いつも行ってるのに行かないのは気持ち悪い。
という事で楠公さんこと湊川神社にお参りに行ってきました。
多田神社は流石にしんどいかと思って。
JRで言うと最寄駅は神戸なのですが、私は何時も元町で降りてそこからてくてく歩きです。
音楽聞きながら線路沿い、歩いて20分位。なのでそんなに遠くない。
流石にまだ参拝客は多かったです。
お参りしてからは山側にある大倉山の図書館へ。
以前紹介しましたが、大倉山は明治の政商・大倉喜八郎の別荘があった所です。
とはいえこの別荘、大倉は殆ど使っていなかったようで。
利用していたのはもっぱら伊藤博文(笑)
そんな事もあって伊藤の死後、大倉は市民に開放するという条件付きで神戸にこの別荘地を寄付しています。伊藤の銅像も建っていた。
山の上にあるだけに相当目立つ銅像だったようで、神戸を行きかう船からもその姿が見えたと言います。
今じゃ山から海も見えないのにねえ(笑)
そう言えば広瀬も湊川神社にお参りしていますね。
確か兵学校卒業前の実地演習で天龍艦に乗組んでいた時だったように思います。
図書館の傍を走る下山手通りを真っ直ぐ東に向かうと兵庫県庁に出ます。
…出るのですが、そこまでいかずにロイホが見えたら海側へ折れる。
真っ直ぐ下りると花隈城跡があるのですが、その途中にあるのが、

東郷井
ここにはもともと神港倶楽部があった所で、東郷平八郎が1年程滞在していたんですね~
何故かといいますとここから少し歩いた海の方、神戸市立博物館がある辺り(よりもっと海側、高速越えて向こう)、勝海舟肝いりの海軍操練所があった辺り。
その辺りに小野浜造船所がありました。
居留地の外国人の会社だったのを海軍省が買収し、呉鎮守府の監督をうけるようになっていた記憶が…
最終的には呉鎮に吸収されることになり廃止になっている。
割と早い段階で無くなった大して知られていないような造船所なんですが、ここで初代の「大和」が建造されています。
そしてこの初代大和建造の監督官をしていたのが東郷平八郎でした。
それで神戸に滞在していた。
この「東郷井」の石碑のある場所、もともと井戸があったそうです。
その井戸を東郷が朝夕使っていたという所から、この名前がついている。
石碑の裏側には撰文がありますがそれを考えたのが小笠原長生。
左側のです。子爵小笠原とあるのが分かりますかね~。
ちゃんと名前も続いてますが、影になってて分かりません。
表の東郷井という文字を書いたのが財部彪。
『彪書(花押)』とあります。
神戸に残る珍しい近代の海軍関連史跡(笑)
因みにここからJR元町駅は程近い所にあります。
その山側に伊藤博文が住んでいた事がある。
伊藤は兵庫県の初代県知事でした。
JR神戸駅のひとつ西隣にはJR兵庫駅があるのですが、明治の初めの頃はここに県庁があった。この辺りは平清盛が拓いた大輪田泊という港で、幕末の「兵庫開港」の『兵庫』はここを指します。
リリーは元町から兵庫まで通ってたみたいですね。
因みに元町の山側には兵庫県公館があり、そこで伊藤の揮毫や文字の書かれた盃なんかを見ることができます。
余りなさそうな印象を受けますが、調べれば結構近代関連の事項って出てくるもんですね(笑)
後はぼちぼちと南京町を通りランダムウォーク(洋書屋)へ向かったんですが。
洋版倒産!!
え?去年7月末?
…うっそ。知らんかった…orz
それで新しく出来た大型書店に洋書の取り扱いが無かったんですか…
ランダムウォークは今月15日で閉店だそうです。セールやってました。
残念だ。雑誌ここが一番安かったのに…
■
ランキング参加中
拍手ありがとうございます♪