何故真芝なのか?
核心に触れる前に物語を構成する各要素について考察していこう。
まずは「こわしや」という存在についてである。これがなければ始まらない。
作品中において、こわしやとは職業、称号を指す。「仙術使い」である事が前提条件となっているが、仙術が使える事がこわしやを名乗れる事とイコールでは無い。
仙術使いとは、
「天を裂き、地を踏み割り、音を抜き去る」
究極の肉体コントロールと作中では書かれているが、最大の特徴は「理」を得た後の個人毎の能力の発現にある。
個人の適性なのか血統なのかはっきりとはしないが、主に自然現象を操る事ができるようになる。
火、水、木、光、雷(電気と表現した方が正確か?)とあるのだが、後二つ、
鉄、爆発と見て少し違和感が出る。物理現象と表現するべきなのかもしれないが、作者、藤木俊のブログにて「他にも流派はある」と発言されている点を見てもそれで括りきれない可能性がある。そうなると、仙術とは超能力を表現する一種の形態と書いた方が正しいだろう。
漫画における超能力の表現において、一つの作品が分岐点となっている。
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険:第三部」である。
ジョジョにおける超能力「スタンド」とは作者の荒木飛呂彦いわく、
「超能力に実像を持たせたかった」
という点において、更に個別の能力を持たせる事により個性的な独特の表現を獲得する事に成功しており、後に膨大なフォロワーを生み出す事になる。
この「発明」は少年漫画において、
「闘争、超能力を扱う作品は避けては通れないある種の基準」と表現しても過言ではない影響力を与え続けている。
例を挙げると
「ONE PIECE」の悪魔の実も、
「HANTER×HANTER」の念能力も、
「鋼の錬金術師」の錬金術も、
サンデーで挙げれば
「MAR」のARMも、
「金色のガッシュ」の魔物の子と本も、該当する事になる。
まだまだ枚挙に暇が無いが
仙術も同様である。
ここまで書いて一つの疑問が浮かび上がってくる。
「超能力バトル物において、能力者同士のバトルがいわば定型、定番なのだが我聞においてはそれは無い。何故か?」
作中こわしやの本業は「政府や企業が手の出せない、または隠密に壊したい物を破壊する」と書かれている。対象はあくまで物に限定されている為、仙術使い同士の闘争は在り得ない、と言う事もできるだろうが、実際は違う。
壊す対象を中心として、こわしや同士の価値観、利害の対立を描ければバトルは成立するのだ。その場合、敵対する者を無理に悪役として表現する必要は無い。
むしろ価値観の対立と和解、理解から生まれる友情等、そこから生み出せる部分も多く、ある意味少年漫画の王道とも言える。
連載前のプロット段階でそういった選択肢は当然あったはずなのだ。
週刊連載12話、早い段階で水の仙術使い、静馬さなえが登場した点を見ても工具楽以外の能力者の存在は予定されていたと見て良い。
12、13話での静馬さなえは我聞のコーチ役として登場したが、こういった我聞を教え導く側の仙術使いと、敵対する仙術使いと二つの方向性を用意する事で物語を膨らませる事も可能だったとも言える。
それともう一つ、我聞の特徴として「バトルと日常の割合の他作品との違い」を挙げる事ができる。通常の連続バトル物(これは超能力とは限らない)では、
延々と長いバトルが続いて、「バトルのインターバル」としての日常が数話ある程度(割合で言えば、9:1、いや、9.8:0.2位な作品が大方か)
に対して、我聞では
バトル、日常の割合が6:4、いや、時には5:5位になっている。
日常の部分がとても大事にされているのである。
他の作品では主人公と主要キャラ以外は記号的な扱いをされている物だが、我聞においてはかなり細かくフォローされ、「立った」キャラが多数生まれているのだ。
この事で、日常、学校行事にしろ部活動にしろ、膨らませたエピソードを描く事に成功している。
この二点を俺は作者、藤木俊の挑戦と見る。
バトルの部分では能力者同士のバトルという------誤解を恐れずに書けば------そういった「安易な」方向を否定し、日常の表現に拘る事によりひたすらに殺伐とした方向へ流れる事を拒否したのではないだろうか。
象徴となっているのは3巻、唯一の「敵対する仙術使い」七見イサムの登場した23~25話であろう。
「理の技」を見せろと執拗にせまる七見に対し、我聞は
「お前なんざぶん殴るのに、仙術なんか必要なし!!」
と仙術を使う事無く殴り倒している。
作中「仙術使いは仙術使いとぶつかる事で理を得る」
と書かれてはいるが、我聞と静馬さなえのエピソードを見る限り、そう簡単に理が得られる訳ではない。冷静に考えて爆砕の一撃位では理など得られる訳も無い、と考えるのが自然だ。
これは我聞が、己の欲望の為に理を求める七見を己の信念でもって打ち倒すエピソードとして描かれているが、もう一つ作者、藤木俊が
「能力者同士のバトル路線に流れる事を作品でもって否定した」
エピソードであるとも言えるのである。
そうなると、別の方向からの敵が必要になってくるのだが、それが
「多国籍企業 死の商人 真芝グループ」
となる訳だ。その名が正式に出るのは4巻後半まで待たねばならないが、連載当初から敵役設定されていたのは特に疑問のない所だと言える。
この敵役設定が冒頭に書いた「敗因」へと繋がってゆくのだが……
また長くなってしまったので以下次回。
次回で終了、の予定。