ものかきのまねごと!

こんにちは。あきぞうです。駄文とか絵とか、諸々貼ってきます。

■あたしのこころのうた

2013年02月04日 | おんがく






…演奏会が終わってから言うのもなんだが…



先日、私の所属しておるアマチュアオーケストラの定演がありますた。


曲目はチャイコフスキーの交響曲第3番&5番。

ダブルA面みたいなもんですね。
(言い方が古い)



3番はマイナーですが、(でも名曲よ!!)
チャイ5っていやあアンタ、
アマオケの間ではかなりの人気曲であり。

かくいう私も、小学生時代、この曲に出会わなんだら
現在、オケはおろかブラスバンドも合唱もやってなかった可能性が高い。

それこそ、今まで、何万回この曲を聴いてきたことか。



その位思い入れがでかい曲であり、
アマオケの世界に身を置くからには一度やってみたかった演目だったので、
大変嬉しかったのであります。



…ただ、まあ…

何万回聴いても、弾いてみる(コントラバス)のは別問題で…

やっぱす難しかったなあ…。
ほぼ練習不足なんでしょうが。
(家に楽器なし&練習日がたいてい仕事で遅刻してしまう)


でも、何万回も聴いていたおかげで、楽譜を見ておらずとも
難しいタイミングで合いの手を入れるようなトコ(主に第3楽章)は
普通に乗り越えられた(笑)。





実に、大変楽しい演奏会でした。

へたくそでも、弾いてる間、何度か目頭に熱いものがこみあげてきたり…



こんな良い思いを出来たのも、
百数十年前に、チャイコフスキーがこの曲を生んでくださったから。

チャイコフスキー自身は、当初この曲が気に入らなかったみたいですが、
私は!大好きです。

(その後、ご好評につき、作曲家自身も見解を変えたようですが。)


有難うチャイコフスキー先生!






そんなわけで、以前私が所属していた別団体の演奏会のパンフに寄稿した
チャイコフスキー交響曲第4番の迷解説がメーラーから出てきたので
ここに再掲します。
(何でじゃ)


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ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの交響曲第四番が作曲されたのは1877年、
作曲家が37歳の時である。

今流行の言葉で言うところの、「アラフォー」というヤツであるが、
はからずもこの頃チャイコフス キーの身辺はなかなかに騒がしく、
アラフォーにふさわしく人生の岐路に立っていたと言える。

法務省で役人として勤務している中、ペテルブルグ音楽院に入学し、
在学中に音楽で身を立てると決意し、法務省を辞職。
卒業後はそのまま音楽院の講師となり教鞭をとっていたのだが、
交響曲第四番を着手したこの年、かつての教え子であった女性、アントニーナ・ミリューコヴァからの
熱烈なラヴコール… と言うより、半ば脅迫めいた交際を求める手紙を受け取ったチャイコフスキーは、
何故か彼女と結婚の意志を固めてしまう。

だがアントニーナは、案の定作曲家が思い浮かべていた理想の伴侶像とは著しくかけ離れた女性であった。

彼は時間を経れば経るほど彼女のなにもかもが嫌になっていった。
そして作曲家はついに自殺まで図る(※未遂)ところまで追い詰められてしまう。

チャイコフスキー自身、本人の事はおろかその顔すらもろくに覚えていなかったという元教え子と
何故そのような事になってしまったのだろうか。

ここで語られるべきは、この頃より後、作曲家を14年の長きに渡り、パトロンとして支える存在となる
ナデージダ・フォン・メック未亡人の存在であろう。

アントニーナとの結婚を決意する少し前に、チャイコフスキーとメック夫人は
仕事の依頼を通じて知り合っている。
チャイコフスキーの才能を愛したメック夫人は、亡夫の莫大な遺産を後ろ盾に、
彼に莫大な額の年金を約束する。

これにより彼はようやく職業作曲家としての活動に専念する事が可能となったのだ。

つまり、チャイコフスキーはこの頃、かなりハイになっていたのではないかと思う。
 

ロシアの郷愁と憂いを秘めた旋律がチャイコフスキーのウリ!とよく言われるが、
作曲家本人は意外と楽天家で考え無しな性分であったらしい。

借金持ちの浪費家であり、少しばかり金が入るとパーッと旅行や遊興に費やしてしまい、
後に焦りと自己嫌悪に陥る事の繰り返し…という心境が、
当時身内に宛てた手紙の中でよく綴られている。

メック夫人の登場により、通奏低音の様に絶えず悩まされていた「貧乏」から、
彼はようやく脱却できたのだ。
人間、長年の心の枷が外れた瞬間、その隙間に異性が滑り込んでくれば、
うっかり結婚も考えてしまうのではないだろうか。
 
果たしてこの結婚は失敗に終わった。
チャイコフスキーは心身共にズタボロとなり、弟に連れられヨーロッパ各地を巡る心の旅に出る。
その途中で完成したのが交響曲第四番だったのだ。

第一楽章冒頭の「運命のファンファーレ」、
第二楽章のオーボエによるこの世の憂いを一身に背負ったような主題、
はたまたちょっとだけ心の体力が蘇ってきたので、おどけてみた第三楽章、
そしてついに憂いを克服した喜びに打ち震えるような歓喜の第四楽章も、
最終的には冒頭の「運命のファンファーレ」が鳴り響き、
結局人生、ウサからは完全には脱却できないという事を思い知り、
しかしそれを受け入れるしかないのだ…といった構成で締めくくられる。


アラフォー・チャイコフスキーの、いわば「これまでの人生反省文」だったのが、
この交響曲だったのではなかろうか。

将来を約束されたキャリア官吏の道を捨て音楽家となろうとしたり、
うっかり結婚してみようと思ったり、数々の人生の揺らぎを経てきたが、
彼は決して人生そのものには絶望しなかったと語りきっているのが、
この「第四番」の最大の魅力となっているのである。




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…演奏自体は第4番の方が難しかったなあ…。
第1楽章の拍の取り方が…素人には高度であった。




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