【武田鉄矢・検定】
武田 鉄矢
基本情報
出生名 武田 鉄矢
出生日 1949年4月11日(59歳)
学歴 福岡教育大学教育学部障害児教育教員養成課程 聴覚障害児教育専攻中退
出身地 福岡県福岡市
ジャンル J-POP
職業 歌手、俳優、タレント、作詞家
活動期間 1972年~
レーベル ユニバーサルミュージック
事務所 武田鉄矢商店
共同作業者 海援隊
影響 早川義夫
公式サイト 武田鉄矢商店
表・話・編・歴
武田 鉄矢(たけだ てつや、1949年4月11日 - )は、福岡県福岡市博多区出身の歌手、俳優、タレント、作詞家である。本名、同じ。フォークグループ『海援隊』のヴォーカル、リーダー。身長166cm。血液型O型。牡羊座。
目次 [非表示]
1 来歴・人物
2 エピソード
3 シングル
3.1 ソロとしての代表曲
3.2 デュエット曲
3.3 武田鉄矢一座としての曲(全2曲)
4 出演番組
4.1 テレビドラマ
4.2 バラエティー番組など
4.3 映画
4.4 出演テレビCM
4.5 ラジオ番組
5 舞台
6 ものまねをする人物
7 その他
8 関連項目
9 外部リンク
[編集] 来歴・人物
福岡市立板付小学校、三筑中学校、福岡県立筑紫中央高等学校卒業。坂本龍馬の研究を志して当時一期校だった高知大学文理学部(現・人文学部)に2年間挑戦するも失敗に終わる。一浪後、二期校で合格した福岡教育大学教育学部障害児教育教員養成課程に入学、しかし8年在籍するも中退(正しくは除籍)。芸能界で失敗しても大学に戻れるよう母・イクが学費を払い続けていたという。
1972年10月25日に、千葉和臣・中牟田俊男らと海援隊でデビュー。当初は全く売れなかったが、武田が母・イクに向けた詫び状を歌にした『母に捧げるバラード』(1973年)がヒットし、翌年の第31回NHK紅白歌合戦に出場。
その後はしばらく低迷したが、映画『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)でのさえない青年役が高い評価を得て俳優としての新境地を開拓。海援隊としても再び注目され、ドラマ『3年B組金八先生』(1979年)のヒットとともに主題歌の「贈る言葉」も大ヒットした。1982年12月、海援隊を解散後はソロ歌手・俳優・作家として活動。歌手活動としては、「男と女のラブゲーム」(芦川よしみとのデュエット)(1987年)、『声援』(『3年B組金八先生』第3シリーズ主題歌)(1988年)などのヒット曲がある。海援隊は1993年4月10日の「ドリームライブ in 福岡ドーム」のために1日だけ再結成され、翌1994年に本格的にグループとしての活動を再開し、現在に至る。
[編集] エピソード
『母に捧げるバラード』(1973年)の、♪今も聞こえるあのお袋の声~♪の部分のメロディは丸山明宏のヨイトマケの唄の♪今も聞こえるヨイトマケの唄~♪をパクッたと2007年放送のオーラの泉で美輪明宏に告白している。
映画『ドラえもん』の第1作目~第17作目(第5作目を除く)のエンディングテーマ曲の作詞を務めた。6,11,13,15,16作目は武田が歌っている(6,11,13作目ではソロ、15作目は「武田鉄矢一座」、16作目は海援隊として歌唱)。17作目も海援隊が歌を担当しているがこの作品のみ千葉和臣、中牟田俊男が歌っている。10作目の主題歌は後にセルフカバー。彼が作詞した主題歌がEDの作品までしか支持しないというファンも多い。ドラえもんの作詞を長年担当していることからも分かるように、原作者の藤子・F・不二雄を尊敬しており、藤子が亡くなった際、武田は「藤子先生が亡くなった今、僕はドラえもんの映画の作詞を引退します」と宣言し、16年間(17曲)に渡る映画『ドラえもん』の主題歌の作詞(歌)を勇退。そのことが今でもファンに惜しまれている(「また戻ってきてほしい」、「『金八先生』を長く続けていることより偉大な事だった」等)。
ドラえもん映画のなかで特に『少年期』は絶大な人気を得ており、2ちゃんねるのアニソンランキングbest300の中で80位にランクインされた。
BS-i連続テレビドラマ『恋する日曜日』セカンドシリーズで『僕の部屋から』というドラマが制作された際に、主題歌『僕の部屋から』の作詞を担当した。
俳優として山田洋次監督の映画『幸福の黄色いハンカチ』(1977年松竹)がスタートであり、デビュー作ながら日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞する演技を見せた。同監督作品の『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』(1978年松竹)にも出演。『刑事物語』シリーズ(1982年~1987年東宝)の片山刑事役で、本格的な中国拳法「蟷螂拳」や自ら考案したハンガーヌンチャクを披露したり、個性派俳優として活躍。
海援隊でデビュー後、低迷して落ち込んでいた武田鉄矢を救ったのは、ひょんな出来事だった。山田洋次がたまたまパチンコ屋の有線放送で耳にしたのが『母に捧げるバラード』で、山田はふとこのシンガーに興味をいだき、さっそくコンタクトを取った。そして武田の人となりを見て、『幸福の黄色いハンカチ』に抜擢した。
最も影響を受けた俳優に高倉健と渥美清の名を挙げている。
テレビドラマは、1979年にスタートした『3年B組金八先生』(TBS)の坂本金八役が一番の当たり役となりシリーズ化されている。NHK大河ドラマ『徳川家康』(1983年)での豊臣秀吉役、『太平記』(1991年)での楠木正成役、『101回目のプロポーズ』(同年フジテレビ)でのさえない中年・星野達郎役など、印象深い役を数多く演じている。
長い髪の毛がトレードマークと言ってもいいほど有名である。物まねされるときは必ず初期の金八先生のヘアースタイルだった長髪のカツラが使われ、耳元の髪を後ろに掻き分けながら博多弁で「何ですかぁ~!」というのがお約束になっている(当時の本人が実際に言っていたかは不明)。『金八先生』第3シリーズで、なぜ長髪なのかという生徒の質問に「頭がでかいから(それを隠すため)」と答えるシーンがある。
松任谷由実の曲が大変気に障るらしく、主に自身がゲスト出演するトーク番組で彼女の楽曲の詞に対して悪口を言うことが多い(「中央フリーウェイの歌詞は、土地勘が間違っている」「勝手に走ってろ」など)。現在でもNHKの音楽番組などで、言葉尻は柔らかいながらも「ユーミンさんという方の作る詞というのが、常軌を逸してるものばかりで、私には理解できなくて」と話すことがあるが、民放になると更にエスカレートする。
テレビ朝日で1984年1月8日にスタートした報道番組『鉄矢のびっくり外報部』(1985年4月からは『鉄矢の地球トピックス』に変更)で、日本初のニュースアンカーマンを務めた。
バンド名に「海援隊」と名付けるほど、坂本龍馬を敬愛している。高校時代に読んだ司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の影響である。武田は龍馬が亡くなった年齢(33歳)と同じになった年(1982年)に海援隊を解散した。但し、先述のように、後に再結成している。また、龍馬の33歳が数え年であったのに対し、武田の33歳は満年齢である(龍馬は満31歳だった)。
2006年、大河ドラマ『功名が辻』で主人公・山内一豊の古参の家来・五藤吉兵衛役のオファーがあったが、『竜馬がゆく』の敵役(土佐藩上士)の先祖を演じる事に抵抗があり、当初は拒否したという。後にNHK側から「土佐に入る前に死んでしまう役ですから」と説得され、出演の運びとなった。
西田敏行とは、『見ごろ食べごろ笑いごろ』でコント共演をして以来、家族ぐるみの付き合いをしている。「西やん」、「鉄ちゃん」と呼び合うほどの親友である。
武田が大学時代の教育実習である授業を受け持った際、教室いっぱいに落ち葉を敷き詰めて、武田はニワトリの格好をして授業を行なったという。子供達は喜んだが、指導教官の先生達からは賛否両論の声が上がったらしい。結果、ある教官の一声で「優-良-可-不可」の評価のうちの「優」を取ることができたとの事。
無類の酒・女性好きとして有名。また、金八先生役を長年務めるが、素の武田は子供嫌いである。そのギャップのため、プライベートで遊ぼうにも女性から教え子のように接して来られてうんざりしていたそうだが、年を重ねるにつれ役柄を自然と受け入れられるようになったという。酒では特に焼酎のお湯レモン割りが好み。
大手出版社においてゴルフや歴史マンガの原作(後述参照)も担当してきたが、遅筆であるらしい。
AVの創世記時代から造詣が深く豊丸のバーの常連であったという。
谷村新司と並ぶニューミュージック界の二大ビニ本マニアとして知られ、一時期は『3年B組金八先生』の終了時、卒業記念として男子生徒役の役者に自分のコレクションをプレゼントしていた時期もあったらしい[要出典]。
日活ロマンポルノの看板女優であった高倉美貴と第8回日本アカデミー賞の司会をしたが、当時高倉は雑誌などのインタビューの度に「武田鉄矢さんが」「武田さんが」と武田の名前を所構わず連発していた。武田の出演する映画には高倉もよく出演していた。
『3年B組金八先生』の若い出演者を、撮影終了後の打ち上げの際にソープランドに連れて行っていたと暴露されたことがある。
『3年B組金八先生』の劇中で「学生時代柔道をしていた」というのは事実であり、後の五輪メダリストと対戦した事もあるという。
金八先生は理想主義者、リベラリスト的だが、これはあくまで脚本家の小山内美江子の設定である。本来の武田は九州男児ならではの考えがあるとされているが、そのことをマスコミ出演時に語ることは少ない。
教育現場のいじめ問題について、ドラマ内ではロールプレイング授業を通じていじめられっ子の立場や心理を理解させようとする進歩的な取り組みがあったが、彼が作詞した『贈る言葉』の中には「やさしさ」を求める風潮への批判めいた歌詞があり、自身の発言でも「いじめる奴にどんなに説教しても変わらない。大事なのはいじめられている奴を鍛えること」と述べている。
学生時代に失恋から自殺を考え、線路上に立ったことがあるとテレビ番組で語った。その時に『贈る言葉』の歌詞の2行が浮かんだという。「考えてみれば終電のあとだったんだよねえ」というオチがつき、本気だったのかネタなのか不明。
語ることが好きである。NHK大河ドラマ『功名が辻』の収録では本番直前まで、共演者であり同じく話好きである前田吟とずっと話し続け、本番の際にセリフを忘れることがあった(『NHK大河ドラマ・ストーリー功名が辻 前編』NHK出版、2006年 102ページ)。
福岡ソフトバンクホークスのファンである。
運転免許を取得したのがかなり遅く、47歳であった(本人曰く「取得に20年かかった」)。そのため、『幸福の黄色いハンカチ』では運転するシーンはトレーラーでけん引しながら撮影された。
母親譲りの大阪嫌いとして有名で、2007年4月4日にTBS系列で放送された『笑福亭鶴瓶のメインキャスト!』という番組において、「数を数える時に節を付けるのがおかしい」「大阪は他人に頼ってきたから主体性が無い」などといった差別主義的な内容の発言をしている。また、ドラマの控え室で木村拓哉にずっと大阪に対する悪口を吹き込んでいたため笑福亭鶴瓶が止めに入ったが、武田はそれに対して「大阪のどぶ鼠が!」と罵っている。この件について笑福亭鶴瓶は、テレビ東京系列で放送されている『きらきらアフロ』という番組内で「根に持っている」と発言するなど、不満を表明している。2007年7月6日放送の自分のラジオ番組内で森元総理の失言(大阪に対する悪口)を具体的に紹介、隣にいたもう一人のパーソナリティを大笑いさせた。
よく知られるように武田のその濃いキャラを使ってネタ元にするお笑い芸人は後を絶たず、「武田ツウ」と呼び継承されている。また武田もそれを人気アップへ意識的に逆利用している。(ウッチャン.ナンチャン、ダウンタウン松本、清水みちこ、山田邦子、ほか)
[編集] シングル
[編集] ソロとしての代表曲
少年期(1985年、『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』主題歌)
コスモス(1985年、『刑事物語 くろしおの詩』挿入歌)
浪漫(1986年、公共広告機構CMソング)
声援(1988年、『3年B組金八先生』第3シリーズ主題歌)
伝言(メッセージ)(1989年、『愛し方がわからない』主題歌)
天までとどけ(1990年、『ドラえもん のび太とアニマル惑星』主題歌)
雲がゆくのは(1992年、『ドラえもん のび太と雲の王国』主題歌)
[編集] デュエット曲
男と女のはしご酒(1987年、芦川よしみと)
男と女のラブゲーム(1987年、芦川よしみと)
生きてゆく物語(2000年、水前寺清子と)
[編集] 武田鉄矢一座としての曲(全2曲)
夢の人
世界はグー・チョキ・パー
共に『ドラえもん のび太と夢幻三剣士』の主題歌。
[編集] 出演番組
[編集] テレビドラマ
3年B組金八先生シリーズ(1979年~2008年、TBS)坂本金八役
幕末青春グラフィティ坂本竜馬(1982年)
花田春吉なんでもやります(1985年、TBS)
愛し方がわからない(1989年、TBS)
101回目のプロポーズ(1991年、フジテレビ)星野達郎役
並木家の人々(1993年、フジテレビ)
おれはO型・牡羊座(1994年、日本テレビ)
バージンロード(1997年、フジテレビ)桜井光役
ソムリエ(1998年、関西テレビ・フジテレビ)
プリズンホテル(1999年テレビ朝日)
パーフェクトラブ!(1999年、フジテレビ)
二十六夜参り(1998年、TBS)原作も兼任
教習所物語(1999年(単発ドラマ)・2000年(連続ドラマ)、TBS)原案も兼任(阿部玲児役)
麻婆豆腐の女房(NHK総合、孝孫民(陳建民がモデル)役)
乱歩R(読売テレビ・日本テレビ、犯人役でゲスト出演)
草燃える(1979年、NHK大河ドラマ 安達盛長役)
徳川家康(1983年、NHK大河ドラマ 豊臣秀吉役)
太平記(1991年、NHK大河ドラマ 楠木正成役)
積木くずし真相(2005年、フジテレビ)高橋順役
功名が辻(2006年、NHK大河ドラマ 五藤吉兵衛役)
白夜行(2006年、TBS)(笹垣潤三役)
里見八犬伝(2006年、TBS)(籠山逸東太役)
華麗なる一族(2007年、TBS)(大亀専務役)
太郎と次郎~反省ザルとボクの夢~(2007年、フジテレビ)(村崎政男役)
夫婦道(2007年、TBS)(高鍋康介役)
ほか
[編集] バラエティー番組など
武田鉄矢の週刊鉄学(朝日ニュースター)
鉄矢のとんからりん(テレビ朝日)
みごろゴロゴロ大放送(テレビ朝日)
武田鉄矢の泣いて笑って武者修行(テレビ東京)
鉄矢のびっくり外報部(テレビ朝日)
ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば(フジテレビ)
なっとくデータマップ(フジテレビ)
武田鉄矢のぐるり日本!三度笠(テレビ東京)
鉄矢と熊のひたすら日曜日(日本テレビ)
解決!クスリになるテレビ(テレビ東京)
新すぃ日本語(TBS)
新すぃ○○!(TBS)
新・題名のない音楽会(テレビ朝日)
FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91 スーパータイムSP
奥さまは外国人(テレビ東京)
愛のエプロン(テレビ朝日)
他局であるにも関わらず、「金八先生スペシャル」と題して、杉田かおるらと共演した。
世界一受けたい授業(日本テレビ)
先生役として国語の授業を担当。生徒として出演した回もある。
第40回NHK紅白歌合戦白組司会(NHK)
九州沖縄スペシャル「ただいま!」ホスト(NHK福岡放送局制作、九州・沖縄ブロックネット)
[編集] 映画
幸福の黄色いハンカチ(1977年、松竹)
男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく(1978年、松竹)
俺たちの交響楽(1979年、松竹)
遙かなる山の呼び声(1980年、松竹)
思えば遠くへ来たもんだ(1980年、松竹)
マイ・ロード(1980年、東宝)
駅 STATION(1981年、東宝)
俺とあいつの物語(1981年、松竹)
刑事物語シリーズ(1982~87年、東宝)
刑事物語(1982年)
刑事物語2 りんごの詩(1983年)
刑事物語3 潮騒の詩(1984年)
刑事物語 くろしおの詩(1985年)
正式タイトル。「4」は付かない。
刑事物語5 やまびこの詩(1987年)
えきすとら(1982年、松竹)
居酒屋兆治(1983年、東宝)
だいじょうぶマイ・フレンド(1983年、東宝)
ヨーロッパ特急(1984年、東宝)
パンツの穴(1984年、ジョイパックフィルム)
ゴジラ(1984年、東宝)
幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬(1986年、東宝)
子象物語 地上に降りた天使(1986年、東宝)
あいつに恋して(1987年、東宝)
二十四の瞳(1987年、松竹)
ドラえもんのび太のドラビアンナイト
予告編にナレーションで声のみの出演(1991年、東宝)
プロゴルファー織部金次郎シリーズ(1993~98年、東映)
同名の漫画が原作、武田は原作・脚本・監督も兼任
プロゴルファー織部金次郎(1993年)
プロゴルファー織部金次郎2 パーでいいんだ(1994年)
プロゴルファー織部金次郎3 飛べバーディー(1995年)
プロゴルファー織部金次郎4 シャンク シャンク シャンク(1997年)
プロゴルファー織部金次郎5 愛しのロストボール(1998年)
とられてたまるか!?(1994年、東宝)
ヒーローインタビュー(1994年、東宝)
ヤクルトスワローズの監督役として出演
バースデイプレゼント(1995年、東宝)
緑の街(1998年、ファーイーストクラブ)
博多ムービーちんちろまい(2000年、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント)
星になった少年 Shining Boy & Little Randy(2005年、東宝)
MAKOTO(2005年、松竹)
青春ばかちん料理塾(2003年、東映)
降りてゆく生き方(2009年、プレサリオ)
[編集] 出演テレビCM
マルちゃん赤いきつねと緑のたぬき(1979年~、東洋水産)
パソコン PCシリーズ(1980年代、NEC)
大日本除虫菊(金鳥コックローチS)
富士甚醤油(家伝つゆ)※九州地区のみ
松下電器産業(1984年、パーシャル冷蔵庫)
公共広告機構(1986年、青少年非行防止啓発)
九州電話(九州通信ネットワーク=QT Net)※九州地区のみ
亀田製菓(柿の種)
武田薬品工業(タケダ胃腸薬21)
日本盛※CMソングは中牟田俊男が担当
サントリー(サントリーオールド)
アサヒビール(アサヒ生ビール『ほろにが』)
メルシャン(三楽焼酎ホワイトパック)
メガネトップ(1998年)
デンコードー(2007年~)
アジア太平洋こども会議・イン福岡(NPO法人アジア太平洋こども会議・イン福岡広報親善大使)(2007年~)
つまりぬき24(2008年~)
ほか
[編集] ラジオ番組
武田鉄矢 人生真ん中あたり(TBSラジオ・RKBラジオほか)
チャレンジ名作ライブラリー(文化放送ほか)
夢口上 武田鉄矢商店(文化放送ほか)
スタート当初は土曜午後3時台の放送だったが土曜日午後4時台→土曜日夕方5時台→土曜日夜10時→土曜日夜9時30分と半年ないし1年ごとに放送時間が変更されていた。
武田鉄矢・今朝の三枚おろし(文化放送ほか)
[編集] 舞台
母に捧げるバラード(明治座・御園座・博多座他で公演)
3年B組金八先生~夏休みの宿題~(明治座・御園座で公演)
舞台版 3年B組金八先生
3年B組金八先生の原作者小山内美江子が運営するボランティア団体「特定非営利活動法人 JHP・学校をつくる会 」主催のチャリティーイベントで上演された、JHPの活動内容を生徒達に話して聞かせる形で紹介する作品(2001年)及び、パート7のオンエア済みの一教室シーンを再現する作品(2004年)。歴代の卒業生代表と放送中の現役生が「制服姿」で登場した。ほぼ即興の舞台だったため、金八先生が出席簿に書かれた台本を読みながら物語を進行している。『夏休みの宿題』とは別物。
母に捧げるラストバラード(明治座・博多座他で公演)
[編集] ものまねをする人物
三又又三(元・ジョーダンズの一員、コンビ名は海援隊として出した曲「JODAN JODAN」から由来する)
木梨憲武
山田邦子
内村光良
松本人志
コージー冨田
ホリ
コロッケ
他
[編集] その他
母に捧げるバラード(武田鉄矢の母・イクの半生を綴ったエッセイで、NHKで『コラ!なんばしよっと』のタイトルでドラマ化された)
お~い!竜馬(小山ゆう作画の漫画の原作を担当。NHKでテレビアニメ化され、主題歌も担当した)
バカチンたちに捧げるバラード(「週刊プレイボーイ」に連載中の人生相談)
心が風邪をひいたら(1980年頃、文庫本で人生相談が内容)
さよなら西部警察(テレビ番組の司会者役として出演(本人役)。収録中に原田芳雄演じるテロリストに番組ジャックされる)
九州電力のメールマガジンにて、『絵の無い絵葉書』を連載中http://www1.kyuden.co.jp/life_value_hot_magazine_index
FNNスーパーニュースANCHOR(関西テレビで平日夕方に関西ローカルで放送されている報道番組。金曜日の企画「あんたがアンカー」のタイトルコールを担当)
[編集] 関連項目
雑餉隈駅
福岡県出身の人物一覧
TBS『いのちの響』
福岡教育大学
[編集] 外部リンク
武田鉄矢商店
特定非営利活動法人 JHP・学校をつくる会
音楽の部屋 武 田 鉄 矢
九州電力メールマガジン 「絵の無い絵葉書」
先代:
加山雄三 第40回NHK紅白歌合戦
白組司会
1989 次代:
西田敏行
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 日本の歌手 | 日本のフォーク (ポピュラー音楽) | 日本の作詞家 | 日本の俳優 | 日本のタレント | NHK紅白歌合戦出演者 | NHK紅白歌合戦歌唱楽曲・作詞者・作曲者 | 漫画原作者 | 福岡県出身の俳優 | 福岡市出身の人物 | 1949年生
最終更新 2008年5月14日 (水) 05:59。Wikipedia®