日本祖国戦線

愛国社会主義(National Socialism)による日本及び世界の再建を模索する研究会です。

創価学会は「エセ平和主義」ではなく國体護持の理念に帰るべし!

2015年09月06日 21時20分43秒 | 宗教
<安保法案反対>公明に直訴へ 学会員、署名7000人集め

毎日新聞 9月6日(日)8時40分配信

公明党の支持団体、創価学会の会員で愛知県安城市の農業、天野達志さん(51)が8日、自ら集めた安全保障関連法案に反対する約7000人の署名を党本部に提出する。約2カ月がかりで集めた署名を山口那津男代表に手渡し、法案反対を直訴したいという。

 天野さんは親が創価学会員の「学会2世」。「武力で平和を築こうとするのは学会の教えに反する」と今年6月末、ツイッターに「ひとりの学会員」というアカウントをつくり、本名と住所を明かしたウェブサイトも設けて、「法案の白紙撤回」と「公明が平和の党に立ち返ること」を求める署名への協力を呼びかけ、学会員かどうかを問わずに集めた。

 全国各地の学会員からは署名とともに「私も法案には反対ですが、病床のため活動できません。せめて署名だけはしたい」「学会幹部が怖くて反対運動ができなかった」などのメッセージが寄せられた。

 天野さんは「今でも公明党を信じたいという気持ちは残っている。これが最後との思いで、代表に直接気持ちをぶつけたい」と話す。【駒木智一】

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創価学会は「平和主義」を理念に掲げています。

特に三代会長の池田大作以来、学会は「仏法に基づく世界平和」を主張してきました。



(創価学会ホームページより http://www.sokanet.jp/sokuseki/kodo/01.html)

この池田の教えに回帰することを公明党に呼び掛けるため、SEALDsの活動などに学会員が参加しています。









しかし、戦前の創価学会は熱烈な国粋主義団体だったのです。

創価教育学会の総会記録「大善生活實證録」にはこのような初代会長牧口常三郎の言葉が記されています。

「此の幸福を思ふ時、我々は大東亞戰爭を戰ひ取つてゐる、日本帝國の銃後の一員として課せられた一大使命を發見する者であります。産業報國が然り、職業奉公が然り貯金報國が然り簡素の生活が然り、而し斯る一通りの事に依つて銃後の使命足れりとする創價育學會の會員が萬一ありとすればそれは誤れるの甚しき物であります。(中略)不安と疑と嫉妬と排擠ときづなと權謀の世界の消へ去つた時こそ、たとへ何年でも大東亞共榮圏を戰ひ取る迄がんばり抜く銃後が築かれるのである。斯く考へる時、我等の銃後の使命こそは折伏にあると斷じて差支へありません。」
(大善生活實證録 第四回總會報告 45頁)


よく、創価学会員が言う「創価学会は反戦平和を訴えて特高・官憲に弾圧された」というのはデマで、
創価学会(創価教育学会)が禁止されたのは、「神道の代わりに法華経を国教にすべき」と主張したからです。


また、学会員の「聖書」である「人間革命」の原典にはこのような記述があります。

「日支事変もそうだったが、大東亜戦争でも、日本の国内はバラバラになっている。その根源は、どこにあるかといえば、宗教界にある。(中略)
日蓮正宗の信心に対する半信半疑を捨てて、宗教の力でこそ、この戦争に打ち勝てる。国も救い、民衆も救える・・・という大信念をもって一大折伏戦に入ろうではないか!日本の癌となる対支問題の解決には、われわれが支那大陸の地下工作にまで乗り出そうではないか!(後略)」
(妙悟空著『人間革命』精文館P386~387)


こう見ると、戸田城聖は支那事変に対して「宗教の力による戦争遂行」を主張していたことが分かります。

しかし、戦後に出版された人間革命はこのように改竄されています。

日華事変もそうだったが、大東亜戦争でも、日本の国内はバラバラになっている。その根源は、どこにあるかといえば、宗教界にある。(略)
日蓮正宗の信心に対する半信半疑を捨てて、宗教の力でこそ、国も救い、民衆も救える・・・という大信念をもって一大折伏戦に入ろうではないか!
(戸田城聖著『小説・人間革命(下)』聖教文庫P170)


原典(精文館)
宗教の力でこそ、この戦争に打ち勝てる

改竄版(聖教文庫)
宗教の力でこそ、国も救い、民衆も救える


原典(精文館)
一大折伏戦に入ろうではないか!日本の癌となる対支問題の解決には、われわれが支那大陸の地下工作にまで乗り出そうではないか!

改竄版(聖教文庫)
一大折伏戦に入ろうではないか!

(以下の記述は削除)
日本の癌となる対支問題の解決には、われわれが支那大陸の地下工作にまで乗り出そうではないか!~~


妙悟空著『人間革命』精文館:戸田城聖の直筆で原典。
戸田城聖著『小説・人間革命(下)』聖教文庫:戸田城聖没後の1972年、聖教新聞社より発行。


このように戦後の池田体制の創価学会は戸田城聖の主張を捻じ曲げて「平和宗教」のイメージをでっち上げたのです。

そもそも、創価学会(創価教育学会)に影響を与えた法華宗系の「國柱會」は戦前、強力な右翼運動を行っていました。
(日蓮系自体、カルト的な愛国主義の傾向があります。)

國柱會の創立者、田中智学は「八紘一宇」という言葉を生んだ人物でもあります。

八紘一宇

八紘一宇とは日本建国の主義である「道義的世界統一」を意味する。 大正2年3月11日に機関紙、国柱新聞「神武天皇の建国」にて言及。

この言葉の典拠となったのは『日本書紀』巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」にある

「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎」(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや。)   
日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」


であるが、智學は「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に初めて着眼し、「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であり、その後の結果が「八紘一宇」であると、「掩八紘而為宇」から造語した。

八紘一宇という言葉は、戦後、軍国主義のスローガンであったかのように言われているが、造語した智學は1922年(大正11年)出版の『日本国体の研究』に以下の記述をしている(智學は他に戦争を批判し死刑廃止も訴えている)。

人種も風俗もノベラに一つにするというのではない、白人黒人東風西俗色とりどりの天地の文、それは其儘で、国家も領土も民族も人種も、各々その所を得て、各自の特色特徴を発揮し、燦然たる天地の大文を織り成して、中心の一大生命に趨帰する、それが爰にいう統一である。
— 『日本国体の研究』 - 国立国会図書館(p325)原著p664


また、日蓮主義者としての智學像が強い為、八紘一宇は「日蓮を中心とした世界統一」を意味して造語された、との解説が流布されているが、それは誤りである。 もちろん智學の国体観の根底には、日蓮主義があり、「日蓮上人によって、日本国体の因縁来歴も内容も始末も、すっかり解った」[1]とまで述べているが、それは仏法・覚道、即ち法華経の一念三千の法門、並びに日蓮の三大秘法の法門によって日本国の理義が明らかになり解決を得た。という事であり、それに伴う王法・治道の研究によって、神武天皇建国の宣言から明らかにしたのが、八紘一宇である。
(田中智学WIkipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%99%BA%E5%AD%B8)

因みに、著名な國柱會員には、小説家の宮沢賢治、近衛文麿の父、篤麿の他に「世界最終戦論」で知られる鬼才の愛国軍人石原莞爾がいます。

そして、「在家主義」や「国立戒壇」など國柱會独自の思想も戸田城聖の創価学会に影響を与えたのです。

國体護持こそ創価学会の理念だったのです。





このようにSEALDsの活動に参加している学会員は戸田の肖像を掲げ「人間革命を読み直せ」と主張しています。
それは、「人間革命」に記されている「平和主義」に回帰せよという主張です。

しかし、本当の「人間革命」は國体護持(但し、そのためには他宗教を折伏すべきという過激な日蓮原理主義に基づいている)を訴えるものです。

上記の写真の人たちが本当の人間革命の内容を知っているかは分かりませんが、戸田城聖の教えから逸脱していることは明らかです。

「人間革命を読み直す」のは貴方達の方ですよ。

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≪補足≫

今回の記事にもあるように現在の創価学会の教義は牧口・戸田の教えから逸脱しています。

地下鉄サリン事件から20年~反日・反社会カルト殲滅!(1)
http://blog.goo.ne.jp/shishisamurai/e/455c12c630b2951841eb7adff2ef43c5


↑より抜粋

創価学会

(創価学会旗)

本来は、日蓮正宗信徒の親睦団体だったのですが、第2代会長の戸田城聖死後、強引に後継者になった池田大作によって反日カルトとして成長し、政治部門の公明党を使って政治にまで介入するようになりました。

戸田城聖は池田大作を後継者にするつもりはなく、会長継承には戸田の死後2年間の空白の時間、即ち内部抗争の時間があり、「人間革命」に書かれているような美しい師弟愛など存在しません。更に池田は「敬愛する師匠」であったはずの戸田城聖の遺産を強奪しています。

戸田城聖の遺産の行方
戸田の死後、池田の指示で戸田家から彼の遺品が運び出されたことは事実のようである。昭和28年7月に入信、当時東京蒲田支部の男子部部隊長だった某は次のように語っている。
「戸田会長が死んで1ヶ月も経たないうち、トラック2台、運転手を入れて6人が戸田家に行った。私はその一人であり、私のほか、竜年光、大田区議をしていた園部恭平などがいた。戸田家にはすでに白木薫次と池田が詰めており、十文字に麻縄をかけられた茶箱をトラックに積み込んだ。あまり積み上げるなということで、二段に重ねただけである。
 当時のトラックは小さく、荷台は二畳半から三畳のスペースしかなかった。荷物には二人がかりでやっと持ち上げられるほどに重いものや、軽いもの、あるいは外見から刀剣と分かるものなどがあった。幾子夫人は険しい顔をして応対が悪かった。
 私たちはそれを本部に運んだが、乗用車で追いついた白木と池田の指示で裏口近くの物置きに収めた」

かくして、戸田城聖の財産は、池田創価学会の手により、池田創価学会に運ばれてしまったのです。
~引用終わり~

この池田大作の代わりに後継者になるべきだったのは石田次男という人物です。

石田次男
芝浦工業専門学校を卒業後、1950年1月、創価学会に入会する。創価学会秘書室を経て、聖教新聞編集長、1951年7月11日、男子部第一部隊長(小岩、向島、城東各支部青年担当)、1953年1月2日、創価学会小岩支部長に就任し、特に教学方面を担当する。

1953年、創価学会理事に就任する。

1957年10月13日、九州総支部結成、初代総支部長

1959年、創価学会の支援を受け、第5回参議院議員通常選挙に立候補し、当選する。災害対策特別委員長を歴任した。

1964年、創価学会が中心となり結成された公明政治連盟(後に公明党に改称)に参加する。党内では重要な役職にはつかなかった。

1965年、第7回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界を退く。

創価学会へ復帰後、創価学会会長池田大作を中心とする創価学会の活動とは距離を置いた。後に池田らの仏法説を「内外一致の妙法」、「六師義・外道説」であると批判し、創価学会とは没交渉の状態になり、宗門である日蓮正宗とも縁が薄くなった。

1980年、日蓮正宗僧侶の一部により正信会が結成された際には、その理論的支柱となった。日蓮正宗が創価学会と離別した後には、石田の所説をしばしば援用した。

死去に際し、原稿用紙600枚に及ぶ「池田への諫言」と称する遺言書を残した。

人物
・創価学会への入会後から1年にも満たない時期に、当時の創価学会会長の戸田城聖から教学面の理解の高さを買われ、『折伏教典』の第一章「生命論」の執筆を命じられた。
・創価学会において、戸田の後を継ぐ次期創価学会会長の声が出るほどのサラブレッド的存在であった。
・28歳の若さで創価学会理事に就任した。
・戸田会長の死後、会長職を望めば狙える地位にいたが、週刊文春は記事の中で「誠実だが病弱でありトップに立とうとする欲望が無かった」と評している。

ちなみに、「池田大作は成太作という朝鮮人である。」という説がありますが、これは陰謀論者のリチャード・コシミズが広めたデマです。

「ちなみにいつも言っていますが、ソン・テジャクという名前は私が命名しました。」
6/13 リチャード・コシミズ 【「創価学会」大阪講演会09.06.20】


池田大作は、特亜寄りの発言が多く、↓のような碑文も書いているため、朝鮮人と思われるかもしれません。


しかし、大作は江戸時代から続く海苔問屋の家系出身です。



【桜井誠】池田大作は朝鮮人?創価学会と公明党&自民党【在特会】


つまり、大作は日本人として生まれながら日本が嫌いという反日日本人です。

大作は創価学会の教義をコロコロと変えており、元の日蓮正宗の面影は現在となっては薄くなり、実質は「池田大作教」になってしまっています。

戸田の遺族と池田の関係
戸田会長時代からの学会信者からは「戸田の死後、創価学会の方向性が池田によって変わってしまった」「戸田会長時代が一番よかった」との声もあがり、戸田のカリスマ性の高さを示している。

2013年1月には、戸田の長男の未亡人により、戸田の長男が生前に「今の創価学会は戸田が作り上げた学会とは大きく異なり、まるで池田ファンクラブのようだ」と批判。未亡人の証言によれば、創価学会は戸田の死後、池田に「あげた」ものであり、現在の創価学会は父・城聖をはじめとした戸田家とはまったく無関係だと証言した。
~引用終わり~



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1 コメント

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そんなことはどうでもよい。単なる金儲け (法華本門の聖地)
2016-07-29 18:39:42
私も創価ですが公明党には投票していません。いずれにしても創価はたんなる金儲け団体です。
「在家の身を以て仏法を破壊す」《開目抄》?→仏法を破壊したのは池田創価学会です。年収5000万もの背広を着た創価職業幹部に惑わされてはなりません。
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