神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

感謝の気持ちが大切

2013年09月28日 19時06分12秒 | 秘密の教え・密教とは

今日 二十八日は お不動さまの縁日です。

南無大聖大悲不動明王

佛光をさえぎる煩悩も無ければ

大悲にもれる罪業もないのです。


私たち人間は 宇宙との関わりをもっています。

無関心であっても 無関係でも ありません。

あるいは 地球上の他の生物 動物 植物 鉱物等に至るまで

この自然界ともども 繋がりをもっています。

決して 自分だけの力で 一人で生きているのではありません。

自分以外の この世界に存在する 全てのものごと

その他 大勢の他人の支えによって

生かされて 生きているのです。

私たちは 宇宙の一部であり 自然界の一部でもあります。

宇宙の原理・原則 自然界の原理・原則によって

全てのものごとによって 生かされているのです。

宇宙は 一大生命体の現われであり

大日如来さまであり 遍照金剛さまであり

さとり そのものの世界です。

完全なる 永遠不滅の存在 大いなる命の現われです。

大いなる智慧 大いなる慈しみの心 大いなる哀れみの心

大日遍照金剛さまの み心が 宇宙に遍満しているのです。

私たちは その み心に育まれているのです。

ですから 私たちは 全てのものごとに

しなければならないのです。

感謝の心をもたなければなりません。

信心して 感謝の気持ち 自らの心を満たすのです。

大日遍照金剛さまの おかげさまです。おかげさまです。

私は 大日遍照金剛さまと一体です。同体です。

合掌の意味が これです。


その逆に 信心しなくても 感謝しなくても

俺我 俺我 私我 私我と 本能の赴くままに

勝手 気ままに 生きて行くことは 出来るでしょう、が。

思いやりの気持ちがなくても 生きて行けるものでしょう、が。

やはり 苦悩の多い人生では ないでしょうか。

他人のことは どうでもいい。無関係無関心

自分さえ よければ それでいい。無責任

他人の苦しみは 何年でも辛抱できる。その現実・・・。

このような 世知辛い 世の中ですが・・・


人間とは どのような 存在なのでしょうか。

人間としての 正しい生き方とは どういう 生き方なのでしょうか。

次のように 考えられます。

性善説 人間の本性は であるという考え方。

性悪説 人間の本性は であるという考え方。

人間の本性が 善であれば 悪いことは出来ないでしょうし

人間の本性が 悪であれば 善いことは出来ないでしょう。

性善説であったものが 性悪説になってしまった。

そうなってしまったのではないでしょうか。

善因善果を 性善説に 信

悪因悪果を 性悪説に 不信

光に赴く人たち 善因善果に 信心

闇に赴く人たち 悪因悪果に 不信心

南無大日遍照金剛 を

信じて 念じて 行ずる

感謝の心で 自らの心を満たす。

今ある自分の存在に 感謝することです。

正身端座して 手を合わせ

口に 南無大日遍照金剛 と唱え

心は 大日遍照金剛 を信ずる。

南無大日遍照金剛

神佛のご加護がありますように・・・

最後まで 読んでいただきまして 誠に 有り難うございます。

このブログを 読んでいただいた方々に 感謝申し上げます。

ありがとうございました。

南無大聖大悲不動明王

合掌

 

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朝晩のひと時

2013年09月24日 09時48分00秒 | 秘密の教え・密教とは

朝晩のひと時を有効に使いましょう。

起床前、就寝前のひと時を利用して行ってみましょう。

布団の中で結構ですから、実際にやってみましょう。

まずは腹式呼吸を十回ほどします。目を瞑ってください。

あごを少し上げ気味にして、気道を確保します。

吐く息が先です。お腹がへこむようにします。

この時、身体の中の悪い気が

吐く息と共に体内から出でいくように念じます。

次に息を吸います。お腹が膨らむようにします。

新鮮な空気が体内に充満するよう感じてください。

そして、南無大日遍照金剛と念じてください。

自分の気のすむままに行ってください。

就寝前のひと時の場合、眠くなったら

そのまま眠っても構いません。

起床前のひと時の場合、自分の時間が許す範囲で構いません。

が、なるべく毎日続けることが肝心です。

継続は力なり、です。

そして、できれば日記とまではいかなくても

心境の変化があれば、書き留めておくといいでしょう。

何時から始めたのか、とか。日付。今日は出来たのか出来なかったとか。

それから、南無大日遍照金剛、という言葉を何時でも、何処でも

常に心の中で念ずることが出来るよう心がけてください。

あるいは、口癖になるようにしてください。

決して大きな声で唱える必要はありません。

が、自分の耳に聞こえる程度の声の大きさでいいのです。

他に支障のきたさないように、創意工夫してみてください。

南無大日遍照金剛

なむだいにちへんじょうこんごう

大日遍照金剛さまを、信じます。

大日遍照金剛さまと、私は一体であると信じます。

どうか、この悩み苦しみから、お救いくださいますように。

ご加護がいただけますように。

ありがとうございました。

合掌

 

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神佛の加護を求めましょう

2013年09月17日 20時16分53秒 | 秘密の教え・密教とは

闇から闇に赴く人たち。

闇から光に赴く人たち。

光から闇に赴く人たち。

光から光に赴く人たち。

 

私たち人間は生きている日常生活のなかで、悩み・苦しむことがあります。

悩み・苦しみを感じるとは、悩み・苦しみには原因があるということ。

裏を返せば、悩み・苦しみを解消する教えがあるということ。

 

とは、人間の身・口・意によって行われる善・悪の行為のこと。

因縁とは、原因と結果。縁とは、因を助けて果を生じさせるもの。

果報とは、その結果と報い。

真理に反する身・口・意の行いは、苦の原因になります。

因果の理法。自業自得。善因善果。悪因悪果。

この真実の教えを知っている人たちは少ないようです。

学校では教えてはくれませんでした。

人生の先輩である目上の人たちも、両親も、祖父母も

この教えを知っている人たちは少ないようです。

ただ、人生経験から多少の真理の欠けらぐらいは知っているようですが

自信をもって教えられてはいないようです。

核家族化の弊害でしょうか。

大人が、この教えを知らないのに

子供が、知らないのも無理もありません。

毎日のニュースを見れば分かります。悲惨なことが多すぎます。

子供への虐待、ドメスティックバイオレンス、イジメ問題、自殺する人

殺人事件、暴力行為、詐欺行為、自然災害による被害

日常茶飯事、悪いことが起こってますね。

 

これらは、人心の荒廃が原因です。

荒神経に、こう説かれております。

不信心の者には、悪事・災難、必ず来ると・・・。

 

この世の中は悪事災難の、地獄と化している部分があります。

まさしく、一寸先は闇です。明日は我が身です。

今、善くても、このことが、善いことが、ずっと続くとは限りません。

順風満帆が波乱万丈になる。

ものごとが、うまくいっているからといって、慢心してはなりません。

とかく勢いのあるうちはいいのですが

やがて勢いは、なくなってくるものです。

そうなると、弱り目に祟り目で

ますます、事態は悪化する一方になります。

 

このブログを書いている私自身、過去に経験しました。

弱り目に祟り目を、目の当たりに体験させてもらいました。

とても悩みましたし、苦しみました。

私の場合、信心が足りませんでしたし、未熟でした。

 

これは、その時、得たものです。

業・因縁果報の教えを理解して

真剣に神佛の加護を求めるべきです。

災難は、大難は中難に、中難は小難に、小難は無難に。

もし、今、直面している悩み・苦しみがありましたら

どうか、この悩み・苦しみから、救ってくださいますように

南無大日遍照金剛、と

念じ続けてください。

就寝前、起床前の布団の中でも構いませんから。

家に、お佛壇があれば、いいのですが

なければないなりに、一人になれて、静かな場所で

南無大日遍照金剛

気のすむまで、念じ続けてください。

そして、毎日毎日続けてください。

信心しましょう、信念をもって実践してみてください。

南無大日遍照金剛

悩み・苦しむ人間がいるから

救ってくださる、神佛も存在するのです。

決して、単なる気休めではなく

嘘でも、偽りでもありません。

合掌

 

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今ある自分を変えていく

2013年09月08日 16時35分14秒 | 秘密の教え・密教とは

信じて 念じて 行ずる 感謝の心

悩まないように 苦しまないように 神佛の加護をいただくには

信じて

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

なむだいにちへんじょうこんごう

南無とは 帰命します。信じます。


大日とは 大日如来さまのこと。密教の総本尊さま。

宇宙。あらゆる存在を包容する

無限の空間と時間の広がりのなかで

宇宙いっぱいに 遍く 光り 耀く 偉大なる存在のこと。


遍照とは 宇宙に遍満する 大いなる生命のこと。


金剛とは 大生命体である宇宙は 生じたものではなく

また、消滅するものでもなく 未来永劫に生き続ける

大いなる実在のこと。

まずは このことを信じる


正身端座します。背筋を伸ばします。猫背には注意してください。

腹式呼吸で息を調えます。息を吐き切ります。そして、ゆっくりと吸います。

息を吐いては吸う。息を吐いては吸う。十回してみましょう。

心を落ち着かせ リラックスします。

次に 右の手と左の手を 胸の前で合わせます。

肩に力が入らないように 合掌します。


視線は 半眼にして 鼻先に 合掌の手の先が 見えるようにします。

合掌の意味は 南無大日遍照金剛と一体に成ること

手を合わせ 南無大日遍照金剛と一体であると

念ずるのです心に言い聞かせるのですイメージするのです

私たちの五体である身体 命 心である ミクロコスモスが

大宇宙の大生命体 マクロコスモスと一体であると。


悩み苦しみの原因

悩み苦しんでいる人にとって 自分は小さな者だ

他愛のない者 つまらない者 必要のない者だとか

勝手に考えがちですが 決して そのようなことは ありません。


自業自得 善因善果 悪因悪果 因果の理法


業・因縁の理を知らずに 自らの知識のみで解決しょうとするから

行きづまり 立ち往生してしまい 悪い方へ悪い方へと 考えを募らせ

余計に悪い結果と成るのです。


自己中心的な行動 自我中心的な考え方。


感情主体で 心に落ち着きがなく 喜怒哀楽が激しい。


責任転嫁し 自己正当化を主張 つまり 我が強いんです。


俺我 俺我 私我 私我の 我が強すぎて

自分と他人を対立させるから 区別するから 差別するから

悩み苦しみを 自ら生じさせているだけなのです。


すべての ものごとは みな因縁より生ずる

自分の因縁と 他人の因縁とが 日々の生活の中で 交錯しています。

人間 ひとりひとり 因縁が違います。

男性であり 女性であり 大人であり 子供であり

生活環境も 個人の性格も 血液型も 容姿も違います。


これら すべては因縁の現われなのです。

目の前に起こる現象 すべてが 因縁であるという道理

心から理解出来れば 心に安らぎが生まれ 悩み苦しむことの少ない

自分に成れるのではないかと。

その為には 信じて 念じて 行ずることです。

このこと自体が善因であり 善果を得る為の方法です。


神佛の加護をいただける人間に成る

信ずる心 心に真実の教えを念ずる 行をする。

他人の言動に左右されない心 執着しない心

このブログを書いている私自身、毎日実行しています。

常に 心に すべてのものごとは因縁による。

と、念じ続けています。


私の性格からして 他人の言動がとても気になって

カチンときて 感情的になり 心に 悩み苦しみが 生じました。

何で どうして そんなことをするのだろうか、とか。

何で どうして そんなことを言うのだろうか、とか。

いろいろと相手のことを 勝手に考え判断しては 妄想していました。

これは 私自身の因縁で こうなったのだと思っていました。

他人の言動が気になり 悩み苦しむ。こういう性格だから。

そこで 悩み苦しむ原因は 何であるかと 佛教書を読みあさり

苦しみの原因について 勉強しました。

そして 感情的にならず サラリと受け流すように

心がけることが大事である、と。


他人も自らの因縁で生きていますし その言動そのものにも

その人の因縁が作用しているのです。

成るように成っただけのことで とりたてて そのことで気に病むことなど

無駄な精神の浪費であること つまり そんなことは気にするなで

そのことに 執着しない考え方をすればいいと。


すべての ものごとは 因縁より生ずる。

自分と他人を対立させていた結果 自分で勝手に悩み苦しみを

味わっていただけだと 思い知らされました。

相手のことを否定するのでなくて

ただ ありのままに現実を受け入れることが大事だと

つまり それも因縁です。


このことを日々 信じて 念じて 行をすることによって

自分が未熟であるという事実

それと 他人にも因縁があるということに 気がつかされました。

他人は 単に 何気なく 行動しているのが 多いので

別に他人に どう思われていようが 関係ないのです。

つまり 無意識のうちに 自己中心的な行動をしているのです。

そんなことに いちいち 腹を立てていたら こちらの身がもちません。

まったく 骨折り損の くたびれ儲けです。

その結果 自らの心 心の受け止め方を変えるのです


真実の教えに基づいて 心のあり方 心の感じ方を変えるのです。

ものごとの見方を変える。現実の現象に対して 臨機応変に対応する。

それも 真実の教え ものごとの理を基準に変えていくのです


例えば 雨が降っている。早く止まないかな。

嫌だなぁと、思うことがありますね。

この思いは 天気のいい日が 何かと自分に都合のいいからだと

勝手に思っているだけで 天気のいい日と 雨の日と比べて

やっぱり 天気の日が好きというだけのこと。


雨の日は 何かと嫌だなぁと 思うことは

これは 因縁に喧嘩を売っているようなもので

それも 勝ち目のない 単なる愚痴です。


晴天の日があり 雨天の日があるのも 因縁なのです。

雨の日には 雨の日なりの楽しみ方がある。それを見つける。

雨が降っても 有り難いと。


それに 一滴の雨も降らずに 晴天ばかり続いていたら どうなるでしょうか。

水不足になり 取水制限ともなれば 不自由するのは私たちです。

すべてのものごとには つながりがあるのです。


南無大日遍照金剛と。信じて 常に 心に 念じ続ける

この行いをすることによって ストレスを解消して

日々 心安らかに 気持ちのいい毎日を過ごせますように。

神佛の加護をいただく。

まずは 感謝の心を 育んでください。

合掌

 

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諸行無常(しょぎょうむじょう)

2013年09月05日 21時04分46秒 | 秘密の教え・密教とは

生命のある私たち人間は この地球という現実の世界で 生きています。

人間以外の生き物も また 然りです。 これは否定の出来ない事実です。

この我々の住む 地球自体も 生きている存在です。

そして 移り変わっていくのも事実です。 一日一日と変化しています。

晴天の日もあれば 曇りの日もある。

雨が降る時期もあれば 雪の降る季節もある。

台風が発生すれば 勢いを増し やがて衰え 終息する。

時計も電池が続く限り動いて 時を知らせてくれます。

電池の寿命が尽きれば 止まってしまう。

腕時計。それもソーラー電波時計。便利になりました。

太陽の光を受けて充電されて 時を刻み続けてくれます。

使っていれば 傷もつき 故障もするかもしれない。

壊れるという可能性も秘めている。

我々の身の回りにある家電製品 次々と新製品が開発され

性能が良くなり 使い勝手が向上してと 進化しています。

省エネにも貢献してはいるが 使い続けていれば 古くなるし

性能も低下 使用に耐えられなくなると やがて壊れてしまう。

パソコンも進化していますね。十年ひと昔 過去のと 今のとでは

明らかに姿形も違うし 機能も充実していますし セキュリティも然りです。

自動車も その通りモデルチェンジが施され

スタイルも時代と共に変化しています。

燃費の向上 乗り心地 安全性 耐久性と

善い点ばかり目につくが 反面 リコール問題と不具合もある。

善い面もあれば 悪い面もある。長所があれば 短所もある。

形あるものは壊れる。事実 その通り。

赤ちゃん。可愛いですね。ハイハイ出来るようになり

おぼつかない足取りで歩けるようになり 二歳 三歳と成長し続けて行く。

言葉を覚えるようになり 幼稚園 小学生 中学生 高校生 大学生 社会人と

やがて親に成り 年老いて そして 死を迎える。

変化している。変化し続けている。

学校で歴史を学ぶ。過去にいろいろな時代があった。

その時代に生まれ 生きて 死んでいった人間が たくさんいた。

その時代に生まれ 歴史の表舞台で活躍した人間もいれば

その反対に ひっそりと歴史上知られることもなく

生まれ 生きて 死んで行った その他大勢の人間たち。

人の生き死にと同様に 時代も移り変ってきた。

東から日が昇り 西に没して行く 連続した現象が続いている。

が、一日として同じ日は存在しないのも現実であり 事実。

夜空には 満天の星空。中秋の名月。満月のお月さま。

宇宙。無限の宇宙。何となく神秘的な 未知の世界。

この宇宙も生きている存在。

そして 人間には 心があり 命があり 生きている存在。

それと同じく 宇宙にも 地球にも 心があり 命があるということ。

生まれたからには 必ず 死を迎えるという現実。

親死に 子死に 孫も死ぬ。死なないという例外はない。

これは必然の理。ものごとには理がある。

可愛いペット 動物 植物 昆虫 魚も

この世にある おりとあらゆる生命を持つものは やがて 死んでしまう。

人の世は 生まれ変わり 死に変わりしている 現象世界。

人間の身体も 日々新陳代謝している。

花の種を大地に播かなければ 花は咲かないし

条件があって 咲くまでには 時間を要する。

桃栗三年 柿八年。実を結ぶには時間がかかるということ。

休日 レジャーで出かける。目的地に着くまで 乗り物で行くことになる。

時間がかかりますね。自宅から遠くに行けば行くほどに時間を要する。

その反面 ケータイ電話。相手と話がしたい。

掛ければ繋がりさえすれば 通話可能になる。

便利機能満載ですが バッテリー切れには要注意。

テレビもスイッチさえ入れれば 見れるようになる。

そんなに待たなくても 映像が映し出される。

もちろん 条件が整っていればの話。

電源 アンテナ テレビ局等 それらに関係のあるものが

あるいは それらに携わる人たちが関係してくる。

どれかひとつでも欠けていたら どうなるのでしょうか。

自動車を生産するには 開発設計の段階から 数多くの部品が必要であり

生産ラインがあり 機械工具があり そこには働く人たちがいて

働く人たちの労力もプラスされ 順番に組み立てられて

やがて自動車として完成するに至る。

ガソリン エンジンオイル等 必要なものが 全て揃ってこそ

ひとつになってこそ ひとつひとつが支えあってこそ

自動車としての価値が生じて 生きてくるのです。

 

間も また 然りです。

 

以上 長々と当たり前のことを 書き連ねましたが

佛教の教えを 佛教語を使わないようにして

解りやすく 書き記したつもりです。 

合掌

 

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