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明主様の御垂示 (神慈秀明会会員の通勤カレッジ)

明主様・岡田茂吉師の御垂示を通勤途中の電車内で学ぶためのブログです。

「お札の処分方法」

2021年01月11日 17時20分00秒 | 昭和28年4月・5月・6月
明主様御垂示 「お札の処分方法」 (昭和28年6月1日)

信者の質問
「昨年の六月一日、釜がなりますことで御伺い申し上げ(御垂示録第10号25ページ 御垂示 昭和27年6月1日)

「一年ほどしたら処分してもよい」とのお言葉をいただきましたが、どういたしましたらよろしいでございましょうか」

明主様御垂示
「釜はメシをたけばよいでしょう。」


信者の質問
「いろいろなお札が一緒にありますが」

明主様御垂示
「お札は全部処分してよいです。

そして「光明如来様をお祀りしましたから、元の御座(みくら)にお帰り願います」と言えばよいです。それは知っているでしょう。」


信者の質問
「お膳を作りお礼をしなくてもよろしいものでございましょうか」

明主様御垂示
「ご馳走は、すればなお結構です。

そうして祝詞を奏げてやるとよいです。

それから釜が鳴るのは、昔戦争をするときに、陣屋で釜が鳴ると、これはいよいよ勝利だと、たいへん祝ったもので、たいへん結構です。」

「バッジに日の出観音様を霊視した事例」

2021年01月10日 17時20分00秒 | 昭和28年4月・5月・6月
明主様御垂示 「バッジに日の出観音様を霊視した事例」 (昭和28年6月1日)

信者の質問
「未信者の座談会に教師の者がまいりましたとき、十人ほどいた人が皆バッチの四隅の白い所に地上天国の日の出観音様が見えるということがございましたが、これは霊が低いからでございましょうか」


明主様御垂示
「それは神様がそこを早く開くために奇蹟を見せてくれたのです。」

「生命にかかわる病気は治ってから入信すべき」

2021年01月09日 17時20分00秒 | 昭和28年4月・5月・6月
明主様御垂示 「生命にかかわる病気は治ってから入信すべき」 (昭和28年6月1日)

信者の発言
「三十四才の女、二十六年二月入信いたし御用をさせていただいております。

先月二日以来浄化にて床についているほうが多く、ヌラのような物を上げております。

乳房の上、鳩尾(みぞおち)、腕の下に大きいのは指先大、小さいのは小豆大のコチコチした物があります」

明主様御垂示
「押すと痛いですか。」


信者の発言
「あまり痛みません」

明主様御垂示
「熱はありますか。」


信者の質問
「ありません。たまに三十八、九度くらいになる程度であります。

食欲は茶碗半分くらいにて体力は弱っております。

浄霊は一日二、三回いたしますが変化はありません。

入信後間もなく龍神が出て来たことがあります。

三十二才の弟は長男で入信いたしておりますが、両親はまだでございます。

強く反対もしないが入信はしないという状態でございます。

本人の希望で父親に話したことがありますが、今もって分かりません。

龍神と現在の浄化に関係がございましょうか。

今後どのようにいたしたらよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「薬毒はどのくらいはいってますか。」


信者の発言
「そうとうにはいっております。

新しいマイシンなどの薬は入れておりませんが、サルバルサンを十五本くらいしているそうで、あとはブドウ糖に栄養剤くらいでございます」

明主様御垂示
「あとはと言うが、それが悪いのです。

あなたは何でもなく思うでしょうが、ブドウ糖などは悪いのです。

これはまず駄目です。

一旦良くなったのですか。」


信者の発言
「ある程度良くなったような状態でしたが」

明主様御垂示
「難しいです。

私に聞いてくれというのでしょうから、私の返事は「娘さんがなおったら信仰にはいりなさい。なおらないうちはよしなさい」です。

信仰に入れてなおすということは原則に外れています。

なおってから信仰に入れるということが本当なのです。

あなたはその理屈は知っているでしょう。

古い本に書いてありますし、また教えてもあります。

それは、命に関わる病気はなおってから信仰にはいるようにするのです。

それから命に関わらない神経痛などは、病気がなおらないうちに信仰にはいっても結構です。

命に関わるようなのは完全になおって、とにかく命の心配がないというくらいになおってから信仰にはいるのが原則ですから、

今の人はまだ曖昧で命に関わる懸念があるから、そういうときに父親を信仰に入れるということは間違ってます。

だからはいらないほうがよいのです。

そうでないと、「信仰にはいればなおると言うからはいったら死んでしまった、メシヤ教というのはいい加減なものだ」ということになるから、骨折って結果が悪くなります。

だから今言ったようにするのです。

信仰でなおすというのが本当ではないのです。

信仰は治療機械のようなものではありません。

「なおってありがたい、こんなに丈夫になった、だからどうか自分もそういった困っている人を助けたい、それには信仰にはいってお力をいただきたい」というのが順序です。

だからその順序が狂っていては、どうせ信仰にはいっても本当の順序にはなりません。

それが理屈にあっているのです。

だからなおりもしないのに信仰に入れるということは理屈に合いません。

また、信仰するからなおしてくれというのでは、とにかくおかしな話です。

それでは神様をいくらか軽く見るというか、そういうことになります。」

「御神体表装のお取替えの作法」

2021年01月08日 17時20分00秒 | 昭和28年4月・5月・6月
明主様御垂示 「御神体表装のお取替えの作法」 (昭和28年6月1日)

信者の質問
「御神体の表装を立派な物にしたいという場合はいたしましてもよろしいでしょうか」

明主様御垂示
「たいていはよいですが、場所は前の所と同じですか。」


信者の発言
「さようでございます」

明主様御垂示
「前の表装は紙ですか布ですか。」


信者の発言
「紙でございます」

明主様御垂示
「それは布のに取り替えてよいです。

その場合によくお断りするのです。

「縁がお粗末で申し訳ないから、もっと上等なのに取り替えたいから」とお断りしてすればよいです。」


信者の質問
「その場合新しく御神体をいただくということはいかがでございましょうか」

明主様御垂示
「構いません。そうして前のは大事にしまっておいて、親戚で拝みたいのがあったときはお貸ししてもよいです。」

「御神体に雨漏りのシミがついた場合」

2021年01月07日 17時20分00秒 | 昭和28年4月・5月・6月
明主様御垂示 「御神体に雨漏りのシミがついた場合」 (昭和28年6月1日)

信者の質問
「雨漏りの染みが御神体につきまして、経師屋にて汚れが取れませんので、信者さんは新しくいただきたいと申しておりますが、前のはお詫びいたしましたらよろしいのでございましょうか」


明主様御垂示
「お詫びしてお巻きしてしまっておけばよいです。」