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「ボリショイサーカス」大島幹雄

2009-12-05 23:35:44 | 
ユーラシアブックレットNo.100
「ボリショイサーカス」
(大島幹雄著, 東洋書店, 2006)
を読みました。

タイトル通り
ボリショイサーカス=ロシアの国立サーカス
の歴史を紹介した小冊子です。


「サーカスは文化である」
とは先日読んだ
「果てしなきサーカスの旅」(西田敬一著)
にあるステートメントのひとつですが

この言葉のひとつの側面は
「サーカスとは、地域の文化を反映した芸能である」
ということでしょうか。

だからこそ
文化の交流が起きた19世紀から20世紀にかけて
「サーカス」というフォーマットを通して
西洋と日本との刺激的な出会いが生まれたのでしょう。


一国のサーカス史を通して
「サーカス」という営為のもつ奥行きの深さを感じました。


「ボリショイサーカス」の在り方は
日本のそれとは違うし
ヨーロッパやアメリカ・カナダのそれとも違う。


歴史や現在の環境と相互作用しながら
新しい「サーカス」をつくって行くダイナミズムが生まれる。


そのダイナミズムの中に生きられるように
私は走って行きたい。
ジャグリングに生きたい。




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「果てしなきサーカスの旅 国際サーカス村物語」西田敬一

2009-11-30 12:53:50 | 
「果てしなきサーカスの旅 国際サーカス村物語」(西田敬一著, 現代書館, 2009)を読みました。

国際サーカス村村長である西田敬一さんが
自らの体験を綴った
サーカスをめぐる物語。

以前に読んだ「サーカスがやってくる」とは時間的に地続きとなっていますが---

サーカス団にどっぷりとはまり込んでいた著者が
そこから
「逃げ出す」
ところから
話がはじまります。

「サーカスから逃げ出した」敗北感を心に抱きつつ
自分のサーカスの夢を追い続ける。


失敗、失敗、失敗、、、
失敗に負けず
そこから出発し
日本にサーカス文化を育てるために
邁進する。


このエネルギーはどこからくるのか。

「サーカスに生かされている」
冒頭にあるこの言葉が
読み終わって
改めて浮き上がってきました。



コンテンポラリーサーカス
(フランスのヌーボーシルクの流れや”シルク・ド・ソレイユ”)が
注目を浴び
日本の大道芸シーンにおいても
大道芸ワールドカップin静岡
などでは
サーカスアクトが中心になりつつあります。

しかし、すべて輸入ものです。

幕末から明治にかけて
世界のサーカスシーンに
多大な影響を与えた日本のサーカスも
いまや
サーカス団となると3つの団体があるのみ。


サーカスの文化を日本でつくる。
大道芸ではない、サーカス。
自分のみたいサーカス。


「ジャグリングで生きる」ことを掲げる私には
著者のパワーと情熱と、そして、足跡が
とてもまぶしく
尊敬の念が
それこそページをめくる度に
次から次へとわいてくるのでした。



本書の終わりに
「独り相撲」
(かつてこういう大道芸があったのです。文字通り、ひとりで相撲をとる。)
を例に挙げて


「勝ってたまるか」


という言葉がでてきます。


私、これに深い印象を受けました。

「勝ち」「負け」でものをみるとは
すなわち
既存の価値観の延長線で物事を眺めることに他なりません。

新しいものを創造する際に
「勝ち」
を得た瞬間
それは
すなわち
既存の枠組み
に絡めとられたことを意味するに他なりません。


これは自由と似ている。

「自由だ」
と思った瞬間に
その「自由」に囚われて
すでに自由ではなくなっている。

「創造して行く」
という生き方は
常に自分の意識を試される
どこまで行っても終わりがない。

それほどに
厳しいものなのですね。


心の片隅に
「勝ってたまるか!」
この気概を持って
生きて行きたいです。



最後に関連リンク。
西田さんが行う活動に興味を持たれた方、ぜひ、ご覧になってみてください。

「国際サーカス村」
西田さんが村長をつとめています。サーカスという文化と共に生きる村、それが国際サーカス村。

「アフタークラウディカンパニー」(ACC)
サーカス、大道芸の企画制作を行っている会社です。海外のサーカスやカンパニーを招聘し、日本に紹介する他、舞台制作を行い、日本のサーカス、大道芸文化を引っ張ってくれています。




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「脳に悪い7つの習慣」(林成之)

2009-11-24 23:53:32 | 
「脳に悪い7つの習慣」(林成之著, 幻冬舎新書, 2009)を読みました。

2008年北京オリンピックにて
日本代表水泳チームに「勝負脳」をレクチャーし
結果に大きく貢献した著者による
脳の活かし方を
7つのポイントから解説。

曰く
「脳神経細胞が持つ本能は、”生きたい””知りたい””つながりたい”」
そして
これら本能から生まれる機能を保持するためにはたらくのが
”自己保存””統一・一貫性”。
これらは脳のはたらきを最大化するのを阻害する因子としても働く。

これらを軸に
脳の働きをよくする習慣が
理論的に解説されています。

この本にあることを
皆が実践できたら
ものすんごくハッピィな世の中になるだろうなぁ
と淡い期待。

---で、この本。
ジャグリングの練習体験を参照すると
ものすごく納得。

ジャグラーなら
こんな経験が少なからずあるんじゃないでしょうか。
例えば---
・100回を目標にカスケードを練習!いよいよ達成するか!!という、その瞬間。ぽとり。99回でぽとり。
・「できる」と信じて練習していたら、あこがれの技ができるようになった。
・繰り返し同じ技を練習していたら、その応用技が思い浮かんだ。


この本は
ジャグリングをうまくなりたいひとに
練習方法などに示唆に富む部分が多い内容となっています。
具体的、かつ、(題名とは裏腹に)ポジティブに取り組める方法が書かれているので
オススメです。


また。
脳をよくするポイントの6番目に

・空間認知能を鍛える

ということがでてきます。
それまでは
割とメンタルな側面にスポットがあたっているのですが
6番目は身体的な部分にフォーカスされています。

空間認知能を鍛える例として
・絵を描く
・キャッチボールをする
というのがあがっています。

キャッチボールは
・正確にねらってなげる、受け止める
ことがよいのだとか。

これは、すなわち、
ジャグリングにもあてはまりますね。

ジャグリングは
マルチタスクになるので
キャッチボールよりも効果が高いのでは、と推測します。


よい脳をつくる習慣つくりの一環に
ジャグリング、いかがでしょうか。



本書を読んだことを実践するところを想像するに
とても充実した未来が待っているように思えます。
実践へ一歩踏み出すのに
難しいことは書いていません。

ぜひ実践しよう。

素直にそう思える本でした。



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「手妻のはなし 失われた日本の奇術」藤山新太郎著

2009-11-21 01:05:49 | 
手妻のはなし 失われた日本の奇術」(藤山新太郎著, 新潮選書, 2009)
を読みました。

日本独自のマジック=手妻
を継承し
今においてなお発展させる著者による
日本奇術史。

奈良時代から現代までの
奇術の栄枯盛衰を
手妻への愛情あふれる視点で書き綴ります。





今はない「呑馬術」の姿を文献から読み解き
継承が絶えそうであった江戸の時代の「金輪の曲」を青森まで足を運びものにする。
さらにさらに
「蝶」「水芸」を受け継ぐ。

手妻の歴史もさることながら
著者と手妻をめぐるスリリングなエピソードに
ぐっと心をとらえられました。


長いスパンでみたときに
芸の浮き沈みというのは
実に激しい。

とりわけ明治以降
10年、20年、というスパンで
栄華を極め、没落し、、、
という様を読むに
将来のジャグリングについて
考えをめぐらせずにはいられませんでした。

東京大道芸事情は
なんだかんだといって恵まれています。

その要因のひとつは
東京都が行っている文化政策「ヘブンアーティスト」もあるでしょう。
しかし
これも東京都の政策ひとつで
明日はどうなるかわかりませんね。

あるいは---
ちょっと極端な想像に思うかもしれませんが
貨幣がすべて電子化されたらどうでしょう?
大道芸における「投げ銭」という習慣も成立し難いように思います。

芸自身の流行廃りだけでなく
社会環境ひとつでも
シーンは一変します。


芸を磨き
好奇心を持ち
心を豊かにし
そして
社会に対してコミットする。

過去を学び
未来を捉える。

このように書くと
いかにもたいへんですが
改めて
それが「芸」に生きることなのである。

本書の読後
我が身を振り返り
姿勢を正された心地がしました。

まっすぐ道を進もう。



---なんだか難しい話になってしまいましたが。


「手妻のはなし」は
読んでいて
とてもたのしい本でした。

大道芸やパフォーミングアーツに興味のある方々には
ぜひ読んでほしい一冊です。


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「江戸の大道芸人---庶民生活の共生」(光田憲雄)

2009-11-16 08:24:59 | 
すたすた坊主
親孝行
まかしょ
淡島様
わいわい天王、、、

これ何だかわかりますか?


これはすべて日本にあった大道芸なのです。

---と言っても
ジャグリングなどの今ある大道芸を思い浮かべると
イメージが違うものが多いかもしれません。

中には
明らかに迷惑なものもありますが
季節、風物を告げるのが大道芸であったり
まちの景色として
かつて
江戸のまちに大道芸がありました。


「江戸の大道芸人---庶民生活の共生」(光田憲雄, 2009, つくばね舎)
を読みました。

表題通り
江戸時代の大道芸を紹介しつつ

「南京玉すだれ」「がまの油売り」「曲独楽」など
日本大道芸の歴史に
新しい解釈を与えています。



「ジャグリング」という渡来した曲芸に身を置いていると
歴史の流れは感じにくいのですが---

こうして
日本の大道芸史に目を通してみると
確かに
綿々と時が続いていることが実感できます。

その流れは決して平板ではなく
数々の流行廃りの繰り返しがあり
それでも
「大道芸」という営みが続いていることに
強く感じ入りました。



日本にある大道芸を愛する方々からすると
ジャグリングは
湖に放たれたブラックバスのごとく
大道芸文化の生態系を大きく「歪める」ものなのかもしれません。

私自身
昨年
奄美大島でジャグリングを伝えたときに
思い悩んだことでもありました。
(>>2008年12月25日(木) ”「揺れる奄美、その光と陰」稲野慎”参照

そのときに
何人かの方から励ましや意見をいただきました。

お世話になった奄美パークの方からは
こんなメールをいただきました。


"奄美には「諸鈍シバヤ」という文化財に指定されている伝統芸能が
ありますが,平家の落人が伝えたという芸能です。
ですからもともとなかった狂言の様な要素が盛り込まれております。
面白いですよね。
もしかしたら島の文化とジャグリングが融合した芸能が
何百年後には文化財に指定されているかもしれませんよ~"




日本の大道芸がもつ歴史を尊重しつつ
真摯に
ジャグリングに向かいあって行きたいな、と改めて思います。


何十年後の日本の大道芸は
どうなっているのかしら。
自分自身が
その大河の一滴であることを思うと
何だかわくわくします。