カメラを片手に

平城京松林苑とは

今朝の奈良も26.2℃と熱帯夜、南から吹き込む湿暖流で不安定な大気で、朝
から大阪では警報が出るぐらいのゲリラ雷雨があったが、奈良では温められた
大気で午後2時過ぎ35.1℃まで上がり猛暑日、でも夕方にかけ雷が鳴り始め
昨日同様になるかも。
      14時、34.2℃、52%

それにしても大型台風10号の動き、西日本直撃コースで勢力も非常に強く、
火曜日夕方までに、外回り特に植木などを仕舞わなくてはいけない。
      気象庁12時発表

NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はセリ科の「シシウド・猪子独活
日本と中国が原産の多年性の草本植物で、別名を「シカカクシ・鹿隠し」と
いうほど草丈が2mにも達する。
その他に「ウドタラシ」や「ウマウド」とも。 
和名の由来はウド(ウコギ科)に似た葉を持ち、猪(シシ)より大型である
こと、もしくは食用にならないことからとされる。 
シシウドの根から採れる精油による民間療法では頭痛、風邪、歯痛、リウマチ
等の緩和に用いられる。なお生薬名は「紫茎独活(しけいどっかつ)」。


葉は3回羽状を示し小葉は5~10cmで、縁には細かなギザギザをもつ。
キアゲハの食草となる。
 20㎝程の傘状の大散形花序に小さな白花がほぼ水平に多数咲くも、総苞も
小総苞片も無い。
その花弁と雄蕊は5個で、雌蕊は1本、先が2裂しやや内側に曲がり、
やや黄ばむことも花が咲き実がなれば、茎から枯れる。 
花言葉は「健康美」
      

先日、都跡公民館での講座「天皇の庭園 平城京松林苑」、奈良文化財研究所
都城発掘調査部 副部長 「今井晃樹」のお話を聞いてまいりました。
2023年3月に「大明宮北半部と平城宮松林苑」
文化財論叢Ⅴ 奈良文化財研究所創立70周年記念論文集(257-270)を基に
お話しして下さったようです。

「松林苑」とは
・1972年に橿原考古学研究所が瓢箪山古墳の周濠を調査にて、奈良時代の瓦片
 が出土し、さらに東側で土塁を見つけ、奈良時代の築地塀があったと。
・この西築地塀は規定幅約3mで両側に雨落溝があり、多量の瓦片が堆積した
 ことで、土塀に瓦葺きの屋根を持つ築地塀と断定
・軒瓦の文様から築地塀は天平年間に造営されたと考えられた
・近年、奈良航空自衛隊基地のすぐ北側で、南北にのびる幅約5m、高さ80㎝
 ほどの土塁で周囲には奈良時代の瓦が落ちていた
・松林苑の東西は約1.8㎞、南北は約1.3㎞の規模と考えられた。  

地理院・航空地図2023を見て見ましょう
      

実線が土塁が見つかった部位で、破線は推定線です。



内郭と大蔵省、苑池の関係性は
内郭とは
・土塁が一部残存する名所を南辺、瓦が多く出土する名所を西辺とすると
 南北約300m、東西約200mの築地塀に囲まれた方形の区画となる。
・推定地内の〇部分の発掘にて、この中には二つの建物跡があり瓦と石敷き
 の中庭が見つかり、続日本紀に出てくる「松林苑」と推定された。
  天平元年(729)3月3日。天皇御松林苑宴群臣。引諸司並朝集使主典以上・
  天平元年(729)5月5日。天皇御松林。宴王臣五位巳上賜禄有差。・・・
  天平2年(730)3月3日。天皇御松林宮宴五位以上。・・・
  天平7年(735)5月5日。天皇御松林宮覧騎射。・・・
  天平10年(738)正月17日。天皇幸松林。賜宴於文武官主典巳・・・
  天平17年(745)5月18日。天皇親臨松林倉廩賜陪従人等穀有差。

・軒瓦の文様から、天平年間に造営されたと考えられる。
大蔵省推定地
・内郭の南、平城京の北に築地塀で囲まれた東西に長い区画がある
 ⇒大蔵省の倉庫群があった場所、すなわち松林倉廩(そうりん)と考えられた
苑池
・平城京内の佐紀池(西池)、水上池(出だし部)、ハジカミ池(二つの島)、 
 メダマ池(島)など、古墳の周濠を再利用し造成した奈良時代の池跡が
 多数見つかっている。

松林苑で何をしていたのか・・・続日本紀より
  名称:松林苑、松林、松林宮、北松林、松林倉廩・・
  月日:1月17日(大射)、3月3日(曲水)、5月5日(騎射)の節分
  賓客:帰国した遣唐使と唐人に賜宴
  場所:天皇が松林苑に出向く「御」=宮中に出向く
     松林苑は宮内であるという認識
  松林倉廩:大蔵省推定地に比定 大蔵省の倉庫群

松林苑のモデルはどこか
 従来の学説:唐長安城・禁苑の西内苑
 今井説  :唐長安城大明宮北半部
 
      
平城京松林苑と大明宮北半部の類似点
 ・皇帝・天皇の私的空間
 ・隣徳殿と内郭(松林苑)の位置
 ・城壁と築地塀
 ・苑池と臨地建物

誰が唐の都の情報を入手したか
*平城京の規模や構造は唐長安城との類似
  ・面積が長安城の四分の一
  ・宮が北端に位置
  ・朱雀大路の幅は長安城の二分の一(75mと150m)
  ・羅城門や羅城の造営(藤原京にはない)
  ・京東南隅の苑池(五徳池と曲江池)
  ・第一次大極殿の龍尾道と殿前広場の面積
*大宝年間の第7次遣唐使
  ・702年 粟田真人らは麟徳殿で則天武后に謁見
  ・大明宮も長安城全体も実見
  ・詳細な数値情報は正式な外交交渉で入手した

松林苑の存在、名前だけ走っていたが、やはり唐に起源があったのですね。

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