OVA5巻買ってきたでウィリス。
勿論初回版でウィリス。
これで旦那、神父、少佐とレリーフ揃い踏みでウィリス。
玄関とかに置けば魔除けにでもなりそうな勢いでウィリス。
でもどれも開封してないでウィリス。
勿体無いでウィリス。
なんかウィリスばっかり書いてるのも面倒になってきたのでもう止めるでウィリス。
以下チラシの裏。
で、だ。
実際は20日には買っていて何度と無く観てはいたのだが。
正直な所を書く。
違和感はある。
この「違和感」をどう解釈するか、でこの巻の評価は変わってくる。
まず前半、これは素晴らしかった。飛行船団からのロケット弾攻撃など鳥肌が立つような有様だった。
この映像は他では出来ない。このOVAだからこそ、だ。ハリウッドだろうがなんだろうが恐らく不可能だろう。天変地異や怪獣で都市を崩壊させる事はできても、こういった「テロ」「戦争」といった「人間の意志による虐殺」を表現する英断(あえてこう表現する)はできまい。
だが「違和感」はある。
音楽の使い方である。「Broken English」「悪魔巣取金愚」の二曲を使う意味をどう捉えるか?
映像は凄惨無比である。Broken~でスタイリッシュな、悪魔~で相当にシュールな印象に変わっている。
だがその印象は実に「PV的」な物だ。そういう効果を狙ったPVであるなら成功だろう。
しかしあくまでこれはOVA、「物語」である。
原作6巻冒頭、悪魔巣取金愚の部分は単行本化の際に加えられた物である。
雑誌連載時はまた違う表現で描かれていた。
悪魔~の歌詞を漫画で読んだ際、大槻ケンヂ率いる「特撮」の音楽なり、オリジナル版「休みの国」の音楽が直ぐに浮かんだ人がどれだけ居ただろうか?
調べる事で辿りつく人は多かったであろうが、それをそのまま使うと思った人がどれだけ居ただろうか?
それに他のシーン、ペンウッド卿の独白、最後のアンデルセンと武装神父隊の大立ち回りなども音楽が軽いというか違和感がある。
他のシーンではオーケストラで重厚なイメージを生み出しているのに、肝心な所で気の抜けた音楽を使っているような印象を受ける。
これをある意味実験的に「攻め」の意味で演出しているのなら今後に期待できる。
だがある意味「迎合した」「逃げ」の演出であるならばとても不安である。
主要スタッフの大部分はそのままではあるが、スタジオ、監督が変わった事で「ヘルシングとは」という根幹部分の共通認識がズレていなければ良いが、と思うのだが。
それが僅かでもズレたままだと、最後の最後で「大事な何か」が指の間からすり抜け、失敗してしまうのではないか、と思うのだ。
映像そのものは素晴らしい。クオリティが落ちていない。まさしく劇場級だ。
それだけに勿体無い。
マッドハウスの「次の一手」に期待する。
勿論初回版でウィリス。
これで旦那、神父、少佐とレリーフ揃い踏みでウィリス。
玄関とかに置けば魔除けにでもなりそうな勢いでウィリス。
でもどれも開封してないでウィリス。
勿体無いでウィリス。
なんかウィリスばっかり書いてるのも面倒になってきたのでもう止めるでウィリス。
以下チラシの裏。
で、だ。
実際は20日には買っていて何度と無く観てはいたのだが。
正直な所を書く。
違和感はある。
この「違和感」をどう解釈するか、でこの巻の評価は変わってくる。
まず前半、これは素晴らしかった。飛行船団からのロケット弾攻撃など鳥肌が立つような有様だった。
この映像は他では出来ない。このOVAだからこそ、だ。ハリウッドだろうがなんだろうが恐らく不可能だろう。天変地異や怪獣で都市を崩壊させる事はできても、こういった「テロ」「戦争」といった「人間の意志による虐殺」を表現する英断(あえてこう表現する)はできまい。
だが「違和感」はある。
音楽の使い方である。「Broken English」「悪魔巣取金愚」の二曲を使う意味をどう捉えるか?
映像は凄惨無比である。Broken~でスタイリッシュな、悪魔~で相当にシュールな印象に変わっている。
だがその印象は実に「PV的」な物だ。そういう効果を狙ったPVであるなら成功だろう。
しかしあくまでこれはOVA、「物語」である。
原作6巻冒頭、悪魔巣取金愚の部分は単行本化の際に加えられた物である。
雑誌連載時はまた違う表現で描かれていた。
悪魔~の歌詞を漫画で読んだ際、大槻ケンヂ率いる「特撮」の音楽なり、オリジナル版「休みの国」の音楽が直ぐに浮かんだ人がどれだけ居ただろうか?
調べる事で辿りつく人は多かったであろうが、それをそのまま使うと思った人がどれだけ居ただろうか?
それに他のシーン、ペンウッド卿の独白、最後のアンデルセンと武装神父隊の大立ち回りなども音楽が軽いというか違和感がある。
他のシーンではオーケストラで重厚なイメージを生み出しているのに、肝心な所で気の抜けた音楽を使っているような印象を受ける。
これをある意味実験的に「攻め」の意味で演出しているのなら今後に期待できる。
だがある意味「迎合した」「逃げ」の演出であるならばとても不安である。
主要スタッフの大部分はそのままではあるが、スタジオ、監督が変わった事で「ヘルシングとは」という根幹部分の共通認識がズレていなければ良いが、と思うのだが。
それが僅かでもズレたままだと、最後の最後で「大事な何か」が指の間からすり抜け、失敗してしまうのではないか、と思うのだ。
映像そのものは素晴らしい。クオリティが落ちていない。まさしく劇場級だ。
それだけに勿体無い。
マッドハウスの「次の一手」に期待する。
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