ようこそ お参りくださいまして
ありがとうございます。
密教の教えに
如実知自心 (にょじつちじしん)
実の如く自らの心を知ること
と、あります。
人間としての心の真実の姿である
本当の自心を知り尽くすことである、と。
大宇宙の真実の実相と
その存在の意義と内容は
人間としての真実の在り方と
見た目の姿形は異なってはいるが
まったく同じ働きを有しているのです。
大宇宙の内容は、生住懐滅を繰り返し
変化し続け、生き続けているのです。
星が生まれ、成長し、やがて壊れ、滅する。
星が壊れ滅する時、新たに星が誕生する。
そして住壊滅と道をたどるという。
人間も同じく生住異滅を繰り返している。
赤ちゃんとして生まれ
成長し、安定期を経て
成人へと、だんだん異なり、老いて
移り変わり、肉体の衰えを感じて
やがて、肉体の死を迎える。
大宇宙は生きている。
その偉大なる働きも
同じように有している。
肉眼で捉えられる
現象の宇宙は、消滅変化している。
肉眼では捉えることの出来ない
実在の大宇宙は、常住不変である。
現象である人間も、消滅変化をしている。
実在である人間は、常住不変の存在。
宇宙の森羅万象より成る大自然も
物質や現象の構成要素は六大であり
人間の存在も六大の構成要素で
成り立っている。
地水火風空識の六つの働きに
分類することが出来るが
地水火風空までが現象の世界であり
識は心であり精神の世界である。
地大は個体であり
水大は液体であり
火大は炎熱であり
風大は気体であり
空大は空間であると。
大宇宙も六大から成り
等身大の我れも
また、六大から成る。
前五大の地水火風空は無常であり
識は、心は虚空の如く不生不滅である
と、教えには有ります。
自らの心は虚空の如くとは
大宇宙に遍満する心、識ということ。
心の不生不滅とは
心とは生じたものではなく
また、心は滅することがない。
如実知自心 (にょじつちじしん)
この自心の中に、前五大である
地水火風空が含まれている。
等身大の我れではあるが
大宇宙一切に生かされている
我れであり
一切衆生と共に生かされている
我れでもある。
そして、真実の我れは
現象即実在なる存在である。
宇宙と一体であり
自分と他人が、ひとつの如く、成る
我れが、宇宙大の我れ、ということに成る。
大宇宙の全体と共に存在するのである。
大宇宙の存在があって、我れ、及び
一切衆生、森羅万象、大自然は
存在するのであり
我れ、及び
一切衆生、森羅万象、大自然があって
大宇宙は存在するのである。
我れと大自然、太陽系内の地球と
天の川銀河と密接な関係が
成り立っている。
例えば、琵琶湖の湖水に
一滴の雨水が落ちたとします。
一滴の雨水は湖水の落ちた部分のみに
限定されて存在しているのでしょうか。
そうではありません。
琵琶湖と一滴の雨水は同化したのです。
琵琶湖の湖水と一体に成り
琵琶湖の働きそのものに成ったのです。
大宇宙と同化した、我れが
真実の実相なのです。
密教の教えでは
実在即現象の大宇宙をそのまま
大日如来・遍照金剛さまとして
密教の教主として信仰の対象とするのです。
姿勢を正して坐る。合掌する。
息を調えてから、真言を誦える。
心を落ち着かせる為に
大日如来・遍照金剛さまを
想い続け、念じ続ける。
オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン
オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン
オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン
信ずること、拝むこと。
如実知自心。
最後まで読んでいただきまして
ありがとうございました。
本日、お参りくださいました皆さまが
無事息災でありますように
お祈り申し上げます。
合掌