堺から日本へ! 世界へ!

堺の歴史・文化の再発見、再生、創造、魅力情報発信!

世界遺産登録を目指して 百舌鳥・古市古墳群 発掘調査

2021-03-01 00:05:05 | 堺のアイデンテlティ―

一般公開:平成24年12月1日(土)~2日(日)午前9時~午後4時
主催:堺市  協力:宮内庁

前田秀一 プロフィール

 

関連ページ(リンク先)歩いて見た世界遺産の登録基準          百舌鳥古墳群

                   堺市市政要覧「堺NOW」2003、4頁(堺市長公室、2003年3月)より

                              現地案内板

広瀬和雄「巨大古墳の環大和政権配置」『百舌鳥野の幕開け発表資料集』108頁(堺市、2010年)

 「ニサンザイ」は「ミサンザイ」すなわち「ミササギ(陵)」の転訛したものと考えられており、宮内庁が「東百舌鳥陵墓参考地」に指定しているものの、天皇は埋葬されていないものとされている。同じ百舌鳥古墳群の田出井山古墳が反正天皇陵に比定されているが規模が小さいために、こちらを反正天皇陵とする説がある。〔ウイキペディア「土師ニサンザイ古墳」〕

一般公開現地説明資料より(説明文字拡大追記)

 

「墳丘」(宮内庁管理)領域の表示                宮内庁・堺市管理境界(水際)   

<発掘調査の経緯>
 宮内庁では、東百舌鳥陵墓参考地(ニサンザイ古墳)の裾周りで水の浸食により崩落が進んでいるため、護岸整備工事を行うに当たり、工事の工法などを検討するための事前調査が計画された。
 堺市は、ニサンザイ古墳のより適切な保存と活用を図るため、宮内庁管理外の墳丘裾や濠内の遺構・遺物の状況を確認する目的で発掘調査を計画した。
 両者が同時に調査を行い、その成果を共有することで、ニサンザイ古墳(東百舌鳥陵墓参考地)に理解をより深めることができるなどのメリットがあるため、平成24年10月から同時に調査を実施している。
 宮内庁と自治体の同時調査は、2008年の「御廟山古墳」(堺市)に次いで2例目で、同古墳の「墳丘」や「裾」を発掘するのは初めてである。

 

」 表示箇所 「造出し」部               「須恵器 甕」  「埴輪列」 (拡大)

 

            「くびれ」部           表示板(左から) 「一段目斜面」 「転がり落ちた埴輪」 「造出し斜面」

 宮内庁は、管理する「墳丘」部分の19ヶ所を発掘し、「墳丘」最下段の一段目「テラス」や「墳丘」くびれ付近につきだした「造出し」に直径35cmの埴輪の列が検出され、二段目斜面の「下端」や「葺石」が確認された。一段目「テラス」の全周は約1kmと見込まれ、検出された「円筒埴輪」の状況から換算すると約2,800本が並んでいることが推定される。

                                 「」 表示箇所 「墳丘」部

「表示」板(上から) 「二段目テラス」、「二段目斜面」、「位置表示②」、「葺石」、「一段目テラス」、「埴輪列」

 

」 「葺石」拡大                       「埴輪列」拡大

「葺石」事例(五色塚古墳-神戸:ウイッキペディア)

注釈「葺石」:
 古墳の墳丘斜面などに河原石や礫石を積んだり、貼りつけるように葺(ふ)いた。その祖形は弥生時代の墳丘墓(弥生墳丘墓)に認められる。前期古墳と中期古墳に多いが、後期は葺石をともなわない古墳が大多数をしめる。〔ウイキペディア「葺石」〕

 「墳丘」から突き出した「造出し」からは、円筒形埴輪や朝顔形、蓋(きぬがさ)形があり、須惠器の甕(かめ)や土師器(はじき)の小型壺、ミニチュア土器などが出土し、テラス状の「造出し」を祭祀場として祭り用具に使われたと見られる。
 これら出土物は、形や製作技術などから5世紀後半のものと考えられる。

  

  

           「」 表示箇所 「墳丘」埴輪列(上部)と「裾」(下部)発掘              「墳丘」テラスの埴輪(上部、拡大)
 

 堺市が所有する周濠の調査区では、濠の底で本来の墳丘「裾」を確認した。そこは、従来の「墳丘」長を計測した地点から5m以上離れており、未調査の前方部でも同等以上の間隔を想定した場合、「墳丘」長が300m(290m+5m×2)を超えるものと見込まれる。

 宮内庁と堺市の調査結果を合わせると「前方」部から「造出し」にかけての状況がほぼ復元できる。「墳丘」二段目の斜面の「下端」から「濠」にかけての古墳築造時の計上を検討することの可能性が得られた。
 従来、「ニサンザイ古墳」は、天理市の渋谷向山古墳(景行天皇陵、全長300m)に次ぐ全国8番目の大きさとされていたが、全国で第7番目の規模であることが分かった。
 百舌鳥古墳群では、全長200mを超える古墳としては大仙(仁徳稜)古墳(全長486m)、石津丘(履中陵)古墳(全長365m)に次いで土師ニサンザイ古墳が第3番目の規模である。

 

<筆者コメント>

 主要な古墳が、天皇陵と伝承されている百舌鳥古墳群において、「墳丘」は宮内庁の管理下にあり一般人は立ち入り禁止区域となっています。
 この伝統的な事実は、「顕著に普遍的な価値を有していることを大前提」としている世界遺産登録の趣旨に対して越えなければならない課題となっています。
 また、世界遺産登録を観光資源として考えた場合、訪問者への公開は必然的条件であり、前方後円墳という日本独特の形式墓をどのように見せるのかを含めて、古墳の見せ方の問題が問われています。
 
今後、堺市と宮内庁では、お互いの調査結果を共有して検討を進め、ニサンザイ古墳の規模や形状などを明らかにされる予定ですが、この協働が百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に向けてBreakthroughとなることを願っております。

 

SDGs魅力情報 「堺から日本へ!世界へ!へは、こちらから 

 

 

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <活動趣旨>「SDGsモデルと... | トップ | 堺ユネスコ協会 「世界文化... »
最新の画像もっと見る

堺のアイデンテlティ―」カテゴリの最新記事