カメラを片手に

久米正雄の「微苦笑」とは

弥生朔日の朝は、雲の間から陽の光が差し込みました。
最低気温は4.2℃と冷え込みは弱く、西から近ずく前線に向け吹き込む南から
の暖気が流れ込み、正午には18℃を越え、昨日よりも暖かな4月初めの気候。
天候は西から崩れており、今夜から明日にかけ前線通過によりまた雨に。
前線通過後に弱い寒気も流れ込んで、二日ほど寒い日になりそう。
一雨ごとに暖かさが増す春の天候で、季節がどんどん進んでいきますね。
      12時、18.2℃、40%

さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はキク科の「ハハコグサ・母子草

春の七草の一つ「ゴギョウ」といえばわかりますね。冬は短いが、春には草丈
30cmぐらい迄伸びた茎の先に、黄色い花が頭状花序で咲く野草です。
古来から日本各地で自生しているが、縄文時代に朝鮮半島から渡来した史前
帰化植物の一種とされている。

名の由来として、柔かな白い毛で覆われ、昔はこれを「ほうけ立つ」といい、
転じ「ホオコグサ」と呼ばれ、さらに転訛してハハコグサと呼ばれたとも。
別名は人形にも用いたことからよく使う「御形(おぎょう、ごぎょう)」です。
現在の草餅はヨモギだが、かつては母子草が使われて「餅花もちばな)」と、
また葉は生薬の「鼠麹草(そきくそう)」と呼ぶように、葉がへら状でネズミの
耳から鼠耳(そじ)や 仏耳草(ぶつじぐさ)、他には這子草(ほおこぐさ)と。

花言葉は漢字の母子草の母からイメージし「いつも思う」「優しい人
      

今日は「三汀忌」もしくは「微苦笑忌」で、
1952年の忌日で、長野県上田市出身の小説家・劇作家・俳人「久米正雄」、
晩年は高血圧に悩み、脳溢血で60歳で鎌倉にて急逝する。

三汀忌は俳号の三汀からで、
1952年2月、病床から名随筆家・高田保への追悼句。
   『春の雪ひとごとならず消えてゆく』三汀

   『町は名古屋城見通しに雛売りて』三汀 

そして微苦笑忌は久米正雄が「微笑」と「苦笑」を合わせて作った造語
「微苦笑・びくしょう」からです。
どんな笑いかといえば、微笑とも苦笑ともつかぬ笑い。かすかなにが笑い
例として、久米正雄・微苦笑芸術より
一種皮肉な気持もあって、例の微苦笑を湛えながら
 

先に亡くなる親友・芥川龍之介も「海のほとり」で
”ちょっと僕に微苦笑を送り、「あいつ、嫣然として笑ったな。」”と用い
エールを送っていたが・・・
作家さん達も、その後あまり用いられないようですね。

微苦笑、我は言葉の響きが微妙で、語感もピンとこず、苦笑いの方が。

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