1月13日(土)中日新聞の記事にあった 小牧市の上御園遺跡発掘調査現地説明会
に行ってきた。
この遺跡は小牧山城の南西に位置する。
平成15年から調査をはじめ、今回公開されたのは第3次調査の一部分。
永禄6年(1563)に織田信長が清須から小牧山に居城を移した際に整備された城下町
の範囲内に含まれるとのこと。
いきなりだが・・井戸跡。中を覗いて「うわー井戸だよぉホンモノだー」となぜか
感動?している私。
掘立柱建物跡。
遺跡の西にある道路。今も400年以上昔からも道路として使われている。
旧清須道というらしい。(城下町の推定復元では紺屋町筋)
遺跡から見た小牧山城。
説明会のあった部分の遺跡の写真。
遺構や遺物などは永禄期より古いものはなく時期は永禄から江戸時代初期が中心
であるとのこと。
従って、信長はそれまでに集落がない場所に町を建設したらしい。
城下町は紺屋町筋、鍛冶屋町筋、新町筋など街路がつくられ 短冊形の地割となっていたようだ。
計画的な城下町づくりを信長はしたようだね。
4年間小牧山城にいた信長はその後岐阜へ移った。
その際に城下町の規模は縮小されたものの 今回発掘された遺跡(町場)は江戸初期まで続いていたらしい。
実はワタクシ、小牧山の麓には行ったことがあるが山にはまだ登っていない。
今回 この城下町の遺跡を見てぜひとも小牧山へ登りたくなった。
山の頂上から見る町の景色と資料にある城下町概念図を見ながら楽しみたいものである。
に行ってきた。
この遺跡は小牧山城の南西に位置する。
平成15年から調査をはじめ、今回公開されたのは第3次調査の一部分。
永禄6年(1563)に織田信長が清須から小牧山に居城を移した際に整備された城下町
の範囲内に含まれるとのこと。
いきなりだが・・井戸跡。中を覗いて「うわー井戸だよぉホンモノだー」となぜか
感動?している私。
掘立柱建物跡。
遺跡の西にある道路。今も400年以上昔からも道路として使われている。
旧清須道というらしい。(城下町の推定復元では紺屋町筋)
遺跡から見た小牧山城。
説明会のあった部分の遺跡の写真。
遺構や遺物などは永禄期より古いものはなく時期は永禄から江戸時代初期が中心
であるとのこと。
従って、信長はそれまでに集落がない場所に町を建設したらしい。
城下町は紺屋町筋、鍛冶屋町筋、新町筋など街路がつくられ 短冊形の地割となっていたようだ。
計画的な城下町づくりを信長はしたようだね。
4年間小牧山城にいた信長はその後岐阜へ移った。
その際に城下町の規模は縮小されたものの 今回発掘された遺跡(町場)は江戸初期まで続いていたらしい。
実はワタクシ、小牧山の麓には行ったことがあるが山にはまだ登っていない。
今回 この城下町の遺跡を見てぜひとも小牧山へ登りたくなった。
山の頂上から見る町の景色と資料にある城下町概念図を見ながら楽しみたいものである。