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2013/12/31 ヒジハラ

桝富

2009-07-16 | 歴史の小旅
お昼はそばでした。

***



東山駅傍にある桝富。
美術館の行き帰りに私が使っている小道にあるんですが、いつも凄い行列で。
帰りしに前を通りかかったら丁度オープン。
白川が見える場所に座りたかったけど、既に人がしました(笑)

 

京都に来たら湯葉食べたいって思うんだよねえ。笑

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神戸海軍操練所跡・小野浜造船所・海軍営之碑@神戸

2009-06-16 | 歴史の小旅

神戸市立博物館が建っているところは嘗て居留地であったところ。
というかJR三宮~元町間、海側は旧居留地だったところです。
今でも結構建物が残っていますがそのままブティックになっていたり、レストランになっていたり。
神戸市博の建物は旧横浜正銀の神戸支店を転用しています。
そして実は海がすぐ傍。

幕末に勝海舟が作った海軍操練所跡もすぐ傍。




右側に映っているのが神戸市博、左側の白いビルの麓に有るのが海軍操練所跡の石碑。
歩いて大体200メートル位か。とにかく近い。
 



とにかくでかい。
そして錨、よく見ると「戦艦の錨」とありました。
…何の?そこが知りたい。
軽くググってみたけどよくわかりませんでした。
それはとにかく操練所は随分広い敷地だったようですが、その跡地も現在は高速道路を通す為に埋め立ててしまったと言います。


 
 

阪神淡路大震災より少し前、こちらの記念碑は工事の為に撤去されていた時期があります。
「無くなってる!」と思い神戸市に電話で尋ねたら収蔵庫にしまってあるとか何とか…その後何年か石碑不在でありました。
また以前とは場所も変わっているような気がするのですが(道路を挟んで反対側に有った気がする)、記憶が曖昧ではっきり思い出せません。


勝改修は神戸に神戸海軍操練所と神戸海軍塾を開いたそうです。
操練所の方は幕臣を集め、海軍塾の方は勝の私塾で、諸藩士や志士が集まったと言われる。
坂本龍馬が神戸海軍操練所の塾頭になったとよく言われますが、実際には後者の方塾頭のようです。
とはいえこの辺り様々論があるようでどれが正確なのか、私には分かりません。

ただ海軍塾には龍馬初め土佐を脱藩した脱藩浪人がおり、その中の望月亀弥太や北添佶摩が池田屋事件に関与の上死亡しており、これが勝の幕府での立場を悪くして海軍操練所の閉鎖に繋がった。
当時勝は長州や脱藩浪人に同情的であったり、軍艦奉行を罷免されていたり、閉鎖の理由はそれだけは無かったと思いますが。

因みに後外務大臣を務めた陸奥宗光や、日清戦争時の連合艦隊司令長官・日露戦争時の軍令部長を務めた伊東祐亨もここで学んでいました。
伊東なんかは自分は坂本龍馬仕込みだという事が自慢の種だったそうです。笑。




訪れた際、ふと海の方を見ると…


 


帆船が。
近づいてみると日本丸(手前)と海王丸(奥)でした。長崎帆船まつり以来!
そういえば帆船来航のニュースが流れていました。


で、帆船が碇泊しているこのあたり、かつては小野浜と呼ばれていました。
明治初めごろには、小野浜造船所もあった。
戦艦大和というと太平洋戦争の時の大和を思い出しますが、こちらは2代目。
初代艦・大和はこちら神戸、小野浜造船所で作られた軍艦です。


その監督官として神戸に赴任していたのが東郷平八郎。
滞神中はここからほど近い花隈で起居しており、その時に使っていた井戸跡に記念碑「東郷井」が建っています。
ちなみに揮毫したのが財部彪、撰文が小笠原長生。
こちらは史跡レポ頁がありますので、こちらからどうぞ。⇒東郷井@神戸花隈

ですがこちらの造船所は規模がそれほど大きくなく、造られた船も故障が結構あったようで(笑)、結局は明治28年頃までに呉鎮守府に吸収され、閉鎖となった。

小野浜造船所は元々官製の造船所ではありませんでした。
キルスビーというイギリス人が明治初年から個人経営していた鉄工所がその初めで、それが明治10年頃に造船所になった。
初代大和艦の起工が明治16年、竣工が20年。
その途中でキルスビーが亡くなってしまい大混乱になったが、大和艦建造中と言う事もあって海軍が買い取ったのですね。


その消滅までの間に広瀬武夫もこの造船所を訪れています。
広瀬が訪れたのは明治22年の12月26・7日ごろ。
兵学校卒業間際の実地航海演習で、天龍艦に乗って瀬戸内海を1ヶ月少々うろうろしていた時、神戸に上陸している。
その時に神戸の湊川神社(楠正成墓)、兵庫の能福寺(平清盛墓)を詣でているのですが、更に小野浜造船所の見学にも来ています。

因みに北野にある異人館『旧ハンター邸』のハンター氏は小野浜造船所で働いていたそうです。








操練所跡からほど近い所に、海軍営之碑があります。
水上警察の隣の公園、メリケンパークの入り口のところ。
歩道橋が掛っているのですぐ分かる。







ふたつ並んでいる内、左側の石碑が海軍営之碑。
撰文は勝海舟です。
右側は陸奥宗光を称える内容。
兵庫県の初代知事は伊藤博文ですが、陸奥もまた兵庫県知事を務めていた時期があります。





篆額は徳川家達でした。





諏訪山の方にも海軍操練所関連、勝海舟関連の石碑があるのですが、機会があったらまた行ってきます。


(※このエントリーはサイト更新に合わせて大幅に改訂しました)20100112
 


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『まぼろしの薩摩切子』展@神戸市立博物館

2009-06-16 | 歴史の小旅
 

神戸市立博物館で開催中の「一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子」展に行ってきました。
持ち回り展で先月半ばまで東京のサントリー美術館で展示されてたみたいなので、行かれた方も多いでしょうか?

いや~!良かったですよ!

あれだけの量の切子を一度に見たことがなかったので、とても見応えがありました。というかすごい量の紅切子!とっても綺麗!
感想どうのこうのというのもなんだかなあ… 
キレイ、としか言いようが。笑。
時代順での展示であったように思いますが、たった10年前後でも随分意匠というか、趣味が変わるのだなと思いながら見ていました。

切子というと碗やグラス等の酒器、皿なんかを私は思うのですが、それ以外にもいろんなものが作られていたんですねえ。
展示品の中には香水瓶もあり、意外感に打たれました。
オシャレだな、薩摩。笑。



薩摩切子は薩摩藩の贈答品として将軍家や他大名に贈られることも多く、そのせいなのか見るからに保存状態が良さそう、大事にされたんだな~と感じるようなものばかり。
本当に非常にきれいなものが多かったのですが、特に印象的であったのは↑の舟形鉢です。
向こう側からみると蝙蝠の形があしらってある。
解説を読むと、島津斉彬の四女典姫用に作られた菓子入れだそうです。
菓子入れ、ですよ!贅沢!
その後所有者が松方正義に移ったそうです。

そういや出品物、鹿児島の尚古集成館の所蔵が多いのかと想像していたのですが、一番多かったのはサントリー美術館。意外や意外。
そして意外といえば…

市来四郎日記

びっくりした!
こんなところで名前を見ると思わなかった!
市来四郎というのは島津斉彬、久光の側近に当たる人物です。
30年近く日記を書き続け、その数80冊に及…んでいたらしいんですが、明治10年の西南戦争の戦禍でそれを失っています。
現在残っているのはたった7冊、今回はその内の2冊が展示されていました。

展示されていた部分は
1)安政4年 5月11日~13日
2)安政4年 10月18日~19日
の辺り。勿論硝子に関係するところ。
江戸から招聘したガラス職人・四本亀次郎が、酒癖が悪く問題を起こした云々の事が書かれているそう。


今回は切子を見る以外にも目的がありました。
んー…一昨年に上げた文章なので、覚えていらっしゃる方がいますかどうか。
うーあー…あのですね、あー…「お奉行様!」っつー超不定期な連載をしているんですよ(途中で止まっているので非常に言い辛い)。
その番外で「花井虎一のこと」という話を書きまして。

花井虎一(好一)。
日本の蘭学史・洋学史に興味のある方なら、恐らく聞いたことのある名前だと思います。
1840年に起きた『蛮社の獄』、それを引き起こすきっかけになった人物。
まあ、引っかけた人物がまずかったんですな。
それが渡辺崋山・高野長英といった国を憂える当時のトップクラスのインテリ連中。
そういうこともあって大抵(というかほとんどで)悪役扱いされる人物。
…なのですが、この人物には蘭学者という一面もありまして、ずっとガラスの研究をしていたんですね。
著作や訳述書を幾つか出しているのですが、薩摩藩はそれを参考にしてガラス製造の技術を得ています。
花井は、著書を通じて薩摩切子製造の基礎にかかわった人物ということができます。

そういった話が出てるかな、というもあったんですが、残念ながらなかったです(笑)
あ、でも関連年表に名前は出てましたな。
流石におお!と思いました。

 ⇒「花井虎一のこと2」 【5】からがガラスの話になります。
(サイト>works>江戸時代・通史)

眼福の展示会でした!



「一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子」展
開催場所: 神戸市立博物館
展示会期: 2009年6月13日(土)-8月30日(日)
開館時間: 10:00~17:00(入館は16:30まで)
     ※金曜は19:00まで。入館は18:30分まで
休館日: 月曜(7月20日(月・祝)は開館、21日(火)は休館)
入館料: ¥1200
公式HP:神戸市立博物館

*追記(6/25)
なぜかこの「展覧会×割引」のキーワードで来られる方が多いので(笑)
割引ではありませんが、JR三宮駅、阪急三宮駅の高架下辺りには金券を取り扱うディスカウントショップが沢山あり、そこで展覧会の前売券を購入することができます。1000円。




そういえば今神戸市内の博物館・美術館施設は割引キャンペーン中です(豚フルの影響で神戸も必死…)。
6月一杯迄ですが、完全無料、半額、特定の日だけ無料になるところ、さまざま。
出かけられる予定のある方は、ぜひお確かめくださいな~。
今回ご紹介の神戸市博も27日は無料になります。
27日は私、遊びに行く約束してるから駄目だったんだ~(^^;

神戸市博、私が大好きな博物館のひとつです(笑)
南蛮紅毛美術と銅鐸のコレクションが本当に素晴らしく、特に前者、教科書や図録に載っているあれやこれやを所蔵されています。
平賀源内の西洋婦人図とか、フランシスコ・ザビエル像とかをこちらがお持ち。
前者は流石に展覧会が開かれないと中々見られませんが(平常展での展示はレプリカが多い。が、毎年恒例の収蔵品展で大抵本物が見られます)、後者は常設ですので常に見ることができます。

そしてさー聞いてよー
神戸市博に行った帰りはいつもここに行くって決めてたアジアンカフェがあるんですよ。
HASUっていう、わらび餅が一押しのカフェ。

行ったらうどん屋になってた… orz

…。
………。
……………。
4月初めにつぶれたそうで…(滝涙



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六英堂(岩倉具視私邸)@西宮

2009-04-12 | 歴史の小旅

※追記:2009/10/03 サイトにレポをUPしました。
『六英堂(岩倉具視私邸)@西宮』
 (月に叢雲花に風>WORKS>史跡・旅行レポ>近代史)
よろしければこちらからどうぞ。



地元、西宮神社に岩倉具視私邸の一部がある!ということで、さっそく行ってきました。
我が家からえべっさんまでは自転車で20分ほどの距離。
夙川に行ったり、あのあたりに用事がある時は必ずと言っていいほどこの西宮神社の隣を通ります。(※えべっさん(十日戎の様子)
本当に身近な神社なんですが、岩倉具視の私邸(一部)があるなんて露ほども知りませんでした。
30年ぶりの公開ということでしたので、まあ…
知らなくても仕方ないか(笑)

とはいえ割と勝手知ったる神社。
正直なところ、そんな建物あったっけ?どうしても思い出せませんでした。
で、行ってみて「あ、これ?」と(笑)
確かに小さな案内版がありましたが、まさかこれとは…という感じで。
地元過ぎて却ってなんの関心もなかったです(^^ゞ
岩倉具視なんて、まさに無縁だと思ってましたから。
というよりも地元に幕末~維新に関する建物が西宮砲台以外にあるとは思わなかった。(→西宮砲台
地元の歴史には調べてみて意外とびっくりすることが多いです。
調べてみてというより、偶然に知るということが多いのですが。
西宮に海軍航空隊があったというのも2・3か月前に知った。

却説、六英堂。

 

左写真は入口、右は入口を入ってすぐのところに立っていた石碑。
コレが表に立っていれば少なくとも気が付いていただろうとは思います(笑)
表には「明治天皇御聖蹟」という石碑はあったのですが。

頂いた解説によると。

・六英堂は元岩倉具視私邸の称。邸内建物の一部で、公的な集会所として利用された。のちに「明治高官集会所」とか「明治の論戦跡」などの異名をとった。
・明治6年9月、欧州より帰朝したとき(※岩倉使節団)、征韓論が盛んなころで、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文などがしばしばこの室で会合した。

 

廊下には維新の元勲たちの肖像画が飾られていました。
元は「隣雲軒」という名称であったそうです。
大正11年7月、神戸に移築された際に「六英堂」と名付けられた。
六英とは、木戸・西郷・大久保・岩倉・三条実美・伊藤の6人のこと。
彼らの位牌と写真をまつり、当時の日本を代表する政治家の英知を集めた建物という意味で「六英堂」となったそうです。
位牌の方は神戸・布引の徳光院にまつられている。

 

岩倉は明治16年7月に亡くなるのですが、その前に明治天皇皇后両陛下より何度か見舞いを受けている。明治天皇行幸の様子を描いた絵画が残っているのですが、結構目にするものだと思います。
その絵が部屋に飾ってあったので写真を撮ったのですが、光が写りこんでしまいました。行幸された明治天皇を、岩倉が布団の上で拝んでいる絵です。
また亡くなったのもこの部屋(上写真)であったそうです。
絵画を見ると、確かに部屋の様子が一緒。



岩倉が使ったといわれる狩衣も展示されていました。
この建物はもともと東京丸の内にあったそうです。
岩倉が亡くなった際取り壊すことになったが、多田好問(伝記「岩倉公実記」編纂者)が譲り受けて新宿に移築、さらに渋谷に移転。
多田が亡くなった後は所有者が川崎芳太郎(男爵・川崎造船社長)に変わり神戸・布引に移転。さらに大和観光株式会社(神戸)へと所有が移った。
それが西宮神社に移ってきたのは、先日の新聞によると1977年のこと。
(→ 先日の新聞

戦前には史跡として指定を受けていたが、昭和23年に指定解除となっている。
この建物、ほとんど原形のまま形を留めているそうです。
由緒ある建物として、常に原型保存を目的をしたものであるから、外観はもちろん、内部構造や建具類に至るまで変更を加えることなく旧態を保存してきたとのこと。




神社で頂いた説明読み返してなかなか凄いな~と(笑)
普段はやはり非公開とのことなので、もう1度位行こうかと思います。


「六英堂」

場所:西宮神社
期間:6月までの土・日・祝日
時間:午前9時~午後4時
料金:無料

びっくりなことに西宮神社のHPにこのニュースが一切載っていない(^^ゞ
  


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旅の思い出>松山

2009-04-07 | 歴史の小旅
頂いたメールでスイッチ入った…

松山いいですねえ。行きたいですね~(笑)
私が最後に行ったのは2006年のGWですので、ちょうど3年ほど前になります。
まだ「坂の上の雲」のミュージアムができてなかった。残念ながら。
秋山好古・秋山真之兄弟の生家跡が本当にきれいになっていてびっくりしました。
さらにこの何年か前にも生家跡を訪れたことがあるのですが、その時はこんなだった。

 → 

私が写ってますが(^^ゞ
余りに劇的☆ビフォーアフターだったのでびっくりしました。
いやん。嬉しくて(笑)メモ魔の本性発揮…
オープンと同時に入ってカリカリガリガリちょうど兄さんの扁額やら軸やらを書き写している時に声をかけられました。
そしたら入れ替わり立ち替わりボランティアのおじさま方に囲まれて。
敷地内を丁寧に案内して頂いて。色んなコピーを貰って。



腕組めないかしら (※組めません)

と私はサネ↑の腕を酔っ払いの如く セクハラ 撫でさすりながらお話を聞いてました(そしたら呆れ顔で「…一緒に撮ってあげるよ」と言われた)。

確か2・3時間ほど滞在したように思いますが、こちらでは本当に親切にして頂いて、その後ぜひ尋ねなさいと生涯学習センターの学芸員さんをご紹介いただきました。
生涯学習センターでは愛媛の先人の遺品が展示されています。
その中に秋山兄弟も入っている。
兄弟とは言いつつ、晩年松山に戻った兄さん関連のものが多かったです。
学芸員さんに展示物の説明をして頂いて(マンツーマン!なんて贅沢!)、せっかく来てくれたからと



収蔵資料目録を頂く。
秋山兄弟の遺品を展示しているのはここと松山市郷土史料館の2か所だったのですが、後者は2005年に閉館。
そちらの関係資料がそっくりそのままメモリアルホールの方に移動していました。
あると思って訪ねた郷土史料館そのものが無くなっていて非常にうろたえたんですが(笑)、一か所で見れて却ってラッキー。
とはいえ「坂の上~」ミュージアムができる前でしたので、今現在文書類は「坂の上~」に移ってるのかもしれませんなあ。さて。

 梅津寺 後姿兄さん

勿論三津浜にも行ってきました~
非常に古びた駅や、港の風景が残っていましたが、流石に今はもう変わってるんじゃないかな…
また行きたいですねえ松山。

 

お約束というか…買ってしまった。
まだあるのかな?これ。
というか新しいお菓子が発売されてそうだな~

 豊後竹田の方は軍神せんべいですね(笑)

広瀬ラブ。
で。
松山で一番笑ったのはこれでした。



思わず声出して笑ってしまった。
まだ貼ってあるの?これ??(笑)



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