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鳥取大学に関するお問い合せ

2013-02-05 13:10:32 | 用語集
鳥取大学に関するお問い合せはこちらへ

  鳥取大学各学部等の住所、電話番号は こちらのページ です。

証明書送付サービス(卒業生向け)             各部局連絡先

内容
担当窓口
E-mail /TEL(FAX)
入学試験に関すること
学生部入試課
st-nyushiken@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5061(31-6778)
研究協力・産官学連携に関すること
研究・国際協力部
研究協力課
ken-somu@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5609(31-5571)
公開講座・社会貢献に関すること
研究・国際協力部
社会貢献課
koken@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-6777(31-6708)
学生・学生生活に関すること
学生部教育支援課
st-soumu@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5053(31-6762)
授業料の納入に関すること
財務部経理課
fi-suito@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5029(31-5026)
授業料免除、奨学金に関すること
学生部生活支援課
st-syougaku@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5059(31-6799)
学生のアルバイトに関すること
学生部生活支援課
st-shienkikaku@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5058(31-6799)
学生サークルに関すること
学生部生活支援課
st-gakuseishi@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5058(31-6799)
学生の就職に関すること
学生部就職支援課
syusyoku@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5456(31-5559)
留学・留学生に関すること
研究・国際協力部
国際交流課
kokuko-gaku@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5056(31-6065)
国際交流に関すること
研究・国際協力部
国際交流課
kokuko-koku@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5010(31-6065)
広報,情報公開,
ホームページに関すること
総務企画部総務課
広報企画室
toridai-kouhou@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5006(31-5018)
職員の採用に関すること
総務企画部人事課
ge-ninyo@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5013(31-5797)
図書館に関すること
学術情報部
図書館情報課
ac-shiryosa@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5672(31-6346)
地域学部に関すること
 
reg-syomu@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5073(31-5076)
医学部・附属病院に関すること
 
me-sousoumu@adm.tottori-u.ac.jp
0859-38-7027(38-7029)
工学部に関すること
 
en-syomu@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5183(31-5187)
農学部に関すること
 
ag-syomu@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5343(31-5347)
連合農学研究科に関すること
 
ag-rensou@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5445(31-5683)
乾燥地研究センターに関すること
 
alrc@alrc.tottori-u.ac.jp
0857-23-3411(29-6199)
産学・地域連携推進機構に関すること
研究・国際協力部
研究協力課 
ken-somu@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5609(31-5571)
総合メディア基盤センターに関すること
学術情報部
情報企画推進課
ac-jokika@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5326(28-5742)
生命機能研究支援センターに関すること
研究・国際協力部
研究協力課
ken-jyosei@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5609(31-5571)
ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー棟に関すること
研究・国際協力部
研究協力課
ken-renkei@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5608(31-5571)
地域連携に関すること
研究・国際協力部
社会貢献課
koken@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-6777(31-6708)
附属学校に関すること
附属学校部
sc-soumu@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5168(31-5540)
公益通報に関すること
その他
総務企画部総務課
ge-soumu@adm.tottori-u.ac.jp
0857-31-5007(31-5018)
休日・夜間緊急 (鳥取キャンパス)
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警備員室
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大垣北高校[普通]69 岐阜高校[普通]69 岐

2013-02-03 11:15:00 | 用語集
大垣北高校[普通]69
岐阜高校[普通]69
岐阜北高校[普通]68
恵那高校[理数]67
岐阜工業高等専門学校[機械]66
岐阜工業高等専門学校[電気情報]66
岐阜工業高等専門学校[電子制御]66
岐阜工業高等専門学校[環境都市]66
岐阜工業高等専門学校[建築]66
多治見北高校[普通]66
大垣東高校[理数]65
大垣東高校[普通]64
加納高校[普通]64
鴬谷高校[英進]63
岐山高校[理数]63
可児高校[普通]62
岐山高校[普通]62
多治見高校[自然科学]62
多治見西高校[蛍雪]62
美濃加茂高校[蛍雪]62
大垣日本大学高校[アカデミー]61
関高校[普通]61
吉城高校[理数]61
多治見高校[普通]60
帝京大学可児高校[ST]60
長良高校[普通]60
岐阜第一高校[カレッジ]59
帝京大学可児高校[特進Ⅱ類]59
斐太高校[普通]59
大垣南高校[普通]58
岐阜聖徳学園高校[特進]58
各務原西高校[普通]57
加茂高校[理数]57
岐阜東高校[蛍雪]57
中京高校[アカデミック]57
中京高校[エクシード]57
鴬谷高校[進学]56
恵那高校[普通]56
各務原高校[理数]56
岐阜女子高校[文理]56
岐阜聖徳学園高校[進学Ⅰ類]55
郡上高校[普通]55
多治見西高校[特進]55
高山西高校[普通]55
富田高校[啓明]55
本巣松陽高校[普通]55
大垣日本大学高校[特進]54
加納高校[美術]54
岐阜東高校[進学]54
岐阜商業高校[国際コミュニケ]54
郡上高校[総合]54
聖マリア女学院高校[英語特修]54
聖マリア女学院高校[特別進学]54
武義高校[普通]54
大垣西高校[普通]53
大垣商業高校[総合ビジネス]53
大垣商業高校[会計]53
大垣商業高校[情報]53
各務原高校[普通]53
加茂高校[普通]53
岐阜商業高校[流通ビジネス]53
岐阜商業高校[情報処理]53
岐阜商業高校[会計システム]53
帝京大学可児高校[特進Ⅰ類]53
富田高校[国際]53
益田清風高校[普通]53
各務原高校[英語]52
中津高校[普通]52
羽島北高校[普通]52
美濃加茂高校[アドバンス]52
吉城高校[普通]52
加納高校[音楽]51
岐阜農林高校[動物科学]51
土岐商業高校[ビジネス]51
土岐商業高校[ビジネス情報]51
岐阜総合学園高校[総合]50
岐阜工業高校[電子機械]50
岐阜工業高校[デザイン工学]50
岐阜工業高校[電子]50
中京高校[プロシード]50
多治見西高校[国英]49
麗澤瑞浪高校[普通]49
岐阜農林高校[生物工学]48
岐阜農林高校[食品科学]48
岐阜工業高校[電気]48
岐阜工業高校[機械]48
岐阜工業高校[化学技術]48
岐阜工業高校[建設工学]48
岐阜工業高校[設備システム]48
岐阜市立岐阜商業高校[情報処理]48
岐阜市立岐阜商業高校[経営管理]48
飛騨高山高校[普通]48
武義高校[商業]48
武義高校[情報処理]48
池田高校[普通]47
大垣養老高校[総合]47
大垣養老高校[食品科学]47
大垣養老高校[環境科学]47
大垣養老高校[生産科学]47
聖マリア女学院高校[文理]47
多治見工業高校[電子機械]47
多治見工業高校[デザイン]47
多治見工業高校[電気システム]47
東濃実業高校[ビジネス管理]47
東濃実業高校[ビジネス情報]47
瑞浪高校[普通]47
大垣桜高校[食物]46
大垣桜高校[生活文化]46
大垣工業高校[機械]46
大垣工業高校[電気]46
大垣工業高校[電子]46
大垣工業高校[電子機械]46
大垣工業高校[建設工学]46
大垣工業高校[化学技術]46
大垣工業高校[情報技術]46
可児工業高校[電気システム]46
岐阜城北高校[総合]46
岐阜各務野高校[福祉]46
関商工高校[総合ビジネス]46
東濃実業高校[生活文化]46
益田清風高校[総合]46
美濃加茂高校[チャレンジ]46
岐阜各務野高校[情報]45
岐阜各務野高校[ビジネス]45
岐阜農林高校[環境科学]45
岐阜農林高校[園芸科学]45
岐阜農林高校[流通科学]45
関商工高校[機械]45
関商工高校[建設工学]45
関商工高校[電子機械]45
中京高校[国際]45
富田高校[普通]45
飛騨高山高校[ビジネス]45
飛騨高山高校[情報処理]45
大垣日本大学高校[総進]44
大垣桜高校[服飾デザイン]44
大垣桜高校[福祉]44
海津明誠高校[普通]44
海津明誠高校[生活福祉]44
可児工業高校[機械]44
岐阜女子高校[学芸]44
岐阜女子高校[一般]44
岐阜農林高校[森林科学]44
岐南工業高校[機械]44
岐南工業高校[自動車]44
岐南工業高校[電気]44
岐南工業高校[電子]44
岐南工業高校[建築]44
岐南工業高校[土木]44
多治見工業高校[セラミック]44
富田高校[商業]44
中津商業高校[ビジネス]44
中津商業高校[ビジネス情報]44
益田清風高校[ビジネス会計]44
益田清風高校[経営情報]44
美濃加茂高校[総合ビジネス]44
瑞浪高校[生活福祉]44
加茂農林高校[生産科学]43
加茂農林高校[生物工学]43
加茂農林高校[林業工学]43
加茂農林高校[造園]43
加茂農林高校[流通科学]43
岐阜聖徳学園高校[進学Ⅱ類]43
岐阜聖徳学園高校[商業]43
済美高校[普通]43
済美高校[衛生看護]43
関有知高校[理数]43
多治見西高校[商業]43
中京高校[プログレス]43
中津川工業高校[機械]43
中津川工業高校[電気]43
中津川工業高校[建設工学]43
中津川工業高校[電子機械]43
海津明誠高校[情報処理]42
可児工業高校[建設工学]42
可児工業高校[応用技術]42
郡上高校[食品流通]42
郡上高校[森林科学]42
済美高校[保育教養]42
中京高校[商業]42
東濃フロンティア高校[普通]42
岐阜城北高校[生活文化]41
岐阜第一高校[工業]41
坂下高校[普通]41
済美高校[総合選択]41
済美高校[ビジネス教養]41
済美高校[ファッション]41
関有知高校[生活福祉]41
関有知高校[普通]41
多治見西高校[被服]41
高山工業高校[機械]41
高山工業高校[電気]41
高山工業高校[電子機械]41
高山工業高校[建築]41
高山工業高校[インテリア]41
羽島高校[普通]41
飛騨高山高校[環境科学]41
山県高校[普通]41
恵那農業高校[園芸科学]40
恵那農業高校[食品科学]40
恵那農業高校[環境科学]40
恵那農業高校[園芸デザイン]40
坂下高校[福祉]40
坂下高校[生活文化]40
中京高校[体育]40
飛騨高山高校[生物生産]40
飛騨高山高校[生活文化]40
飛騨高山高校[園芸科学]40
不破高校[普通]40
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※数値は、複数の偏差値データから割り出した概算値です。合格難易度のおよその目安として下さい。
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偏差値とは・・・

安岡章太郎

2013-01-29 19:42:06 | 用語集
安岡章太郎

この項目は亡くなったばかりの人物について扱っています。その人物の死の詳細や取り巻く環境また状況が知れ渡っていくに従い、この項目の内容もまた急速に大きく変化することがありますのでご注意ください。2013年1月29日 (火) 09:21 (UTC)貼付。(表示終了予定:2013年2月5日 (火) 09:21 (UTC))

安岡 章太郎
(やすおか しょうたろう)
誕生 1920年5月30日
日本・高知県高知市
死没 2013年1月26日(満92歳没)
日本・東京都(詳細は非公開)
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本
教育 学士(文学)
最終学歴 慶應義塾大学英文科
活動期間 1951年-
ジャンル 小説・随筆・文芸評論
文学活動 第三の新人
代表作 『悪い仲間』(1953年)
『海辺の光景』(1959年)
『幕が下りてから』(1967年)
『流離譚』(1981年)
『鏡川』(2000年)
主な受賞歴 芥川龍之介賞(1953年)
芸術選奨(1960年)
野間文芸賞(1960年・1988年)
毎日出版文化賞(1967年)
読売文学賞(1974年・1996年)
日本芸術院賞(1975年)
日本文学大賞(1982年)
川端康成文学賞(1991年)
朝日賞(1992年)
大佛次郎賞(2000年)
処女作 『ガラスの靴』(1951年)
ウィキポータル 文学
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安岡 章太郎(やすおか しょうたろう、1920年5月30日[1] - 2013年1月26日)は、日本の小説家。 
目次 [非表示]
1 来歴・人物
2 略歴
3 家族・親族
4 著書
5 翻訳
6 参考文献
7 関連項目
8 脚注
来歴・人物 [編集]

高知県高知市帯屋町に父・安岡章、母・恒の子として生まれる。父方は、安岡正美(覚之助)や安岡正定(嘉助)などの土佐勤王党員を多くだした郷士の安岡家であり、幕末は板垣退助率いる土佐藩迅衝隊に加わり戊辰戦争を戦った勤皇家である。母方の入交家も江戸時代は郷士だったという。章太郎の父は陸軍獣医官であったため、生後2ヶ月で千葉県市川市に転居[2]。その後、香川県善通寺市、東京小岩、市川市で過ごした後、5歳の時、一家で京城(現・ソウル)に移った[2]。小学校3年の時、青森県弘前市に転居[2]。小学校5年から東京青山、目黒などで育った[2]。
青南小学校から第一東京市立中学校に入学するが、素行不良のため教師の実家の禅寺に寄宿生活を強いられる。この生活は3年に肋膜炎を患うまで続いた。
青南小学校に転入してから受けた陰湿で執拗な精神的虐めは数十年にわたって小説やエッセイで再三文章にしており病気、落第と共に彼の重要な文学的動機になっている。
1939年浪人生活を城北高等補習学校で送り、毎日古山高麗雄と遊び歩いた。松山高等学校(現在の愛媛大学)などの受験に失敗し、1941年慶應義塾大学文学部予科に入学するも、1944年陸軍に召集され東部第六部隊へ入営し満州に送られたが、翌年肺結核により除隊処分となり内地送還される。
復学するも父は敗戦により失職し、極端な飢餓と生活環境の悪化が原因と思われる脊椎カリエスを患い、大変な肉体的・精神的苦痛の中1948年英文学科を卒業する。その当時コルセットをつけながら、吉行淳之介や阿川弘之と遊び歩いたと言う。
1951年『ガラスの靴』が芥川賞の候補作に選ばれ、文壇に注目される。1953年、選考委員の評価が真っ二つに割れながらも『悪い仲間』・『陰気な愉しみ』により、芥川賞を受賞し、1954年には脊椎カリエスが快癒。以後創作活動に意欲的に取り組んでいる。『幕が下りてから』を発表した時、文芸評論家の川嶋至が、それが事実と違うことを指摘、安岡は怒り、パーティーで川嶋に殴りかかるつもりで、間違えて川村二郎を殴ったという(川嶋『文学の虚実』、井口時男『危機と闘争』)。アメリカに対する関心が深く、『ルーツ』の翻訳もしている。『流離譚』では土佐藩での祖先の事跡を調査、『果てもない道中記』では中里介山『大菩薩峠』を論じた。
芥川賞をはじめ、大佛次郎賞や伊藤整文学賞選考委員も務めた。
2013年1月26日、老衰により永眠[3]。92歳没。
略歴 [編集]

1951年 『ガラスの靴』で作家デビュー。同作は第25回芥川賞の候補となる
1952年 『宿題』で第27回芥川賞候補、『愛玩』で第28回芥川賞候補となる
1953年 『悪い仲間』・『陰気な愉しみ』にて第29回芥川賞を受賞
1954年 結婚。
1960年 『海辺の光景』で芸術選奨・野間文芸賞を受賞。ロックフェラー財団に招かれアメリカ留学。
1967年 『幕が下りてから』で第21回毎日出版文化賞を受賞
1974年 『走れトマホーク』で第25回読売文学賞小説賞を受賞
1975年 第三十二回芸術院賞受賞
1981年 『流離譚』で日本文学大賞を受賞
1985年 三田文学会理事長となる。
1988年 遠藤周作に影響を受けた結果、カトリックの洗礼を受ける
1989年 『僕の昭和史』全3巻で野間文芸賞を受賞
1991年 「伯父の墓地」で川端康成文学賞を受賞
1992年 1950年代から現代文学にいたる業績で1991年度朝日賞を受賞
1996年 『果てもない道中記』で第47回読売文学賞随筆・紀行賞を受賞
2000年 『鏡川』で大佛次郎賞を受賞
2001年 長年の文学活動により、文化功労者となる。
家族・親族 [編集]

娘の安岡治子は、ロシア文学専攻で、現在は東京大学総合文化研究科教授。
寺田寅彦、別役実は遠戚。
血縁の中に安岡嘉助(吉田東洋暗殺犯の一人)がおり、自身の一族を題材とした『流離譚』を著した。
父の最終軍歴は、南方総軍獣医部長・陸軍獣医少将であった。
著書 [編集]

悪い仲間 文藝春秋新社 1953 のち講談社文芸文庫「ガラスの靴・悪い仲間」
青馬館 河出書房 1955
ガラスの靴・愛玩 角川文庫 1956
青い貝殻 大日本雄弁会講談社 1957(ロマン・ブックス)
肥った女 現代文芸社 1957(新鋭作家叢書 第2)
遁走 大日本雄弁会講談社 1957 のち角川文庫、旺文社文庫
結婚恐怖症 平凡出版 1958
舌出し天使 講談社 1958 のち中公文庫
二つの顔 講談社 1958
青葉しげれる 新潮社 1959 のち旺文社文庫
海辺の光景 講談社 1959 のち新潮文庫、講談社文庫、角川文庫
ああ女難 講談社 1960
やって来た連中 毎日新聞社 1961
安岡章太郎集 筑摩書房 1961(新鋭文学叢書 第4)
いざこざ手帳 雪華社 1961
アメリカ感情旅行 岩波新書 1962
花祭 新潮社 1962 のち文庫
奴隷の教訓 白凰社 1963
質屋の女房 新潮社 1963 のち文庫
ちえかします 筑摩書房 1963
ソビエト感情旅行 新潮社 1964 のち角川文庫
映画の感情教育 講談社 1964
利根川 朝日新聞社 1966 「利根川・隅田川」旺文社文庫
良友・悪友 新潮社 1966 のち文庫、角川文庫
思想音痴の発想 芳賀書店 1966 のち角川文庫
ああいえばこういう 感情的文明論 文藝春秋 1966
幕が下りてから 講談社 1967 のち文庫、角川文庫、文芸文庫
不精の悪魔 新潮社 1967 のち角川文庫
軟骨の精神 講談社 1968 のち文庫
志賀直哉私論 文藝春秋 1968 のち講談社文庫
犬をえらばば 新潮社 1969 のち文庫
もぐらの言葉 講談社 1969 のち文庫
アメリカ夏象冬記 中公新書 1969 のち「アメリカそれから」と改題し角川文庫
大逃走論 政治的行動への自由 小田実共著 毎日新聞社 1969
小説家の小説論 河出書房新社 1970 「小説家の小説家論」福武文庫
感性の骨格 講談社 1970
安岡章太郎全集 全7巻 講談社 1971
サルが木から下りるとき 朝日新聞社 1971 のち角川文庫
現代の文学 17 安岡章太郎 講談社 1972
セメント時代の思想 講談社 1972
月は東に 新潮社 1972 のち講談社文芸文庫
安岡章太郎集 新潮社 1972(新潮日本文学)
日本の文学 74 安岡章太郎・吉行淳之介・曽野綾子 中央公論社 1973
自叙伝旅行 文藝春秋 1973 のち角川文庫
走れトマホーク 講談社 1973 のち文庫、文芸文庫
もぐらの手袋 番町書房 1973 のち角川文庫
やせがまんの思想 角川文庫 1973
へそまがりの思想 角川文庫 1973
なまけものの思想 角川文庫 1973
戦争と青春 対談集 潮出版社 1974
人生の隣 講談社 1975 のち福武文庫
安岡章太郎エッセイ全集 全8巻 読売新聞社 1975-76
ドン・キホーテと軍神 講談社 1975
私説聊斎志異 朝日新聞社 1975 のち講談社文庫、文芸文庫
われわれはなぜ書くか 対談集 毎日新聞社 1975
とちりの虫 ユーモアエッセイ集 番町書房 1975 のち旺文社文庫、光文社文庫
驢馬の学校 現代史出版会 1975
筑摩現代文学大系 80 安岡章太郎・吉行淳之介集 筑摩書房 1976
自選作家の旅 山と渓谷社 1976
快楽その日その日 新潮社 1976
ヨーロッパやきもの旅行 平凡社 1976
作家はどう発言するか 対談集 毎日新聞社 1977
アメリカ人の血と気質 集英社 1977
差別・その根源を問う 野間宏共編 朝日新聞社 1977
安岡章太郎・吉行淳之介集 筑摩書房 1977(現代日本文学)
絵のある日常 平凡社 1978
方言の感傷 現代の随想 日本書籍 1978
放屁抄 岩波書店 1979
ひとなぜ怒りを謳う ナショナリズム講義 平岡昇対談 朝日出版社 1979(Lecture books)
水の神様 講談社 1980
ウィタ・フンニョアリス 講談社 1980 「滑稽糞尿譚」文春文庫
犬と歩けば 読売新聞社 1981 のち文春文庫
流離譚 新潮社 1981 のち文庫、講談社文芸文庫
言葉のなかの旅 朝日新聞社 1984(現代のエッセイ)
街道の温もり 講談社 1984
僕の昭和史 1-3 講談社 1984-88 のち文庫、新潮文庫
大世紀末サーカス 朝日新聞社 1984 のち文庫
僕の東京地図 文化出版局 1985
安岡章太郎集 全10巻 岩波書店 1986-88
安岡章太郎対談集 1-3 読売新聞社 1988
対談・僕の昭和史 講談社 1989
歳々年々 年年歳歳花相似歳歳年年人不同 講談社 1989
酒屋へ三里、豆腐屋へ二里 福武書店 1990 のち文庫
活動小屋のある風景 岩波書店 1990
安岡章太郎随筆集 全8巻 岩波書店 1991-92
夕陽の河岸 新潮社 1991 のち文庫
父の酒 文藝春秋 1991 のち文庫
果てもない道中記 講談社 1995 のち文芸文庫
歴史への感情旅行 新潮社 1995 のち文庫
まぼろしの川 私の履歴書 講談社 1996
安岡章太郎15の対話 新潮社 1997
でこぼこの名月 世界文化社 1998
死との対面 瞬間を生きる 光文社 1998
愛犬物語 KSS出版 1998
私の〔ボク〕東綺譚 新潮社 1999 のち文庫
わたしの20世紀 朝日新聞社 1999
我等なぜキリスト教徒となりし乎 井上洋治共著 光文社 1999
忘れがたみ 世界文化社 1999
戦後文学放浪記 岩波新書 2000
鏡川 新潮社 2000 のち文庫
風のすがた 随筆集 世界文化社 2000
齢八十いまなお勉強 近藤啓太郎共著 光文社 2001
慈雨 世界文化社 2002
天上大風 世界文化社 2003
晴れた空曇った顔 私の文学散歩 幻戯書房 2003
雁行集 世界文化社 2004
観自在 世界文化社 2005
カーライルの家 講談社 2006
翻訳 [編集]

エンリコ マルセル・ムルージ 品田一良共訳 中央公論社 1975
ルーツ アレックス・ヘイリー 松田銑共訳 社会思想社 1977
参考文献 [編集]

群像日本の作家 28 安岡章太郎 小学館 1997
『私の履歴書 第三の新人』 日本経済新聞社 2007年 9-111頁
関連項目 [編集]

安岡正美(覚之助)(迅衝隊小軍監)
安岡正定(嘉助)(大和義挙に参戦)
寺田寅彦
日本の小説家一覧
第三の新人
脚注 [編集]

^ 『私の履歴書 第三の新人』 11頁には「じつは、5月30日生まれというのは戸籍上のことで、本当は4月17日とか18日にうまれたらしい」と記している
^ a b c d 斉藤明美『家の履歴書 文化人・芸術家篇』キネマ旬報社、2011年、p200-203
^ 「海辺の光景」…作家・安岡章太郎氏が死去 読売新聞 2013年1月29日閲覧

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表・話・編・歴
 第29回芥川龍之介賞
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表・話・編・歴
日本芸術院賞受賞者
カテゴリ: 亡くなったばかりの人物日本の小説家芥川賞受賞者文化功労者日本藝術院会員日本のカトリック教会の信者高知県出身の人物1920年生2013年没
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松任谷由実

2013-01-27 16:17:25 | 用語集
松任谷由実
「荒井由実、ユーミン、ゆーみん」はこの項目へ転送されています。同じ愛称を持つDJについては「大塚由美」をご覧ください。
松任谷 由実
基本情報
出生名 荒井 由実(旧姓)
別名 松任谷 由実(本名)
ユーミン
呉田軽穂
出生 1954年1月19日(59歳)
学歴 多摩美術大学
出身地 日本・東京都八王子市
ジャンル フォークソング
ニューミュージック
ポップ・ミュージック
職業 ミュージシャン、シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル、ピアノ
活動期間 1972年 -
レーベル EMIミュージック・ジャパン
事務所 雲母社
共同作業者 かまやつひろし
村井邦彦
川添象郎
ティン・パン・アレー
松任谷正隆
公式サイト 松任谷由実オフィシャルサイト
松任谷 由実(まつとうや ゆみ、本名:同じ、1954年1月19日 - )は、日本のミュージシャン。ユーミン(Yuming)、旧姓名の荒井 由実(あらい ゆみ)、他アーティストへの作品提供の際のペンネーム・呉田 軽穂(くれた かるほ)の名でも広く知られる。夫はアレンジャー・松任谷正隆で、彼女の音楽プロデューサーを務める。
目次 [非表示]
1 人物
2 経歴
2.1 荒井由実時代
2.2 松任谷由実時代
3 作品
3.1 オリジナルアルバム
3.2 その他アルバム
3.3 シングル
3.4 コラボレートシングル
3.5 ビデオ・DVD
3.6 コンピレーション・アルバム
3.7 非公式ベストアルバム
3.8 ネット配信のみの楽曲
3.9 他アーティスト作品への参加
3.10 タイアップ
3.11 オリコン記録
4 ライブ
4.1 コンサートツアー
4.2 SURF & SNOW
4.3 主なイベント
5 アーティストへの提供曲
5.1 荒井由実
5.2 呉田軽穂
5.3 松任谷由実
6 アーティストによるカバー
7 出演
7.1 ラジオパーソナリティー
7.2 テレビ番組
7.3 映画
7.4 CM
8 書籍
8.1 著書・写真集・関連本
8.2 連載
9 受賞歴
10 脚注
11 外部リンク
人物 [編集]

立教女学院高等学校、多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業。
雲母社取締役、苗場プリンスホテル名誉総支配人(期間限定)。1976年の結婚とともにアーティスト名も松任谷 由実へ改姓。
黒柳徹子のものまねが得意で、黒柳が司会を務めたNHK総合テレビ『あなたとともに50年 今日はテレビの誕生日』(2003年2月1日放送)に出演した際、本人の前でそれを披露した。ちなみに、テレビ朝日系列『徹子の部屋』には出演歴はないが、最終回への出演を希望しているという。
経歴 [編集]


この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2009年12月)
荒井由実時代 [編集]
1954年1月、東京都八王子市で1912年から続く、老舗の呉服店・荒井呉服店で、二男二女の第三子(二女)として生まれ、6歳からピアノ、11歳から三味線、14歳からベースを始めた。中学時代に港区・麻布台3丁目(1969年まで麻布飯倉片町8番地の住所表記だった場所)のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしており、またフィンガーズの追っかけもしていた。後に同レストランに集まったアーティストから、アルファレコードが生まれ、デビューのきっかけを作った。
14歳のとき、プロとしての初めての仕事でスタジオでのピアノ演奏をした。以後、スタジオで演奏をしながらオリジナルの曲を書き、15歳で作詞家としてデビューし、1971年に17歳で作曲家としてデビューした、その作品は彼女を本格的なデビューへと誘った加橋かつみ(元ザ・タイガース)へ提供した「愛は突然に…」である。
実家が呉服屋であったために染色の専攻を志し、1972年4月に多摩美術大学に入学。初めは作曲家志望だったが、アルファレコードを設立した村井邦彦の勧めで、同年7月5日にかまやつひろしがプロデュースしたシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビュー。同シングルは300枚しか売れず、後に幻のデビューシングルと呼ばれるようになる。1973年11月にファーストアルバム『ひこうき雲』を発売、TBSラジオの深夜放送番組『パックインミュージック』金曜日第2部を担当していたパーソナリティの林美雄の絶大な支持を受けて知名度が上がり、翌1974年より本格的にステージ活動を開始する。
1975年10月発売のシングル「あの日にかえりたい」(TBSドラマ『家庭の秘密』主題歌)が、初のオリコンチャート1位を獲得(それ以前にもバンバンへの提供曲の「『いちご白書』をもう一度」が1位を獲得している)、1976年の年間シングル売り上げチャート10位のヒットとなり、第一次ブームを迎える。さらにこの年には、年間アルバム売り上げチャートTOP10に、旧譜を含む3枚のアルバムがランクインするという快挙を成し遂げた。
彼女が活動を始めた時期は、自作自演を行う人の中からアメリカやイギリスの1960年代の音楽に深く影響を受けた、フォーク(後にニューミュージック)と呼ばれるジャンルの音楽を志向する人々が増えてきた頃にあたり、彼女は女性としてはその草分け的存在の一人であると言える。初期の頃の「ニューミュージック」は楽曲的にはフォークソングの系譜を受けつぎながらも、詞に関しては従来型の「四畳半フォーク」等と揶揄されていたほど生活観や生々しい恋愛描写に満ち溢れていたものであったのに対し、彼女の作品はそうした生活観を直接的にさらけ出した表現を避け、叙情を重視した詩的な歌詞であった為に話題を呼んだ。また歌詞に多摩川沿い、東京近郊の名所を盛り込むなど、絵画的・都会的なセンスを兼ね備えていた点も評価されていた。
松任谷由実時代 [編集]
1975年12月にアレンジャー・松任谷正隆と婚約、1976年11月29日に横浜山手教会にて結婚。本人は引退する考えだったが、専業主婦にはなりきれず結婚後の姓に変更して、松任谷由実の名で音楽活動を続行。1978年から1983年はオリジナルアルバムを毎年2枚リリースするなど、ブレッド&バター・松田聖子・小林麻美などに楽曲提供をしながらもハイペースで曲を製作。「埠頭を渡る風」「DESTINY」「恋人がサンタクロース」「カンナ8号線」「真珠のピアス」「ダンデライオン」などはこの頃作られた。また、リゾート地でのコンサートのスタイルをこの時期に確立。この分野においても草分け的存在の一人である。
1981年6月のシングル「守ってあげたい」が1981年年間シングル売り上げチャート10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。その年のアルバム『昨晩お会いしましょう』以降のオリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得、1988年のアルバム『Delight Slight Light KISS』以降は8枚連続のミリオンセラーを連発。
彼女が始めた“見せる”ステージは、1978年自転車に乗って登場する『大衆的時事歌劇』に始まり、本物の象が出た『OLIVE』・マジックを取り入れた『MAGICAL PUMPKIN』・エレベータを設置した『BROWN'S HOTEL』・噴水ショー『SURF & SNOW』・30メートルの竜に乗った『水の中のASIAへ』など年々エスカレート。億単位の金をかけ、内外の最新技術を積極的に取り入れた、コンサートの枠を超えた新たな一大エンターテイメントになっていった。当時のインタビューでも、「レコードで儲けた分、コンサートで夢と一緒にファンの方にお返しするのが役目」と語っていた。「若者のカリスマ」、「恋愛の教祖」などと呼ばれ、1980年代はまさにユーミンの時代だった。「失恋」を情感深く歌い、彼女自身がライバルと評する中島みゆきの作風とは一線を画し、「中産階級の手に届く夢」を歌って、時代の波に乗ったユーミンだったが、1990年代に入ると精神世界や民族的な音楽に着目。「満月のフォーチュン」「DAWN PURPLE」「真夏の夜の夢」「春よ、来い」「輪舞曲」などを生み出す。
1996年、旧姓・荒井由実の名で活動を行う。セルフカバーシングル「まちぶせ」を発売。また、当時の仲間のミュージシャンを集めて、『Yumi Arai The Concert with old Friends』を開催した。このライブ・アルバム発売に伴い、年末リリースのアルバムが数ヶ月遅れた。これ以降、日本の恒例行事とまで呼ばれたサイクル(冬のアルバム発売~夏までツアー)が若干緩やかになったが、「カリスマはもういい。これからは好きな音楽をやる」と宣言した彼女は、以後も精力的に作品を制作。ステージはますます大掛かりになり、1999年にはロシアのサーカスチームとコラボレートした制作費50億円のコンサート『シャングリラ』を開催。前代未聞の興行として話題になる。同コンサートは2003年に『シャングリラII』、2007年にはシリーズ最後を飾る『シャングリラIII』として開催された。
コンサートツアーや逗子、苗場の映像が残されているが、発売へ向けて期待に沿えるものを計画中。また、松任谷正隆は『ひこうき雲』からの全アルバムをリミックスしたいと発言。5.1chサラウンドにも対応し、よりマスター音源に近づけることが可能なBlu-ray Audioにも興味を示している。
2010年5月に発売された「ダンスのように抱き寄せたい/バトンリレー」のトラック内には、CDとしては初めてCM(CDCM)が収録された。これは松任谷正隆が20年温めていた構想であったと「NEWS ZERO」で語った。
近年の楽曲提供としては、綾瀬はるか「マーガレット」(作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂)、オルケスタ・デ・ラ・ルス「太陽と黒いバラ」(作詞作曲:松任谷由実)、坂本真綾「おかえりなさい」(作詞:坂本真綾、作曲:松任谷由実)がある。
2011年2月、恒例の苗場コンサートを開催。2011年4月、2年ぶりのニューアルバム『Road Show』を発売。ニンテンドー3DS用ソフト「レイトン教授と奇跡の仮面」エンディングテーマ「Mysterious Flower」、ABCマート ホーキンス「ビューティーウォーク」 CMソング「今すぐレイチェル」、コーセー「グランデーヌ ルクサージュ」CMソング「GIRL a go go」など話題曲を収録している。その後半年間で73ステージのコンサートツアー「Road Show」を開催した。この模様は2012年1月にWOWOWにて放送される。
2011年5月、集英社より作詞集「371+1」、写真集「THE YUMING」を同時発売。11月、中央公論新社より読売新聞での対談集「才輝礼讃 38のyumiyoriな話」を発売。11月、映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」の主題歌「夜明けの雲」を配信。2012年1月より開始の東海テレビ昼ドラ「鈴子の恋」の主題歌「恋をリリース」を担当。
現在、NHK「SONGS」と組み、春よ来いプロジェクトを展開中。コーラスを専用サイトより投稿することができる。新たにレコーディングされた「(みんなの)春よ、来い」第1弾を5月に配信、11月には第2弾「(みんなの)春よ、来い 2011年秋編」も配信。収益の全てが被災地へ寄付される。12月、「NHK歳末・海外たすけあい」のイメージソングにも起用され、『NHK紅白歌合戦』でも披露された。当初は紅組トリを務める可能性も示唆されていた。後日、2012年の『NHK紅白歌合戦』出場の可能性をマスコミから聞かれた際には「ないと思います」とコメントした。
2012年3月14日には、シングル「恋をリリース」c/w「夜明けの雲」と、ライブDVD&Blu-ray Disc「YUMI MATSUTOYA CONCERT TOUR 2011 Rord Show」が同時発売された。
作品 [編集]

オリジナルアルバム [編集]
発売日 タイトル
1 1973年11月20日 ひこうき雲
2 1974年10月5日 MISSLIM (ミスリム)
3 1975年6月20日 COBALT HOUR
4 1976年11月20日 The 14th Moon(14番目の月)
5 1978年3月5日 紅雀(べにすずめ)
6 1978年11月5日 流線形'80
7 1979年7月20日 OLIVE
8 1979年12月1日 悲しいほどお天気(The Gallery in My Heart)
9 1980年6月21日 時のないホテル
10 1980年12月1日 SURF&SNOW
11 1981年5月21日 水の中のASIAへ
12 1981年11月1日 昨晩お会いしましょう
13 1982年6月21日 PEARL PIERCE
14 1983年2月21日 REINCARNATION
15 1983年12月1日 VOYAGER
16 1984年12月1日 NO SIDE
17 1985年11月30日 DA・DI・DA
18 1986年11月29日 ALARM à la mode
19 1987年12月5日 ダイアモンドダストが消えぬまに
(before the DIAMONDDUST fades...)
20 1988年11月26日 Delight Slight Light KISS
21 1989年11月25日 LOVE WARS
22 1990年11月23日 天国のドア(THE GATES OF HEAVEN)
23 1991年11月22日 DAWN PURPLE
24 1992年11月27日 TEARS AND REASONS
25 1993年11月26日 U-miz(ユーミッズ)
26 1994年11月25日 THE DANCING SUN
27 1995年12月1日 KATHMANDU(カトマンドゥ)
28 1997年2月28日 Cowgirl Dreamin'
29 1997年12月5日 スユアの波(WAVE OF THE ZUVUYA)
30 1999年11月17日 FROZEN ROSES
31 2001年6月6日 acacia (アケイシャ)
32 2002年11月20日 Wings of Winter, Shades of Summer
33 2004年11月10日 VIVA! 6×7 (ビバ! シックス バイ セブン)
34 2006年5月24日 A GIRL IN SUMMER
35 2009年4月8日 そしてもう一度夢見るだろう
36 2011年4月6日 Road Show
その他アルバム [編集]
発売日 タイトル
best 1976年6月20日 YUMING BRAND
best 1977年12月25日 ALBUM
live 1986年6月25日 YUMING VISUALIVE DA・DI・DA
live 1996年12月7日 Yumi Arai The Concert with old Friends
best 1998年11月6日 Neue Musik(ノイエ・ムジーク)
YUMI MATSUTOYA COMPLETE BEST VOL.1
box 1999年1月27日 Yumi Matsutoya 1978-1989
best 2001年11月14日 sweet,bitter sweet~YUMING BALLAD BEST
best 2002年3月20日 Yuming THE GREATEST HITS
self cover 2003年12月17日 Yuming Compositions : FACES
box 2004年2月18日 Yumi Arai 1972-1976
best 2007年3月7日 SEASONS COLOURS -春夏撰曲集-
best 2007年10月24日 SEASONS COLOURS -秋冬撰曲集-
best 2012年11月20日 日本の恋と、ユーミンと。
シングル [編集]
発売日 タイトル c/w
1 1972年7月5日 返事はいらない 空と海の輝きに向けて
2 1973年11月5日 きっと言える ひこうき雲
3 1974年4月20日 やさしさに包まれたなら 魔法の鏡
4 1974年10月5日 12月の雨 瞳を閉じて
5 1975年2月20日 ルージュの伝言 何もきかないで
6 1975年10月5日 あの日にかえりたい 少しだけ片想い
7 1976年3月5日 翳りゆく部屋 ベルベット・イースター
8 1977年5月5日 潮風にちぎれて 消灯飛行
9 1977年11月5日 遠い旅路 ナビゲイター
10 1978年3月5日 ハルジョオン・ヒメジョオン 罪と罰
11 1978年7月20日 入江の午後3時 静かなまぼろし
12 1978年10月5日 埠頭を渡る風 キャサリン
13 1979年6月20日 帰愁 稲妻の少女
14 1980年3月20日 ESPER よそゆき顔で
15 1980年5月21日 白日夢・DAY DREAM ためらい
16 1980年8月5日 星のルージュリアン 12階のこいびと
17 1981年6月21日 守ってあげたい グレイス・スリックの肖像
18 1981年11月1日 夕闇をひとり A HAPPY NEW YEAR
19 1983年8月25日 ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ 時をかける少女
20 1984年2月1日 VOYAGER~日付のない墓標~ 青い船で
21 1985年8月1日 メトロポリスの片隅で パジャマにレインコート
22 1987年11月5日 SWEET DREAMS SATURDAY NIGHT ZONBIES
23 1989年6月28日 ANNIVERSARY~無限にCALLING YOU ホームワーク
24 1993年7月26日 真夏の夜の夢 風のスケッチ
25 1994年7月27日 Hello, my friend Good-bye friend
26 1994年10月24日 春よ、来い
// 1995年2月20日
(発売中止) 命の花 砂の惑星
27 1995年11月13日 輪舞曲 (ロンド) Midnight Scarecrow
28 1996年7月15日 まちぶせ
29 1996年10月16日 最後の嘘 忘れかけたあなたへのメリークリスマス
30 1997年1月29日 告白 Moonlight Legend
31 1997年11月12日 Sunny day Holiday 夢の中で~We are not alone, forever
32 1999年11月3日 Lost Highway Spinning Wheel
33 2000年9月20日 PARTNERSHIP So long long ago
34 2001年1月11日 幸せになるために TWINS
35 2001年4月25日 7 TRUTHS 7 LIES~ヴァージンロードの彼方で Song For Bride
TUXEDO RAIN
ANNIVERSARY
36 2003年2月5日 雪月花 Northern Lights
37 2005年6月1日 ついてゆくわ あなたに届くように
38 2006年2月15日 虹の下のどしゃ降りで Smile again
39 2007年9月5日 人魚姫の夢 Au Nom de la Rose
40 2010年5月26日 ダンスのように抱き寄せたい バトンリレー
41 2012年3月14日 恋をリリース 夜明けの雲
コラボレートシングル [編集]

中文
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鰹節=5153文字

2013-01-26 11:47:32 | 用語集
鰹節

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鰹節。カビ付けされた「本枯節」


鰹節を削った「削り節」
鰹節[1]
100 g (3.5 oz)あたりの栄養価
エネルギー 1,490 kJ (360 kcal)
炭水化物 0.8 g
- 食物繊維 (0) g
脂肪 2.9 g
- 飽和脂肪酸 0.62 g
- 一価不飽和脂肪酸 0.33 g
- 多価不飽和脂肪酸 0.81 g
タンパク質 77.1 g
水分 15.2 g
ビタミンA相当量 0 μg (0%)
- βカロテン 0 μg (0%)
ビタミンB1 0.55 mg (42%)
ビタミンB2 0.35 mg (23%)
ビタミンB3 45.0 mg (300%)
パントテン酸(ビタミンB5) 0.82 mg (16%)
ビタミンB6 0.53 mg (41%)
葉酸(ビタミンB9) 11 μg (3%)
ビタミンB12 14.8 μg (617%)
ビタミンC (0) mg (0%)
ビタミンD 6.0 μg (40%)
ビタミンE 1.8 mg (12%)
ビタミンK (0) μg (0%)
カルシウム 28 mg (3%)
鉄分 5.5 mg (44%)
マグネシウム 70 mg (19%)
リン 790 mg (113%)
カリウム 940 mg (20%)
塩分 130 mg (6%)
亜鉛 2.8 mg (29%)
コレステロール 180 mg
%はアメリカにおける成人向けの
栄養摂取目標 (RDI) の割合。
鰹節(かつおぶし)は、カツオの肉を加熱してから乾燥させた日本の保存食品。別名おかか(女房詞)、削り節。
目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
2.1 燻乾法以前
2.2 燻乾法の確立
2.3 モルディブ起源説
3 伝統的製法の例
4 その他の節
5 関連項目
6 脚注
7 外部リンク
概要 [編集]



鰹節削り器


削り節をビニール包装した物
基本的には、サバ科のカツオを材料とし、魚体から頭、鰭、腹皮と呼ばれる腹部の脂肪の多い部分を切り落とし、三枚以上におろし、「節」(ふし)と呼ばれる舟形に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。
加工工程の差異によって、鰹を茹で干したのみの生利節(なまりぶし)、それを燻製にしたさつま節・荒節(あらぶし)、荒節にカビを付けることにより水分を抜きながら熟成させる工程を繰り返した本節・枯節(かれぶし)・本枯節(ほんかれぶし)・仕上げ節がある。鰹節という呼称は燻製法ができる江戸時代以前にすでに用いられており、上記のような各種のものを総じて呼ぶ事もある。
カビを生やした枯節には、うま味成分やビタミン類が他の鰹節より多く含まれ、高級品として扱われている。
伝統的な枯節は、土佐、薩摩、阿波、紀伊、伊豆など太平洋沿岸のカツオ主産地で多く生産されてきた。
鰹を三枚におろしたものを亀節、三枚から背と腹におろしたものを本節、本節の中でも背側を使ったものを雄節(または背節)、腹側を使ったものを雌節(または腹節)という。
食用として利用する際には、かんなに似た刃を持つ削り器で削り「削り節」とするのが伝統的な方法である。
「世界で最も硬い食品」とされており、硬い物の代名詞でもある。[要出典]
「削り節」も参照
歴史 [編集]

燻乾法以前 [編集]
カツオ自体は古くから日本人の食用となっており、縄文時代にはすでに食べられていた形跡がある(青森県の八戸遺跡など)。5世紀頃には干しカツオが作られていたとみられるが、これらは現在の鰹節とはかなり異なったものであったようだ(記録によるといくつかの製法があったようだが、干物に近いものであったと思われる)。
宮下章が、『鰹節考』の中で「カツオほど古代人が貴重視したものはない。(中略)米食中心の食事が形成されて以来、カツオの煎汁だけが特に選ばれ、大豆製の発酵調味料と肩を並べていた」と述べているように、カツオが古代人にとっては最高の調味料だったといえる。
飛鳥時代(6世紀末-710年)の701年には大宝律令・賦役令により、この干しカツオなど(製法が異なる「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」に分類されている)が献納品として指定される。うち「堅魚」は、伊豆・駿河・志摩・相模・安房・紀伊・阿波・土佐・豊後・日向から献納されることとなった。
現在の鰹節に比較的近いものが出現するのは室町時代(1338年 - 1573年)である。1489年のものとされる『四条流包丁書』の中に「花鰹」の文字があり、これはカツオ産品を削ったものと考えられることから、単なる干物ではない、かなりの硬さのものとなっていたことが想像できる。
燻乾法の確立 [編集]
江戸時代に、紀州印南浦(現和歌山県日高郡印南町)の甚太郎という人物が燻製で魚肉中の水分を除去する燻乾法(別名焙乾法)を考案し、現在の荒節に近いものが作られるようになった。焙乾法で作られた鰹節は熊野節(くまのぶし)として人気を呼び、土佐藩は藩を挙げて熊野節の製法を導入したという。
大坂・江戸などの鰹節の消費地から遠い土佐ではカビの発生に悩まされたが、逆にカビを利用して乾燥させる方法が考案された。この改良土佐節は大坂や江戸までの長期輸送はもちろん、消費地での長期保存にも耐えることができたばかりか味もよいと評判を呼び、土佐節の全盛期を迎える。改良土佐節は燻乾法を土佐に伝えた甚太郎の故郷に教えた以外は土佐藩の秘伝とされたが、印南浦の土佐与一(とさのよいち)という人物が安永10年(1781年)に安房へ、享和元年(1801年)に伊豆へ製法を広めてしまったほか、別の人物が薩摩にも伝えてしまい、のちに土佐節・薩摩節・伊豆節が三大名産品と呼ばれるようになる。
江戸期には国内での海運が盛んになり、九州や四国などの鰹節も江戸に運ばれるようになり、駿河(静岡)の「清水節」、薩摩の「屋久島節」などを大関とする鰹節の番付表が作成された。
参考・文政五年(1822年)の諸国鰹節番付


南洋庁時代のトラック島における鰹節(1930年頃)
大関 - 清水節(東方・駿河)、役島節(西方・薩摩)
関脇 - 御前節(東方・遠州)、宇佐節(西方・土佐)
小結 - 福島節(東方・遠州)、須崎節(西方・土佐)
以下、行司、前頭、世話方、勧進元が続く。
なお、土佐節、薩摩節などは土佐、薩摩などで作られた節の総称である。
枯節のカビは当初自然発生させていたが、昭和以降は純粋培養したカツオブシカビ(コウジカビの一種、学名Aspergillus glaucus)を噴霧することで完成までの日数短縮と、好ましくないカビが発生する問題の回避を行なうのが主流になっている。
1883年(明治16年)に東京の上野公園で「第一回水産博覧会」で、1908年(明治41年)に「大日本水産会第一回鰹節即売品評会」が開催されるなど、各地で鰹節の品評が行なわれ、東の焼津節・西の土佐節の品質が高く評価された。
明治以降、尖閣諸島の魚釣島や日本が国際連盟の委任統治領としていた南洋諸島(南太平洋の島々)や20世紀に日本が統治をしていた台湾でも製造されるようになった。特に南洋ものは安価であったことから大いに市場を拡大したが、南洋諸島が第二次世界大戦後に日本の統治を離れたことで、この地域での鰹節産業は終焉を迎えた。しかし、台湾では、日本食品として鰹節の利用も根付いた。「柴魚」と呼び、現在も東部の台東県や花蓮県で製造されており、麺線などの台湾料理のスープを取るのにも用いられる。花蓮県新城郷には「七星柴魚博物館」という鰹節をテーマにした博物館がある。
モルディブ起源説 [編集]
モルディブ起源説は、鰹節の製法が交易によりモルディブから東南アジアを経由して日本にもたらされ、その後日本においてカビ付けの工法が考案されたとする説である。今日、鰹節が広く伝統的な食習として定着している国は日本だけであるが、インド洋の島国モルディブには、モルディブ・フィッシュ(Maldive fish)と呼ばれる、サバ科のハガツオ(Sarda orientalis)を原料とするカビ付けをしていない荒節が古くから伝わる。本説は、このモルディブ・フィッシュの製法が日本に伝わった、というものである。本説においては、鰹節の日本における最古の起源は沖縄にあると言われている[2]。モルディブ・フィッシュは、カビ付けの工程を経ていない荒節である。スリランカ等を含む周辺地域で郷土料理の味つけに用いられるものの、削って用いるのではなく、袋に入れて棒でたたき割ってから用いられる。手間を省くために工場で粉砕した粗い粒状の製品も市販されている。しかし、明確な伝来過程などは証明されておらず、本説は鰹節に似たものが別の地域にあったという程度の説である。
伝統的製法の例 [編集]

生切り - カツオを解体する。頭部、内臓を取り除き、三枚におろして形を整える。
釜立て - これを籠に入れて、釜で100分前後煮る。沸騰すると身が傷つくので、煮立たせないように慎重な温度管理を要する(現在は多くが自動化されている)。副産物の煮汁は風味調味料の原材料に使われる。
骨抜き - 取り出した後に冷まし、水中もしくはそのままカツオの鱗を剥ぎ、脂肪や骨の除去を行う。この段階ではまだ柔らかく、生利節(生節とも)としてそのまま食材に使うことができる。
焙乾 - 身に傷があれば、余った頭部や中落ちの身をペースト状にしてすり込み、補修した後、燻蒸して乾燥させる。ナラやシイなどの木を用いる。必要に応じて幾度か繰り返す。この行程を途中まで行った物が「さつま節」、終えた物が「荒節」で、荒節はいわゆる「花かつお」の原料となる。
天日干し・カビ付け - 表面を削って汚れを除いて(裸節)から、水分を落とし、天日干しで乾燥させる。その後純粋培養したカツオブシカビを噴霧し、閉め切った室に入れ、カビを繁殖させる。
カビが繁殖したらこれを削り落とし、5の行程を繰り返す。
行程5→6の繰り返しで、最終的に水分が失われて硬い銘木のように硬くなり、カビも付かなくなる。重量は加工前のカツオの20%以下となり、鰹節(枯節・本枯節)の完成となる。良質の鰹節どうしをぶつけると、「キンキン」と金属(もしくは硬い銘木)同士を叩いたような乾いた音を発し、割れるとルビーに似た透明感のある、濃い赤色の断面が現れる。完成までの期間はさつま節が一週間程度、荒節が一ヶ月程度、枯節が数ヶ月以上である。本枯節では二年以上の長期熟成のものもある。
その他の節 [編集]

同様の製法(荒節までの場合が多い)でカツオ以外の魚を用いた類似のものに
宗田節(ソウダガツオ)
鯖節(サバ・ゴマサバ)
鮪節(シビ)
鯵節(ムロアジ)
鰯節(カタクチイワシ、マイワシなど)
モルディブ・フィッシュ(ハガツオ)
鮭節
他にも秋刀魚・鰊を使用した製品など多種存在している。
関連項目 [編集]

削り節・削り粉
生利節
脚注 [編集]

^ 五訂増補日本食品標準成分表
^ 宮下章著『鰹節』法政大学出版局
外部リンク [編集]

ウィキメディア・コモンズには、鰹節に関連するカテゴリがあります。
鰹節博物館 (日本語)
カツオ(カツオ節) - 「健康食品」の安全性・有効性情報 (日本語) - (国立健康・栄養研究所)
カテゴリ: 日本の水産加工品日本の発酵食品燻製乾物日本の調味料日本の食文化アジアの食文化台湾の食文化縁起物
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最終更新 2013年1月8日 (火) 02:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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