しおんの日々徒然

~向精神薬から完全離脱するまでの日々の記録~

お世話になりました

2012-05-10 13:06:24 | 表紙









ブログを閉鎖することにしました。


昨日までの記事は記録として残します。


交流させて頂いたブロガー様


足を運んで下さった方々


どうもありがとうございました。




精神医療の嘘で傷つく方がこれ以上増えませんように


向精神薬の離脱症状・後遺症が一般的に世間に認められ


苦しむ方々に支援の手が差し伸べられますように


現在離脱症状と戦ってる方々が無事に完全離脱されますように


心からお祈り申し上げます。







  しおん  




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経過




2003年

抑うつ・不眠により向精神薬を処方される


2011年1月

悪化する体調と主治医への不信感、向精神薬の危険を知り

多剤処方薬の一部を一気断薬


2011年10月

自己流減薬を経て完全断薬


2012年5月

離脱症状のうち身体症状を多少残しつつ

完全離脱宣言




















GW中の体調(追記)

2012-05-06 19:32:36 | 記録



半年後や来年振り返れるように記録。


そこまでブログを続けるんか?って気がしないでもないけど(笑)




4・29は天気が良く暑いくらいで体調自体は良好。


父の訪問があり一緒に食事に出かけお祭りの見物に行く。


離脱症状は特にいつもと変わらず。



4・30は夕方から友人との食事で外出。


天気がやや微妙で湿気が重く感じたけど楽しく過ごして体調を忘れる。


アルコールに関しては本当は離脱症状が悪化するからタブーみたいだけど


生ビール中ジョッキぐらいなら酔わないし体調の変化もないので許容範囲。


追加のサワーはグラス半分ぐらいでいらないと感じたので、今後はこのペースで。


今回の飲み会はリハビリみたいなもん(笑)



5・1~4は連日の雨でさすがに症状が悪化。


2日は雨の中の外出で左半身が硬直とダルさが半端なく


普段なら用事を済ませたら出かけるところ辛すぎて帰宅。


3日、4日も買い物に少し出た程度で引きこもり。


じっとしてると余計固まるのでお菓子を作ってみたりしてやり過ごす。


4日は頭痛も併発したけど友達と買い物に行って気晴らしができた。


5日は鍼治療で固まった肩や背中にチクチクしてもらう。


普通の凝りがある右半分とは性質の違う固さで筋硬直だと分かるそうです。


それと錐体外路症状に効果があるかもしれない場所にも鍼。


これは個人で違うのであくまでも私のツボ。


続けてみないと効果は分からないので継続します。


今日は朝から不安定でゲリラ豪雨もあってやはり身体が重い。


出かける予定をキャンセルして買い物だけ。


身体の異常、特に左半分の硬直が悪天候が続くと悪化することが分かった。


精神面は特に変わらずマイペース。


じっと寝込むと固まるのでちょろちょろと何かしらして気を紛らわせていれば


耐えて乗り切ることはできるけどかなり疲れます。


4連チャンの雨で固まり続けたせいか昨日は全身が筋肉痛にもなってました。


この固まる現象が時間と共に消えてくれたら感覚異常や息苦しさは我慢しながらも


まともに仕事ができるかもしれないと自己判断。







この連休Twittere三昧でしたが絡んでくれたツイトモに感謝です。


下らないツイートでふざけて馬鹿みたいに笑ってかなり気が紛れました(^▽^)ノ


これもこれからも継続(爆)






(追記)


書き忘れ。


4・29から左上腕部に肉離れのような痛みが出現中。


特に何をした訳でもなく一日にランダムで数回激痛で腕が脱力して上げられない。


時間が経過すると治まるの繰り返し。


意味分からん。














今日のキーワード

2012-05-05 20:38:50 | 日記






「5月5日」


「端午の節句」


「子供の日」


「柏餅」


「鯉のぼり」


「しょうぶ湯」


「立夏」


「蛙」


「スーパームーン」


「お月さま」


「うさぎ」


「フットサルの日」


「自転車の日」


「おもちゃの日」


「わかめの日」


「レゴの日」


「手話記念日」


「多摩動物公園開園」


「こどもの国開園」


「さいたま新都心街開き」











「薬の日」(--#



















私のハンデ

2012-05-01 16:47:35 | 私ごと



私は生まれつき右耳の聴力が無い。

気付いたのは小4の頃。

それまで気付かなかった事が不思議なんだけど

子供の頃ってみんな結構自己中で人の事とかあまり気にしないから

きっと聞こえてない私を気にする人もいなかったんだよね。

だから私も気にして生活してなかったんじゃないのかな?

今みたいにイヤホンやヘッドホンをして遊ぶ時代でもなかったし。

それがある日気づいてしまった。




そこからだよね、周囲に必要以上に気を使って生きることなったのは。

聞こえなくても聞こえるフリをして周囲に合わせたり

聞こえないからシカトしてると思われてイジメにあったり。

元々母親から完璧を求められて干渉されて幼少期を過ごしたから

できない自分を表に出せなくてだんだん内気な性格になった。




社会人になって初めて働いた職場の先輩の指摘で

聞こえない事を自分から言わないと仕事がしにくいからと

初対面の方には必ず伝えるようにした。

自分を出していいんだと学んでからは生活しやすくなったけど

相変わらず子供時代にできてしまった性質はそのままで

他人の顔色や心の動きに敏感に生きてる。




耳が聞こえないとどうしても相手の表情や口元にも集中してしまう。

万が一声を聞き逃しても口の動きで何を話してるのか予想するから。

そして会話ひとつ、言葉ひとつに物凄く集中するから

何気ない会話にも全力で受け止めてしまう心の癖がついた。

このハンデが私が精神薬を飲むことになってしまった原因。




こんな生き方をずっ~~~~としてるから心もいちいち疲れるんだよね(笑)

でもこの心の癖を自分が理解できたからもう大丈夫。

それにお腹いっぱいになるほど精神薬については学んだし。




この事が分かったのは先日のネコさん宅訪問リハビリの旅で。

ネコさんもめまいから難聴になってしまったらしくやはり全力で集中して疲れると話してました。

周りに難聴の知り合いもいなく自分で自己処理して当たり前に生活してたけど

似た経験がある方とお話しすると自分が見えてくるもんだ。

だから私は大勢の中で過ごすことが苦手なのかもしれない。

耳が聞こえない事でたくさんの相手に合わせるより自分のペースでいられる方が楽だから。

無意識に身体がそう覚えてしまったみたい。

賑やかなのは大好きなんだけどね。



そんな自分の不便なハンデを考えながら就活のことを考えていた。

サービス業や販売の仕事をずっとしてきたからそれしか取り柄がないみたいだけど

今の自分なら何ができるのかな~なんて。

やりたい仕事とできる仕事は違うけどやりたい仕事に就けたらいいな。

耳が不自由でもできる仕事に限られるけど。




病院に行きたくないからそんな事を考えて現実逃避してます(笑)

どんだけ医療が嫌いになったんだ(笑)

ここまで自己分析できてたら精神科には行かなかったよね~

ホント後からいろいろ分かってくる。

自分の事は医療に限らず人任せにしてはいけませんね。