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2012-12-15 14:43:44 | 用語集
大学情報 | Benesse マナビジョン
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役員(会社)

2012-12-15 14:41:28 | 用語集
役員 (会社)

英国の会社では、私会社 (private company) の場合、少なくとも1人の取締役 (director) を置かなければならない。なお、会社の通常定款 (articles of association) の定めにより、必要な取締役の最少の員数を増やすことができる。会社は他の会社の役員 (officer) になることが出来るが、少なくとも1人の取締役 (director) は個人であり16歳以上でなければならない。 公開会社 (public company) の場合、最少2人の取締役 (director) を置かなければならない。取締役 (director) のうちの1人は個人であり16歳以上でなければならない。
米国の法人の取締役 director は、一般に取締役会 (board of directors) の構成員として法人の経営方針を決定し業務執行を指揮・監督する。ただし、州によっては1人でもよいとされる。 米国の会社の director には2種類の用法があり、取締役会の構成員、つまり取締役という意味と、日本で言う事業部長や統括部長に近い役割のバイス・プレジデント (vice-president) の下で manager を指揮する役割の、和訳でいう部長や課長という意味合いがあるので、単に director と言う場合には混同することがある。取締役であることを明確にするために member of the board of directors と表記する場合もある。日本の会社においては取締役の英訳としてそのまま使用される場合が多い(もちろん日本でも部長、課長級の英訳として director を使用する場合が多いが、主題である「役員」の議論に限定すれば取締役の訳と解釈される)。
シャドウ・ディレクター [編集]
シャドウ・ディレクター(英語: shadow director)。実質的に会社を経営する影の取締役。 英国の会社法 (Companies Act) の第251条では、会社法における「影の取締役」(“shadow director”) は、会社について、習慣的に会社の取締役 (director) に指示又は命令する者をいう。なお、取締役に対して専門的な立場から助言しただけでは影の取締役 (shadow director) とは見なされない。また、取締役 (director) の一般的な職務、社員 (member) の承認が必要な議事録、又は唯一の社員 (sole member) 兼取締役 (director) との契約のために、習慣的に子会社 (subsidiary companies) の取締役 (director) に指示又は命令しただけでは、法人団体 (body corporate) は影の取締役 (shadow director) とは見なされない。 英連邦諸国の会社法や香港の会社条例にも同様に影の取締役(英語:shadow director、中国語:影子董事)の定めがある。 この規定により、社員その他の実質的な会社の経営者が、名目的な役員 (officer) を使って責任を逃れるのを防ぐ。
マネージャー [編集]
マネージャー(英語: manager)。和訳は支配人。日本の現行の会社法では支配人は会社の役員に含まないが、日本に株式会社制度が導入されはじめた頃の国立銀行条例においては「支配人会計役書記役其他ノ役員ヲ定メ」との記載があり、かつては日本でも支配人は会社の役員とされていた。 英国の会社の「支配人」 (“manager”) は、英国の会社法 (Companies Act) の第1173(1)条で、法人団体 (body corporate) の役員 (officer) に含むと定めている。英連邦諸国の会社法や香港の会社条例における支配人(英語:manager、中国語:經理)も同様の定めがある。 英国の会社法において条文によっては、業務執行役員 (managing officer) とも表記される。米国の会社の役員 (officer) に相当する。日本の会社の支配人とは異なり、会社の役員としての責任を負い、その職務や権限の範囲は定款や契約によって定めるので、その職務や権限の範囲により会社の執行役、支配人、又は執行役員に相当する。
チェアマン [編集]
チェアマン(英語: chairman、chairperson または chair)。一般に、法人の理事会の議長を意味する。法人が会社の場合は、取締役会 (board of directors) の会長または議長を意味する。理事会/取締役会で理事/取締役 (director) から選定される。社員総会/株主総会でも議長を務めることが多い。カリフォルニア州の会社法では、定款に別段の定めがない限り、社長 (president) を置かない場合は取締役会長 (chairman of the board of directors) が法人の総支配人 (general manager) および最高経営責任者 (chief executive officer) となると定めている。英国の会社では、執行と監督を分離するために、業務執行取締役 (managing director) 等のチーフ・エクゼクティブ (chief executive) が取締役会長を兼任することが規制されている。香港の会社の取締役会長(英語:chairman of the board of directors、中国語:董事局主席)の英語表記でもある。 米国法律協会 (American Law Institute, ALI)による「企業統治の原則:分析と勧告」(Principles of Corporate Governance: Analysis and Recommendations) において、法人 (corporation) の取締役会長 (the chairman of the board of directors) は上級執行役員 (Senior Executive) に分類されている。
ガバナー [編集]
ガバナー(英語: governor)。和訳は総裁。イングランド銀行やハドソン湾会社のような勅許会社・特殊会社・特殊法人等における代表者である。国際通貨基金などの国際機関の場合は総務と和訳される加盟各国の代表者であり総務会の構成員である。
プレジデント [編集]
プレジデント(英語: president)。一般に、法人を代表する役員である。法人 (corporation) が非営利法人の場合は会長と和訳され、営利法人(株式会社)の場合は社長と和訳される。米国の法人の会長/社長 (president) は、伝統的に書記役 (secretary) や会計役 (treasurer) 等とともに法人の役員 (officer) とされる。州法に規定がある場合、理事会/取締役会 (board of directors) は1人の会長/社長 (president) を選任しなければならないとされる。定款に別段の定めがない限り理事/取締役 (director) でなくともよい。一般的には書記役 (secretary)、会計役 (treasurer)、その他の役員 (officer) を兼任することができるが、州によっては会長/社長 (president) と書記役 (secretary) の兼任を禁止していることがある。 米国の多くの州では、会長/社長 (president) の役割や権限について州法で明確に規定していないので、法人が付属定款 (by-laws) でその権限の概略を規定する。一般に、法人の業務執行を統轄し、法人の法律文書 (instruments) および株券 (stock certificates) や契約書に署名する権限を有する。判例法では会長/社長 (president) に明示的に権限が付与されていない場合でも、通常の業務に関するあらゆる取引において第三者に対して法人を拘束する行為を行う権限を有するとされる。 カリフォルニア州の会社法では、定款に別段の定めがない限り、社長 (president) が総支配人 (general manager) および最高経営責任者 (chief executive officer) となると定めている。 最高経営責任者(CEO)や最高執行責任者(COO)を置く法人ではどちらかを兼任することが多いが、州によっては役員 (officer) の名称を規定しないため、社長 (president) を置かないでCEOやCOOを置く場合もある。また、社内カンパニー制など独立性のある内部組織の長を指す場合もある。 米国法律協会 (American Law Institute, ALI)による「企業統治の原則:分析と勧告」(Principles of Corporate Governance: Analysis and Recommendations) において、法人の社長 (president) は上級執行役員 (Senior Executive) に分類されている。 米国の法人で使用されるが、英連邦諸国をはじめとするヨーロッパ、西アジア、南アジア、東南アジアの国々の会社ではマネージング・ディレクター (MD) が取締役社長に相当するので、社長の意味としてはあまり使われない。また、フランス法の影響が強い国や地域ではフランスのプレジダン (président) やメキシコのプレシデンテ (presidente) のように取締役会長を意味することがある。
バイス・プレジデント [編集]
バイス・プレジデント(英語: vice-president、略語:VP)。一般に、法人を代表するプレジデント (president) を補佐又は代理する役員である。
詳細はバイス・プレジデントを参照。
セクレタリ [編集]
セクレタリ(英語: secretary)。一般に、法人の書記の職務を行う役員である。定訳は無いので権限や法人の種類、組織の規模等に応じて、書記、書記役、秘書、秘書役、幹事、幹事役、総務、総務役、セクレタリなど様々に和訳される。なお、日本の現行の会社法では会社の書記役に関する定めは無いが、日本に株式会社制度が導入されはじめた頃の国立銀行条例においては「支配人会計役書記役其他ノ役員ヲ定メ」との記載があり、かつては日本でも「書記役」が会社の役員とされていた。
英米では、いわゆる秘書の意味もあるが、法人(会社)の書記役 (secretary) は、法人の役員 (officer) とされ、社員総会/株主総会および理事会/取締役会の手続きを議事録に記録する責任を負い、法令等で法人に保管が義務付けられてる文書や書類その他の記録の作成、維持管理および認証 (certification) を行う。英国では法律上の会社の書記役 (secretary) を実務上、会社の書記役(secretary of the company、又は company’s secretary)、会社書記役 (company secretary) 等という。なお、米国では同じ意味で法人書記役 (corporate secretary) というが、英国では法人書記役 (corporate secretary) は、会社の書記役 (secretary) の職務を受任する法人を意味する。最高総務責任者(CAO)や最高財務責任者(CFO)を兼任することが多いが、国や州によっては役員 (officer) の名称を規定しないため、書記役 (secretary) を置かないで最高総務責任者 (CAO) を置く場合もある。 米国法律協会 (American Law Institute, ALI)による「企業統治の原則:分析と勧告」(Principles of Corporate Governance: Analysis and Recommendations) において、法人 (corporation) の書記役 (secretary) は上級執行役員 (Senior Executive) に分類されている。
英国の会社のセクレタリ [編集]
英国の会社の「書記役」(“secretary”) は、英国の会社法 (Companies Act) の第1173(1)条で、法人団体 (body corporate) の役員 (officer) に含むと定めている。英連邦諸国の会社法や香港の会社条例にも同様に書記役(英語:secretary、中国語:秘書)の定めがある。 英国の会社では、私会社 (private company) の場合、会社の通常定款 (articles of association) に別段の定めがある場合を除き、書記役 (secretary) を置かなくてもよい。 公開会社 (public company) の場合、最少1人の書記役 (secretary) を置かなければならない。
公開会社の書記役 (secretary) は次の何れかの資格を要する。
過去5年間に3年以上、公開会社の書記役 (secretary) の職を務めていた、又は
英国(連合王国に属する何れかの地域)における法廷弁護士(barrister 又は advocate)又は事務弁護士(solicitor)である若しくはこれらの資格を認定されている、又は
過去の実績又は他の団体の会員資格により書記役 (secretary) の職務を行う能力を有するように取締役 (directors) には見える、又は
次の何れかの団体の会員である。
イングランド及びウェールズ勅許会計士協会 (the Institute of Chartered Accountants in England and Wales)、
スコットランド勅許会計士協会 (the Institute of Chartered Accountants of Scotland)、
アイルランド勅許会計士協会 (the Institute of Chartered Accountants in Ireland)、
勅許書記士管理士協会 (the Institute of Chartered Secretaries and Administrators)、
勅許公認会計士協会 (the Association of Chartered Certified Accountants)、
勅許管理会計士協会 (the Chartered Institute of Management Accountants)、又は
勅許財政会計協会 (the Chartered Institute of Public Finance and Accountancy)
会社の書記役 (secretary) は個人でも団体でも法人でもよいので、個人である書記役 (secretary) 、2人以上による共同書記役 (joint secretaries) 又は法人書記役 (corporate secretary) を選任することができる。
法律上、会社の書記役 (secretary) は下記の職務を行う。
法で定められた登記 (statutory registers) の維持管理、
会社が法で定められた情報を速やかに提出することの保証、
社員 (member) 及び取締役 (director) に対する会議 (meetings) の招集の通知、
社員 (member) への書面による提案の交付、及び監査人 (auditor) への決議の交付、
決議及び合意の謄本の登記所 (Companies House) への送付、
会社のすべての社員 (member)、すべての社債権者 (debenture holder) 及び社員総会/株主総会 (general meeting) の招集の通知を受け取るべきすべての者に対する計算書類の謄本の交付、
すべての社員 (member) の(過去の社員総会/株主総会 (general meeting) での)決議の謄本、及びすべての手続き及び社員総会/株主総会 (general meeting) の議事録の保管または、保管のための整理、
会社の記録を監査する権利を有する者がそれを監査できることの保証、
会社印 (company seal) がある場合はその保管及び使用、
会社による正式な文書の作成ための連署人 (co-signator) となること、および
登記所 (Companies House) への提出する書類を認証 (authenticate) すること(会社の年次計算書類を会社書記役 (company secretary) が認証することはできない)。
書記役 (secretary) は会社の役員 (officer) であり、会社の法令違反に対する刑事責任を負うことがある。 会社の書記役 (secretary) が有する権利は、会社と書記役 (secretary) の契約による。
米国の法人のセクレタリ [編集]
米国における法人 (corporation) の書記役 (secretary) は、非営利法人でも営利法人(株式会社)でも、伝統的に会長/社長 (president) や会計役 (treasurer) 等とともに法人の役員 (officer) とされる。州法に規定がある場合、理事会/取締役会 (board of directors) は1人の書記役 (secretary) を選任しなければならないとされる。定款に別段の定めがない限り理事/取締役 (director) でなくともよい。一般的には会長/社長 (president)、会計役 (treasurer)、その他の役員 (officer) を兼任することができるが、州によっては会長/社長 (president) と書記役 (secretary) の兼任を禁止していることがある。米国では、役員 (officer)の名称について規定しない州を含む多くの州で、何からの規定により社員総会/株主総会および理事会/取締役会の手続きを議事録に記録する責任を負う役員を選任しなければならないと定めている。一般的には議事録作成の他に、法令等で法人に保管が義務付けられている文書や書類その他の記録の維持管理および認証 (certification) を行い、法人の印 (seal) がある場合はそれを保管し、法人の法律文書 (instruments) および株券 (stock certificates) への副署を行う。銀行との取引の際に、法人の代表者の署名と書記役 (secretary) の副署を要するため、法人の会計役 (treasurer) を兼任して、書記会計役 (secretary-treasurer) とする場合がある。
米国の法人と州政府の関係において、法人の書記役 (corporate secretary) に対応する州政府の官職、いわゆるカウンターパート (counterpart) は州務長官 (Secretary of state) で、法人の書記役 (secretary) が株主名簿の管理や株主総会の運営、法人の文書の認証、法人の印 (seal) の保管を行うのに対して、州務長官 (Secretary of state) は選挙人名簿の管理や選挙事務、州の公文書の認証、州の印璽 (Great Seal) の保管を行う。また、法人が州政府に届出や申請を行う際は州務長官が主な提出先となる。
トレジャラ [編集]
トレジャラ(英語: treasurer)。一般に、法人 (corporation) の会計管理、資金の出納や財務の責任者の職務を行う役員である。定訳は無いので権限や法人の種類、組織の規模等に応じて、会計、会計役、出納役、財務、財務役、トレジャラなど様々に和訳される。また、法人が米国の地方政府などの自治体 (municipal corporation) の場合は、収入役、出納長、財務官など、米国の州政府の場合は州財務官と呼ばれる。なお、日本の現行の会社法では会社の会計役に関する定めは無いが、日本に株式会社制度が導入されはじめた頃の国立銀行条例においては「支配人会計役書記役其他ノ役員ヲ定メ」との記載があり、かつては日本でも「会計役」が会社の役員とされていた。
米国における法人の会計役 (treasurer) は、非営利法人でも営利法人(株式会社)でも、伝統的に会長/社長 (president) や書記役 (secretary) 等とともに法人の役員 (officer) とされる。州法に規定がある場合、理事会/取締役会 (board of directors) は1人の会計役 (treasurer) を選任しなければならないとされる。定款に別段の定めがない限り理事/取締役 (director) でなくともよい。一般的には会長/社長 (president) 、書記役 (secretary)、その他の役員 (officer) を兼任することができる。米国の多くの州では、会計役 (treasurer) の役割や権限について州法で明確に規定していないので、法人が付属定款 (by-laws) でその権限の概略を規定する。一般に、法人名義の資金の受領および支出を正式に担当する。判例法では会計役 (treasurer) に明示的に権限が付与されていない場合、通常は法人を拘束する契約を締結したり、財産を処分することはできないが、金銭の受け取り、保管および支出については権限を有するとされる。 銀行との取引の際に、法人の代表者の署名と書記役 (secretary) の副署を要するため、法人の書記役 (secretary) を兼任して、書記会計役 (secretary-treasurer) とする場合がある。 最高財務責任者 (CFO) を兼任する場合が多く、カリフォルニア州のように、基本定款 (articles) または付属定款 (bylaws) に別段の定めがない限り、最高財務責任者 (chief financial officer) を置かない場合は、会計役 (treasurer) が最高財務責任者 (chief financial officer) となると定める州もある。一方、州によっては役員 (officer) の名称を規定しないため、会計役 (treasurer) を置かないでCFOを置く場合もある。また、CFOの統括の下に会計役 (treasurer) と経理部長(controller 又は comptroller)を置き、会計役 (treasurer) が財務部の職務を統括する場合もある。 米国法律協会 (American Law Institute, ALI)による「企業統治の原則:分析と勧告」(Principles of Corporate Governance: Analysis and Recommendations) において、法人の会計役 (treasurer) は上級執行役員 (Senior Executive) に分類されている。
その他の英米の会社の内部的職制 [編集]

マネージング・ディレクター [編集]
マネージング・ディレクター(英語: managing director、略語:MD)。直訳は業務執行取締役。英連邦諸国の会社では取締役会で取締役 (director) から選定される会社の業務執行を統括する責任者とされる。日本の取締役社長や米国会社の最高経営責任者 (CEO) 又は社長 (president) に相当する。英国の会社では、執行と監督を分離するために、取締役会長 (chairman of the board of directors)を兼任することが規制されている。米国会社においてはあまり使われない。香港では董事総経理(英語:managing director、中国語:董事總經理)の英語表記である。日本の会社においては、常務の英訳として使用される場合が多いが、世界銀行や国際通貨基金などの国際機関の場合は専務理事と和訳される。仏訳はディレクトゥー・ジェネラル (Directeur général (DG)) であることが多い。
デピュティ・マネージング・ディレクター [編集]
デピュティ・マネージング・ディレクター(英語: deputy managing director、略語:DMD)。英連邦諸国の会社で、マネージング・ディレクター (MD) を補佐して業務を執行する。一般的には1人または2人以上のデピュティ・マネージング・ディレクター (DMD) を置くが、置かない場合もある。日本の専務取締役または常務取締役に相当する。米国の会社においてはあまり使われない。国際通貨基金などの国際機関の場合は副専務理事と和訳される。仏訳はディレクトゥー・ジェネラル・アジョワン (Directeur général adjoint (DGA)) である。
ファースト・デピュティ・マネージング・ディレクター [編集]
ファースト・デピュティ・マネージング・ディレクター(英語: first deputy managing director、または 1st deputy managing director、略語:1st DMD)。英連邦諸国の会社で、マネージング・ディレクター (MD) を補佐して業務を執行する。2人以上のデピュティ・マネージング・ディレクター (DMD) を置く会社で、最も上席のデピュティ・マネージング・ディレクター (DMD) を定めた場合の名称とされる。置かない場合もある。日本の取締役副社長または専務取締役に相当する。米国の会社においてはあまり使われない。国際通貨基金などの国際機関の場合は筆頭副専務理事と和訳される。仏訳はプルミエ・ディレクトゥー・ジェネラル・アジョワン(Premier directeur général adjoint、または 1er directeur général adjoint)である。
エグゼクティブ [編集]
エグゼクティブ(英語: executive)。直訳は執行者。実務上は取締役会の構成員を指す場合が多い。なお、米国の会社において "top executive" と言う場合は通常 "president", "chairman", "CEO", "COO" といった会社経営の責任者を指す。
プリンシパル・シニア・エグゼクティブ [編集]
プリンシパル・シニア・エグゼクティブ(英語: principal senior executives)。主要上級執行役員などと和訳される。 米国法律協会 (American Law Institute, ALI)による「企業統治の原則:分析と勧告」(Principles of Corporate Governance: Analysis and Recommendations) において、法人 (corporation) の最高経営責任者(CEO)、最高執行責任者(COO)、最高財務責任者(CFO)、最高法務責任者(CLO)、又は最高会計責任者(CAO)をいう。「企業統治の原則:分析と勧告」では、公開会社の事業経営は主要上級執行役員により、又は主要上級執行役員の監督の下で取締役会若しくは主要上級執行役員が執行権を委譲した他の役員 (officer) その他の被用者 (employee) によって行われるべきと提言している。
シニア・エグゼクティブ [編集]
シニア・エグゼクティブ(英語: senior executives)。上級執行役員などと和訳される。 米国法律協会 (American Law Institute, ALI)による「企業統治の原則:分析と勧告」(Principles of Corporate Governance: Analysis and Recommendations) において、法人 (corporation) の主要上級執行役員 (Principal Senior Executives) 又は取締役会長 (the chairman of the board of directors)(ただし、取締役会長が取締役 (director) として以外に経営方針を決定する職務を行わず、取締役としての報酬以外に多額の報酬を受領していない場合を除く)、社長 (president) 、会計役 (treasurer) および書記役 (secretary) 、並びに主な事業部 (business unit)、部門 (division) 若しくは職務 (function)(販売、総務、財務など)を担当し、または法人の重要な経営方針を決定する職務を行う副社長 (vice-president) (SVP、EVP、Senior EVP 等を含む)若しくは副会長 (vice-chairman) をいう。「企業統治の原則:分析と勧告」では、上級執行役員は役員としての忠実義務を負うべきと提言している。
シニア・バイス・プレジデント(SVP) [編集]
シニア・バイス・プレジデント(英語: senior vice-president、略語:SVP)。米国等の法人 (corporation) において、プレジデント (president) を補佐する役員 (officer) であるバイス・プレジデント(VP)のうち、上席のバイス・プレジデント (VP) の名称である。
詳細はシニア・バイス・プレジデントを参照。
エグゼクティブ・バイス・プレジデント(EVP) [編集]
エグゼクティブ・バイス・プレジデント(英語: executive vice-president、略語:EVP)。直訳は、法人 (corporation) が非営利法人ならば執行副会長、営利法人(株式会社)ならば執行副社長である。米国等の法人で会長/社長 (president) を補佐する役員 (officer) であるバイス・プレジデント(VP)のうち、シニア・バイス・プレジデント(SVP)よりも上席のバイス・プレジデント (VP) の名称である。株式会社の場合は、上級副社長と訳されることが多いが、SVP の訳語として用いられることの多い上席副社長と訳される場合もあるので、SVPと混同しやすい。日本の会社においては、専務または副社長の英訳として使用される場合が多い。
シニア・エグゼクティブ・バイス・プレジデント [編集]
シニア・エグゼクティブ・バイス・プレジデント(英語: senior executive vice-president、略語:Senior EVP)。直訳は、法人 (corporation) が非営利法人ならば上級執行副会長、営利法人(株式会社)ならば上級執行副社長である。米国等の法人で会長/社長 (president) を補佐する役員 (officer) であるバイス・プレジデント(VP)のうち、シニア・バイス・プレジデント(SVP)やエグゼクティブ・バイス・プレジデント(EVP)よりも上席のバイス・プレジデント (VP) の名称である。フランスの会社においては、ディレクトゥー・ジェネラル・デレゲ (Directeur général délégué (DGD)) の英訳として使用される場合が多い。日本の会社においては、副社長の英訳として使用される場合が多い。
ファウンダー [編集]
ファウンダー(英語: founder)。創業者の意味。創業者に付ける名誉的な肩書き。日本の会社でもこの肩書きが使われることがあり、かつて、ソニーの井深大と盛田昭夫、ダイエーの中内功がその職名を用いていた。現在はホリプロの堀威夫らがその職名を用いている。
大陸ヨーロッパにおける会社の役員制度 [編集]

大陸ヨーロッパにおける会社の役員制度概説 [編集]
大陸法を採用する大陸ヨーロッパ諸国は、英米法を採用するイギリスやアメリカ等とは法系が異なるため、会社の役員制度についても違いがある。例として、特徴的な二層型取締役会を有するドイツの会社と、民法分野で国際的な影響力があるフランス法に基づく会社の役員制度を説明する。
ドイツ [編集]
株式会社 (AG) の役員 [編集]
ドイツの株式会社 (AG)では、取締役会 (Verwaltungsrat) の役割を監査役会 (Aufsichtsrat) と執行役会 (Vorstand) の二つの機関に分かち、人的にも監査役会構成員 (Aufsichtsratsmitglied) と執行役会構成員 (Vorstandsmitglied) の兼任を禁じて、前者が後者を監督するという二層型取締役会が採用されている。
監査役会の役割は会社の業務執行を監査し、執行役会に対して一般的業務について助言し、執行役会構成員を選任・解任することである。 監査役会構成員は株主総会により選任される。ただし、一般に従業員数が500人を超える会社では3分の1、従業員数が2,000人を超える会社では半数が、従業員の直接選挙によって選任される。 監査役会は、監査役会構成員の中から監査役会会長(ドイツ語: Aufsichtsratsvorsitzender)1人及び1人以上の副会長(ドイツ語: Stellvertretender Vorsitzender)を選定しなければならない。会長は株主代表の監査役会構成員から選定される、大きな会社では副会長は従業員代表の監査役会構成員から選定することが多い。 別段の定めがない限り、決議には投票数の過半数が必要である。可否同数の場合は再度の投票を行うことができるが、この場合も可否同数であれば監査役会会長が決定権を有する。監査役会副会長には、かかる決定権はない(共同決定法第29条)。
執行役会は自己の責任において業務を執行し、裁判上及び裁判外において会社を代表する。 執行役会構成員は、監査役会により選任される。 執行役会が数人から成る場合、別段の定めがない限り、全執行役会構成員が共同してのみ会社を代表する(日本の旧共同代表取締役制度に近い)。 執行役会構成員は、監査役会により選任されるが、監査役会構成員は執行役会構成員を兼任することができない。 執行役会の会長(ドイツ語: Vorsitzender des Vorstandes、銀行の場合は Sprecher des Vorstandes)、すなわち執行役会長(ドイツ語: Vorstandsvorsitzender、銀行の場合は Vorstandssprecher)は監査役会により選定・解職される。執行役会長は執行役会を代表し、会議の招集と議長としての議事運営や議題の準備と提案、株主総会での業績報告等の権限を有する他、監査役会会長との接触を通じて、監査役会と執行役会の意思疎通や情報交換を行う。
詳細はドイツの取締役会を参照。
株式合資会社 (KGaA) の役員 [編集]
ドイツの株式合資会社 (KGaA) は無限責任社員(ドイツ語: Komplementär)と株主(ドイツ語: Aktionär)とで構成される株式会社 (AG) の特殊形態とされており、無限責任社員については合資会社 (KG) に関する規定が準用される。 無限責任社員が代表権及び業務執行権を有し、取締役会や執行役会は設置しない。 その他の事項については原則として株式会社 (AG)に関する規定が準用され、株式会社 (AG) と同様の監査役会 (Aufsichtsrat) を設置する。監査役会構成員 (Aufsichtsratsmitglied) に従業員代表を含める制度も株式会社 (AG) と同じである。
有限会社 (GmbH) の役員 [編集]
ドイツの有限会社 (GmbH)(有限責任事業者会社(UG (haftungsbeschränkt) を含む))は間接有限責任を負う社員(ドイツ語: Gesellschafter)で構成される会社であり、社員総会(ドイツ語: Gesellschafterversammlung)が会社の意思決定を行い、取締役(ドイツ語: Geschäftsführer)を選任・解任し、取締役の業務執行を監督する。 取締役は社員の指示にしたがって会社の業務を執行し、第三者に対して会社を代表する。取締役の員数は1人以上である。 取締役会や執行役会は設置しない。 監査役会 (Aufsichtsrat) は必置の機関ではないが、定款の定めにより監査役会を設置することができる。ただし、500人超の従業員を有する有限会社 (GmbH) では、株式会社 (AG)と同様に監査役会構成員 (Aufsichtsratsmitglied) に従業員代表を含める制度が適用されるので、監査役会を設置しなければならない。
合名会社 (OHG) の役員 [編集]
ドイツの合名会社 (OHG) は無限責任を有する社員(ドイツ語: Gesellschafter)で構成される会社であり、社員がそれぞれ代表権及び業務執行権を有する。 取締役その他の機関は設置しない。
合資会社 (KG) の役員 [編集]
ドイツの合資会社 (KG) は無限責任社員(ドイツ語: persönlich haftender Gesellschafter(法文)、Komplementär(日常語))と有限責任社員(ドイツ語: Kommanditist)とで構成される合名会社の一変形とされており、無限責任社員だけが会社の代表権及び業務執行権を有する。 取締役その他の機関は設置しない。
フランス [編集]
株式会社 (SA) の役員 [編集]
フランスの株式会社 (SA) では、株主総会で三分の二以上の決議により伝統的な単層型取締役会とドイツ式の二層型取締役会とのどちらかを選択できる。
詳細はフランスの取締役会を参照
取締役会を設置する会社 [編集]
伝統的な取締役会 (Conseil d'administration (CA)) を設置する会社の場合、会社を経営する機関として取締役会 (CA)、取締役会長 (PCA)、および執行役(社長、DG)等を置く。また会計監査および業務監査を実施する機関として、会計監査役 (CAC) を置く。
取締役会 (CA) は取締役 (Administrateur) で構成される。 取締役会 (CA) は会社の業務の方向性を定めその実施を管理する。 会社の目的の範囲内で、かつ法律により明示的に株主総会に付与された権限に従い、取締役会 (CA) は会社の経営に影響を及ぼす一切の事柄を扱い、協議の上これを決定する。 取締役会 (CA) の決議は、出席した取締役または委任状により代理された取締役の多数決により決せられる。可否同数の場合は定款に別段の定めがない限り取締役会長 (PCA) が決定権を有する。 取締役会 (CA) は取締役会長 (PCA) の選定・解職、執行役 (DG) の選任・解任、会社の代表権を取締役会長 (PCA) または執行役 (DG) のいずれに付与するかの決定等の権限を有する。 また、取締役会 (CA) は、副会長 (Vice-président) や執行役代理(副社長、DGD)等の役員を置くことができる。
詳細はフランスの伝統的な取締役会を参照。
監査役会と執行役会を設置する会社 [編集]
1966年のフランス商法改正により導入された、ドイツ式の二層型取締役会を設置する会社の場合、会社の経営を監督する機関として監査役会 (Conseil de surveillance) 、会社を経営する機関として執行役会 (Directoire) を置く。また会計監査および業務監査を実施する機関として、会計監査役 (CAC) を置く。監査役会構成員 (Membre du Conseil de surveillance) と執行役会構成員 (Membre du Directoire) を兼任することはできない。なお、監査役会構成員と会計監査役 (CAC) は別の役員である。
監査役会は監査役会構成員から構成され、株主総会により選任・解任される。 監査役会に関係する規定の大部分は、取締役会 (CA) に適用されるものと同様であるが、監査役会は執行役会を単に監督するのに対して取締役会 (CA) は経営機能を有する点が異なる。
執行役会は執行役会構成員からなり、監査役会により選任される。 執行役会の権限は広汎で、会社の目的および株主総会および監査役会に法律上留保された決定による制約を受けるのみである。 執行役会は合議制の経営機関である。 監査役会は、第三者に対して会社を代表する者として、執行役会の構成員1人を選定しなければならない。 このように選定された者は執行役会長 (Président du directoire) の肩書を有する。執行役会長は、監査役会によって指定される執行役(Directeurs Généraux:複数形)により補佐される。 執行役会の構成員は、通常株主総会および定款で定められている場合において監査役会により解任される。
詳細はフランスの監査役会と執行役会を参照。
株式合資会社 (SCA) の役員 [編集]
フランスの株式合資会社 (SCA) では取締役会 (CA) を設置せず、株主(フランス語: Commanditaires)の中から選定される無限責任社員(フランス語: Commandités)が商人資格すなわち商行為を為し得る地位を有し、無限責任社員による指名と株主の同意により選任される取締役 (Gérant) が業務を執行し、5人以上の株主で構成される監査役会 (Conseil de surveillance) が業務を監査する。
合名会社 (SNC)、合資会社 (SCS)、有限会社 (Sarl) の役員 [編集]
フランスの合名会社 (SNC)、合資会社 (SCS)、有限会社 (Sarl) では、社員による意思決定と監督の下で取締役 (Gérant) が業務を執行する。
簡易株式会社 (SAS) の役員 [編集]
フランスの簡易株式会社 (SAS) は機関設計の自由度が高く、必置の機関は株主総会と代表者(会長、Président)だけである。定款の定めにより株式会社 (SA) と同様の機関を任意で設置することが出来る。 代表者(会長)を補佐する執行役(社長、DG)や執行役代理(副社長、DGD)を置くことが出来る。また、執行役 (DG) や執行役代理 (DGD) には代表者が有する権能の包括的な委任 (délégation générale) により代表者と同等の代表権を付与することも出来る。
簡易株式会社 (SAS) が株式会社 (SA) の子会社である場合、親会社は簡易株式会社 (SAS) の代表者(会長)として自然人を指定することもできるが、法人である親会社を代表者に選任することもできる。 簡易株式会社 (SAS) の代表者が親会社である場合、代表者の職務は親会社の取締役会 (CA) 等の機関が親会社の名において遂行することになるので、親会社と子会社が一体の経営を行うことができる。また、簡易株式会社 (SAS) に取締役会 (CA) 等の機関を設置しなくても、親会社の取締役会 (CA) 等がその役割を果たすことにより、簡易株式会社 (SAS) の業務の適正を確保するための体制を維持しながら組織構成を簡素化することができる。
フランスの法令に規定のある役員 [編集]
ジェラン [編集]
ジェラン(フランス語: Gérant:男性型)、ジェラント(フランス語: Gérante:女性型)。取締役会を設置しない会社の取締役に相当する。フランスの合名会社 (SNC)、合資会社 (SCS)、株式合資会社 (SCA)、有限会社 (SARL) で、社員の決定や株主総会の決議にしたがって会社の業務を執行する。また、有限会社 (SARL) の取締役は第三者に対して会社を代表する。社員・株主でなくともよい。員数は1人以上で自然人でなければならない。社員の議決権の過半数または株主総会での過半数の決議により選任・解任される。ただし、正当事由がなく取締役を解任した場合には、会社は損害賠償を支払う。取締役が社員ではない場合や持分が少数の社員の場合は、一定の要件(会社役員としての職務とは別個の職務内容、従属関係)を満たす場合には雇用契約による職務も兼任できる。 なお、ジェラン (Gérant) は支配人の意味で使用されることもある。
アドミニストラトゥー [編集]
アドミニストラトゥー(フランス語: Administrateur:男性型)、アドミニストラトゥリス(フランス語: Administratrice:女性型)。取締役会設置会社の取締役に相当する。 フランスの株式会社 (SA) の取締役は、取締役会(Conseil d'administration (CA))の構成員であり、員数は3人以上18人以内である。ただし、吸収ないし新設合併の場合は、取締役の数は合併から3年以内であれば最大24人に増加することができる。取締役は法人でもよいが、法人の場合はその常任代表者として自然人を指定しなければならない。2009年1月1日以降、取締役が会社の株式を一定数保有しなければならないのは、定款に定めがある場合に限られる。取締役の任期は最長6年(非公開会社については、設立時の定款において選任される場合は3年)で、株主総会において選任・解任される。株主総会は理由を示さずに取締役を解任することができ、損害賠償の対象にはならない。 取締役は、その職務を遂行するために必要な一切の情報を受取るものとし、また有益と考える文書を入手することができる。通常は業務を執行しない。 なお、定款に定めがある場合は株主総会で選任される取締役とは別に、従業員代表の取締役を従業員の直接選挙で選任することができる。従業員代表の取締役の員数は取締役の定員には含まれない。 使用人を兼務する取締役は三分の一を超えず最大5人までである。
コミッセール・オ・コント [編集]
コミッセール・オ・コント(フランス語: Commissaire aux comptes、略語:CAC)。会計監査役と和訳され、日本の会社の監査役と会計監査人の両方を合わせたような役員である。 監査役会構成員 (Membre du Conseil de surveillance) とは別の役員である。 1966年のフランス商法改正以前の法文上の名称は監査役(コミッセール、フランス語: Commissaire)であったが、出資検査役(フランス語: Commissaire aux apports)と区別するため、実務上の名称に合わせて現在の名称に改められた。
詳細は監査役#フランスの会計監査役を参照。
プレジダン [編集]
プレジダン(フランス語: Président:男性型)、プレジダント(フランス語: Présidente:女性型)。和訳は会長。 フランスでは、単にル・プレジダン(フランス語: le président)と言うと共和国大統領を意味するので、会社の役員の意味で使用するときは機関名と組み合わせた名称が使用される。 取締役会 (CA) の会長は Président du conseil d'administration (PCA) である。同様に、監査役会の会長は Président du conseil de surveillance、執行役会の会長は Président du directoire である。フランスの簡易株式会社 (SAS) の代表者(Président)場合は、会社の代表なので会社名と組み合わせて表記する。
取締役会 (CA) のプレジダン [編集]
フランスの会社の取締役会長(フランス語: Président du conseil d'administration、略語:PCA)は、取締役会 (CA) で互選により選定される1人の自然人である。任期は取締役 (Administrateur) としての任期を超えない。また、取締役会 (CA) で過半数の決議で解職される。取締役会長 (PCA) は、取締役会 (CA) の議長を務め、取締役会 (CA) の職務をとりまとめ、これを指揮することにつき責任を負う。また会社組織の適正な運営を確保し、取締役が確実にその任務を遂行できるようにする。取締役会 (CA) の決議において、可否同数の場合は定款に別段の定めがない限り取締役会長 (PCA) が決定権を有する。取締役会長 (PCA) は、一定の要件(会社役員としての職務とは別個の職務内容、従属関係)を満たしている場合には雇用契約による職務も兼任できる。
2001年のNRE法(新経済規制法)により、伝統的な取締役会 (CA) を設置する会社でも監督と執行の分離を可能にするため、原則として取締役会長 (PCA) は執行役(社長、DG)を兼任せず、会社の代表権が執行役 (DG) に付与されることになった。ただし、代表権を取締役会長 (PCA) または執行役 (DG) のいずれに付与するかは、取締役会 (CA) が決定する。また、定款の定めた条件下で取締役会 (CA) が取締役会長 (PCA) と執行役 (DG) の兼任(プレジダン・ディレクトゥー・ジェネラル (PDG))を決議することもできる。 取締役会 (CA) が従来と同様に会社の代表権を取締役会長 (PCA) に付与すると決定した場合、取締役会長 (PCA) は会社を経営する全権限を有し、会社の目的ならびに法律上株主総会および取締役会 (CA) に付与された権限によってのみ制約を受ける。また、第三者との関係で会社を代表し、経営について責任を負う。定款または取締役会 (CA) が取締役会長 (PCA) の代表権に加えた制限は、会社内部では拘束力を有するが、第三者に対抗することができない。取締役会長 (PCA) の代表権の有無については会社の登記簿に明記する必要がある。 会社が任意に設置する会議体である経営委員会(Conseil de direction、 Comité de direction、または Comité executif)等の構成員であることが多い。 原則どおりに、代表権が執行役 (DG) に付与された場合、取締役会長 (PCA) は日本の代表権のない取締役会長に相当する。 一方、代表権が取締役会長 (PCA) に付与された場合、取締役会長 (PCA) は日本の代表取締役会長に相当する。この場合、英語では Chairman of the board of directors and CEO と表記されることが多い。
監査役会のプレジダン [編集]
監査役会 (Conseil de surveillance) と執行役会 (Directoire) を設置するフランスの会社では、監査役会長(フランス語: Président du conseil de surveillance)に関係する規定の大部分は、取締役会長 (PCA) に適用されるものと同様であるが、監査役会長には代表権が付与されず執行役会構成員 (Membre du Directoire) を兼任することができない点で取締役会長 (PCA) とは異なる。
執行役会のプレジダン [編集]
監査役会 (Conseil de surveillance) と執行役会 (Directoire) を設置するフランスの会社では、執行役会長(フランス語: Président du directoire)は、監査役会により執行役会構成員 (Membre du Directoire) の中から選定・解職される。ただし、執行役会長を解職された場合でも執行役会構成員の地位は失われない。執行役会長は第三者に対して会社を代表するが、会社の経営権は合議体としての執行役会が有し、執行役会長が単独で経営権を有するわけではない点が、取締役会 (CA) を設置する会社の取締役会長 (PCA) や執行役 (DG) との違いである。執行役会長は、監査役会によって指定される執行役(Directeurs Généraux:複数形)により補佐される。執行役会長は日本の代表執行役社長に相当する。英語では CEO と表記することが多い。
簡易株式会社 (SAS) のプレジダン [編集]
フランスの簡易株式会社 (SAS) では、代表者(会長、Président)は株主総会の他に設置が義務づけられた唯一の機関であり会社の代表権を有する。株主でなくともよく法人であってもよいとされる。 会社は代表者を議長とする合議体を設置することもできる。 代表者が有する権能を第三者に委任することも出来るが、代表者が有する権能の包括的な委任 (délégation générale) により代表者(会長)と同等の代表権を持てるのは、執行役(社長、DG)または執行役代理(副社長、DGD)に限られる。 簡易株式会社 (SAS) が株式会社 (SA) の子会社で、簡易株式会社 (SAS) の代表者として親会社を選任した場合、代表者の職務は親会社の取締役会 (CA) 等の機関が親会社の名において遂行することになる。この場合、親会社の取締役会 (CA) が簡易株式会社 (SAS) の代表者として執行役 (DG) や執行役代理 (DGD) を選任してこれに会社の代表権を付与し、その業務執行を監督することができる。
ヴィス・プレジダン [編集]
ヴィス・プレジダン(フランス語: Vice-président:男性型)、ヴィス・プレジダント(フランス語: Vice-présidente:女性型)。和訳は副会長。フランスの会社で取締役会 (CA) の副会長は Vice-président du conseil d'administration、監査役会の副会長は Vice-président du conseil de surveillance、執行役会の副会長は Vice-président du directoire である。
取締役会 (CA) のヴィス・プレジダン [編集]
フランスの会社の取締役会 (CA) は、希望すれば、1人または2人以上の副会長 (Vice-président) を置くことができる。取締役会 (CA) は副会長を取締役 (Administrateur) から選定し、取締役としての任期を超えない任期を定める。副会長または最も上席の副会長は、取締役会長 (PCA) に支障があるときその職務を遂行する。
なお、2人以上の副会長を置く場合の最も上席の副会長の名称は、プルミエ・ヴィス・プレジダン(フランス語: Premier vice-président、または1er vice-président:男性型)、プルミエール・ヴィス・プレジダント(フランス語: Première vice-présidente、1ère vice-présidente、または1re vice-présidente:女性型)で、第一副会長と和訳される。
ディレクトゥー・ジェネラル [編集]
ディレクトゥー・ジェネラル(フランス語: Directeur général:男性型)、ディレクトゥリス・ジェネラル(フランス語: Directrice générale:女性型)、略語:DG。執行役または代表執行役に相当する。
取締役会 (CA) を設置する会社のディレクトゥー・ジェネラル [編集]
フランスの取締役会 (CA) を設置する会社で、取締役会 (CA) が会社の代表権を取締役会長 (PCA) に付与しないときは、執行役(社長、Directeur général (DG))を選任し、その任期を定める。取締役 (Administrateur) が兼任する場合は執行役 (DG) の任期は取締役としての任期を超えない。執行役 (DG) は自然人でなければならないが、株主でなくともよく、取締役会 (CA) の構成員でなくともよい。 執行役 (DG) は、会社を経営する全権限を有し、会社の目的ならびに法律上株主総会および取締役会 (CA) に付与された権限によってのみ制約を受ける。執行役 (DG) は、第三者との関係において会社を代表し、また裁判所において会社を代表する。定款または取締役会 (CA) が執行役 (DG) の権限に加えた制限は、会社内部では拘束力を有するが、第三者に対抗することができない。執行役 (DG) の代表権の有無については会社の登記簿に明記する必要がある。 会社が任意に設置する会議体である経営委員会(Conseil de direction、 Comité de direction、または Comité executif)等の構成員であることが多い。 取締役会 (CA) から代表権を付与された執行役 (DG) は、日本の代表執行役社長に相当する。英語では CEO と表記されることが多い。

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平家物語

2012-12-15 14:34:14 | 用語集
平家物語
『平家物語』(へいけものがたり)は、鎌倉時代に成立したと思われる、平家の栄華と没落を描いた軍記物語である。
保元の乱・平治の乱勝利後の平家と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を見事に描き出している。和漢混淆文で書かれた代表的作品であり、平易で流麗な名文として知られ、「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しをはじめとして、広く知られている。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 成り立ち
1.2 作者
2 諸本
2.1 語り本系
2.1.1 平曲
2.2 読み本系
3 刊行本
4 構成
5 関連項目
5.1 人物
5.2 史料
5.3 古典
5.4 能
5.5 幸若舞
5.6 浄瑠璃・歌舞伎
5.7 近代以降の関連作品
5.8 その他
6 参考文献
7 外部リンク
概要 [編集]

成り立ち [編集]
平家物語という題名は後年の呼称であり、当初は『保元物語』や『平治物語』と同様に、合戦が本格化した治承(元号)年間より『治承物語(じしょうものがたり)』と呼ばれていたと推測されているが、確証はない。
正確な成立時期は分かっていないものの、仁治元年(1240年)に藤原定家によって書写された『兵範記』(平信範の日記)の紙背文書に「治承物語六巻号平家候間、書写候也」とあるため、それ以前に成立したと考えられている。しかし、「治承物語」が現存の平家物語にあたるかという問題も残り、確実ということはできない。少なくとも延慶本の本奥書、延慶2年(1309年)以前には成立していたものと考えられている。
作者 [編集]
作者については古来多くの説がある。最古のものは吉田兼好の『徒然草』で、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)なる人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語り手にしたとする記述がある。
「後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の譽ありけるが(中略)この行長入道平家物語を作りて、生佛といひける盲目に教へて語らせけり。」(徒然草226段)
その他にも、生仏が東国出身であったので、武士のことや戦の話は生仏自身が直接武士に尋ねて記録したことや、更には生仏と後世の琵琶法師との関連まで述べているなど、その記述は実に詳細である。
この信濃前司行長なる人物は、九条兼実に仕えていた家司で中山(藤原氏)中納言顕時の孫である下野守藤原行長ではないかと推定されている。また、『尊卑分脈』や『醍醐雑抄』『平家物語補闕剣巻』では、やはり顕時の孫にあたる葉室時長(はむろときなが、藤原氏)が作者であるとされている。尚、藤原行長とする説では「信濃前司は下野前司の誤り」としているが、徒然草では同人を「信濃入道」とも記している(信濃前司行長=信濃入道=行長入道)。
そのため信濃に縁のある人物として、親鸞の高弟で法然門下の西仏という僧とする説がある。この西仏は、大谷本願寺や康楽寺(長野県篠ノ井塩崎)の縁起によると、信濃国の名族滋野氏の流れを汲む海野小太郎幸親の息子で幸長(または通広)とされており、大夫坊覚明の名で木曾義仲の軍師として、この平家物語にも登場する人物である。ただし、海野幸長・覚明・西仏を同一人物とする説は伝承のみで、史料的な裏付けはない。
諸本 [編集]

現存している諸本としては、以下の二つがある。
盲目の僧として知られる琵琶法師(当道座に属する盲人音楽家。検校など)が日本各地を巡って口承で伝承してきた語り本(語り系、当道系とも)の系統に属するもの
読み物として増補された読み本(増補系、非当道系とも)系統のもの
語り本系 [編集]
語り本系は八坂系と一方系とに分けられる。
八坂系諸本は、平家四代の滅亡に終わる、いわゆる「断絶平家」十二巻本である。一方、一方系諸本は壇ノ浦で海に身を投げながら助けられ、出家した建礼門院による念仏三昧の後日談や侍女の悲恋の物語である「灌頂巻」に特徴がある。
平曲 [編集]
詳細は「平曲」を参照
語り本は当道座に属する盲目の琵琶法師によって琵琶を弾きながら語られた。これを「平曲」と呼ぶ。ここでいう「語る」とは、節を付けて歌うことであるが、内容が叙事的なので「歌う」と言わずに「語る」というのである。これに使われる琵琶を平家琵琶と呼び、構造は楽琵琶と同じで、小型のものが多く用いられる。なお、近世以降に成立した薩摩琵琶や筑前琵琶でも平家物語に取材した曲が多数作曲されているが、音楽的にはまったく別のもので、これらを平曲とは呼ばない。
平曲の流派としては当初は八坂流(伝承者は「城」の字を継承)と一方流(伝承者は「一」の字を継承)の2流が存したが、八坂流は早くに衰え、現在ではわずかに「訪月(つきみ)」の一句が伝えられているのみである。一方流は江戸時代に前田流と波多野流に分かれたが、波多野流は当初からふるわず、前田流のみ栄えた。安永5年(1776年)には名人と謳われた荻野検校(荻野知一検校)が前田流譜本を集大成して「平家正節(へいけまぶし)」を完成、以後同書が前田流の定本となった。
明治維新後は幕府の庇護を離れた当道座が解体したために伝承する者も激減し、昭和期には仙台に館山甲午(1894年生~1989年没)、名古屋に荻野検校の流れを汲む井野川幸次・三品正保・土居崎正富の3検校だけだったが平成20年現在では三品検校の弟子今井某が生存しているだけである。しかも全段を語れるのは晴眼者であった館山のみとなっていた。平曲は国の選択無形文化財に選択されて保護の対象となっており、それぞれの弟子が師の芸を伝承している。
平曲の発生として、東大寺大仏殿の開眼供養の盲目僧まで遡ることが「日本芸能史」等で説かれているが、平曲の音階・譜割から、天台宗大原流の声明の影響下に発生したものと考える説が妥当と判断される。また、平曲は娯楽目的ではなく、鎮魂の目的で語られたということが本願寺の日記などで考証されている。 また後世の音楽、芸能に取り入れられていることも多く、ことに能(修羅物)には平家物語に取材した演目が多い。
読み本系 [編集]
読み本系には、延慶本、長門本、源平盛衰記などの諸本がある。従来は、琵琶法師によって広められた語り本系を読み物として見せるために加筆されていったと解釈されてきたが、近年は読み本系(ことに延慶本)の方が語り本系よりも古態を存するという見解の方が有力となってきている。とはいえ、読み本系の方が語り本系に比べて事実を正確に伝えているかどうかは別の問題である。
広本系と略本系の関係についても、先後関係は諸説あって不明のままであるが、読み本系の中では略本系が語り本と最も近い関係にあることは、源平闘諍録の本文中に平曲の曲節に相当する「中音」「初重」が記されていることからも確実視されている。
刊行本 [編集]

現在入手しやすい版本は、『日本古典文学大系』岩波書店全2巻 (覚一本系・龍谷大学図書館蔵本)、『日本古典文学全集』小学館全2巻、『新日本古典文学大系』(岩波書店全2巻、のち全4巻で岩波文庫と同ワイド版)が刊行している。
他に『完訳日本の古典』全4巻 小学館(覚一本系・高野本)、『新潮日本古典集成』全3巻 新潮社(八坂系・仮名百二十句本・国立国会図書館本)がある。
構成 [編集]

※12巻本、灌頂巻が独立している語り本系の構成を掲載する。
巻第一
祇園精舎、殿上闇討、鱸、禿髪、我身栄花、祗王、二代后、額打論、清水寺炎上、東宮立、殿下乗合、鹿谷、俊寛沙汰、願立、御輿振、内裏炎上
巻第二
座主流、一行阿闍梨之沙汰、西光被斬、小教訓、少将乞請、教訓状、烽火之沙汰、大納言流罪、阿古屋之松、大納言死去、徳大寺之沙汰、堂衆合戦、山門滅亡、善光寺炎上、康頼祝言、卒都婆流、蘇武
巻第三
赦文、足摺、御産、公卿揃、大塔建立、頼豪、少将都帰、有王、僧都死去、辻風、医師問答、無文、燈炉之沙汰、金渡、法印問答、大臣流罪、行隆之沙汰、法皇被流、城南之離宮
巻第四
厳島御幸、還御、源氏揃、鼬之沙汰、信連、競、山門牒状、南都牒状、永僉議、大衆揃、橋合戦、宮御最期、若宮出家、通乗之沙汰、ぬえ、三井寺炎上
巻第五
都遷、月見、物怪之沙汰、早馬、朝敵揃、咸陽宮、文覚荒行、勧進帳、文覚被流、福原院宣、富士川、五節之沙汰、都帰、奈良炎上
巻第六
新院崩御、紅葉、葵前、小督、廻文、飛脚到来、入道死去、築島、慈心房、祇園女御、嗄声、横田河原合戦
巻第七
清水冠者、北国下向、竹生島詣、火打合戦、願書、倶梨迦羅落、篠原合戦、実盛、玄肪、木曾山門牒状、返牒、平家山門連署、主上都落、惟盛都落、聖主臨幸、忠度都落、経正都落、青山之沙汰、一門都落、福原落
巻第八
山門御幸、名虎、緒環、太宰府落、征夷将軍院宣、猫間、水島合戦、瀬尾最後、室山、鼓判官、法住寺合戦
巻第九
生ずきの沙汰、宇治川先陣、河原合戦、木曾最期、樋口被討罰、六ヶ度軍、三草勢揃、三草合戦、老馬、一二之懸、二度之懸、坂落、越中、前司最期、忠度最期、重衡生捕、敦盛最期、知章最期、落足、小宰相身投
巻第十
首渡、内裏女房、八島院宣、請文、戒文、海道下、千手前、横笛、高野巻、惟盛出家、熊野参詣、惟盛入水、三日平氏、藤戸、大嘗会之沙汰
巻第十一
逆櫓、勝浦、嗣信最期、那須与一、弓流、志度合戦、鶏合 壇浦合戦、遠矢、先帝身投、能登殿最期、内侍所都入、剣、一門大路渡、鏡、文之沙汰、副将被斬、腰越、大臣殿被斬、重衡被斬
巻第十二
大地震、紺掻之沙汰、平大納言被流、土佐房被斬、判官都落、吉田大納言沙汰、六代、泊瀬六代、六代被斬
灌頂巻
女院出家、大原入、大原御幸、六道之沙汰、女院死去

関連項目 [編集]

人物 [編集]
覚明…源義仲の右筆。
中原信康…源義経の右筆。
これら右筆が書いた合戦記が平家物語に採用されたと見られている。
史料 [編集]
『吾妻鏡』 - 鎌倉幕府編纂の歴史書。平家物語と同時期の出来事を描く。
『玉葉』 - 同時代の大臣である九条兼実の日記。
『愚管抄』 - 天台座主慈円による史書。
古典 [編集]
『源平盛衰記』 - 平家物語の一異本。
『源平闘諍録』 - 平家物語の一異本。
『保元物語』 - 平家物語以前の出来事を描いている。
『平治物語』 - 同上。
『義経記』 - 義経の伝説を描く。源平合戦以前と奥州落ちの描写が中心。
能 [編集]
『朝長』
『鞍馬天狗』
『熊坂』
『烏帽子折』
『七騎落』
『頼政』
『実盛』
『木曽』
『巴』
『兼平』
『敦盛』
『小督』
『通盛』
『経正』
『忠度』
『知章』
『船弁慶』
『橋弁慶』
『景清』
『俊寛』
『俊成忠度』
『屋島』
『碇潜』
『千手』
『盛久』
『大原御幸』
『正尊』
『吉野静』
『安宅』
『摂待』
『大仏供養』
『二人静』
『生田敦盛』
『熊野』
幸若舞 [編集]
『敦盛』
浄瑠璃・歌舞伎 [編集]
『義経千本桜』
『一谷嫩軍記』
『平家女護島』(俊寛)
近代以降の関連作品 [編集]
小説
『耳なし芳一』 小泉八雲(「怪談」所収)
『新・平家物語』 吉川英治
『宮尾本 平家物語』 宮尾登美子
『双調平家物語』 橋本治
『平家物語』 光瀬龍
『平家物語』 森村誠一
『吉村昭の平家物語』 吉村昭
『英語で読む平家物語』 ベンジャミン・ウッドワード
戯曲
『子午線の祀り』 木下順二
『平家物語』  キノトール
TVドラマ
『新・平家物語』(1972年NHK大河ドラマ 原作 :吉川英治『新・平家物語』)
『人形歴史スペクタクル 平家物語』(1993年 - 1995年NHK人形劇 原作:吉川英治『新・平家物語』)
『義経』(2005年NHK大河ドラマ 原作:宮尾登美子『宮尾本平家物語』ほか)
『平清盛』(2012年NHK大河ドラマ)
映画
『新・平家物語』(1955年大映)原作:吉川英治 監督:溝口健二 主演:市川雷蔵 久我美子 木暮実千代
『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』(1956年大映)原作:吉川英治 監督:衣笠貞之助 主演:長谷川一夫 京マチ子 山本富士子 高峰秀子 大河内傳次郎
『新・平家物語 静と義経』(1956年大映)原作:吉川英治 監督:島耕二 主演:淡島千景 菅原謙二 香川京子
漫画
『平家物語』(全3巻、マンガ日本の古典:中央公論新社、横山光輝)
『平家物語シリーズ』(全4巻、あすかコミックス:角川書店、佐久間智代)
絵本
『かえるの平家ものがたり』(文:日野十成、絵:斉藤隆夫) - 平家はカエル、源氏はネコとして表現されている)
テレビゲーム
源平討魔伝(1986年、ナムコ)
源平合戦 (1994年、光栄)
遙かなる時空の中で3(2004~2006年、光栄)
義経英雄伝修羅 (2005年、フロム・ソフトウェア)
DVD
原典『平家物語』(2007年~、ハゴロモ)
歌謡曲
組曲アルバム「平家物語」 (三波春夫)
パチンコ
CR平家物語(豊丸産業) - リーチ時に冒頭部分が背景として登場する、予告に琵琶法師が登場するなど。
その他 [編集]
全国平家会
参考文献 [編集]

『平家物語大事典』 東京書籍、2010年11月
[平家物語] あおば書籍
外部リンク [編集]

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平家物語協会
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平家物語全文現代語訳
朗読平家物語
原典「平家物語」を聴く会
明星大学所蔵『平家物語』絵本
平家物語:長門本(google books) -著作権切れの為全文閲覧可
カテゴリ: 軍記物語仏教文学13世紀の書籍琵琶平家平安時代を舞台とした作品治承・寿永の乱を題材とした作品
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大河ドラマ

2012-12-15 14:28:14 | 用語集
大河ドラマ

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ドラマ
関連項目[表示]
大河ドラマ(たいがドラマ)は、1963年からNHKが毎年違うテーマで制作・放映しているテレビドラマシリーズ。NHK大河ドラマとも呼ばれる。2012年現在で制作・放送されている最新作は字幕放送(NHKの日本国内向けの放送のみ)と、連動データ放送(デジタル総合・BSプレミアムのみ)付きである。
1984年から1986年にかけて放送されたNHK新大型時代劇についてもこの項で述べる。
目次 [非表示]
1 概要
2 名称の由来と変遷
3 歴代大河ドラマ
4 放送時間
4.1 ダイジェスト版
4.2 放送時間の推移
5 今後の大河ドラマ
6 NHK新大型時代劇
6.1 作品
7 備考
7.1 製作費について
7.2 観光への影響
7.3 作品の現存状況
8 関連項目
9 脚注
10 外部リンク
概要 [編集]

主に日本史上の人物や事件などをテーマに、基本的に毎年1月から12月の1年間を通して放映される。なお、実在しない人物が登場することも多く、作品によっては主人公も架空の人物の場合もある。また、昔の人物や事件が多く、時代劇と取られがちだが、厳密には時代劇ではないことにも注意する必要がある。年末には総集編(ダイジェスト版。全部で3、4時間程度)も製作される。作品によっては翌年に放送されたケースもある。以前は総集編が放送された後で全話を再放送することは殆どなかったが、スカパー!の専門チャンネルにおいて全話が放送されたり、NHK BSプレミアムで再放送されたりするケースも多くなってきている。2006年1月には大河ドラマとしては初めて続編が製作、放送された。これは2004年制作の第43作『新選組!』のその後を描いた作品で、大河ドラマでは局長・近藤勇が主役だったが、続編『新選組!! 土方歳三 最期の一日』では副長・土方歳三にバトンタッチし、彼の最期の一日を描いた。
出演者は、通常のドラマでは主役級の男優・女優が共演することが多く、これに名脇役と呼ばれる俳優や舞台俳優・歌手・アイドル・お笑い芸人など多彩なキャストも加わるため、普段は見られない顔合わせがよく見られる。番組初期は五社協定により映画会社所属の俳優はテレビ出演が制限されていたため、新劇の俳優や歌舞伎俳優が多く起用された。第3作『太閤記』では緒形拳、高橋幸治、石坂浩二ら無名の新人俳優が抜擢され、一躍人気スターとなった。五社協定消滅後も、第21作『徳川家康』で織田信長役を演じた役所広司や、第25作『独眼竜政宗』で主演した渡辺謙は番組がきっかけで一躍有名になり、2000年代に入ってからは『北条時宗』に出演した北村一輝や宮迫博之、『新選組!』に出演した山本耕史や堺雅人などが、大河ドラマに出演したことをきっかけとして活躍の場を広げることになった。
第6作『竜馬がゆく』までがモノクロ作品、翌年の第7作『天と地と』からカラー作品となる。第29作『太平記』からステレオ製作。第39作『葵徳川三代』からハイビジョン作品、第49作『龍馬伝』からプログレッシブカメラを使ったフィルム風エフェクトによる収録方式となっている。
通常は年間1作だが、1993年から1994年にかけては第31作『琉球の風』が6ヶ月、第32作『炎立つ』と第33作『花の乱』がともに9ヶ月と短縮型作品が続き、この2年間は年2作品となった。
また、第30作『信長 KING OF ZIPANGU』から第33作『花の乱』までの3年間4作品はNHKの子会社であるNHKエンタープライズに制作が委託されていたが、第34作『八代将軍吉宗』でNHK本社の制作、1年通しての放送に戻された。当初は連続テレビ小説のやり方にほぼ準じて、1年を年度上半期と下半期の半年完結で展開する方針が計画されており、その準備段階として『琉球の風』を1993年1-6月の半年間、『炎立つ』は1993年7月-1994年3月という変則体制にし、それ以後は4月・10月にそれぞれスタートする半年間のシリーズとする計画で『花の乱』もこれに則って1994年4月開始としたが、この計画が不評だったためか、『花の乱』も1994年12月までの放送という形にし、『八代将軍吉宗』以後は元の1月開始・12月終了の1年1シリーズに戻されている。
2009年から2011年にかけて、当初「21世紀スペシャル大河」として企画されていたスペシャルドラマ『坂の上の雲』が1話90分・全13話で放送された。そのため、第48作『天地人』から第50作『江~姫たちの戦国~』までの3作品は11月で放映が終了している。
NHK出版からの「大河ドラマ・ストーリー」や関連書籍も出版され、ビデオ・DVDなどで映像ソフト化もされている。ただし1970年代中期までの作品は全話を見ることがほとんど不可能で、映像が現存しても総集編かクライマックスの回、あるいは最終回程度しか現存していない場合が多い。当時はVTRの録画が2インチ規格でテープの単価が高く操作・編集も煩雑だったことに加え、著作権に関わる問題も多く、番組の資料保管やソフトの販売は安易に行えなかった。全話ソフト化された作品のうち最も古いものは1976年制作の『風と雲と虹と』である。
全般的に前半はロケシーンが多く、中盤にクライマックスがあり、後半は登場人物も徐々に減少し(序盤から登場していた人物が死ぬため)、スタジオ撮影のシーンが多くなるのが特徴である。合戦シーンなどではコンピュータグラフィックス(CG)を用いることも多いが、出演者のスケジュールの都合により使用せざるを得ない場合もある。また「大坂城」や「屋敷門の炎上」、「関ヶ原の戦い」など、過去の作品で使用した場面が何度も使われるケースもよくある。題材となる人物やテーマに所縁のある地方とタイアップする事も多い。
初期作品から井伊直弼、原田甲斐、平清盛、平将門、柳沢吉保、北条政子、足利尊氏、徳川家康、日野富子等々、一般的には歴史上ネガティブなイメージを持たれた人物を主人公に据え、新解釈によってその人物の人間的側面を掘り下げて魅力的に描く手法(そういった原作を採用する事)が度々採られてきた。一方、主人公をヒーロー/ヒロインまたは現代的感覚を持った人物として描こうとするため、その人物の暗い側面に関しての描写が曖昧であったり、歴史学上の定説と離れた演出がなされることも多い。このことに関し、NHK側は「大河ドラマはドキュメンタリーではなくあくまでドラマであり、演出も必要である」と述べている。
名称の由来と変遷 [編集]

現在第一作とされている『花の生涯』放映開始時には、「大型時代劇」という名称で呼ばれていたが、同枠のドラマが本数を重ね、さらに次第に歴史ドラマとして注目されるようになると「大型歴史ドラマ」の名称が用いられるようになった[1]。シリーズ15周年を記念して発売された2枚組LPレコード『NHK大型歴史ドラマの15年 花の生涯から花神まで』(ポリドール)のタイトルにもそれが現れている。一方、第二作の『赤穂浪士』放映時には読売新聞が『花の生涯』と『赤穂浪士』を「大河小説」になぞらえて「大河ドラマ」と表現し、その後一般でも「大河ドラマ」の名称で呼称されるようになった。1977年(昭和52年)3月、NHKでシリーズ15周年記念番組『大河ドラマの15年』を放送。これがNHKが公式に「大河ドラマ」の名称を用いた最初である。その後、1978年の『黄金の日日』の頃には「大河ドラマ」の名称が定着し、レコードや書籍にも「大河ドラマ」の名が使われるようになり、やがて本放送時にも「大河ドラマ」とシリーズ名が明示されるようになった。なお 「大河ドラマ」という表記自体が大河ドラマでテロップもしくはそれに準ずる形で初めて登場したのは『北条時宗』の副音声解説である。テロップでは『利家とまつ~加賀百万石物語~』の冒頭、オープニングタイトルでは『龍馬伝』からである。
歴代大河ドラマ [編集]

詳細は「歴代大河ドラマの一覧」を参照
放送期間: ※=9か月間、☆=1-6月、★=1-11月(他は1-12月)。
主人公: 太字=女性。*=架空の人物。
タイトル 年 原作 脚本 時代 主人公 主演
1 花の生涯 1963※ 舟橋聖一 北条誠 幕末 井伊直弼 尾上松緑
2 赤穂浪士 1964 大佛次郎 村上元三 江戸元禄 大石内蔵助 長谷川一夫
3 太閤記 1965 吉川英治 茂木草介 戦国 豊臣秀吉 緒形拳
4 源義経 1966 村上元三 村上元三 平安 源義経 尾上菊之助
5 三姉妹 1967 大佛次郎 鈴木尚之 幕末 永井家 三姉妹
(むら るい 雪)* 岡田茉莉子
藤村志保
栗原小巻
6 竜馬がゆく 1968 司馬遼太郎 水木洋子 幕末 坂本龍馬 北大路欣也
7 天と地と 1969 海音寺
潮五郎 中井多喜夫
須藤出穂
杉山義法 戦国 上杉謙信 石坂浩二
8 樅ノ木は残った 1970 山本周五郎 茂木草介 江戸前期 原田甲斐 平幹二朗
9 春の坂道 1971 山岡荘八 杉山義法 江戸初期 柳生宗矩 中村錦之助
10 新・平家物語 1972 吉川英治 平岩弓枝 平安 平清盛 仲代達矢
11 国盗り物語 1973 司馬遼太郎 大野靖子 戦国 斎藤道三
織田信長 平幹二朗
高橋英樹
12 勝海舟 1974 子母澤寛 倉本聡
中沢昭二 幕末 勝海舟 渡哲也
→松方弘樹
13 元禄太平記 1975 南條範夫 小野田勇
小幡欣治
土橋成男 江戸元禄 柳沢吉保 石坂浩二
14 風と雲と虹と 1976 海音寺
潮五郎 福田善之 平安 平将門 加藤剛
15 花神 1977 司馬遼太郎 大野靖子 幕末 大村益次郎 中村梅之助
16 黄金の日日 1978 城山三郎 市川森一
長坂秀佳 戦国 呂宋助左衛門 市川染五郎
17 草燃える 1979 永井路子 中島丈博 平安 - 鎌倉 源頼朝
北条政子 石坂浩二
岩下志麻
18 獅子の時代 1980 なし 山田太一 幕末 - 明治 平沼銑次*
苅谷嘉顕* 菅原文太
加藤剛
19 おんな太閤記 1981 なし 橋田壽賀子 戦国 - 江戸 ねね 佐久間良子
20 峠の群像 1982 堺屋太一 冨川元文 江戸元禄 大石内蔵助 緒形拳
21 徳川家康 1983 山岡荘八 小山内美江子 戦国 - 江戸 徳川家康 滝田栄
22 山河燃ゆ 1984 山崎豊子 市川森一 昭和 天羽賢治*
天羽忠* 松本幸四郎
西田敏行
23 春の波涛 1985 杉本苑子 中島丈博 明治 - 大正 川上貞奴 松坂慶子
24 いのち 1986 なし 橋田壽賀子 昭和 岩田(高原)未希* 三田佳子
25 独眼竜政宗 1987 山岡荘八 ジェームス三木 戦国 - 江戸 伊達政宗 渡辺謙
26 武田信玄 1988 新田次郎 田向正健 戦国 武田信玄 中井貴一
27 春日局 1989 橋田壽賀子 橋田壽賀子 戦国 - 江戸 春日局(おふく) 大原麗子
28 翔ぶが如く 1990 司馬遼太郎 小山内美江子 幕末 - 明治 西郷隆盛
大久保利通 西田敏行
鹿賀丈史
29 太平記 1991 吉川英治 池端俊策
仲倉重郎 鎌倉 - 室町 足利尊氏 真田広之
30 信長
KING OF ZIPANGU 1992 田向正健 田向正健 戦国 織田信長 緒形直人
31 琉球の風 1993☆ 陳舜臣 山田信夫 戦国 - 江戸 楊啓泰* 東山紀之
32 炎立つ 1993-
1994※ 高橋克彦 中島丈博 平安 藤原経清
藤原清衡
藤原泰衡 渡辺謙
村上弘明
33 花の乱 1994※ なし 市川森一 室町 - 戦国 日野富子 三田佳子
34 八代将軍吉宗 1995 なし ジェームス三木 江戸享保 徳川吉宗 西田敏行
35 秀吉 1996 堺屋太一 竹山洋 戦国 豊臣秀吉 竹中直人
36 毛利元就 1997 永井路子 内舘牧子 戦国 毛利元就 中村橋之助
37 徳川慶喜 1998 司馬遼太郎 田向正健 幕末 徳川慶喜 本木雅弘
38 元禄繚乱 1999 舟橋聖一 中島丈博 江戸元禄 大石内蔵助 中村勘九郎
39 葵徳川三代 2000 なし ジェームス三木 江戸初期 徳川家康
徳川秀忠
徳川家光 津川雅彦
西田敏行
尾上辰之助
40 北条時宗 2001 高橋克彦 井上由美子 鎌倉 北条時宗 和泉元彌
41 利家とまつ
~加賀百万石物語~‎ 2002 竹山洋 竹山洋 戦国 前田利家
まつ 唐沢寿明
松嶋菜々子
42 武蔵 MUSASHI 2003 吉川英治 鎌田敏夫 戦国 - 江戸 宮本武蔵 市川新之助
43 新選組! 2004 なし 三谷幸喜 幕末 近藤勇 香取慎吾
44 義経 2005 宮尾登美子 金子成人 平安 源義経 滝沢秀明
45 功名が辻 2006 司馬遼太郎 大石静 戦国 千代
山内一豊 仲間由紀恵
上川隆也
46 風林火山 2007 井上靖 大森寿美男 戦国 山本勘助 内野聖陽
47 篤姫 2008 宮尾登美子 田渕久美子 幕末 天璋院(篤姫) 宮あおい
48 天地人 2009★ 火坂雅志 小松江里子 戦国 直江兼続 妻夫木聡
49 龍馬伝 2010★ なし 福田靖 幕末 坂本龍馬 福山雅治
50 江 ~姫たちの戦国~ 2011★ 田渕久美子 田渕久美子 戦国 - 江戸 江 上野樹里
51 平清盛 2012
放送中 なし 藤本有紀 平安 平清盛 松山ケンイチ
52 八重の桜 2013
予定 なし 山本むつみ 幕末 - 新島八重 綾瀬はるか
53 軍師官兵衛 2014
予定 なし 前川洋一 戦国 - 黒田官兵衛 岡田准一
放送時間 [編集]

以下は放送時間が45分の場合、すなわち第1回、最終回など放送時間が拡大される場合は除く。
総合テレビ・デジタル総合テレビ - 本放送 日・20:00-20:45(衆院選・参院選・統一地方選前半投開票日などの際には19時台に繰り上げとなる(ただし過去には時間帯の繰り上げをせずに休止した例もある)。他にも重大事件・災害・特番などのために放送時間が繰り下げになった例が過去に数度ある。
再放送 土・13:05-13:50
BSプレミアム - 日・18:00-18:45(先行放送)
NHKワールド・プレミアム - 日・20:00-20:45(オリンピック開催期間中はニュース番組の時差放送による特別編成の関係上、19:15-20:00に放送時間を繰り上げる。よって、オリンピック開催期間中は総合テレビより早く放送されることとなる。選挙開票速報がある場合も同様。2010年6月20日は20:00からNHKニュース7の時差放送を行う関係で20:15-21:00に変更[2])
再放送 月・3:10-3:55(メンテナンスによる放送・配信休止の場合は5:10-5:55に変更。2010年3月22日は放送・配信休止に加え、5時台に大相撲中継の1時間ダイジェスト版が組まれる関係上、6:15-7:00に変更)、土・13:05-13:50
テレビジャパン(アメリカ・カナダ・プエルトリコ。衛星放送またはケーブルテレビ)
本放送 東海岸:日・20:05-20:53 西海岸:日・17:05-17:53 ハワイ:日・15:05-15:53(米本土の夏時間期間は14:05-) 番組前後にCM有
再放送 東海岸:月・1:15-2:00 西海岸:日・22:15-23:00 ハワイ:日・20:15-21:00(米本土の夏時間期間は19:15-)
再々放送(英語字幕付。約3ヶ月遅れ) 
標準時期間 東海岸:土・18:18-20:03 西海岸:土・15:18-16:03 ハワイ:土・13:18-14:03
夏時間期間 東海岸:土・17:15-18:00 西海岸:土・14:15-15:00 ハワイ:土・11:15-12:00
KIKU-TV(ハワイ。地上波で英語字幕付。なおCMが有る。長年約3ヶ月遅れ放送だったが、『篤姫』からは約50日(およそ7週間と少し)、『天地人』からは37日遅れ(2009年2月10日初回放送)に短縮)
本放送 火・20:00-21:00
再放送 日(本放送5日後)・19:00-20:00
なお、2004年と2005年の大河ドラマ『新選組!』および『義経』はデジタル総合テレビにて13:00-13:45(2005年4月からは13:05-13:50)に限定先行放送を始めたが、2006年(『功名が辻』)から再びその放送はなくなった。
ダイジェスト版 [編集]
2009年度よりNHK教育テレビジョンの「ワンセグ2」で月曜日に5分間の「(作品名)ダイジェスト」を放送したが、これを2011年4月(江~姫たちの戦国の途中)から、日曜深夜<月曜未明>24:05-24:10に、NHK総合テレビジョンでも放送される(解説放送はなし)。近畿地方では水曜16:50-16:55にも放送されている。NHKワールド・プレミアムでは金曜20:55-21:00に放送されている。
放送時間の推移 [編集]
総合テレビ
-1964年3月 日曜・20:45-21:30
1964年4月-12月 日曜・21:30-22:15(『歌のグランド・ショー』放送開始のため繰り下げ)
1965年1月-1968年12月 日曜・20:15-21:00
1969年1月- 日曜・20:00-20:45(『歌の祭典』放送短縮のため繰り上げ)
日曜20時台が大河ドラマ枠となったのは1964年の『若い季節』終了後の1965年開始の『太閤記』からである。
今後の大河ドラマ [編集]


この節には放送開始前の番組に関する記述があるため、創作物を基にした逐次的な編集をしないようにしてください。(2012年10月)
八重の桜 - 2013年の作品。同志社大学を創設した新島襄の妻で、福島県出身の新島八重が主人公。主演は綾瀬はるか[3]。
軍師官兵衛 - 2014年の作品。豊臣秀吉に軍師として仕え、筑前福岡藩52万石を治める家の礎となった黒田官兵衛が主人公。制作発表では、V6の岡田准一が官兵衛役を務めることも併せて明らかにされている。[4]
NHK新大型時代劇 [編集]

1984年から1986年にかけてのいわゆる「近現代三部作」(『山河燃ゆ』、『春の波涛』、『いのち』)が放送されていた時期に、従来の時代劇路線の大河ドラマのファンのためにそれまで軽い内容で娯楽系の『水曜時代劇』(現在娯楽系時代劇はBSプレミアムのBS時代劇に移行)が放送されていた水曜日の20時台に新たに設けられた。放送曜日と予算は大河ドラマと異なるが出演者に大河ドラマ出演者が多く、1年間の放送であったことから大河ドラマに準じる連続大型時代劇として扱われることも多い。
1986年の『武蔵坊弁慶』は翌1987年1月から大河ドラマが『独眼竜政宗』で時代劇路線に戻ることもあり、約9ヶ月間の放送で終了した。
作品 [編集]
宮本武蔵(1984年4月4日 - 1985年3月13日、全45話)
原作 / 吉川英治、脚本 / 杉山義法、音楽 / 三枝成章
出演 / 役所広司(宮本武蔵)、古手川祐子(お通)、中康次(佐々木小次郎)、丹波哲郎(平田無二斎)
吉川英治原作の小説『宮本武蔵』の完全ドラマ化を目指した作品。宮本武蔵が剣の道に生き、剣豪として巌流島で佐々木小次郎と対戦するまでを描いた。
真田太平記(1985年4月3日 - 1986年3月19日、全45話)
原作 / 池波正太郎、脚本 / 金子成人、音楽 / 林光
出演 / 渡瀬恒彦(真田信之)、草刈正雄(真田幸村)、丹波哲郎(真田昌幸)
武蔵坊弁慶(1986年4月9日 - 1986年12月3日、全34話)
原作 / 富田常雄、脚本 / 杉山義法ほか、音楽 / 芥川也寸志(オープニングテーマ)、毛利蔵人(本編)
出演 / 中村吉右衛門(武蔵坊弁慶)、川野太郎(源義経)、荻野目慶子(玉虫)、菅原文太(源頼朝)、萬屋錦之介(藤原秀衡)
備考 [編集]

日本国内のNHKでの放送では、デジタルで放送されるデジタルBSプレミアムとデジタル総合テレビでは副音声で視覚障害者向けの解説放送がある。また、デジタル総合テレビとデジタルBSプレミアムは連動データ放送がある。この解説放送はステレオ2音声放送で、アナログ総合テレビとアナログBSプレミアムならびに海外向けテレビ番組配信のNHKワールド・プレミアムでは行われていない(通常のステレオ放送のみ)。これらはBSデジタルの放送開始翌年の『北条時宗』より行われた。
海外向けでは、日本人が多く住む地域でNHKワールド以外の放送局で放送されている(字幕付き)。近年ではCS専門チャンネル(ファミリー劇場、時代劇専門チャンネル、衛星劇場等)で放送されている。ただし、『太平記』以降定番となった大河ドラマ本編の放送終了後に放送されるドラマの舞台となった場所や登場人物ゆかりの地を紹介する「紀行」番組はCS放送で見ることはできない。
2001年から2005年まではアナログ放送とデジタル放送では番組内容は同じでもそれぞれ編集映像比率内容が異なっていた。アナログ放送用(NHKワールド・プレミアムも含む)では本編は4:3で放送されるが番組最後の紀行の部分のみレターボックスで放送されていた。2006年からアナログ・デジタル同時送出のため、アナログ放送(NHKワールド・プレミアムも含む)ではレターボックス14:9(上下黒帯幅がやや小さく、4:3画面でも違和感がないもの)で放送されるようになった(他の番組では16:9レターボックス放送は行われるようになった中、本番組では2010年7月11日以降も最終回・総集編まで14:9サイズでの放送が続いていた)。これにあわせて同年の『功名が辻』と翌年の『風林火山』の中ではスタッフ・キャストのテロップを横書き表示に変更した。2008年以降作品については同年の『篤姫』、2011年の『江~姫たちの戦国~』、2012年の『平清盛』は縦書き、2009年の『天地人』、2010年の『龍馬伝』では横書きでクレジットされた(もっとも、画面サイズとは関わり無く、『山河燃ゆ』『春の波涛・総集編』等、過去の作品でも横書きクレジットタイトル表示だった作品は少数ながら存在する)。2011年に入ってからレターボックス16:9に移行した。
スタジオでの全収録が終了するクランクアップの時には出演者・スタッフの労をねぎらってスタジオにくす玉が吊るされ、主演者がそれを割ったり出演者のスピーチも行われ、来年の大河の主役の俳優からその年の主役の俳優に花束を渡し引継ぎを行う等、その模様はスポーツ新聞やNHK広報番組、NHKオンラインのこれ見て!ムービーで取り上げられることが多い。
視聴率アップを狙い、『その時歴史が動いた』、『歴史秘話ヒストリア』においてその年と来年の大河ドラマの時代、主役を取りあげ、興味を引こうとしていた。
ちなみに、その年の大河ドラマの出演者は大相撲力士と共に毎年2月3日の節分に成田山新勝寺で豆まきの来賓ゲストとして出席するのが恒例である。また、主要出演者(主演者に限らず)が中央競馬のNHKマイルカップのゲスト出演や表彰プレゼンテーターをする場合がある。
製作費について [編集]
2005年以降、NHKの不祥事がクローズアップされたため透明性を明かすために『功名が辻』以降、毎年の決算概要に1話分の平均製作費について公表している。なお、『功名が辻』が6,110万円、『風林火山』が6,080万円、『篤姫』が5,910万円である。ほとんどの支出がセットなどの美術費であるとのことである[5]。『義経』は6,440円。
観光への影響 [編集]


京阪電気鉄道8000系。義経放送時のラッピング電車(写真は義経。この他に弁慶や静もあった)。
毎年秋に各地で開催される「大菊人形展」はこの大河ドラマをテーマにするケースが多い。また、その年に放送されている主人公にゆかりのある地方自治体がNHKとのタイアップで展示会やフェスティバルを開いている。長年京阪電気鉄道がひらかたパークにて開催されるひらかた大菊人形は特に有名であったが、技術者の高齢化や後継者の不足などを理由に2005年の『義経』をもって終了している。しかし、市民からの復活の要望、またひらかたパークの所有者・京阪電鉄が創業100年を迎えたのを記念して2010年の1年限定で龍馬伝を題材とした菊人形展を開催することが決まった。
“大河ドラマのまち”と銘打って自治体や地元経済団体等が地域活性化を図るケースは多く、例えば2002年の『利家とまつ』が高視聴率を博したことで石川県の観光振興に大きく貢献している。また滋賀・京都・大阪がドラマの舞台になると京阪電気鉄道が8000系(0番台)や9000系などを使用してラッピング電車などを走らせるなどして積極的にPRしている。
青森県八戸市で8月に行なわれている八戸三社大祭には、2005年から大河ドラマの出演者が中日の合同運行に参加している。
作品の現存状況 [編集]
1980年頃までマスターテープとして使用されていた放送局用ビデオテープ(2インチVTR、テープ幅5センチ)は非常に高価で大型であり、収録された映像は放送終了後に消去されて他の番組に使い回されていたため、『元禄太平記』(1975年)以前の作品及び『花神』(1977年)は運良く残った一部の放送回と総集編を除きほとんど現存しない。同様の理由ですでに存在していないと思われていた『風と雲と虹と』(1976年)については全映像の現存が確認され、のちに完全版DVDが発売された。当時はNHKに限らず民放でも保存のコストと著作権の問題からテレビ番組の保存があまり行われていなかった。なお、民放で放送されたフィルム撮影のアニメ、特撮や一部のドラマは割合現存している。これは、テレビ局自身が制作した物ではなく、外部の制作会社に発注された作品であるためである。一定の期間が過ぎると制作を発注したテレビ局との放送権が切れ、放送権料さえ支払ってもらえばどこのテレビ局でも作品の放送することができるようになり、再放送帯などに積極的に利用されている。権料が制作会社の収入になるからである。
現代の感覚では多額の制作費をかけた映像作品を消去することは重大な資産の損失であると考えられるが、当時の感覚は逆で非常に高価で保管にも費用のかかるビデオテープを再利用しない方が損失であると考えられていた。当時のNHKでは本放送終了後にテレビドラマの再放送がほとんど行われず、特に50話近い長編の大河ドラマの再放送は想定されておらずビデオの販売などは思慮の外だったので、16作品は欠品状態となっている。それでも重要な放送回や総集編は映像資料用として保存していたようだが、『春の坂道』(1971年)は総集編を含めてNHKに全く映像が残されておらず「幻の大河ドラマ」と呼ばれていた(後に最終回のみモノクロの家庭用VTRで録画された映像が発見されてNHKアーカイブスに収蔵されている)。現存している作品の幾つかはDVDで販売され、またNHKアーカイブスで視聴することも可能である。『国盗り物語』(1973年)は本篇の映像は残されていない。同様に総集編のみ映像が残っているとされていた『樅ノ木は残った』(1970年)は近年、通常放送回の大半の回を録画したビデオテープ(白黒映像)が見つかっている。また、『元禄太平記』(1975年)についても江守徹が、「うちには全話録画してある」とコメントしている。
当初は高価だった放送局用ビデオテープのコストも家庭用ビデオデッキが登場したため、当初より遙かに下がったために1980年代以後は番組の保存をするように方針が変わり、『黄金の日日』は全話現存している。NHKでは保存していなかった作品を制作関係者や一般視聴者がビデオ(当時は大変に高価だった)で録画保存していたものが発見されて寄贈されることもあり、通常放送回のマスターテープが全て失われていた『草燃える』は寄贈されたビデオテープによって全放送回の映像が揃えられた。ただし一部の回の映像に欠損している箇所があるので、今のところ完全な形では揃っていない。詳細については草燃える#映像の保存状況などを参照。
『獅子の時代』(1980年)以降の歴代作品は、通常放送回・総集編ともすべての映像をNHKが保存している。
現在、現存している初期作品のデジタルリマスター化がアメリカで行われている。

関連項目 [編集]

奈良岡朋子 - 出演回数も多く、第1作と第50作にも出演するという節目に登場する出演者となった。
脚注 [編集]

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^ “NHK雑学”. 2012年10月16日閲覧。
^ 2012年のロンドンオリンピック期間中は7月28日は総合テレビと同じ通常時刻で(ただし総合テレビは21:00(その後柔道の中継延長で22:02に変更)開始のため国際放送単独放送)、8月5日は20:20-21:05に放送される。8月12日は国内向け・国際放送向けとも大河ドラマの番組自体が休止。
^ NHK公式サイト
^ “2014年の大河ドラマは「軍師官兵衛」。岡田准一が官兵衛に!”. NHKドラマトピックスブログ. NHK (2012年10月10日). 2012年10月10日閲覧。
^ NHKが制作費公表 「功名が辻」6,110万・「きょうの料理」170万… 読売新聞
外部リンク [編集]

NHK - 大河ドラマホームページ
大河ドラマ50作目を記念した大河ドラマ50キャンペーンのサイト。
NHK - 大河ドラマ一覧
NHKアーカイブスカタログ - テレビ番組放送記録+番組小史 1953~2008
株式会社ビデオリサーチ 視聴率 ドラマ NHK大河ドラマ
NHK総合 日曜20:45 - 21:00枠
前番組 番組名 次番組
私だけが知っている
※20:45 - 21:30
大河ドラマ
(1963年4月 - 1964年3月)
若い季節
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【15分繰り下げ】
若い季節
※20:15 - 21:00
大河ドラマ
(1965年1月 - 1968年12月)
報道特集
または
にっぽん探訪
※20:45 - 21:30
NHK総合 日曜21:00 - 21:30枠
私だけが知っている
※20:45 - 21:30
大河ドラマ
(1963年4月 - 1964年3月)
NHKニュース
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ニュースの焦点
※21:15 - 21:30
【30分繰り上げ】
NHK総合 日曜21:30 - 22:15枠
NHKニュース
※21:30 - 21:45
【30分繰り上げ】
ニュースの焦点
※21:45 - 22:00
【30分繰り上げ】
日本の素顔
※22:00 - 22:30
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(1964年4月 - 12月)
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壇ノ浦の戦い

2012-12-15 14:26:15 | 用語集
壇ノ浦の戦い
壇ノ浦の戦い

『安徳天皇縁起絵図』赤間神宮所蔵
戦争:治承・寿永の乱
年月日:元暦2年/寿永4年(1185年)3月24日
場所:長門国 赤間関壇ノ浦 (現下関市)
結果:源氏軍の勝利、平家滅亡
交戦勢力
源氏 平氏
指揮官
源範頼(陸)
源義経(海) 平宗盛
平知盛
戦力
船数:830艘 (3000艘とも言われている) 船数:500艘 (1000艘とも言われている)
損害
不明 壊滅
治承・寿永の乱
以仁王の挙兵 - 石橋山 - 波志田山 - 衣笠城 - 鎮西反乱 - 熊野動乱 - 市原 - 結城浜 - 鉢田 - 富士川 - 金砂城 - 美濃源氏挙兵 - 近江攻防 - 伊予蜂起 - 南都焼討 - 墨俣川 - 横田河原 - 北陸出兵 - 野木宮 - 火打城 - 般若野 - 倶利伽羅峠 - 志保山 - 篠原 - 水島 - 福隆寺縄手 - 室山 - 法住寺 - 宇治川 - 粟津 - 下津井 - 沼田城 - 三草山 - 一ノ谷 - 三日平氏 - 藤戸 - 葦屋浦 - 屋島 - 志度 - 壇ノ浦
表示
壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は、平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。
目次 [非表示]
1 背景
2 合戦の経過
2.1 開戦
2.2 平氏優勢
2.3 源氏の反攻と平氏滅亡
3 戦後
4 両軍の構成
5 潮流説
6 天叢雲剣水没説
7 近年の研究
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 壇ノ浦の戦いを扱った作品
背景 [編集]

寿永2年(1183年)7月、源義仲に攻められた平氏は安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ちるが、その後の鎌倉政権の源頼朝と義仲との対立に乗じて摂津国福原まで復帰した。しかし、寿永3年/治承8年(1184年)2月の一ノ谷の戦いで大敗を喫して、海に逃れ讃岐国屋島と長門国彦島(山口県下関市)に拠点を置いた。
鎌倉政権は頼朝の弟範頼に3万騎を率いさせて山陽道を進軍して九州に渡り平氏軍の背後を遮断する作戦を実行する。だが、範頼軍は兵糧の不足と優勢な水軍を有する平氏軍の抵抗によって進軍が進まなくなった。この状況を見た義経は後白河法皇に平氏追討を願い許可を得ると都の公家達の反対を押し切って屋島へ出撃した[1]。元暦2年/寿永4年 (1185年)2月、義経は奇襲によって屋島を攻略(屋島の戦い)。平氏総大将の平宗盛は安徳天皇を奉じて海上へ逃れて志度に立て籠もったが、そこも義経軍に追われ、瀬戸内海を転々としたのち彦島に拠った。
一方、範頼軍は兵糧と兵船の調達に成功して九州に渡り、同地の平氏方を葦屋浦の戦いで破り、平氏軍の背後の遮断に成功。平氏軍は彦島に孤立してしまった。
合戦の経過 [編集]



壇ノ浦古戦場址の碑
鎌倉幕府編纂の歴史書である『吾妻鏡』には壇ノ浦の戦いについては元暦二年三月二十四日の条で「長門国赤間関壇ノ浦の海上で三町を隔て船を向かわせて源平が相戦う。平家は五百艘を三手に分け山鹿秀遠および松浦党らを将軍となして源氏に戦いを挑んだ。午の刻に及んで平氏は敗北に傾き終わった。」とのみ簡潔に書かれており、合戦の具体的な経過は分からない。そのため信憑性には難があるものの『平家物語』『源平盛衰記』などの軍記物語を基に巷間で信じられている合戦の経過を述べることになる。
また、以下の経過は大正時代に黒板勝美東京帝国大学教授が提唱して以来、広く信じられている潮流説に基づいている。
開戦 [編集]
彦島の平氏水軍を撃滅すべく、義経は摂津国の渡辺水軍、伊予国の河野水軍、紀伊国の熊野水軍などを味方につけて840艘(『吾妻鏡』)の水軍を編成する。
『平家物語』によれば、合戦前の軍議で軍監の梶原景時は合戦の先陣になることを望むが、義経は自らが先陣に立つとはねつけた。景時は「大将が先陣なぞ聞いた事がない。将の器ではない」と義経を愚弄して斬りあい寸前の対立となり、これが後の景時の頼朝への讒言となり、義経の没落につながるとされる。
平氏軍は500艘(『吾妻鏡』)で、松浦党100余艘、山鹿秀遠300余艘、平氏一門100余艘(『平家物語』)の編成であった。宗盛の弟の知盛が大将として指揮を取ることになった。『平家物語』によれば知盛は通常は安徳天皇や平氏本営が置かれる大型の唐船に兵を潜ませて鎌倉方の兵船を引き寄せたところを包囲する作戦を立てていた。


壇ノ浦の戦い戦況推移図拡大
3月24日、攻め寄せる義経軍水軍に対して、知盛率いる平氏軍が彦島を出撃して、午の刻(12時ごろ)(『玉葉』による、『吾妻鏡』では午前)に関門海峡壇ノ浦で両軍は衝突して合戦が始まった。
範頼軍は3万余騎(『源平盛衰記』)をもって陸地に布陣して平氏の退路を塞ぎ、岸から遠矢を射かけて義経軍を支援した。『平家物語』によれば和田義盛は馬に乗り渚から沖に向けて遠矢を二町三町も射かけたという。
平氏優勢 [編集]
関門海峡は潮の流れの変化が激しく、水軍の運用に長けた平氏軍はこれを熟知しており、早い潮の流れに乗ってさんざんに矢を射かけて、海戦に慣れない坂東武者の義経軍を押した。義経軍は満珠島・干珠島のあたりにまで追いやられ、勢いに乗った平氏軍は義経を討ち取ろうと攻めかかる。
ここで不利を悟った義経が敵船の水手・梶取(漕ぎ手)を射るよう命じ、この時代の海戦では非戦闘員の水手・梶取を射ることは戦の作法に反する行為だったが、義経はあえてその掟破りを行って戦況が変化したとする話がドラマや小説等によく見られる。しかし『平家物語』では義経が水手・梶取を射るよう命じる場面はなく、もはや大勢が決した「先帝身投」の段階で源氏の兵が平氏の船に乗り移り、水手や船頭を射殺し、斬り殺したと描かれている[2]。
また『平家物語』では阿波重能の水軍300艘が寝返って平氏軍の唐船の計略を義経に告げ、知盛の作戦は失敗し平氏の敗北は決定的になったとする。『吾妻鏡』によれば、阿波重能は合戦後の捕虜に含まれており、実情は不明である。
源氏の反攻と平氏滅亡 [編集]
やがて、潮の流れが変わって反転すると、義経軍はこれに乗じて平氏軍を押しまくる。平氏軍は壊滅状態になり、勝敗は決した。敗北を悟った平氏一門は次々と海上へ身を投じた。
『平家物語』には平氏一門の最後の様子が描かれている。知盛は建礼門院や二位尼らの乗る女船に乗り移ると「見苦しいものを取り清め給え、これから珍しい東男を御目にかけましょう」と笑った。これを聞いた二位尼は死を決意して、幼い安徳天皇を抱き寄せ、宝剣を腰にさし、神璽を抱えた。安徳天皇が「どこへ行くのか」と仰ぎ見れば、二位尼は「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございます」と答えて、安徳天皇とともに海に身を投じた。『吾妻鏡』によると二位尼が宝剣と神璽を持って入水、按察の局が安徳天皇を抱いて入水したとある。続いて建礼門院ら平氏一門の女たちも次々と海に身を投げる。
武将たちも覚悟を定め、教盛は入水、経盛は一旦陸地に上がって出家してから還り海に没した。資盛、有盛、行盛も入水している。
平家の総帥宗盛も嫡男の清宗と入水するが、命を惜しんで浮かび上がり水練が達者なために泳ぎ回っていたところを義経軍に捕らえられてしまった。


火の山公園から見た関門海峡
剛の者である教経は、鬼神の如く戦い坂東武者を討ち取りまくるが、知盛が既に勝敗は決したから罪作りなことはするなと伝えた。教経は、ならば敵の大将の義経を道連れにせんと欲し、義経の船を見つけてこれに乗り移った。教経は小長刀を持って組みかからんと挑むが、義経はゆらりと飛び上がると船から船へと飛び移り八艘彼方へ飛び去ってしまった。義経の「八艘飛び」である。義経を取り逃がした教経に大力で知られる安芸太郎が討ち取って手柄にしようと同じく大力の者二人と組みかかった。教経は一人を海に蹴り落とすと、二人を組み抱えたまま海に飛び込んだ。『平家物語』に描かれた平氏随一の猛将として知られ屋島の戦い、壇ノ浦の戦いで義経を苦しめた教経の最後だが、『吾妻鏡』によれば教経はこれ以前の一ノ谷の戦いで討ち死にしているという記述がある。しかし、『醍醐雑事記』には壇ノ浦で没した人物の一人として教経の名が挙げられている。
知盛は「見るべき程の事は見つ」とつぶやくと、鎧二領を着て乳兄弟の平家長と共に入水した。
申の刻(16時ごろ)(『玉葉』による。『吾妻鏡』では午の刻(12時ごろ))平氏一門の多くが死ぬか捕らえられ、戦いは源氏の勝利に終わった。
戦後 [編集]



壇ノ浦


壇ノ浦で沈んだ平氏の亡霊を描いた、歌川国芳による浮世絵。左には亡霊にまとわりつかれているヘイケガニが、右には薙刀を持った平知盛が描かれている。
入水した建礼門院は助け上げられ、内侍所(八咫鏡)と神璽(八尺瓊勾玉)は回収されたが、二位尼とともに入水した安徳天皇は崩御し、宝剣(天叢雲剣)も海に没した(別説あり)。
安徳天皇の異母弟の守貞親王(安徳天皇の皇太子に擬されていた)は救出された。平氏一門のうち宗盛、清宗、それに平家と行動をともにしていた平時忠(二位尼の弟)、平時実、平信基、藤原尹明といった廷臣、能円、全真、良弘、忠快、行命といった僧侶、平盛国、平盛澄、源季貞らの武将、大納言典侍、帥典侍、治部卿局、按察使局らの女房が捕虜となっている。
義経は建礼門院と守貞親王それに捕虜を連れて京へ戻り、範頼は九州に残って戦後の仕置きを行うことになった。義経は京に凱旋し、後白河法皇はこれを賞して義経とその配下の御家人たちを任官させた。これを知った頼朝は激怒して、任官した者たちの東国への帰還を禁じる。さらに、九州に残っていた梶原景時から頼朝へ、平氏追討の戦いの最中の義経の驕慢と専横を訴える書状が届き、義経が平時忠の娘を娶ったことも知らされ、頼朝を怒らせた。
元暦2年(1185年)5月、命令に反して義経は宗盛・清宗父子を護送する名目で鎌倉へ向かうが、腰越で止められてしまう。宗盛父子のみが鎌倉へ送られ頼朝と対面する。義経は腰越状を書いて頼朝へ許しを乞うが、同年6月に宗盛父子とともに京へ追い返されてしまう[3]。宗盛・清宗父子は京への帰還途上の近江国で斬首された。
その後、義経と頼朝との対立が強まり、同年10月に後白河法皇に奏上して頼朝追討の宣旨を出させて挙兵するが失敗。逆に追討の宣旨を出されて没落して奥州藤原氏の元へ逃れるが、文治5年(1189年)閏4月に平泉で殺された。
合戦後ほどなく建礼門院は出家し大原に隠棲した。守貞親王はすでに皇位への道は断たれており、後に出家している。平時忠は能登国へ流罪となり、当地で死去した。
この戦いにより、平氏(伊勢平氏の平清盛一族)は25年にわたる平氏政権の幕を閉じた。勝利を収めた清和源氏の頭領・源頼朝は、鎌倉に幕府を開き武家政権を確立させる。
両軍の構成 [編集]

源家側
総大将:陸:源範頼、海:源義経
船数:800艘(吾妻鏡説)・3000艘(平家物語説)
参加武将:梶原景時、熊野別当湛増、河野通信
平家側
総大将:平宗盛
船数:500艘(吾妻鏡説)・1000艘(平家物語説)
参加武将:平知盛・平経盛・平教盛・平教経・平資盛・平有盛・平行盛・平時忠・平清宗・藤原景清
潮流説 [編集]

関門海峡の潮の流れの変化が壇ノ浦の戦いの勝敗を決したと信じられている。しかし、潮流に関しては、合戦について簡潔にしか記していない『吾妻鏡』にはもちろん触れられていない。軍記物語の『平家物語』では「門司関、壇ノ浦はたぎり落ちる汐なれば、平家の船は汐に逢って出て来たる。源氏の船は汐に向かって押され」と記されており、平氏が追い潮、源氏が向かい潮で戦ったことは述べられているが、潮流が反転して戦況を転換させたとまでの筋立てにはなっていない。
現在知られる合戦への潮流の影響は大正3年(1914年)に黒板勝美東京帝国大学教授が著書『義経伝』で提唱した説である。
合戦が行われた時間については『吾妻鏡』は午の刻(12時ごろ)に終わったと記しており、一方、関白九条兼実の日記である『玉葉』には午の刻(12時ごろ)に始まり、申の刻(16時ごろ)に終わったと記されている。
黒板勝美は海軍水路部の元暦2年3月24日(ユリウス暦で5月2日)の関門海峡の潮流の調査を元に、午前8時30分に西への潮流が東へ反転して、午前11時頃に8ノットに達し、午後3時頃に潮流は再び西へ反転することを明らかにし、合戦が行われた時間帯は『玉葉』の午の刻(12時ごろ)から申の刻(16時ごろ)が正しく合戦は午後に行われたとして、潮流が東向きだった時間帯は平氏が優勢で、反転して西向きになって形勢が逆転して源氏が優勢になったとした。
黒板勝美の説は壇ノ浦の戦いについて初めて科学的な検証を行ったものであり、最も権威のあるものとして定説化して広く信じられるようになった。小説、観光パンフレット類やテレビドラマはもちろん、源平合戦を扱った歴史関係書籍でもこの黒板説を元に壇ノ浦の戦いが記述されている。
この黒板説については、近年になって反論が出され、海事史の金指正三博士は潮流のコンピュータ解析を行い、合戦の行われた日は小潮流の時期で、8ノットという早い潮流は無く、また大正時代に潮流を調査した場所は最も狭い早鞆瀬戸であり(ここで千艘以上の兵船で戦うことは不可能)、広い満珠島・干珠島辺りの海域では潮流は1ノット以下であり合戦に影響を与えるものではないとした[4]。
海上保安庁の潮流の調査に基づいても、合戦の行われた早鞆瀬戸より東側の海域では1ノット以下という結果が出ている。
船舶史の石井謙治は同じ潮流に乗っている船の相対速度は変わらないので、潮流は合戦には影響しないと述べている[5]。飯島幸人東京商船大学名誉教授も船同士の相対運動に潮流は関係ないとして潮流説に否定的な見解を述べている。
そもそも、鎌倉幕府による記録である『吾妻鏡』の記述を否定すべきではなく、『吾妻鏡』のとおり、合戦は午前に行われ午の刻(12時ごろ)に終わったとする説も根強い。
天叢雲剣水没説 [編集]

『吾妻鏡』の壇ノ浦の戦いの元暦二年三月二十四日の条で「二位尼は宝剣を持って、按察の局は先帝(安徳天皇)を抱き奉って、共に海底に没する。」とあり、平家物語にも同様の記述がある。また戦いの後の元暦二年四月十一日の条に戦いでの平氏方の戦死者、捕虜の報告に続いて「内侍所(八咫鏡)と神璽(八尺瓊勾玉)は御座すが。宝剣(天叢雲剣)は紛失。愚虜をもってして捜し奉る。」と記されており、一般的には三種の神器のうち天叢雲剣は壇ノ浦の戦いで一度失われていると考えられている。小説やテレビドラマなどでもこのように描かれており、2005年大河ドラマ『義経』の第35回「決戦・壇ノ浦」では松坂慶子扮する時子(二位尼)が安徳天皇と天叢雲剣を抱いて海に没して、剣が海底に失われる描写がされている。
もっともこの時失われた天叢雲剣は、宮中の儀式に使われる模造品(形代)であり、本物は熱田神宮に保管されており失われていないという説もある。日本テレビの1991年の年末時代劇スペシャルの『源義経』においては、この説が採用されている。
近年の研究 [編集]

菱沼一憲(国立歴史民俗博物館科研協力員)は著書『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』(角川選書、2005年)で、この合戦について以下の説を述べている。
文治元年(1185年)2月、屋島の戦いに勝利した義経は、1箇月かけて軍備を整えつつ河野通信や船所正利など水軍勢力を味方に引き入れ、瀬戸内海の制海権を握っていった。一方、平家の残る拠点は彦島のみであり、兵糧・兵器の補充もままならない状況であった。また、豊後へ渡った源範頼軍によって九州への退路も塞がれていた。
正午頃、戦いが始まった。両軍とも、できるだけ潮流に左右されずに操船できる時間帯を選んだのであろう。平家方は序盤は鎌倉方が静まり返るほど矢を射かけて互角以上に戦っていたが、射尽すと逆に水上からは義経軍に、陸上からは範頼軍に射かけられるままとなり、防御装備の貧弱な水手・梶取たちから犠牲となっていった。この結果、平家方の船は身動きが取れなくなり、平家方不利と見た諸将は鎌倉方に雪崩を打って寝返った。
敗戦を覚悟した平家一門は次々と海へ身を投げていった。これは、範頼軍の九州制圧、義経軍の四国制圧、鎌倉方による瀬戸内海制海権の奪取という包囲・孤立化の完成に伴う必然的結末であった。
脚注 [編集]

^ 従来はこの出陣は『吾妻鏡』元暦2年(1185年)4月21日条、5月5日条の記載に基づき頼朝の命令によって行なわれたとみなされていた。しかし下記のことからこれに疑義を示す見解が強まっている。『吾妻鏡』元暦2年正月6日条には、範頼に宛てた同日付の頼朝書状が記載されている。その内容は性急な攻撃を控え、天皇・神器の安全な確保を最優先にするよう念を押したものだった。一方、義経が出陣したのは頼朝書状が作成された4日後であり(『吉記』『百錬抄』正月10日条)、屋島攻撃による早期決着も頼朝書状に記された長期戦構想と明らかに矛盾する。吉田経房が「郎従(土肥実平・梶原景時)が追討に向かっても成果が挙がらず、範頼を投入しても情勢が変わっていない」と追討の長期化に懸念を抱き「義経を派遣して雌雄を決するべきだ」と主張していることから考えると、屋島攻撃は義経の「自専」であり、平氏の反撃を恐れた院周辺が後押しした可能性が高い。『平家物語』でも義経は自らを「一院の御使」と名乗り、伊勢義盛も「院宣をうけ給はって」と述べている。これらのことから、頼朝の命令で義経が出陣したとするのは、平氏滅亡後に生み出された虚構であるとする見解もある(宮田敬三「元暦西海合戦試論-「範頼苦戦と義経出陣」論の再検討-」『立命館文学』554、1998年)
^ 上杉和彦『日本の戦争史 6 源平の争乱』P224参照。なお安田元久は、「このとき義経は、当時としては破天荒の戦術をとった。すなわち彼は部下に命じて、敵の戦闘員には目もくれず、兵船をあやつる水手・梶取のみを目標に矢を射かけさせたのである」(『日本の武将7 源義経』人物往来社、1966年)という独自の見解を示している。根拠が不明であり仮説・推測の域を出ていないが、非戦闘員を射殺する義経の卑怯な戦法という解釈はここから生まれたと思われる。
^ 『吾妻鏡』によると義経は腰越から鎌倉に入れて萌えないとされている。一方延慶本『平家物語』では義経は一旦鎌倉蔵に入り頼朝と対面するが、鎌倉のはずれに止め置かれた後義経は都に戻ったとある。
^ 実証 壇の浦の合戦「NHK歴史への招待 6巻 義経騎馬軍団 壇ノ浦合戦」(日本放送出版協会)
^ 石井謙治『和船 II』(法政大学出版局、1995年) ISBN 4-588-20762-8 V 海と船のこぼれ話 2 壇の浦合戦と潮流 p233~p237
参考文献 [編集]

森本 繁『源平 海の合戦 史実と伝承を紀行する』(新人物往来社、2005年) ISBN 4-404-03233-1
菱沼一憲『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』(角川選書、2005年) ISBN 4-04-703374-X
関連項目 [編集]

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下関市前田町の「平家の一杯水」。壇ノ浦の戦いで深傷を負った平家の武将が水溜まりを見つけ、飲んでみると真水だった。もう一口飲もうとしたら塩水になっていたという伝説が残る。
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最終更新 2012年12月6日 (木) 16:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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