お参りくださいまして
ありがとうございます。
善行院 雄徳です。
神佛の加護をいただくには・・・
佛・法・僧の三寶に帰依し
大聖大悲不動明王さまに帰命し
思愛和施の行いをする。
南無帰依佛 なむきえぶつ
南無帰依法 なむきえほう
南無帰依僧 なむきえそう
南無一切三寶 なむいっさいさんぽう
南無大聖大悲不動明王
なむだいしょうだいひふどうみょうおう
今回はイジメの加害者の業と苦について
考えてみたいと思います。
意示目。
いじる いじわる いやがらせ
いびり いじめ・・・
「い」から始まる行いは、すべて悪業です。
不幸の原因になります。
「い」は意であり、識であり、心でもあります。
心に想った事、口で言った事、身体で行なった事を
身業・口業・意業の三業といいます。
善・悪の業は、すべて潜在意識の中に蓄積されます。
潜在意識の中に集まった善・悪の業が
苦・楽をもたらすことになるのです。
イジメの行為は、十悪を犯すことになります。
意に慳貪、瞋恚、邪見を想う事さえ悪業です。
邪見とは、つまり痴。愚痴であり
愚かさから業の因果を知らず
業の真理に反する行いは
誤った考え方であり、罪を犯すことになるのです。
瞋恚とは、瞋りという感情であり
自分の思い通りにならないから
求めても得られない苦しみから
常に不平不満、ストレスを抱えており
イライラから、怒り心頭すれば
善業の徳を失うのです。
慳貪とは、物惜しみと貪り。ケチと強欲。
自分さえ良ければいいという心もち。
口に妄語、綺語、悪口、両舌を言うは
禍の元なのです。
悪い言葉は相手の心を傷つける。
キモイ、ウザイ、臭い、消えろ
挙句の果てには、死ねと言う。
どの口が言うか、と、口が悪い口が言う。
心に想った事が、言葉となって
発せられるのです。
身に殺生、偸盗、邪淫するは
殺生の業。
生きモノの命を奪う事であり
上履きにいたずら書きをして
使えないようにする。
教科書に落書きをしたり
体操着を切り刻み
使用不能にして、破り、捨てる。
人のお弁当を勝手に捨てる。
食べられないようにする行為。
偸盗の行為。盗み。盗む。
万引きをさせて、そのモノを
横取りする。
金品を強要する。
相手の人生を奪うこと。
自分のモノではないものを
勝手に自分のモノにしてしまう。
邪淫する下心。性的欲求不満。
要はスケベ心による犯罪です。
性的なイジメ。自慰の強要。
いかがわしい行いをする、させる。
みだらな行いをする、させる。
売春を強要する、させる。
セクハラ、性的嫌がらせにより
肉体的にも・精神的苦痛を与える事です。
などなど、イジメのテンプレは
エスカレートするばかりです。
スッタニパータという経典 慈しみの教えに
何人(なんぴと)も他人を欺いてはならない。
どこにあっても他人を軽んじてはならない。
怒りや憎悪の想いをいだいて
互いに他人に苦痛を与えてはならない。
とあります。
肝に銘じたいものです。
身・口・意より生ずる善・悪の業は
本人の自覚の有・無に関わらず
意識下に保存され、残り続けます。
人間、死んでしまえば
すべて終わりではありません。
イジメは、イジメの被害者が
亡くなってしまえば
それで終わりではないのです。
イジメの加害者の悪業は
生きている間はもちろん
死後にも残り続けます。
ネットに晒されて
引っ越しをして、逃げようが
隠れようが、引き籠ろうが
イメチェンしょうが、整形しょうが
化粧しょうが、髪形を変えようが
改名しょうが、自己保身しょうが
しでかした悪業がウヤムヤになること
決してありません。
道元禅師さまは
己に随い行くは
只だ是れ善悪業等のみなり。
と説いておられます。
少年法で裁けないからといって
イジメの罪が赦された訳ではありません。
悪い行いをした者は
この世でも苦しみ、あの世でも
苦しむことになるのです。
イジメの加害者がのうのうと生きている
のが許せないといいますが
内実は当事者にしか分かりません。
どのような形で、目に見える報いとして
顕れるかは、あからさまになってから
でないと分からないものです。
ブッダ 真理のことばに
まだ悪の報いが熟さない間は
悪人でも幸運に遇うことがある。
しかし、悪の報いが熟した時には
悪人はわざわいに遇う。
まだ善の報いが熟さない間は
善人でもわざわいに遇うことがある。
しかし善の果報が熟した時には
善人は幸福(さいわい)に遇う。
とあります。
人をイジメていたってことは
イジメた報いを受ける覚悟も
もちろんあるのでしょう、か・・・。
イジメをすることは
マジで ミジメになる。
イジメの加害者の業と苦・・・について
最後まで読んでいただきまして
ありがとうございました。
合掌