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移転しました(2014/1/1)

花井虎一のこと ~お奉行様!補

2007-10-29 | ヒストリ:連載
※サイト掲載済。こちらのほうが読みやすいです


花井虎一のこと、ということで、今日は久しぶりにがっつり歴史話になります。
題の通り、お奉行様!の外伝扱いにします。わはは。大仰だな(笑)
ああああ…しかしこの連載も再度止まって幾久しく(大汗;
先日友人に「お奉行様!の続き…」とささやかれて、
……笑ってごまかしました…(笑)

花井虎一と書いて、覚えてらっしゃる読者様、どれ程いらっしゃいますでしょうか?
鳥居耀蔵と蛮社の獄の流れを書いた時に出てきた人物であります。
この人物の名前が何故知られているかというと蛮社の獄で渡辺崋山が逮捕されるきっかけを作った、という一点につきます。
蛮社の獄に対する評価、渡辺崋山らへの歴史的評価、更に高野長英が書き残した(悪意とバイアスのかかりまくった)花井の人物評、また花井が加担した鳥居の人物評から花井虎一の扱われ方というのは、どう贔屓名に見ても悪いものであります。
先日とある方からどういった人物であったかという旨のお問い合わせを頂きまして、ちょこちょこと花井の事を調べておりました。
本来ならばコメント欄でお返しする積りでありましたが、意外な発見がありましたので、せめてこのブログを読んでいる方にも知って頂きたいと思い、ひとつの読み物として書き出したいと思います。



花井虎一(寛政5(1795)年生か)
 ・名 :一好、通称:虎一
 ・役職:御小人(柳田勝太郎組所属)、
     →目付支配。走り使い・用品の運搬を主務とした。
      中間の下位に置かれ、総数およそ450~500人。役高15俵1人扶持。
      最下級に位置する幕吏。
 ・役職:御納戸口番(1839年)→学問所勤番(1840)→長崎奉行所与力(1841)
 ・岳父が御子人目付の小笠原貢蔵。小笠原は鳥居耀蔵の部下
 ・蘭学者・宇田川榕庵の門下生、渡辺崋山とも交遊あり

人物に関する基本データはこんなものでしょうか。
というかこのくらいしか分かりません。
まあどういった経緯で渡辺崋山らを"密告"したかは、繰り返しになるのでここでは書きません。
が、さわりだけ書きますと、渡辺崋山が検挙される切っ掛けとなった事件に「無人島渡航計画」と云う計画がありました。
内容は「小笠原諸島の変わった奇石、奇木を売れば大儲けできる」という他愛のない、しかも崋山とは何の関係のない計画だった。(しかもお上には渡航申請中)
これが「崋山らが無人島への密航を計画している」という形に潤色され、花井を通じてその上司(小笠原貢蔵)の上司である鳥居耀蔵に"密告"され、崋山の逮捕と相成った。
崋山は逮捕後即時揚屋入り(入牢)となり、北町奉行大草高好の取調べを受けることになります。
そうするとですね、段々分ってくるわけですよ。
崋山は密航計画とは関係ないと云う事。花井の証言のでたらめさ…
大草奉行は崋山が鳥居に嵌められたと云う事に薄々気がついていたようで、取調べの際についにこう言い放ちます。
「其方意趣遺恨ニテモ受候者有之哉」
誰かの恨みでも受けたのではないか、と。
この時点でほぼ無罪確定であった崋山が何故自刃することになったのかは、「お奉行様!第22夜」をご覧下さい。
これで花井虎一という人物の大体の位置はお解かりいただけるかと思います。



まぁ通説ではこうなっていますし、私も「お奉行様!」で花井はスパイ、と云う書き方をしております。
個人的にはスパイという書き方で、そんなに間違ってはいないと思っております。
ただ上記しただけの事を見て「悪人か」と問われると、やはり「ちょっと待って」と思ってしまう。
冷静に見れば花井は時の権力に就いただけの話であります。
重役に逆らえるヒラがどの位いるんでしょう?聖人君子じゃあるまいしその立場に立ったら誰だってそうするんじゃない?そう思って、取り立てて花井を悪人とは思わないと先日コメントさせていただきました。

通説では、花井が崋山らを"密告"した事になっている。
これは
1)「蛮社遭厄小記」
2)鳥居耀蔵の告発状
が根拠となっているものです。

1)「蛮社遭厄小記」
「遭厄小記」は高野長英の著で岩手前沢にいる従兄弟に送られた、蛮社の獄の顛末を綴ったもので、事件の結末をみるのによく引用される一史料であります。
花井の密告に関しては「支配頭鳥居氏ヘ訴出ケル」という記述が。
しかしこの書には幾つか問題がありまして…
1つ目が長英入獄中(3年目)に書かれた物であると云う点。
どういう事かと云いますと、長英に伝わっている情報が必ずしも正確ではない。憶測で書いている部分も、勿論誤解もあります。
…正しい情報が伝わっていなかったのか、正確な情報を知った上で故意に捻じ曲げて書いているのか。
その辺りは私には分りませんが、とにかく記述上誤っている点がある事。
2つ目が『被害者』である長英が書いているため、『加害者』側を見る時には強いバイアスが掛かっているという点。
この書物の中で書き出される花井虎一像は「貧慾愚昧ノ蠢物」と酷いこき下ろし様です。
なのですが…
花井に関して言いますと、長英の「遭厄小記」が史料批判されることなく引用されている色合いが強い。

つ、続く~!(またかい)



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