくても重大な結果になることがある。警察が介入すべきではないし、現実を理解せずに報道するメディアの責任も大きい」
一方で患者にとってみれば、医療ミスを問う手段は訴訟や刑事告訴などしかないのも事実だ。医療消費者ネットワークMECON代表世話人の清水とよ子(しみず・とよこ)さんは「警察に駆け込む人が増えているのは、病院が真実を隠し、国が患者救済の法律も制度もつくっていないため。それがない限り、患者側は警察に社会的制裁を与えてほしいと考えるのではないか」と話す。
こうした実態を受け、厚生労働省は8月末に発表した「新医師確保総合対策」の中で、訴訟リスクを回避するため医師に責任がなくても患者に補償する「無過失補償制度」の創設を打ち出した。
自民党もこの問題で検討会を設置し、年内に結論を出す方針。ただ、財源や対象者をどうするかなど課題は多く、実現までにはまだ紆余(うよ)曲折がありそうだ。
(共同通信、2006年10月31日)
****** 共同通信、2006年10月31日