goo blog サービス終了のお知らせ 

楠ヶ丘25P仲間の広場

みんなで楽しく参加ブログ

ちょっといい話ー小松勝助先生をめぐって

2013年03月31日 | 近況

お久しぶりです。服部@名古屋です。

遠い昔の学生時代、神戸外大ロシア学科で教えておられた小松勝助先生を覚えていますか?

この3月ひょんなことから小松先生のことを調べることになりました。

数ヶ月前に若いウクライナ人イホール君と知り合いになりました。ウクライナのキエフの言語大学で

言語学を専攻したイホールはその後留学したウィーンで日本人女性と恋に落ち、結婚して日本に来てしまいました。

最近珍しいくらいまじめでピュアな感じのする青年です。彼はウクライナ語とロシア語のバイリンガルで、しかも

おばあさんがポーランド人だそうで ポーランド語も堪能、さらに英語とドイツ語も不自由しないそうです。

現在は日本語の猛勉強中で、言葉のセンスがある人なのでどんどん上手になってきています。
最初は日本語があまりできなかったので ロシア語を話す人に会ったのがうれしかったらしく、ロシア語の

生徒さんたちのたどたどしいロシア語にも めんどうがらずに親切につきあってくれ、ロシア語で話す

集まりにもよく来てくれます。そんな彼に「ロシア語はどこで習ったか?」と聞かれて「神戸の外語大学で、、」

と言ったことがありました。

ある日彼からメールが届いて
「和さんは神戸でロシア語を勉強したと言ってましたね。ひょっとしてショースケ・コマツという人をご存知ないでしょうか?

タラス・シェフチェンコの作品を日本語に訳した人で 神戸の外国語大学の教授だったようですが、、」と言うのです!

何十年ぶりかで小松先生の名前を若いウクライナ人から聞く不思議!

ウクライナで発行されるэнциклопедия(百科事典)に コマツ・ショースケが掲載されるのだそうで、それについては

出生地・死亡地などの情報と写真を探してほしいと編集部から日本にいるイホールに依頼があったそうなのです。

私は小松先生にロシア語を習った記憶がありません。あんまりおもしろくないロシア文学史の講義を聞いたような

ぼんやりとした記憶はあるのですが、、私たちの在学中に先生は交換教授でモスクワに行かれたこともあって

私たちの学年は接触が少なかったかもしれません。

それで私には全然情報がないので まずインターネットで検索してみました。ところがシェフチェンコの

「タラス・ブーリバ」の訳者ということ以外ろくな情報がないのですね。そのわずかな情報の中に出てきたのは

神戸外大の同窓会誌でした。小松先生が亡くなった時に同窓会誌に追悼文が掲載されていたのです。残念ながら

その同窓会誌は私の手元になかったのですが、追悼文を書いている人の中に神戸外大教授の岡本崇男先生の名前が

ありました。私たちの一年後輩の岡本君です。

そこで彼にメールで調査をお願いしたところ「調べ物をするのが仕事のようなものですから」と快く引き受けて

いただけました。岡本先生は大学時代と大学院時代を通じて4年間小松先生の教えを受けられたそうです。

岡本先生の最初のメールでは
「先ず,先生は東京生まれの筈です。ご先祖は秋田藩士で、廃藩置県後に藩主とともに東京に出てきたのだそうです。

「新宿育ち」で、府立三中(現在の新宿高校)、陸軍幼年学校で教育を受けられたと伺っています。それから、

お亡くなりになったのは、2000年4月21 日のことです。
大阪の病院に入院されていたと聞いています。」とのことでしたが その後「大正五年秋田県で出生」ということが

わかりました。大学の事務室に先生が叙勲されたときの申請資料が保管されていたのだそうで岡本先生が確認して

くださったのでした。

小松先生です。この写真も岡本先生がさがしてくださいました。


というわけで イホールに頼まれた情報をそろえることができ、彼も大喜びです。


「日本にウクライナ文化を愛し、ウクライナ語を学んだ人たちがいること、ウクライナ文学を

日本語に訳した人がいることをウクライナ人は知るべきだし、覚えているべきだ」と彼は

言ってくれました。私も、日本ではほとんど忘れられてしまっている小松先生についての記事が

ウクライナの百科事典に掲載されてウクライナの人たちがそれを読む、、と思うとうれしく、

心がほのぼのとしてきました。

今回、思いがけず岡本先生との間で楽しいメールのやり取りができたのもうれしいことでした。

岡本先生は村井隆之先生(覚えていますか?)とウクライナ語の勉強会をしておられたことも

あったとのことです。ウクライナ語はロシア語に近い言葉ではありますが 文学作品を読む

レベルに達するのはなかなか大変なはずです。小松先生はどこでウクライナ語を習われたのだろうか、

実際にどの程度お話になれたのか?モスクワに交換教授に行っておられらた時にウクライナへも

行かれたことがあったのだろうか、学者としてどこがすぐれておられたのだろうか、、ということも

私たちの話題になりました。

岡本先生の世代ぐらいまでは、ロシア語以外のスラヴ語を専門あるいは「裏芸」としている人は、

独学で初歩を学ぶのが当たり前だったそうですが、今では直接現地の大学や語学学校に行くのが

常識になっているのだとのこと。外国語の学び方においても時代は大きく変わりました。


小松先生もおそらく独学でウクライナ語を学ばれたのでしょう。ウクライナ語でのおしゃべりも

お得意であったとは思えません。でもシェフチェンコを訳すことができたのですから その功績は

大きいですね。

こんな機会を与えてくれたイホール君と快く協力してくださった岡本先生に深く感謝しています。


大浦さんのコンサートに行ってきました!

2012年12月16日 | 近況




皆さん、ご無沙汰しています。織田桂子です。
今日は素敵なニュースです。皆さん、クラスメートの大浦典子さん、とっても物静かで、穏やかで、しかもとても優秀でいらっしゃいましたよね。彼女は今、なんと横笛奏者として大活躍していらっしゃるのです。
最近、彼女のブログを発見した私は、コンサート情報を調べ、昨日川崎能楽堂で開かれた彼女のコンサートに行って来ました。

「いのり、つむぐ音」と題されたコンサートは、川崎太鼓仲間響という太鼓の方たちとジョイントで、ゲストで韓国伝統楽器の奏者の方や、岩手の民族舞踊の先生がいらして、美しい笛の音をベースに盛り沢山な内容でした。
彼女の活躍については、次のサイトを見てみてください。「松尾慧@横笛のページにようこそ」というサイトです。
http://members3.jcom.home.ne.jp/4053908601/song_wei_hui@heng_didesu/youkoso.html

コンサート終了後にちょっとだけ大浦さんー松尾慧(まつおけい)さんとお会いできて、一緒に写真を能舞台の前で撮っていただきましたので、服部さんにお願いしてアップして頂きました。松尾さん、コンサートのトークもなさっていたのですが、とても楽しく、はきはきとしていながら温かく、笛や芸能の歴史について分かりやすく説明してくださって、本当に素晴らしかったです。ぜひ皆さんにお伝えしたく、投稿いたしました。見た目もとてもお若くて美しくて、30代といっても良いくらい。本当です!
クラスメートがこんなに素敵な活躍をなさっているって嬉しいですよね。

浦口さんのお琴の演奏会もぜひいつか伺いたいです。また教えて下さいね!

守護の天使

2012年08月06日 | 近況
茨木政子です。


(画像をクリックしてください。拡大画像が見られます。)
お祈りをお願いする時に、時々、添付する「守護の天使」の御像です。ある神父さまにお送りしたら、気に入って下さり、もっと大きい写真を送って下さいと言われたので(携帯電話の写真だったので)、デジカメでとりに行きました。
草津教会の墓地の入り口にあります。子どもさんを亡くされた方が、寄贈建立されたそうです。

孫のすみれと私。




 

ご連絡

2012年03月21日 | 近況
みなさん、ご無沙汰しています。 前川です。

早いもので、私は来月(4月)20日に定年になります。 一浪で入学したのと、
4月生まれであるのとで、一番早くその時が来ることになると思います。
実は本日より一か月有給休暇で、実際には19日が最終日でした。65歳まで
は再雇用ができるのですが、一度リセットしたく、退職する事にしました。
今後のことは全く考えていませんが、先ず半年程は、失業保険で、と思っ
ています。

取り急ぎ、ご連絡まで。

前川

新年早々の大失敗!

2012年01月05日 | 近況
皆さま、あけましておめでとうございます。服部@名古屋です。

今年受け取られた年賀状の中に差出人のない年賀状がありませんでしたか?
それはたぶん私の年賀状です。
1)昨年2月の京都の写真  2)7月のお茶会の写真  3)生け花の写真
のどれかが印刷されているはずです。

年賀状の宛名印刷をする際に確認を忘れ、差し出人名前なしで投函して
しまったことが今日になって判明しました。これはある友人が今日
私に連絡して教えてくれました。彼女のところへ別の友人から
問い合わせがあったとのことです。謎の年賀状は 生け花の写真付き
のもので手書きのメッセージでロシア語のことに触れていたので
ロシア語の関係のだれかだと思うが、、と聞かれて その友人は
自分宛ての年賀状にも差出人がなかったことを思い出してピンと
きたというのです。

新年早々大失敗でガックリしています。とにかく25日までに投函を
と焦っていたことと、宛名印刷に関しては去年と同じ形で、と思って
しっかりチェックしなかったことが敗因ですね。
ここまで書いて去年も差出人なしで出してしまったかも、、、と
ぞっとしましたが、そういえば去年は宛先人不明で帰って来た
年賀状があったのでした。つまり差出人は書いてあったということ
ですね。

親しい方は私の写真やメッセージの内容やカナクギ流の字で
私の年賀状とわかるはずですが、問題はそれほど親しくない
人たちです。あちこちで頭をひねっている人がありそうです。
ああ、大失敗。

私も数年前に差出人名のない年賀状を受け取りました。
添えられたメッセージに「去年離婚した」と書いてあったので
いったい誰だろうかと気になって気になって。
年賀状には消印がありませんから ヒントが少ないわけで、、
そのきれいな字にも見おぼえがないし、、

友人、知人の中で離婚しそうな可能性のあった人は?とずっと
考えていました。こればかりは電話して「ねえ、去年離婚した?」
って聞くわけにもいきませんしね。
しばらくして なにかのきっかけで誰だったかがわかったのでしたが、
はっきりしないままだったら気持ちが悪かっただろうと思います。

皆さんにもいやな思いをさせてしまったかもしれません。
この場をお借りしてお詫び申し上げます。






ちょっとうれしいこと

2011年12月22日 | 近況
みなさん、お元気ですか? 服部@名古屋です。

今年ももうあと10日足らずで終わりですね。毎年のことですが 12月はあっという間に過ぎてしまいます。まだ年賀状を書き終えてないのですが、このところ投稿もないし、ブログがさびしいので出てきました。

相変わらずの実家の母のいるホーム通い、家には86歳の義母がおり(こちらは元気ですが、まあ、いろいろと、、、)あんまり楽しくない毎日です。ですが最近ちょっとうれしいことがありました。名古屋にロシアの工芸品を売る小さな店ができたのです。ロシアの物品を売る通販のサイトはいくつもあるのですが、手にとって自分の目で見て買える店はなかなかありません。

この店の名前は「リャビーナ」と言います。ロシア語で「ナナカマド」のことです。

先日この店を取材してきました。

この赤い色を使う工芸品はメゼーニ塗りというのだそうです。この小さなマトリョーシカがかわいい!オーナメントに使うなんてすごいアイディア!


ロシアの土産物屋に行く必ずあるのがこのホフロマ塗り。以前はこのド派手な色が大嫌いだったのですが 最近は好きになって、今はサラダボウルにできるものを探しています。


これは とてもユニークな形のマトリョーシカ。それぞれ各地の民族衣装が正確に描かれています。


おお、これは何だと思いますか?陶器製でロシア好きの心を揺さぶるかわいさ!オルゴールなんだそうです。とても心が引きつけられますが、、きっと高いでしょうから値段を聞く勇気がありません。


このお店、カフェスペースがあり、ロシアのかわいいもの、美しいものに囲まれてティータイムが楽しめます。400円で紅茶のポットサービス。このカップはグジェリというロシアの陶器です。
青の濃淡で描かれたやさしい花々。右の小皿にはラズベリーのジャム。これをなめながらお茶を飲むのがロシア流。


ところで嬉しいのは名古屋にこんなかわいいお店ができたということの他のもう一つ。この店のオウナーの花井さんは実は数年前に私がロシア語を教えた人なんです。そのころ私のクラスでロシア語を学びながら、彼女は日本語教師養成講座に通っていました。資格を得た後、ロシアに短期留学、その後2年間リャザンと言う町の大学で日本語教師をしました。もともと焼き物とか工芸品が好きだった彼女はロシアでもあちこちの工房をまわってロシアの民芸品を見て歩きコレクションしてきました。今年の夏、名古屋に戻り、今後の生活を模索しているうちに ロシアの工芸品を紹介する店を開いたら、、というアイディアがひらめいたのだそうです。

名古屋にいらしたら是非お立ち寄りください。また今日ネットショップ開店だそうですから ロシアモノがお好きなかたは是非のぞいてみてください。
日本とロシアの工芸・雑貨・器&カフェ リャビーナ」

私はこの日はちょっとしたプレゼントを探しに行ったはずが 何もかも欲しくなってすっかり散財してしまいました。危険な店です!今我が家の玄関を飾っているクリスマストゥリー型のマトリョーシカもこの店で買いました。




台風15号去って

2011年09月21日 | 近況
服部@名古屋です。

昨日の名古屋は大雨になりました。天白川や庄内川が氾濫して大騒ぎ、死者も出ました。今日は強力な台風が名古屋を直撃するというので朝から緊張。母の老人ホームに行くのも中止して窓の外ばかり見ていました。学校もお休みになりました。朝は大雨でしたが その後いつ強い風が吹き始めるかとハラハラしていたのに そのうちに台風は首都圏から東北に行ってしまい、我が家のあたりでは大したこともなく過ぎてしまいました。東京では電車が止まって駅で立ち往生している人がたくさんいたようですね。東北に行った台風、今度は福島が心配です。このところの大雨続きであちこち大変な被害ですね。
みなさまのところではいかがでしたか? 

まだ暑い日が続きそうですが お元気で。


蓼科郵便局と「銀のポスト」

2011年08月27日 | 近況
皆さま、お久しぶりです。服部です。
長い間何も書くことができませんでした。それでもけっこうアクセス数があって驚きです。こんな放置されたブログ、どなたが見に来られたのでしょうか。季節は移り、もう残暑お見舞いの季節になってしまいました。

今年のお盆は蓼科で過ごしていました。私は手紙を書くのが好きで、どこかに出かけるときには、必ず絵ハガキと切手と住所録を持っていきます。中学生のころ、外国人と文通を始めたのがきっかけで切手が好きになり、記念切手を買うようになりました。また消印もしっかり見る方です。
蓼科で手紙を書いてポストに投函すると、どこで投函しても消印は「茅野」になっていて「蓼科」という消印は押してもらえないのがずっと不満でした。

今回はウィークデイに蓼科にいたので郵便局の窓口から送ってみようとプール平にある「蓼科郵便局」に行ってきました。



左側の建物が現在の蓼科郵便局、右隣のかわいい建物が旧蓼科郵便局の建物です。今は「銀のポスト」というカフェになっています。ちょっと見難いですが建物の前に銀色のポストが立っています。
まず左側の現・蓼科郵便局に行って「風景印」をお願いして押印してもらいました。


とうとう「蓼科」の消印が押してもらえました!「風景印」というのはその郵便局がある場所の名物や景色をモチーフにした特別の消印のことです。私は最近これを知り、あちこちで風景印をチェックするようになりました。ちなみにこの切手(一部破れてしまっていますが)、昭和52年の夏に発行された「ヒメハルゼミ」の切手です。当時は50円で封書が送れました。

このはがきを窓口で出してから隣の「銀のポスト」でお茶を。元郵便局だったということでコースターにも切手が!



霧ヶ峰に行ってみるともうマツムシソウがいっぱい咲いていました。ワレモコウやヤナギランも。高原はもうすっかり秋の気配です。



でももどってくれば名古屋は真夏!ゴーヤーを育てながらなんとか暮らしています。
まだまだ暑い毎日ですが お体お大切に。

P.S.こちらは名古屋の自宅のそばにある千種郵便局の風景印です。同じ千種区内に動物園があってコアラがいるのです。うしろのお寺は近くの名刹「日泰寺」です。切手は今年の夏横浜で開かれた国際切手展の記念切手、左の浮世絵の一部を拡大したものが右側についていて、とてもおしゃれなデザインです。

松川先生の告別式

2011年06月24日 | 近況
服部です。

今日午前11時から伊丹で松川先生の告別式がありました。
格別お世話になった私ですが、残念ながら参列できず、先生の御冥福を遠くからお祈りしておりました。P25からは村松(宮田)弘子さん、P26からは進藤(増田)さん、小泉(山本)さん、奥村(郡)さんが参列してくださったそうです。

22日の夜に神外大東海支部の先輩から「御存じだとは思うけど松川先生が亡くなられました」とメールがありました。告別式などの予定がわからなかったのでP26の進藤さんから岡本君(現在神戸外大教授)に連絡してもらい、詳細をうかがって昨日みなさんにお知らせした次第です。P26の岡本君と達脇(和田)さんはお通夜に出てくださったそうです。

P25のみなさんも松川先生との接点は様々ですので、僭越でしたが「P25クラス有志」で弔電を送らせていただきました。進藤さんから告別式の様子を聞きました。あまり広くお知らせしないでごくこぢんまりとしたいという奥様のご希望もあって、ひっそりした式で、お香典も受け取られなかったとのことでした。

2006年12月には前川君の企画で松川先生を囲む会が開かれ、久し振りに先生にお目にかかってお話することができました。2007年11月の楠露会は松川先生の米寿のお祝いをするというので大勢が集まったのですが先生は体調が悪く出席されなかったのでした。この時諸先輩が先生の思い出をあれこれお話され「松川先生を偲ぶ会」みたいになってしんみりしてしまいました。その後、一度伊丹の近くで集まりをするか、先生をお宅に訪ねてから同窓会しようかという話も出ていたのですが実現しなかったのが残念です。

今日は一日先生のことを思い出していました。先生の研究室で授業の後延々とお話していたこととか、東京に就職してから相談したいことがあって 公衆電話から伊丹に電話をかけた時のこととか。当時は携帯どころか、100円電話もなく、10円玉をたくさん用意して次々に投入しながらお話したのでした。遠い昔の話です。「おう、島津君か、どうした?」あの懐かしい先生の声がまだ耳に残っています。

松川先生御逝去

2011年06月24日 | 近況
服部です。悲しいお知らせです。松川秀郎先生が亡くなられました。

お通夜
6月23日(木)18時00分から
場所 クレリ エクシードホール
   〒664-0895
   伊丹市宮ノ前1丁目2-30
   072-770-3900
   http://www.exeed.cleri-net.or.jp/
(阪急伊丹駅から徒歩3分)

ご葬儀
告別式
6月24日(金)11時00分~12時00分
場所 同所


大地震!

2011年03月11日 | 近況
服部@名古屋です。

東北地方の地震、大変な被害ですね。
ニュースで次々と被害が報告され、地震や津波の映像も放映されて、ショックです。
関東地方でも被害が出ていますね。東京も交通機関がマヒして大変なことになっているようです。クラスメートの皆さんのご無事を祈っています。みんな自宅に戻れたかしら?

今日は横浜から友人が来る予定で 3時半に名古屋駅でまち合わせしていました。2時50分ごろに地下鉄で駅についたのですが 地震にはまったく気がつかずに駅の構内を歩いていたところ、周りの人たちが「怖かったわね~」「すごく揺れましたね~」と言っていることに気が付き、地震のことを知りました。会うはずの友人からはメールで「新幹線が浜松で止まってしまった!」と知らせてきました。結局静岡以西は運転再開され、彼女は18分遅れで名古屋にやってきました。

彼女の娘の一人は東京で働いていますが 「オフィスから出るなと言われている」とメールしてきました。子供を保育園に預けているのですが迎えに行くことができません。もう一人の娘は横浜市の職員で防災関係の仕事をしているので大変です。横浜もかなり停電したみたいですね。織田さんのお宅はどうだったでしょう。

6時に帰宅してテレビのニュースを見たら被害の甚大さに呆然としてしまいました。この寒さの中、避難所にいらっしゃる方達、ほんとうにお気の毒です。

桂子さんの快挙!

2011年02月21日 | 近況
服部@名古屋です。みなさん、大ニュースです!

ユニークな本をたくさん出している出版社「未知谷」からロシア現代文学の人気作家ガリーナ・アルテミエヴァの短編集「ピクニック」が出版されました。その本を水野典子さんとともに翻訳されたのは私たちのクラスメート”織田桂子さん”です!!!

全5編の中から「ユーザー」と「クリスマスツリー」の2編を桂子さんが訳されています。私は早速読ませていただいたのですが特に「クリスマスツリー」の方に強く惹きつけられました。主人公のアーリャは学生結婚し、娘が生まれますが、娘の存在に嫉妬する若い夫とはうまくいかなくなり離婚してしまいます。その後養育費を受け取りながら勉強を続けて、大学で教えるようになりますが、41歳になった彼女の研究室にある日、大学を出て6年目で会社の役員の青年が彼女の指導を受けたいと現れます。彼は大学院に入り、彼女がその指導教官となって、二人は次第に互いに惹かれ合うようになっていきます。18歳になったアーリャの娘も母の恋を認めて応援してくれるのですが、アーリャの心は揺れます。「ああ、もう遅いだろうか」「いや、急がなければいけないが、まだ間に合う」、、やがて二人は結婚を決め、彼はアーリャの家に泊まるようになるのですが、彼の両親は高齢で、一人息子のこの結婚には反対。そういう状況の中で彼女は外国に三カ月の出張に出かけるのですが、、
どうですか?この先が読みたくなるでしょう?

揺れるアーリャの気持ち、娘との関係、恋人の親とのこと、ストーリーにぐいぐい引き込まれ、共感して胸がキリキリ痛みます。日本ではほとんど知られてない作家だと思いますがロシアで人気があるのもわかりますね。

桂子さんはいつもおしとやかで お仕事のことも謙遜ばかりされていますが、お忙しい中、いったいいつこんな大変な翻訳を仕上げられたのでしょう!自分で読んで楽しむだけならともかく、作家の意図を読み込み、日本語にして伝える翻訳の作業の大変さと責任の重さは想像を越えるものがあります。そしてなかなか日本語で読むことができないロシアの現代の作家の作品を紹介されたことも大きな意義のあるお仕事だと思い、心から尊敬しています。そして彼女が私たちのクラスメートであることを誇りに思います。

ちなみに共訳された水野さんも私の古い友人で、今回の出版は二重に嬉しく誇らしい出来事でした。本の最後のページに二人の訳者のプロフィールがあるのですが「両氏は著者とも親しいロシア語通訳案内士」と一行だけ。お二人のつつましやかなお人柄がうかがえますが 私としてはもの足りません。

表紙の写真は画像フォルダーにありますのでご覧ください。
この本はAmazon で買えます。2100円です。お知り合いにも宣伝して応援してくださいね。
図書館には購入リクエストを出しましょう。



                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

雪の日に

2011年01月16日 | 近況
服部@名古屋です。
新しい年になってもう2週間が過ぎました。
みなさま、いかがおすごしでしょうか?

今日は朝からずっと雪が降っていました。母のいる老人ホームに行くつもりでいたのですが この雪!母が「今日は来なくていい」と言ってくれないかなと思って電話を待っていたのですが、10時過ぎてもかかって来ないので出かけました。まあ、なんという寒さでしょう!完全防寒体制で出たのですがやっぱり寒い!街を行く人はみな身をすくめて急ぎ足です。
ホームにいるうちも雪が止まず、どんどん積って行くのが窓越しに見えますので帰り道が心配になり2時ごろに引き上げてきました。

名古屋に雪景色は珍しいので途中写真を撮りながら帰ってきました。
母のホームの近くにある日泰寺という大きなお寺の五重塔です。


この日泰寺の御門前に立っている丸いポストも今日は寒そう!


このお寺の参道にあるおしゃれな食器店です。白い食器ばかりを扱っています。家に売るほど食器があり、「もう絶対に食器は買わない!」と宣言している私ですが、、、ついここに立ち寄ってしまうことも。。はい、実はいくつか買ってしまったものもあるのです。。


我が家の庭も雪の中です。バーベキュー炉にも雪が積もって。


「雪の重みで松が折れる」と義母が心配するので 夫が先ほど松の枝に積もった雪の雪おろしに出てゆきました。名古屋高速道路はすでに閉鎖され、明日の道路はどうなるのか気になります。普段あまり積雪することはない名古屋なのでちょっとした雪でも大騒ぎですが、今回は10センチ以上積もっている模様。

恭子さんが亡くなってから、彼女がよく投稿してくれたこのブログも見るのがつらくて、ご無沙汰してしまいました。あれから2カ月、新年を迎え、クラスメートのみなさんもまた新たな気持ちでそれぞれの課題に取り組んでいらっしゃることでしょう。みなさんの近況が聞けたらうれしく思います。


恭子さんとの別れ

2010年11月07日 | 近況

服部です。

メールでもお知らせしましたが今枝(小橋)恭子さんが6日早朝に亡くなりました。

 彼女は2004年に乳がんの手術を受けました。その後 抗がん剤に頼らない特別な治療法を選んで闘病し、

一時は元気になっていたのですが、昨年秋から病状が悪化、数か所の転移もあり、骨折しても手術ができなかった

そうです。昨年末から自宅に戻り、御家族の献身的な看護を受けながら闘病していました。

私は家が近いこともあって何度かお見舞いにうかがいましたが、10月はお見舞いに行くことができず、

今月は来週あたりにと思っていたところへの訃報で昨日は呆然としてしまいました。


最後にお会いしたのが9月10日でした。その時はもう起き上がることができず、寝たままの彼女の手に

保湿クリームを塗ったり、背中をさすったりしながらポツリポツリとお話しました。帰る時、なにか言葉を

かけようとして胸一杯で言葉に詰まり、細くなった手を握ったまま「また来るね」みたいなことをモグモグ

言って、それがお別れになってしまいました。

彼女は25Pクラスのことをとても大切にしていて、同窓会にはいつも出席、体調が悪くなってからも

どなたかが名古屋に来られると無理してでも出てきてくれました。彼女にクラス一同からお別れの言葉が

かけたく、時間もないことですので、僭越ながら、島津政子さん、斎賀佳子さん、松葉悦子さんとだけ

御相談して弔電を送らせていただきました。

「恭子さんご逝去のお知らせに接し、驚きと悲しみで胸がいっぱいです。病気と戦う彼女に私たちは

遠くからエールを送っていましたが、こんなに早くお別れすることになろうとは。ほんとうに残念です。

神戸の学生時代をふり返れば、テニスのラケットを抱え、いつも元気はつらつだった恭子さんのお姿が

目に浮かびます。ご遺族の皆様のお悲しみをお察しするとともに心からご冥福をお祈りします。

恭子さん、さようなら。 神戸市外国語大学ロシア学科クラスメート一同」


11月9日の告別式には 松葉さん、島津さんと私と三人で出席し 恭子さんとお別れしてきます。

御冥福をお祈りしております。


ひとつ終わりました

2010年09月01日 | 近況
浦口です。

この暑い中 8月29日に三田郷の音ホールで第5回三邦会が無事終了しました。

もんのすごくイケメンのテノール歌手や女性コーラスなどの協賛で会場のお客様のアンコールまで頂いて 無事終了しました。
 少しは心配もありましたが、浦口さんもあつかましく5曲もでました。 琴、17絃、三味線ともってる楽器を総動員して、挑みました。
  
 次は9月26日の尺八演奏会に出ます。
 また練習に励まなくては!!!

 郷の音ホールは音響もそこそこ良いので弾いてるのにも楽しくて、お義父さんのお葬式や初盆など、田舎ならではの諸行事で合奏にあまり参加できず、私個人的にはちょっと消化不良でしたが、邦楽の舞台でアンコールがかかったのは、これまでになく、出演者もびっくりでした。 来年も多分開催されますので、暇~~な方は三田くんだりまでいらしてください。

 島津さんみたいにフォトが添付できないのが残念です。

 ではまた10月のミニ同窓会で。