神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

災難から逃れる方法

2015年06月09日 10時54分04秒 | 秘密の教え・密教とは

災難から逃れる方法はないでしょうかと言う質問に

江戸時代の曹洞宗の僧侶で良寛(りょうかん)さまが

災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候(そうろう)。

死ぬ時節には 死ぬがよく候(そうろう)。 

是はこれ 災難をのがるる妙法にて候(そうろう)、と答えられました。

災難に逢う時には 災難に逢わない方が

災難を逃れる方法ではないかと 勘違いしていました。

災難に逢う時に 災難に逢うことによって

災難から逃れられると言うことは

災難に逢わなければならない 因縁があったからです。

どのような時節に 災難に逢うのかは 誰にも分りません。

まさに一寸先は闇です。何が起こるかが分らないのが実情です。

裏を返せば 災難に逢わないような生き方をすればいいのでは、と。

つまりは 神佛の加護をいただくようにすればよいのでは、と。

次に 死ぬ時には 死ぬことが 死という苦しみから逃れられるとは

納得がいきましたが 自殺は生きることを放棄したということですから別です。

生きていくなかで 愛する人と別れる苦しみがあります。

愛する人と別れなければならない時には 別れればいい

怨み憎い者と会わなければならない時には 会えばいい

と言われても なかなか納得のいかないことでしょうが

そのことから逃げ回っていては 何の解決にもなりません。

苦を増すばかりです。

では 何のために 私たちは四苦八苦という

肉体的苦痛 精神的苦悩に苛まされなければならないのでしょうか。

自我への執着があるから この執着から苦しみ悩みが生じるのです。

この執着から離れることができれば すべての悩み苦しみから解放されるのです。

それには 密教の教えを信じて 即身成佛することです。

せっかく 人間に生まれることができて

幸いにも この世に生まれることができたということは

まことに有難いことなのです。

また たとえ人間に生まれることができても

佛法を聞くことは まことに難しいことなのです。

なかでも密教の教えに縁があるということは

このうえない幸せなのです。

三密の行 つまり 真言を念誦することは

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん と口に唱え

南無大日遍照金剛 と心で念佛することによって

真言そのものに成りきる。念佛そのものに成りきることが極意です。

常日頃から 大日遍照金剛さまを 心に想い続けること。

日常生活のなかで 常に 真言を念ずるように心掛ける。

心の持ち方を変えることです。

真実の教えの方に 合わせていく。

そして さとりを求める心をおこす。

さとりを求める心をおこしたならば 忘れずに持続することです。

大日遍照金剛さまを信仰することによって

大日遍照金剛さまの眷属である諸天善神さまに守護されることになるのです。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

 

ありがとうございました。

 

合掌

 


四苦八苦を克服する

2015年06月03日 16時44分11秒 | 秘密の教え・密教とは

南無帰依佛 なむきえぶつ

南無帰依法 なむきえほう

南無帰依僧 なむきえそう

大恩ある釈迦牟尼佛に帰依し奉る。

真言教主大日遍照金剛さまに帰依し奉る。

佛教の教え 密教の教えに帰依し奉る。

正しき僧 正しき師に帰依し奉る。



四苦八苦とは、

生きる苦しみ 老いる苦しみ 病にかかる苦しみ 死ななければならない苦しみ

四つの肉体的苦痛と 生きるうえでの精神的な苦痛をいいます。

愛別離苦 あいべつりく

怨憎会苦 おんぞうえく

求不得苦 ぐふとっく

五薀盛苦 ごうんじょうく



愛する人 愛おしい人との別れ 離れなければならない苦 生き別れ 死別

怨みを持つ者や 憎しみを抱く者と 会わなければならない苦

求めても得られない苦 思い通りにならない苦

人間の身心の形成を五つに分けた五薀(ごうん)

色(しき) 受(じゅ) 想(そう) 行(ぎょう) 識(しき)から生ずる苦

四苦八苦を克服するには 苦を苦と認めて

懺悔の心と感謝の念を忘れないことです。

三密の行をすること。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん 真言を唱える。

南無大日遍照金剛と 心の中で念ずること。

生きる苦しみから 逃れるには 信心すること。

老いる苦しみから 逃れるには 歳をとることを楽しむ。

病気になる苦しみから 逃れるには 健康になること。健康を維持することを。

癌になるには 癌になる 原因がある。

心の中をスッキリさせる。頭の中をスッキリさせる。

そうすることによって 肉体に心地よさを与えることになるのです。

病は気から この気の部分を清浄にすること。

そして 健康体になってくるのです。

そのための 三密の行なのです。

精神的苦痛は 肉体にダイレクトに ダメージを与えます。

例えば 食事をしても美味しく感じられない 食欲がなくなったり

口の中が苦くなったり 何をしても楽しくなかったり 気の濁りが原因です。

我が強かったり 自己流の生き方 間違った生き方 考え方も原因です。

これには 懺悔の心と 感謝の念を持ち続けることによって解消されます。

四苦八苦を苦しむのではなく 感謝の心で対処していく。

懺悔することによって 大難は中難に 中難は小難に

小難は無難になるのです。

感謝の心と 懺悔の心を養う。

信じて 拝んで 行じることによって

今 受けるところの苦しみを感謝して受け止める。

そうすることによって ひとつひとつ 解決していくのです。

正しい姿勢で坐る。背筋を伸ばして 合掌する。

真言を唱えながら 心の中では 念佛する。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

信じないで 拝まないで 行じないでは どうすることもできません。

確かに葛藤はあります。何で どうして 私が こんなことにと 悩みます。

それは ひとつの偏った考え方なので この考え方を変える。

頭の中では思っていても 心が納得しない。腑に落ちない。

このことを 自分自身で納得するには 三密の行をすることです。

三密の行を 感謝の気持ちで続けることです。

毎日毎日変化しているのですから 毎日毎日行うことです。

要は心を爽やかにすること。心の爽やかさは

肉体にも爽やかさを与えることになるのです。

最後に死苦から 逃れるには 肉体は死にますが

命が死んだわけではありません。

死んでも死なない命。

信じて 拝んで 行ずることによって やがて そのことに気づかされるのです。

おん あ び ら うん けん ばさら だと ばん

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

南無大日遍照金剛

終わりまで 読んでいただき ありがとうございました。

合掌