岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

16 打突

2019年07月18日 09時57分00秒 | 打突

 

 

15 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

再び後楽園ホールに入る。俺以外の選手はアップしていて、いい汗をかき、準備万全といった感じだ。俺は横目でそいつらを見ながら控え室に向かう。部屋のスミでコスチューム...

goo blog

 

 

 
家に帰ってから軽くトレーニングをこなしていると、弟が俺を呼んでいる。家の玄関まで行くと、背は俺より五センチ程小さいが妙に馬鹿でかい奴が立っていた。
「龍さん。」
「えーと…、誰だっけ…。」
 明らかに俺より年下だが、中々の迫力を感じる。以前、どこかで会ったような感じもするが、誰だか全然思い出せなかった。
「そこの忠彦ですよ。川越忠彦です。お久しぶりです。」
「あー…、たー坊かー。でっかくなったなー。今、いくつになったんだ?」
「二十一歳になりました。」
 ようやく完全に思い出せた。小さい頃、よく一緒に遊んだ俺より六つ下の後輩だった。しばらく見ない内、こんなにでかくなっていたのには、びっくりした。
「龍さん、聞きましたよ。この間、総合の試合に出たって。」
「大した事なかったよ。くだらなかったけどな。ところでたー坊は今、何やってんだ?」
「柔道です。でもこの間、大学を辞めてしまいまして…。」
「柔道かー…、俺はやった事ないから何とも言えないけど、色々と大変だよな。たー坊、今、何キロぐらいあるんだ?」
「百二十キロです。もし良かったら今度一緒に、龍さんと柔道やりたいなと思いまして。一人でトレーニングするよりも、二人の方がいいじゃないですか?」
 百二十キロ…。ヘビー級のレスラー並みに重さがある。正直、羨ましかった。
「そうだな、今度、暇ある時、一緒にやろうか。」
「龍さんみたいに体ある人って、俺の周りいないんですよ。」
 たー坊と格闘技や柔道の事で色々話した。歩んできた道は違えど、お互い何か通じるものを感じる。
「俺も総合の試合出ようかと思ってるんです。」
「まだ若いんだし、色々と挑戦するのはいい事だよ。」
「そうですよね。ぜひ、今度一緒に練習しましょう。」


 家に電話がかかってきた。倉木と名乗る男。俺の知らない名前だった。
 格闘技の話で、ぜひ一度、会いたい。倉木はそう言った。
 新宿の喫茶店で待ち合わせをする事にした。
 俺が指定された場所へ到着すると、サングラスをかけた男が手を振っていた。横に別の人間も二人いた。
「神威君…、この間の試合、見させてもらった。」
 サングラスをかけた男。多分、この男が倉木だろう。何者なのかは知らない。妙な威圧感を持った男だった。
「ああ、あのくだらない大会の事ですか?」
「スピリットは知っているか?」
 倉木は俺の質問には何も答えず、淡々と話してくる。
「はい、そのぐらいは知っています。」
「一試合、ギャラは一千万…。最低でも、試合に出る選手は、そのぐらいの額をもらっている。興味ないか?」
 心が躍った。金にではない。俺の戦いぶりを評価してくれた人間がいた事に…。
「正直、興味はあります。」
「この間みたいな小さい大会。今度はちゃんと出て優勝をしろ。実績を作れ。」
「……。」
「羽田信行の羽田道場は知っているだろう?」
 羽田と聞いて、神経が苛立つ。ここ最近、プロレスの暴露本を出したらしい。サブタイトルで、今まで俺は真剣勝負をしてきた事がなかったとか、ふざけた事を抜かしていた。
 プロレスの権威を落とし、自分はスピリッツにすがりつき、体裁だけを考えるクズ。俺は羽田が大嫌いだった。
 本人がどう生きようと、それは自由だ。
ただ、そんな暴露本を出したいやらしさ。それまで羽田を一生懸命、応援してくれたファンを裏切った行為だ。それが俺は許せない。自分のしてきた過去を否定し、現在、勝ち組に残ろうとする日和見野郎。今じゃ、スピリッツの顔みたいな感じでのさばっている。
「そこに君を紹介して、話をつけてもいい。スパーリングパートナーも必要だろう。」
「あ、あの…。」
「何だね?」
「お気持ちは、すごい嬉しいです。」
「ふむ…。」
「ただ、俺って羽田信行の事、大嫌いなんですよ。あんな、クズの下にいるぐらいなら、歌舞伎町で裏稼業してるほうが、よっぽど男らしいです。だから、この話、お断りします。すみません…。」
 人間には生き方というものがある。本当は喉から手が出るぐらいだった。しかし、俺が尻尾を振って、スピリッツや羽田の下にいったら、大地さんが悲しむ。それだけは死んでも出来ない。
 倉木…。この男がスピリッツの黒幕かもしれない。そんな男に誘われたのは嬉しい。ただ、羽田だけは認められない。これだけは、どんな条件を出されても受けられない。
 俺は無言で、喫茶店をあとにした。

 久しぶりにジャズバーへ行く事にした。何年かぶりなのに、短髪のマスターはちゃんと俺を覚えてくれていた。
「お久しぶりですよね。」
「お久しぶりです。モスコミュールもらえますか?」
 清美から教えてもらったカクテル。それ以来、俺のお気に入りとなっている。店内は静かなジャズが流れていて、いい雰囲気だった。俺以外にも客は二組入っており、仲の良さそうなカップルと、むさ苦しい男三人が各ボックス席に座っている。
「どうも、お待たせしました。」
 モスコミュールがカウンターに置かれる。一口飲もうとグラスを近づけると、ライムの爽やかな風味がしてくる。俺は一気にカクテルを飲み干す。炭酸の弾ける泡が喉を刺激して心地いい。
「そういえば、この間の新世界プロレス見た?」
「ああ、「T1」とやって、また負けたやつだろ。」
「大和は大和でプロレスばっかでつまんねえし、新世界は終わってるしなー。」
 後ろのボックス席にいる男三人組の話し声が聞こえてくる。耳障りな会話だったが、飲んでいる席なので、聞かないフリをすることにした。
「マスター。もう一杯、同じのもらえますか。」
「はい、モスコミュールですね。かしこまりました。」
 さっきの会話を聞いて、俺の神経がざわめきだしている。俺がこの間出た大会も、組織の力によって握り潰されてしまい、結局は何の効果もなかった。
「でもさー、もう、プロレスって終わってるよな。」
「まったく駄目駄目…。俺らの方が強いんじゃねーの。」
「そうだな。でもさー…、格闘家って一生懸命鍛えてっけど、いくら人間強くなったって銃やナイフにはかなわないんだから、今どき格闘技ってのもナンセンスだよな。」
 俺は立ち上がり、男三人組のテーブルに近付く。モヤシみたいな、ひょろっこい体した軟弱な連中が、一丁前に俺をニヤけながら見ている。
「何だよ、文句あんのか、兄ちゃん…。刺されてーのか?」
「おまえらの言った台詞…、取り消せよ。」
 出来る限り冷静に俺は言った。
「何、格好つけてんだ?馬鹿か、テメーは?」
「銃やナイフって偉そうに言ってるけど、おまえら実際持ってるのか?こっちはな、武器など使わず、体一つでどこまで強くなれんだろうって頑張ってんだよ。そんなひょろい体してて、喧嘩も満足に出来ない奴らが、格闘技舐めてんじゃねーぞ。」
「こっちは、さ、三人いんだぞ…。」
 一人一人の顔を覗き込むように睨みつけてやると、全員下を向いて目線を逸らす。
「だったら何だよ?三人いれば俺に勝てんのか?得意のナイフとか出すのか?最初に言っとくけど、ナイフ出したらその腕、一生箸も持てないくらい壊すからな。そんなもん持ったぐらいで、強いなんて勘違いしてんじゃねえ。まあ、実際にナイフ出せるほど、おまえら根性もクソもなさそうだけどな。じゃあ、そろそろ表行くか?」
「す…、すいません…。勘弁して下さい…。」
 三人組はテーブルを立って、そそくさとジャズバーをあとにする。自分の感情で動き、店の迷惑になる事をまたしてもしてしまった。三人組が帰ったあと、マスターに謝る。
「いやー、気にしないでいいですよ。あいつら最近になって来だしたんですけど、マナー悪いから、近々入店断ろうと思ってたところですから。」
「本当にすいませんでした…。」
 ふと、大和の合宿へ行く前の事を思い出した。大沢の酒乱が元で、俺にとって大惨事になった嫌な思い出…。あれがなければ、俺の人生も少しは変わっていただろうか。
いや…、人生に、たらればなんて在りはしない…。

 新宿に仕事に行き、空いた時間をうまく使ってトレーニングという生活の繰り返しで、毎日を過ごす。今日はクリスマスイブで仕事が休みだと言うのに俺は何の変わりもない。
 宛てもなく外へ走りに出ると、真っ白な雪がしんしんと降っていた。思わず空を見上げてしまう。
一粒一粒ゆっくり落ちてくる雪を眺めた。
周りを見渡すと多数のカップルが仲良さそうに腕を組んで歩いている。走りながら呼吸をした時に出る息が白く、まるで煙を吐き出しているように見えた。
 しばらくの期間をおいてから現役復活という形で試合をしたが、あの時の大会を思い出すといまだにイライラしてくる。自分のとこの選手の勝敗にこだわるあまり、戦う上で何か大切なものが欠けている。ウィークリー格闘技もそうだ。
額を通じて汗が目に入ってくる。この寒さの中、だいぶ体が温まってきたようだ。息も乱れてきている。細胞が喜びのあまり、あっちこっちで騒ぎ出している。
今日はとことんトレーニングに没頭しよう。過ぎた事をいつまでも考えていても仕方がない。
 俺は無我夢中で走った。胸が苦しくなるたびに細胞がハシャギだす。次から次へ滴り落ちてくる汗を振り払い、いつものトレーニング場まで向かう。がむしゃらに体を動かした。ここまで夢中になってやるのは、この間の試合以来だった。苦しくて溜まらないがこの感覚が非常に心地いい。いつもエルボーや拳を叩きこんだ木は、俺の血を吸い、表皮はドス黒く変色していた。
 帰り道も沢山のカップルと擦れ違う。他に家族連れとかにも擦れ違っているはずのなに、カップルが妙に気になるなんて、単なる嫉妬心からだろう。正直、見ていて羨ましかった。
 いや、雑念を捨てろ。色々な事を思いながら走っていると、十メートル先にいるカップルの男が俺を指差しながら笑っている。
「おい…。あいつ、この雪の中はりきって走ってるよ。格好いいねー。」
 俺は走りながら睨みつけても、男はムカつくひねた笑みを浮かべ見ていた。
「イブだというのに、何か可愛そうな奴だよなー、義美。」
「そんなに笑っちゃ駄目よ、明。あの人、こっち睨んでるじゃない。」
「だってよー…、グエッ。」
 走りながら舐めた男の右足を蹴飛ばしてやった。男は足を押さえたまま地面に転がっている。見ていてムカついていた気分が、少しだけスッとする。ひと言怒鳴りつけてやろうかと思ったが、無視してそのまま家に帰る事にした。
風呂場に行き、服を脱いで鏡の前に立つと、肩辺りから湯気が出ていた。オーラをまとっているみたいで格好良く感じ、しばらく体から出る湯気を鏡越しに見つめる。水圧の高いシャワーで汗と疲れを流れ落とす。今日はゆっくりと眠れそうだ…。

 大晦日、さすがにこの日だけは出勤する時、精神的に重くなってくる。
何故なら遅番の人間は、店の中で年越しを迎えるからだ。
俺は今回で、もう四回目となる。客がいても夜の十一時を過ぎると、みんな帰りだす。これから家族サービスに精を出すのだろう。
まあまあ可愛い女三人組の客だけが店に残っていた。十二時に近付くにつれて、気分が憂鬱になるが、今年は女が店にいるだけまだマシに思える。
あと十分で年明けとなる時に彼女たちは席を立ち、帰り仕度をし始める。俺は心の中であと十分でいいから残ってくれと願った。多分、他の従業員も俺と同じ気持ちだろう。しかしその願いも虚しく彼女たちは、俺たちの横を無常にも通り過ぎていく。
「ひょっとしてお兄さんたち、ここで年を越すんですか?」
「え、ええ…。」
 俺がそう答えると、彼女たちは楽しそうにキャッキャと笑いながら店を出ていく。好きでここにいる訳じゃねえと怒鳴りつけてやりたかった。
時計を見ると年明けまであと五分を切っている。責任者の横山さんが休みなので、俺と角川、小島の三人は、無言で時が過ぎるのを待った。
時計の針が十二時を過ぎ去り、あっという間に正月になる。思えば去年も寂しい年だった。しかし試合に出る時にさおりとキスした事を思い出すと、あながち女関係でいえば、例年よりはマシな年だったのかもしれない。
トレーニングは相変わらず続けてはいたが、今度どうしたいのか目的も何もないまま、コンディションを維持し続けていた。
ゲーム屋という商売は盆正月であろうと一年間、年中無休の仕事なので、世間とは関係なしに働く事になる。だから俺の生活は、一年間、まったく変わりなかった。
「あけましておめでとうございます。」
「おめでとう。」
従業員同士、新年の挨拶をする。一人も客が来ていなかったので、ただ従業員同士無駄話をして時間を潰すだけだった。小島が退屈で仕方ないといった感じで話し掛けてくる。
「神威さーん。今度また格闘技の試合出ないんですか?」
「うーん…、とりあえず今のところは何の予定もないなー。」
「もったいないですよ。もっと試合した方がいいですよ。」
「何が?前回の大会であんだけ汚い事されたら、さすがに俺だって慎重になるって。」
「それは言えますね。慎重になるのも無理ないと思います。」
「でも、具体的には考えてないけど、どんな形であれ、いずれまた動く事は動くよ。」
 基本的に正月の三が日に限って歌舞伎町ほとんどのゲーム屋が、日払いの金とは別にお年玉という名目で別途に金が支給される。だいたい相場は日払い分プラス一万円なので、正月働く事に対して誰も文句を言う奴はいない。
 店の入り口のチャイムがなる。入り口からひょこっと小倉さんの顔が見える。小倉さんはビップな客だった。
「あけましておめでとうございます。」
「おお、おめでとう。今日はさすがに暇だねー。」
「年が明けたばかりですからね。」
 新年早々、店にとって一番いいお客さんが来てくれた。小倉さんはニコニコしながら、ポーカーをやり始める。小倉さん効果か、今までが嘘みたいにそれから客が来てくれた。従業員一同、大汗を掻きながらホールを駆け回る事になったが、やっぱり仕事は忙しい方が楽しい。客が来ないで、へこんでいるよりは全然いい。
忙しさは時間を忘れさせてくれる。気付けば、もう朝の八時を過ぎていた。小倉さんが帰ろうとしているので、俺は入り口まで見送る事にする。小倉さんはトボトボ歩きながらいきなり途中で立ち止まり、俺のほうを振り向いてニコニコしている。
「今日は、勝負らー。」
 急に訳分からない事を言い出しているので、不思議に思いながら小倉さんを見ているとふところに手を入れてモゾモゾしていた。
「うわっ、どうしたんですか?」
 小倉さんはふところから出した物を見て、俺は思わず声を出してしまう。一万円札の札束だ。一、二、三、四、五…、札束を数えると五つもあった。確か一束で百万だったから、今、俺は五百万円の現金を目の前で見ている事になる。
「今日は勝負らー。」
「勝負って一体何をするつもりですか?」
「立川に行って勝負ら。」
「た、立川って競輪ですか?」
 年明けと共に店に来てポーカーを一晩中やって、これから立川まで競輪に…。ビックリするほどタフで凄いおじいさんだ。
「そうだよ。」
「もしかして、小倉さん…。そのお金、全部つっこむんですか?」
 聞くまでもないが、俺が尋ねると小倉さんは笑顔で頷いていた。
見送りを済ませてホールに戻っても、帰り道に襲われたりしないか心配だった。しかし小柄なおじいさんが、あんな大金を持ち歩いているだなんて、誰にも分からないだろう。

 たいして何の出来事もないまま、二月になった。
 今日はこれからたー坊と一緒に柔道の練習をする予定になっていたので、電話を切ったあとで、早速準備にとりかかる。トレーニングウェアーに着替えながら、柔道というものについて考えてみる。俺は道着の帯の締め方すら知らないド素人だが、今までやってきた事を生かして頑張ってみよう。
あいつは柔道の世界では相当なレベルらしいと、確か弟が言っていた。体重も百二十キロあるらしいし、たー坊とやる事で、きっと、何かしら得るものがあるはずだ。
 昼過ぎになって、たー坊が家まで迎えに来た。
「どうも、龍さん。今日はこれから大丈夫ですか?」
「ああ、柔道着も新しいの買ったしね。すげー楽しみにしてたんだ。」
「じゃ、早速行きましょう。」
「場所はどこへ行くんだ?」
「自分の知り合いの道場です。そこは高校生の黒帯や大学生もいるから、龍さんにとって結構いい練習相手もいっぱいいますよ。そこの先生も素晴らしいんです。」
 たー坊の車で道場まで向かう事にする。二十分程して目的地に着く。思ったよりも道場は近かった。牛島道場と書いてある看板を見て、この道場の年季と威厳を感じた。中へ入ると、ドタンバタン受身をとる音が聞こえてくる。
「龍さん、こっちで着替えるんです。」
「おお、分かった。あれ…、更衣室もちゃんとあるんだ?凄いね。」
 更衣室の中に入ると、高校生らしき若いのが二人いて、たー坊に挨拶をしてくる。初対面なのに俺にまでお辞儀をしてくれた。この辺の礼儀正しさは、ぜひ、俺も学ばなくてはいけないなと感心してしまう。道着に着替える為、上半身裸になると、高校生らはジッと俺の体に注目しているのが分かる。
「すげー…。」
「龍さん、ほら…。高校生が龍さんの体見てビックリしてますよ。」
「俺の体なんて全然たいした事ねえって。」
「何、言ってんですか。龍さんの体は理想の体形ですよ。見てて格好いいですからね。」
 ヨイショしているのかどうか知らないが、褒められて悪い気はしない。柔道着を着たが、肝心の帯をうまく締められず徐々にイライラしている俺をたー坊が見かねて帯を締めてくれた。
「柔道着、なかなか似合ってますよ。」
「おだてんじゃねえ、何も出ねえぞ。」
 道場に入る前に入り口でビシッとお辞儀をする。緊迫した空気が俺の体を包みこんでくる。たー坊はこの道場主の牛島先生に俺を簡単に紹介してくれる。ちょっとした違和感を覚え、先生の顔を見た。この先生は目が見えないんだろうという事が、俺にはすぐに理解出来た。
「はじめまして、神威と言います。」
「ああ、はじめまして。川越君からよく神威さんの事は聞いてますよ。結構前から柔道をぜひやらせて見たいって年中、私に言ってましてね。」
 俺から見て初印象はとても良かった。喋り方もとても柔らかくて好感が持てる。たー坊をチラリと見ると、恥ずかしそうに笑って誤魔化している。
「確か神威さんは以前、大和プロレスにいたんですよね?」
 果たして俺は堂々と居たと言える資格はあるのだろうか…。実際に大和のリングで俺は一度も試合をしていない。確かに色々と問題はあったのかもしれないが、所詮そんな事は言い訳に過ぎない。要するに俺はいつまで経っても中途半端な奴なのかもしれない…。
「何か、迷い事でもありますね。いや、迷い事と言うよりは、心にずっと深い霧がかかったままの状態と言ったほうがいいんですかね?」
 心の中まで見透かされているような気がした。
「は、はい…。」
「ご覧の通り私、盲目でしょ。視力を除いた五感に頼って生きていくしかないんですよ。その為か、相手の心理状態など、見えやすくなっているんです。」
 昔、何かの漫画か本で見た事があったが、確か心眼というやつじゃなかったっけ…。この先生は只者じゃない。ヘラクレス大地さんとは違った形のオーラというか、雰囲気を感じる。漢字一文字で表すなら「静」という言葉が、ピッタリこの人には当てはまる。
「以前までいた事はいましたが、もう結構前の話です。練習中に左腕をやってしまいまして、それ以来です。この間、久しぶりに総合の試合に出ましたけど、訳分からない大会で、全然、話になりませんでした…。それよりも今日は突然お邪魔してすいません。」
「いえいえ、随分と普通の人より面白い経験をされてますね。うちの道場生のいい刺激になってもらえると思いますよ。」
「よろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
 大和プロレスの準備運動からしたら物足りないが、基本的なストレッチや筋トレをしてから受身の練習や乱取りに入る。下が畳なのでリングとは違う感触に少し戸惑う。たー坊に投げられながら、受身をとってみる。もちろんリングの上より固いが、それでも受身さえちゃんととれれば何も問題はなかった。久しぶりの受身で体に衝撃が走る。あまりにも久々の感覚で、背中から快感がジワリジワリと広がっていくようだ。大和プロレス時代に受身の練習のし過ぎで、背中の皮が剥け、血が滲み出したを思い出す。
「レスラーはね、何やられたって絶対に壊れない体を作らないといけないんだよ。」
 ヘラクレス大地さんの言葉が、どっかから聞こえたような気がした。俺はあの人に技を習った訳じゃない。レスラーとしての基礎中の基礎をあの時に叩き込まれたのだ。技云々よりもまずは体…。
「たー坊、おまえの得意な投げ技ってなんだ?」
「うーん、やっぱ裏投げですよね。あとは払い腰です。」
「それで思いっきり俺を投げて、叩きつけてくれないか?」
「えっ?でも…。」
「頼むよ、気分的に思い切り投げられたいんだ。受身もしばらくしてなかったしね。」
「分かりました。じゃー、行きますよ。」
 たー坊が動いたかと思うと、一瞬にして俺の体は宙に舞う。
今、自分の体が空中でどのような形で投げられているのかを頭の中で描き、地面に叩きつけられるまでに受身をとれる体勢を作るようにする。
時間にして、ほんのコンマ零点何秒かの短い間だが、俺にはスローモーションのように感じられた。
背中から畳に落ち、技の威力に逆らわずに身を任せて体にかかる負担を減らす。最後に右腕で畳を叩きつけるようにして受身を完成させる。道場内でパーンという派手な音が響き渡り、心地良い痛みが体中を駆け巡る。
「龍さん、大丈夫ですか?」
「バカ野郎、大丈夫に決まってんだろ。久しぶりの感覚で体中が懐かしいというか、細胞が喜びのあまり悲鳴あげてんだよ。」
「は、はぁ…。」
「ほら、続けるぞ。」
 十回受身をとり、今度は俺がたー坊を投げる番がきた。
「たー坊、俺さー…。柔道の投げ技って全然分からないんだ。クラッチ組んでスープレックスで投げちゃ駄目?」
「それは駄目ですよ。それじゃ、まず基本的な大外刈りから教えますよ。」
 柔道の中じゃ、何も知らない俺は赤ん坊のようだ。たー坊は熱心に色々と教えてくれた。

 専門外とはいえ、相手がいながらの練習はとても楽しかった。格好いい言い方をすれば、ずっと一匹狼として生きてきた。常に孤独感は付きまとっていたが、全然、構わなかった。
少しでも大和プロレスにいたというプライドだけが、俺をこれまで支えてきた気がする。いい加減に生きてこられなかった。大和にいた奴ってこんなもんかと、思われたりするのが嫌で必死に頑張ってきたのだ。
倉木からのスピリットの誘いを蹴った俺。それでも後悔はしていなかった。
 たー坊と柔道をやったおかげで、普段トレーニングで鍛えている箇所とは違う部分が、パワーアップしている。
少しだけ柔道をやって感じたのが、あの柔道着を着て動くという事がどれだけ大変か分かった。投げにいって相手を持ち上げられても、道着を捕まれて封じられた。寝技の時に道着を使っての絞め技など、色々と道着を使った技術的な事には驚かされた。
それより柔道家の立っている時の間合いや重心の低さには驚かされた。勉強になる事ばかりだ。
レスラーの場合、投げ技をかけられた時、自ら飛んで受身をうまくとろうとするケースもある。柔道でそれをやると、背中から落ちて一本負けになる。その辺のバランスが実際やってみると大変なところだ。柔道は投げ技の緻密な攻防がある。

「ワシのプロレスは何でもありじゃー。」
プロレスの雑誌を見て、小さい団体のレスラーのコメントで、こんな台詞が掲載されていた。確かにプロレスは何でも有りだが、最近、勘違いしている小さな団体のレスラーが、多くなったような気がする。
レスラーは厳しいトレーニングをし、強靭な体を持ってこそ、初めて何でも有りなんだといえると思う。
現在プロレス団体は細かく細胞分裂化していった。他の格闘技団体の人気も影響あるにせよ、世間的では、どんどん地位を落としている。
分裂した分、様々なスタイルの団体があった。しかし、それがプロレスをさらに人気のないものにしているような気がする。試合内容をこだわるのはいい事だと思うが、それにこだわり過ぎて、勝負論から外れているレスラーも多くなった。
そのレスラーや団体のファンは、それでも拍手を送ってくれるが、一般的に見れば、所詮、言い訳にしか聞こえないだろうし、プロレスに興味を持ってくれないだろう。
強さなくしてレスラーと語るな…。おちょくっている連中が多過ぎた。
世間は内容でなく、強さを求めている。俺はもう少し、勝負にこだわるべきだと感じる。今の俺がこんな事を言っても、筋違いの話ではあるが…。
もともと強さがあった上でのプロレスが好きだった。「T1」やスピリッツのような、他の格闘団体に押され、プロレス界にはキツイ時代がやってきている。
思い上がりかもしれないが、俺が総合の試合に出る事でプロレス界の現状を何とかしたかった。でも、俺は顔じゃなかった。
あの試合の時、何も考えず新堂の横っ腹に打突を打ち込んでいれば…。そのあと何だって出来た。パワーボムだって、ジャーマンスープレックスだって何だって出来たんだ…。
勝負に対し非常に徹する事が出来ない俺は、もともと格闘技に向いてなかったのかもしれない。
歪に骨の出た左肘を見つめる。憎悪のある木の下なら、迷わず打突を突き刺せる事が出来る。しかし、誰々限定なら打突が出来るという事自体、闘う上ではナンセンスな話だ。
もう闘う事をやめようか…、そんな気持ちが出てくる。だいたい俺がいくらやったところで、ヘラクレス大地さんに、何の恩返しが出来るというんだろう…。
大和プロレスを駄目になってから、今までずっと宛てもなく彷徨っている。
 
 休みの日、一人寂しくジャズバーで飲んだ。カウンターに座り、モスコミュールを一口すする。相変わらず、ここのモスコミュールは旨かった。
俺の横に座り、ガーガーでかい声で話す変なオヤジさえいなければ、もっといい気分に浸れるのに…。店の雰囲気を台無しにしている。
「そういえば、神威さん。あれから格闘技の方はどうなりましたか?」
 短髪のマスターが俺に声を掛けてくる。まるでうるさい横の変なオヤジから逃げるようにといった感じだ。
「うーん、どうですかね…。今のとこは特に何もないですよ。」
「もう、試合しないんですか?」
「いや、そういう訳じゃないですよ。ただこれといった目標が見つからないだけで…。」
「大和プロレスには、もう戻らないんですか?」
「戻りたいけど、もう俺は戻れないんです…。まあ、戻れたとしてもあんな化け物揃いのとこだと、俺なんかケチョンケチョンにやられちゃいますけどね。」
「そんなにレスラーって強いんですか?私は格闘技とか見ないから、よく分からないですけど…。神威さんなんか、結構強い方なんじゃないですか?」
「大和プロレスに関してしか言えないですけど、俺なんかよりもメチャクチャ強いです。特に伊達さん、山田さん、大河さん、夏川さんなんか本当に化け物ですよ。亡くなってしまったけど、ヘラクレス大地さんはさらに化け物でした。」
「あのヘラクレス大地ですか?私もそのぐらいは分かりますよ。」
「ええ、大地さんは、本当強かったです。そして人としても立派でした。」
 あの人のおかげでまともとは言えないかもしれないけど、俺は充実してやってこれた。
「君は何でいちいち、レスラーをさん付けで、呼んでるんだね?」
 横のうるさかったオヤジが、俺に声を掛けてくた。
「以前、大和に世話になってた事があるからですよ。世話になった先輩ですし、その時の恩もあるし、俺は今でも感謝してるから、さん付けで言っているだけです。」
「ふーん、今、何かやってるのかね?」
 何だか偉そうなオヤジだ。ムカつくが、マスターの手前もあるし、我慢する事にした。
「この間、総合の試合には出ましたけど最近は特にって感じですね。ただ、またコンディションを調整して出ようとは思ってますけど。」
「今、何歳だね?」
「二十七ですけど?」
「二十七?あー、無理無理。二十後半になってそんな事、言ってたって無理。」
 静かに血液が沸騰していくのが分かる。何様のつもりだ、このクソオヤジが…。
「私はねー、柔道の道場をやってるが、うちの練習生がよく言ってるんだよ。」
「何を言ってんすか?」
「スピリッツとかプロレスもそうだけど、楽でいいなって。」
「楽?一体、何が楽なんすか?」
 声がだんだん震えて甲高くなってきている。
「今の柔道はね、投げ技で華々しく一本とるといったほうが観客受けもいいから、寝技に入って膠着状態になるとすぐ待てがかかり、引き離されるんだよ。その点、プロレスにしても総合にしても、膠着状態になっても待てもかからずにダラダラ出来るじゃないか。」
 我慢の限界だった。席から立ち上がりオヤジを睨みつける。
「おい、舐めてんじゃねーぞ、オラッ。何が楽なんだ、ボケッ。テメーのとこの練習生だか何だか知らねーがよ。全員、連れてこいよ。俺がブチ殺してやっからよ。」
「何だ、その口の利き方は?」
「オメーが俺をこうやって怒らせたんだろが?いいか、一つだけ言っといてやるよ。」
「何だ、君は偉そうに。」
「プロの格闘技舐めてんじゃねぇ。わざわざ金払って習ってるガキどもが偉そうな事、ほざいてんじゃねえって、ちゃんと教育しとけ。」
 久々に頭にきた。言うだけ言ってジャズバーをあとにする。そうじゃないと、オヤジをボコボコに殴ってしまいそうだった。
 とても小さい目標だが、とりあえず当面の目標は見つかった。あのムカつくオヤジの道場生共を柔道ルールでやって、投げ飛ばしてやりたくなってきた。

 不思議とトレーニングをまたちゃんとやりだすようになった。やはりコンディションを整えて万全の状態でギャフンと言わせたい。くすぶっていた炎が少しだけ大きくなってきていた。
相手の土俵上である柔道でやってやるという俺の行為は、周りから見たら単なる大馬鹿者にしか映らないだろう。だけど、プロの格闘技を素人が馬鹿にするのは許せない。
 総合のスピリッツなどでもよく見られる寝技での膠着状態は、ある意味仕方のない事だ。一瞬の隙が一発のパンチによって決まる事もある。それどころか一瞬で腕の靭帯を伸ばされる事だってあるのだ。お互いにガードを固め合い警戒し合うので競技の性質上膠着状態になりやすいのは当たり前なんだ。それを何も分からずに楽だのと、偉そうな能書きばかり抜かしやがって…。
 たー坊に連絡をとって、例のオヤジの事を聞いてみる事にした。まずはジャズバーでの経緯を話してみる。
「龍さん、話、聞いてて思ったんですけどそれって多分…、浅田道場のだと思いますよ。評判はあまりよくないです。」
「その浅田道場ってのは何なんだ?そんなに強い連中ばっかいんのか?」
「そこそこのレベルですよ。」
 その程度で偉そうにほざきやがったのか。思い出すと、余計イライラしてくる。
「たー坊、お願いがある。今度、柔道の大会近い内に何かないか?」
「ありますよ、一週間後に市の武道館借りて。あんまり大きくない大会ですけど。」
「それに浅田道場の奴らって出るのか?」
「出ますよ。自分は出場しないですけど。」
「たー坊、俺をその大会に出させてくれないか?」
「む、無理ですよ。だって龍さん、どこの道場にも所属してないじゃないですか。」
「無理を承知で言ってんのは分かってる。だからこうして頼んでるんだろ。」
 散々嫌がるたー坊を説得するのは大変だった。何度もお願いして、とりあえずたー坊のいる道場所属という形にして話してみると言ってくれた。持つべきものは先輩思いのいい後輩だなと実感する。
 次の日にはたー坊から連絡があり、大会への出場が決定したと報告がきた。あのムカつく浅田道場のオヤジの教え子をこれで苛められると思うとワクワクしてくる。
「龍さん、くれぐれも打撃は禁止ですよ。」
「そのくらい分かってるよ。柔道なんだから。」
「背負いにいくふりして、相手のみぞおちに肘を入れるとかもですよ。」
「えー、それって駄目なの?見えないようにすれば、いいんじゃない?」
「絶対に駄目です。約束して下さい。じゃないと、龍さんを紹介した自分にまで…。」
「冗談だよ。分かってるよ。そんなたー坊の顔をつぶすような事はしないよ。」
「あとですね、立った状態での関節技は駄目です。それと寝技に入っても足関節は駄目ですよ。閉め技はありますけど、あくまでも道着を使ってです。直にそのままスリーパーとかは駄目ですよ。あとはですね…」
「もういいよ、あとは今度にしよう。大丈夫だよ、変な事はしないから。」
 聞いていて頭が痛くなってくる。制約が多過ぎだ。立ち関節と足も駄目で、スリーパーホールドも駄目…。柔道の投げ技すらよく分からない俺は、一体どうすりゃいいんだろう。
もし最悪、負けそうになったら打突で軽く審判に見えないよう突っついてやるか…。それなら俺の気持ちも、もっとスッキリするだろう。想像するだけでおかしくなってくる。
「龍さん、何、嫌な笑い方してんですか?」
 自分でも気付かない内に、笑い声を発していたみたいだ。

 久しぶりに整体の先生のところへお邪魔する。今週末柔道の試合に出る事になった経緯を話すと、興味津々に身を乗り出してくる。
「それはムカつくオヤジですねー。でも、やっぱり神威さんは、そうやってるほうが生き生きしてますよ。」
「冷静になってみて考えてみたら柔道家相手に柔道で挑むって、勝ち目ないですよね…。たー坊が色々とアドバイスをしてはくれますが、実際、難しいですよ。」
「そうですねー。じゃーどうすんです?」
 俺は右親指を目の前に突き出して、ニヤリと笑う。
「それは駄目ですって、打撃禁止じゃないですか。しかもよりによって打突だなんてエグ過ぎますって…。」
「あくまでも負けそうになったらですよ。問題ないですって。」
 今回の柔道は自分から言い出した事だから絶対に負ける訳にいかなかった。いくら卑怯と言われても負けるよりはマシだ。
 仕事中もずっと頭の中でシミュレーションをしていた。
小倉さんとかのいいお客さんがせっかく店に来てくれているのに、全然仕事に集中出来なかった。店の従業員は俺が今回柔道の試合に出る事に対し、あまり関心を示してくれない。喧嘩をするというなら喰いついてきそうな話題だが、柔道をした事のない俺が柔道をやるというシューチェーションでは、興味を持ってくれないのも無理はない。
そんな事よりも俺は、勝つ事を考えなくてはいけない。たー坊に教えてもらった付け刃の大外狩りじゃ、柔道家相手に投げるのは大変だ。かと言ってクラッチを組んでスープレックスで投げようとしても、道着を掴まれたら体勢が崩れる。

 

 

17 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

16打突-岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)家に帰ってから軽くトレーニングをこなしていると、弟が俺を呼んでいる。家の玄関まで行くと、背は俺より五センチ程小...

goo blog

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 15 打突 | トップ | 17 打突 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

打突」カテゴリの最新記事