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Richard Page ;リチャード・ペイジ バイオグラフィー
Richard James Page
Born in Keokuk,Iowa on May 16th of 1953.
リチャード・ペイジ ディスコグラフィー→Richard Page Discography
Mr.Mister ディスコグラフィー →Mr. Mister Discography
ペイジズ ディスコグラフィー →Pages Discography
リチャード・ペイジ オフィシャルサイト→richardpagemusic.com
リチャード・ジェームス・ペイジ
1953年5月16日、アイオワ州生まれ。
元ペイジズのヴォーカル、キーボード
元Mr.Misterのリードヴォーカル、ベース
ソロシンガー。ソングライター、プロデューサー。
6歳からヴォーカル・トレーニングとピアノを習い始める。
アイオワ生まれだが、一家はアラバマのモンゴメリに引越す。
姉と3人の兄弟とリチャードは、アルト、テナー、バスのパートを彼の父の教会で担当した。
父親はかつて歌の教師でもあり、聖歌隊の指揮者だった。
亡き母ジョイスは(1996年逝去。ソロアルバム「シェルター・ミー」は彼女に捧げられている。)有名なフェニックス少年合唱団の指揮者だった。
子供の頃リチャードは「クリーム」「ビートルズ」「ジミ・ヘンドリックス」をよく聴いていた。
彼は従兄弟のジョン・ラングと一緒に、父親の教会でピアノを弾いていたが、歌をつくりはじめるようになる。
後に一家はアリゾナのフェニックスへ移るが、そこでリチャードはスティーヴ・ジョージに出会った。
リチャードはすぐにギターやキーボードをマスターした。
20歳の頃、スティーヴ・ジョージのバンド「アンディ・ハーディ」に少しの間参加。
その後彼は「ジョイス」というバンドを結成し、最初はドラムスを担当し、後にリード・ギターを担当。
1975年、成功を夢見てリチャードはロス・アンゼルスに行き、スティーヴ・ジョージと再びバンドを結成。彼らはL.Aのクラブで演奏したり、時にはラス・ヴェガスにも行った。
芽が出ない状態でやりつくした後、リチャードは一旦音楽の勉強に戻り、サンディエゴの舞台芸術のための学校で作曲と舞台を学んだ。
そこでは彼は3幕のバレエのスコアを書いた。
1年の学業生活を追え、23歳頃彼はロスのStudio Cityに小さなアパートメントを借りて、いくつかの小さなバンドで演奏するようになる。
時には彼はカントリー・ウェスタンミュージックも演奏した。
リチャードはスティーヴ・ジョージを呼び寄せ、彼らはオリジナル曲のデモテープを作り始める。
たくさんのレコード会社にテープを送り続けたが、興味を持ってはもらえなかった。
エンジニア&プロデューサーであるマイケル・ヴァーディックともデモテープ作りをしていたが、(当時彼らのデモテープに参加したミュージシャンの中にはボビー・コールドウェルもいた)
ある日マイケル・ヴァーディックが、エピックのボビー・コロンビー(名ドラマー)にテープを送った。すぐにコロンビーは彼らに興味を持ったという。
リチャードたちはボビーから電話をもらい、メジャーレーベルであるエピック・レコードと契約を交わす。
1977年にPAGESを結成。
解散までに彼らは3枚のアルバムをリリースした。
現在は、全米No.1アルバムやシングルを放った「Mr.Mister」時代よりも、「PAGES」での音楽活動をAORの優れたグループとして評価する向きもあるが、
セールスの面では残念ながら大きな成功は得られなかった。
エピックで出した2枚のアルバムとシングルのうち、最高位を得たのはシングルカットされた「I do Believ in love」の84位である。
ボビー・コロンビーのキャピトル移籍に伴い、PAGESはキャピトルから1枚のアルバムを出したが、これが最後のアルバムとなる「PAGES」で、ジェイ・グレイドンがプロデュースした。
このアルバムにはアル・ジャロウやジェフ・ポーカロも参加している。
リチャードとスティーヴはあらゆるジャンルのアーティストたちに楽曲提供をしたり、バック・ヴォーカルとしてアルバムに参加していくスタジオミュージシャンになっており、特に2人のコーラスワークと、スティーヴのキーボードやシンセサイザーのテクニックは高く評価された。
モリー・ハチェット、ドナ・サマー、クインシー・ジョーンズ、エイミー・グラント、バリー・マニロウ、ツウィステットシスター、ケニー・ロギンス、REOスピードワゴン、シカゴ、シーナ・イーストン、ジェームズ・イングラム、アル・ジャロウ、リック・スプリングフィールド、キャロル・ベイヤー・セイガー、ディオンヌ・ワーウィック、パティ・ラベル、ジェフリー・オズボーン、ヴィレッジ・ピープル、トム・ケリー、ビル・チャンプリンなどのアルバムに参加している。
リチャードはバドワイザーのコマーシャルなども手がけた。
1982年からリチャードとスティーヴはアンディ・ギブのツアーのバックバンドメンバーにコーラスとキーボードとして参加。
ツアー中に2人は新しいバンド、新しい音楽をやりたいと強く思い始める。
とにかく自分たちのバンドが欲しかったため、TOTOへの加入も断っている。
この間、リチャードはコカイン中毒と闘っていたが、家族の支えで断つことができた。
アンディ・ギブのツアーが終わると2人はオーディションを行い、元エディ・マネーのギタリスト、スティーヴ・ファリスと、元シャンディのドラマー、パトリック・マステラットを加え、4人で「Mr.Mister」を結成し、RCAから改めてデビューした。
彼らは1984年、1985年、1987年にアルバムをリリースした。
1985年にはピーター・セテラの脱退した「シカゴ」への加入を打診されるが、2枚目の制作に手ごたえを感じていたリチャードはこちらも断る。
2枚目のアルバム "Welcome to the real world" はワールドワイドでメガセールスを記録した。
(このアルバムからのシングルヒットは1985年暮れにNo.1を獲得した「ブロウクン・ウィングス」・1986年No.1獲得曲「キリエ」、最高位8位の「イズ・イットラヴ?」)
全米ツアーやワールド・ツアーは成功したが、続く3枚目のアルバムはヒットしなかった。(最高位55位)
スティーヴ・ファリスが脱退。後任のバンドメンバーとしてのギタリストは加入させず、2人のゲストギタリストとともに4枚目のアルバムをレコーディング。
1989年発売のはずが、どういうわけか、BMG社はOKを出さずアルバムはお蔵入り。
Mr.Misterは解散してしまうが、リチャードはヴォーカリスト、ソングライティングの仕事を厳選し、家族との時間を大切に過ごすようにした。
マドンナの「アイル・リメンバー」を共同プロデュースした縁で、1995年にパトリック・レナードの要請を受け、彼のユニット「セカンド・マチネ」に続く「サードマチネ」に参加。
アルバムを発表するがセールスは悪かった。芸術的方向性が見出せず、リチャードはレナードとのコラボレーションをその後断っている。
1995年の終わりにエイモス・ニュートンから、ジョージ・ベンソンのために曲を書いて欲しいと依頼され、楽曲を提供するが、これがThe Blue Thumb レコードのトップ、トミー・リピューマの気に入り、ソロアルバム製作をオファーされる。
1996年に"Shelter me"をリリース。
その後彼はセッションやスタジオワークをより厳選し、カリフォルニアのマリブでの家族(リンダと4人の子供たち)との生活に重点を置く。
それでもリック・スプリングフィールド、ケニー・ロギンス、TOTO、アル・ジャロウ、スティーヴ・ルカサーなどかつてのレーベル・メイトや友人たち、尊敬するアーティストであるバーブラ・ストライザンド、グロリア・ゲイナーやロッドスチュワート、ジョン・テッシュのアルバムに参加。
プロデュース業、ソングライターとしての活動に重点を置いていたが、最終的に自らの音楽をインターネットで配信する道を選択し、オフィシャルウェブサイトrichardpagemusic.comを作成。
以後、2010年にクリスマスアルバム「Richard Page "5 Songs For Christmas" 」、Mr.Misterの幻の4作目「Mr. Mister "Pull" 」をリマスターし発表。
そして待望のオリジナルアルバム「Richard Page "Peculiar Life」を製作。
2011年、ペイジズ・Mr.Mister時代とソロ2作から11曲セレクトしたソロ・アコースティックライヴのCDをDVDとのカップリングで発売。
2012年、若い頃からこれまで録りためた中で気に入っている楽曲の未発表音源を集めたアルバムRichard Page "Songs From The Sketchbook"を発表。
2010年、再びリチャードはエレクトリックのバンドに参加することになる。
リンゴ・スターのオールスターバンドに「ヴォーカル&ベース」として呼ばれたのである。
オールスターバンドへの参加条件は「自身の往年のヒット曲を歌うこと」。
アーティストは常に新しい芸術を創造していくものだという考えを持つリチャードにとっては、ためらう部分もあるにはあった。
それでも、素晴らしいミュージシャンとのコラボレーション、そして伝説のドラマー、リンゴ・スターの誘いは大変魅力的で抗うことは出来なかったという。
2012/2013年のバンドメンバーとしてもリンゴからのリクエストで参加することになる。
このバンドではリンゴの曲を半分、オールスターズのヒット曲を3セット(約12曲)まわすパターンなので、全米No.1ヒットが2曲、シングルヒットも少数のリチャードが2期続けて参加というのは極めて異例なケースだが、
リンゴは「彼の音楽的貢献と人格で選んだ」と語っている。
そしてこのツアーではリンゴ以外唯一新曲を披露する機会を与えられている。
(本人も周りも「キリエ」「ブロウクン・ウィングス」でメインを歌い、残りはTOTOカバーのボビーのパートを歌うだろうと2012メンバー発表時には思われていた)
2回目の参加となるオールスターズでは、古くからの友人であるルーク、大好きだったシンガーのトッド・ラングレン、熱くソウルフルなグレッグ・ローリー、信じがたい天才と称えるマーク・リヴィエラとグレッグ・ビソネットというメンバー、そしてリンゴとのコラボレーションにより一体感を得て、音楽的な喜びに幸せを感じている模様。
(唯一の難点は、あまりにもツアーが忙しくて、家族との時間が奪われてしまうことだと語っている。)
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