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口からホラ吹いて空を飛ぶ。

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ヘルシング ヤンキンアワーズ5月号 死を望む絶叫 

2006-04-04 | 平野耕太関係
今月のヘルシングは正直どう読解すれば良いのか悩んだ。
と言うよりもまだ悩んでいる。
とはいえ書かないでもいられないが、まるでとりとめの無い文章になるとは思うが、とりあえず書いてみる。

今回の話の中でポイントになるのは、

アンデルセンを倒しながらも泣き崩れるアーカード
対照的に死を寸前にしながら穏やかな表情のアンデルセン
両者を目の当たりにしながら無表情を崩さないインテグラ

この3者に集約されると思う。
アーカードはなぜアンデルセンに対し「おまえは俺だ」と言ったのだろうか?
何故他の、過去に倒した敵では無いのだろうか?
アンデルセンと他の吸血鬼との違い……それはやはり「諦め」なのだと思う。
他の吸血鬼達は吸血鬼化するという事に「生」を見ている。
老いも病も無い永遠の命、人間離れした身体能力、特殊能力といった表面的な部分に目が向き、嬉々としてそれに飛びついている。”それ”に「明日」を見ているのだ。
本当は死んでいるのに。
2巻、バレンタイン兄弟襲撃後、ウォルターが”生き残ったのは自分とインテグラだけ”と言ったのが頭に浮かんでくる。

インテグラ「セラスとアーカードが数に入っていないようだが」
ウォルター「はい あの2人は……既に死んでおります故に」

アンデルセンが「釘」を使う際、その意識には「生、明日」など無かったと思うのだ。化物となることで人間としての自分は死ぬと理解しながら、なお自分に釘を突き立てたのだと思うのだ。その意識の底にあったのはやはり「諦観」だろう。
アーカードが「やめろ人間」「馬鹿野郎」と言ったのも言い換えると、アンデルセンに「死ぬな」と言っていたのではないだろうか。
アーカードもアンデルセンも望んで化物になった訳ではない。
死ぬ事で引き下がるわけにはいかない「何か」の為に「諦めを踏破」したのだ。

アーカードは神父を「救った」。

我々は「死」を知らない。想像を廻らす事はあっても理解する事はできない。当然だ。死ねばそこで終わりなのだから。
そして「永遠に生きる」と言う事も。
先代ヘルシング卿はモノローグでアーカードに対しこう言っている。

「もはや彼には何も無い。」

全て失い、全て捨て去りながら闘い続け絶望の中を歩き続ける存在。


なんという孤独


アンデルセンが釘を使う直前と今号の最後に見せた表情のなんと穏やかな事か。
アーカードはアンデルセンに自己を投影させ、アンデルセンを「生き続け、闘い続けるという地獄」から「倒す」事で開放したのだ。
そしてそれを理解しているが故にインテグラは何も語らず表情を崩す事も無くその様子を見続ける。見届けるのが義務であるかのように。
化物であるアーカードが他の化物を倒し続ける……アーカードはまさに「救う為」「救われる為」闘い続けているのかもしれない。




この後にはまだ少佐達が控えている。
そんな感傷、歯牙にもかけない者達が残っているのだ。
まさしく戦場、地獄、煉獄、死都ロンドン
次回はまた2ヶ月後。
待つのが辛い。

ヘルシング OVA1 神父が音速丸とダブったのは内緒だ。

2006-02-10 | 平野耕太関係

ようやくでましたOVA1巻。
原作感想はシリアス路線で書いていたりするのでこちらはいつもの調子で。
・・・・・・半期に1回も出れば早い方だろうしorz

ストーリー的には書く事は無い(笑)
なにせ3回目だし(原作、TVアニメ、今回)
画質は素晴らしく良い!このクオリティーは劇場版の様な凄まじさです!
声優陣もTVアニメから「ほぼ」引き継いでいて良いですねー。
そして今回注目は、
一番最後だけだけど「カミーユ・ビダン in 少佐」(今回は謎の影の人(笑)と、


若本規夫 in アレクサンド・アンデルセ

ン神父です!!!

いやー、若本御大、シリアスな役なんて久々なんじゃないすか!?俺の最近のイメージって「カウボーイ・ビバップ」のビシャス位なんだよなー、シリアスなのって。
さすがに今回は作品が作品なんで、



おおーっとどっこいホイサッサー!!

とか、



ちょっぷ、ちょっぷ、大ちょっぷ

とか、


 

磯野君、今夜一杯どうだ~い

とか、



ぴちぴちちゃぷちゃぷ仲良くやってたの

にあいつらったらあいつらったら~~

とは言わない・・・とは・・・・・・思う・・・・・・多分・・・・・・自信無いorz
若本規夫だし・・・・・・ヘルシングだし・・・・・・

本編の話に戻ると、出来としてはまあいいんじゃないでしょうか。始まったばかりだし。1巻の分を詰め込んで凄い速い展開でまとめてしまったし。
個人的には「肩に力入りすぎてるなー」と。
音楽の演出もう少し抑えてもいいんじゃないかなーとか。
セラス一人でたまにギャグ顔になったりするけどもう少し崩すか、まったくやらないかでもいいんじゃないかなー、とか。
次巻以降、こなれてくると思いたいですね。
でも多分どんなに速くても半年後とかなんだろうなあ。


あ!次は「バカ兄弟」こと「バレンタイン兄弟」が出るじゃないか!
声はやっぱり「子安武人」と「中井和哉」なのか~~~?

 

 


ヘルシング ヤンキンアワーズ3月号  あの日暮れの荒野なら

2006-02-01 | 平野耕太関係
「化物を倒すのは いつだって人間だ」

この言葉は、何を言わんとしているのか。以前から疑問に思っていた。
単行本3巻の頃からこの言葉はある。
その時発したのもアーカードだ。
何故アーカードなのか。
死を拒絶し、人間を諦め、人道を踏破した男が。

「人間でなくてはいけないのだ」

人間である意味とは何なのだろうか。
以前のエントリで人間とは「自らの意思でもって抵抗する者」と書いた。
それと今回考えたのは、これはアーカードの「信仰」によるものなのではないだろうか。

前回、2月号、アーカードの過去が描かれた時、彼は
「闘いとは祈りそのものだ」と表現している。


   祈りと祈りと祈りの果てに


彼にとって闘いこそが信仰の表現だったのだろう。
だがついに彼は敗れ去り、処刑される時彼は人として死ぬ事を拒絶し、人間である事を諦めた。
自ら化物となる事を選んだのだ。
それ故に、
「闘い続ける」事で信仰を表現し、
人間である事を諦めた、諦めざるを得なかった自分を「弱い化物」と断じ、
「神の写し身」とも言われる人間に倒される事を望んでいるのではないだろうか。
つまり、
闘いも、魔に堕ちる事も、化物を打ち倒す事も、人間に倒される事を望むのも、全て彼の「信仰」によるもので、魔でありながら最も狂信的に神を信仰しているのがアーカードという存在なのかもしれない。
信仰故に化物となる事を選んだ、とも表現できるかもしれない。

逆説的、というか、ややこしい表現で申し訳ないが。

今月号、アンデルセンに対し、
「もはやだめだ おまえにわたしはたおせない」
と言い放ったのも、聖遺物を使ったとはいえ、化物、「人に在らざる物」にアンデルセンが変わり果ててしまったからなのだろう。

化物でありながら「人間」に強くこだわるアーカード
人間でありながら「ただの神の力」になる事を選んだアンデルセン

両者とも狂信的でありながら、二人の位置は真逆だ。
この二人の決着はやはりどちらかが滅ぶ事でしかつかないのだろう。










今月号表紙の「さらば アンデルセン」が気になる。
来月の予告にもHELLSINGは載っていたが、15日には増刊で外伝が。10日にはOVAが。今月は間を置かず楽しめそうだ。

ヘルシング ヤンキンアワーズ2月号  踏破する者達

2005-12-29 | 平野耕太関係
            遙か遠くに稜線が見える
            あれは「人道」と呼ばれる
              余りに辛く険しく
           常人では近づく事さえ覚束無い。
           
           踏破するには「条件」が要る

               人間に絶望し
                神に絶望し
                世に絶望し
             狂気を身に纏う事を選び
                 敵を殺し
                見方を殺し
               守るべき民も
               治めるべき国も
               自分でさえも。
               全て殺し尽くし
               皆殺し尽くされ
              
                それでも
               それでもなお
             諦めを拒絶するのなら
             諦めを踏破するのなら

            その者は人道を踏破するだろう
                地獄を謳い
         神に弓持て矢を向ける権利人となるだろう
                
              「彼等」は越えた。
         「伯爵」も「少佐」も「神父」も「彼女」も
              自らの意思で持って。
              滅びを夢見ながら
           なお敵を滅ぼさずにいられず
             あらゆる物を失いながら
            あらゆる物を捨て去りながら
              それでも戦い続ける

             あの遙か彼方に見える稜線
               あれは「人道」だ
           全てを失い全てに絶望し全てを呪い
          それでもなお諦めない者のみが踏破できる





ギャー、OVAまた伸びたー。しょうがないか……じっくり待ちましょうかねー。
しっかし、多分今年最後のエントリになると思うのだけれど「これ」か(笑)
縁起でもねーなー。でも俺らしいっちゃらしいのか(藁)

ではでは今年も暮れて参りますが当ブログを読んで下さってる皆様、コメントして下さる皆様、WEB拍手下さる皆様、ありがとうございました。
来年も好き勝手絶頂に書いていきたいと思っております。
来年もお付き合いの程、宜しくお願い致します。
それでは皆様、良いお年を。




さて、年賀絵描くか…………まだ描き終わってないorz


   

ヘルシング ヤンキンアワーズ1月号  JUDASRISING

2005-12-05 | 平野耕太関係
人間に打ち倒される事を望んだ吸血鬼が

神の化物と闘っている

人間の造りし武器で
神の狗を滅ぼそうと闘っている

彼に、アンデルセンに自我が残っているのか
表情も読み取れない

魔はやはり神に打ち倒されるのか。


  人でも魔でも昼でも夜でも無い者。
     JUDAS RISING

神の刃は魔に突き立ちその力を滅ぼし始める

永遠も不死者も魔も人も神の前には無力なのか。
彼の命が、死の河が、死者の群れが炎に包まれる。


   彼の世界が燃える
   燃えて 堕ちる







遅ればせながらアワーズ購入。
なんかアーカードに死亡フラグが立っちゃったようです。物語は確実に終局へと向かっているようです。つか、収集つくのか?本当に。

で、話は変わってOVA。来年1月25日に延期。ただし、時間が30分から50分へと延長!値段そのまま!
OK!!ワクテカして待ちます!妥協しない結果なら大歓迎です!腹括ってます!
バッチこ~~い。

ヘルシング ヤンキンアワーズ12月号 射撃下手過ぎ

2005-11-01 | 平野耕太関係
今回は幕間劇と言った所か。
アーカードとアンデルセンが闘い続けてる間にも状況が激しく動いている事が描写されている。

地上に降下した部隊が全滅しても、
周囲の飛行船が撃墜されても、
自分の部下が反抗しても、
少佐が動じる事は無い。
更には動けようが動けまいが残っている兵には「全員で突撃」と命令を下し、
更にはこれほど状況が悪くなろうとも「作戦は計画通り」と嘯く。

ああそうか。心底どうしようもない人物だった。そういえば。
勝利さえ望んでいないんだった。少佐は。
「戦争」を続けられればそれで良かったんだ。
むしろ永遠に均衡を維持できれば満足なんだろう。

「何者かを打ち倒しに来た者は 何者かに打ち倒されなければならぬ」
自分が打ち倒される側に立った時、少佐はまだこんな事を嘯けるのだろうか?
いや、たとえ自分がそうなったとしても最後まで他人事のようにあっさり死ぬのだろうな。
恐らく少佐は自分にさえ執着していない。
自分の存在意義を戦争にだけ感じてるのかもしれない。




で、話は変わって「ぱふ」12月号に平野耕太インタビューが。
いや笑った。笑ったのだけれども……

この内容だったら、まともな構成なら半分位で収まるよな。

個人的には答えられない質問もあるのはわかるけれども、それなりにまともなインタビューが読みたかったな、というのが正直な感想。
このネタってヒラコー自分の過去の日記で似たようなの書いてたよな。
まさか本当に雑誌でやってしまうとは思わなかったが。
これを許す「ぱふ」編集部もなんつーか……。

ヘルシング ヤンキンアワーズ11月号 神父さまっつД`)

2005-10-04 | 平野耕太関係
そしてついに彼は狗に成り果てた。

何の狗にか?
神の狗に。

意志ある者から神の走狗に。
「神の力」そのものに。

彼の命を絡め獲るのは茨。
聖者の茨。
歪んだ、ねじくれた茨の冠。

神々しいはずなのに。
まさに奇跡の産物なのに。

禍々しい物にしか見えない。

眼前の吸血鬼とどれほどの違いがあると云うのか。
頭を吹き飛ばされても死なない
「神の敵」を屠る為だけの
まさに人に在らざる 人 で な し。

彼もまた、呪われし者となった。
人間として死ねないのなら、
人間である事を諦めたのなら
「魔」に魅入られようと
「神」に取り込まれようと
「化物」である事に変わりは無い。

嗚呼、この戦争には正義など何処へ行こうと在りはしない。
狂気に狂気を塗り重ね
勝利の趨勢は死者の数だとばかりに
ひたすらに死を積み重ねる。

嗚呼、この闘争には勝利など何の意味も無いに違いない。
誰も彼もが嬉々として
地獄へ向かって突撃し、
誰も彼もが嬉々として
死んでしまうに違いない。
「彼」もまた。

聖者の傀儡よ









うーん、本当、全然先行きが見えなくなってきました。
物語の最後には本当に皆死んでしまって、唯一生き残るのはインテグラだけ、
なんてのも充分ありえますからね。逆にどこまで行っても決着のつかない泥縄状態になったりして。

来た。「キタ!」ではなく、「来た。」 ヘルシングOVAプロモ

2005-09-16 | 平野耕太関係
これだ!これが見たかった!

ああ、いい。

ようやく、と言うべきか。遂に、と言うべきか。
いやいや、待て待て。少し落ち着け。過去を思い出せ。
あの悪夢のような、まさに「蹂躙された」「陵辱された」「ズタズタにされた」TVアニメ版を思い出せ。
あの時のプロモ版も良い出来だった。期待して良い出来だった。プロモは。
本放送は「散々だった」。
前半には違和感を憶えつつも、原作エピソードがある為に自分を抑えていた。自分に嘘をついていた。
後半は失望した。余りにも原作から乖離したストーリー、まるで違う性格の主要キャラ。原作の名言を無理やり使った台詞回し。
とても見られた物では無かった。
そして失望しつつも、購入したDVDを女々しく処分できなかった俺がいる。
あの時は「もうお終い」「アニメで見る事はもう有り得ない」と思っていた。

だがしかし。
再度見る事ができるとは。
そして。
この完成度はどうだ。これで製作サイドは「40点」の出来だと言う。
酷い評価だ。素晴らしい。
これ以上の物を期待させると言うのだ。期待していいと言うのだ。
動く少佐が、あの演説が聞けるのだ。
ロンドン大炎上「最後の幻想」を、あの地獄絵図を目の当たりにする事ができるというのだ。
「狂気の産物」を「魔王」を「死の河」を、そして「化物」をまた観る事ができるというのだ。
現時点ではまだプロモの映像でしかない。
しかもわずかに5分程度。
期待は裏切られるのかもしれない。
また失望感に覆われるのかもしれない。
だがしかし。
今回こそは、と思っている。
「本物」が観れると信じている。
インタビューに後ろ向きな発言は、無い。腹を括っている、と思う。
だから俺も、最大限に期待する。
とことん夢を見て待つ事にする。
「期待しすぎると落胆も大きい」とはよく言うが、まさに、まさしく、

「望む処だ」

どんどん出せ、などと言うつもりは無い。半期に1本、1年に1本でも構わないと思っている。「ジャイアントロボ」の様にとことん間隔が空いても、仕方ないと思っている。原作すら何時終わるか知れないのだから。

さて、本館のトップを描き変えようか。
発売までまだ時間がある。せいぜい首を長くして待つ事としよう。






いや、ホント、宜しくお願いします。1ファンの戯言でしかありませんがマジで凄え期待してます。過去なんか「無かった事」にして
「初兄メカだーーーー、いえ~~~い!!!」
と大騒ぎさせて下さい。

たまにはこんな駄文も。ヤンキンアワーズ9月号ヘルシング感想

2005-08-02 | 平野耕太関係
以下の文章にはネタバレもあまり気にせず書くつもりなので、まだ読んでない方、コミックス派で内容を知りたくない方は読まない事を奨めます。
(勿論「それ何?」な方、「それ嫌い」な方も同様)




「人間」とは、何であろうか?
何を持って「人間」を定義すべきなのだろうか?
アーカードは普通の人間である兵士達を「狗」と呼び、ある意味化け物に近いアンデルセン神父を「人間」と呼んでいる。
ここにこの作品のテーマが流れている。
オーソドックスでありながら、最も重く深いテーマだと私は考える。
一言で言ってしまうと、「人間讃歌」だ。
生きる、生き抜くと云う事
立ち向かうと云う事
諦めないと云う事
自らの意思でもって決断し進み続けると云う事
作品の世界観や、描写の過激さ、簡潔さにより、表現上にそれと判るように描かれる事は無い。
だがこの作品において終始一貫してそれは描かれ続けている。
今回において、それが明快になった。
アーカードは自らを「弱い化け物」と言っている。
「弱い」「化け物」。
劇中において恐らく最強の存在である彼が「弱い」。確かにそうかもしれない。
彼は生きていない。(彼は死者だ)
彼は立ち向かう事はない(挑まれる側ではあっても挑む側になる事は無い)
彼は既に諦めている(これは後述)
彼には自らの意思は無い(あくまで彼はヘルシング家の従僕である)
彼は、アーカードは、強敵等ではなく「敗北」を「滅び」を与える人間を求め続けているのではないだろうか?

彼は諦めている、と書いたが、アーカードは
「人間でいる事にいられなかった」
と語っている。彼自身の過去はまだ語られていないが、他の吸血鬼達の言葉でもこう表現されている。
ある兵士は
「そりゃあ得たものは大きいさ 俺達よぼよぼのジイさんだったからな でも失ったものも大きい 大きいよな もう休みの日に鳩にエサもやれない 化物だ」

インテグラは吸血鬼の軍勢を前にして
「あきらめろだと? 成程おまえ達らしいいいぐさだ 人間でいる事に耐えられなかったおまえたちのな」

この二つは「老い」や「病」といった人間であれば逃れられない運命への諦めだ。
吸血鬼化といっても死者になる事に変わりは無い。死んでしまえば再び死ぬ事も病になやむ事は無い。だがそれは所詮まやかしでしかない。

そして少佐も
「私は無限に奪い 無限に奪われるのだ 無限に滅ぼし 無限に滅ぼされるのだ そのために私は野心の昼と諦観の夜を越え 今ここに立っている」
諦観。劇中において狂気の体現者である少佐でさえも。
作者である平野氏は化物達を敵味方問わず「諦めた者」と定義しているのだ。

そして今回、アンデルセンも「諦めよう」としている。

手段は違えど、彼も化物になろうとしている。
彼はただの「力」である事を望み、人間性を捨て去ろうとしている。
マクスウェルに対する想いもあるのかもしれない。
(帰れと命令されながらも)駆けつけてきた13課への想いもあるのかもしれない。
そして宿敵でありながら、恐らく一番の理解者なのかもしれないアーカードに対しても。
「教義のためなら教祖をも殺す」狂信者であるが故に、また己の中の人間性との矛盾、葛藤もあるのかもしれない。

アーカードの言う通り、アンデルセン神父こそがまさに「人間」なのかもしれない。

私は不安だ。この物語に救いはあるのだろうか?
生き残ったとしてもそれにどれ程の意味があるのだろうか?

まだこの物語は長く続くのだろう。
欠かさず着いて行きたいと思う。