服部です。みなさん、お元気ですか?
このところ投稿がなく寂しいのでにぎやかな写真を投稿してみることにしました。
ロシア連邦タタールスタン共和国からやってきた音楽・舞踊アンサンブル「サイダシュ」のダンサーたちです。
先日来日して名古屋から関東方面にかけて数ヶ所で公演を行いました。私は大垣(岐阜県)と名古屋の公演で彼らの通訳兼お世話役を引き受けて 彼らのパーフォーマンスを間近で見たのですが 歌もダンスもレベルが高く、衣装もゴージャスで楽しい公演でした。ただしどの会場でもお客の入りはよくなかったようです。織田さんは横浜公演を見たかしら?
チケットが売れないのはなんといっても「タタールスタン」が知られてないからでしょうね。この国がどこにあるかご存知でしょうか?ロシア学科出身者だって知らない人が多いでしょうから一般の方は知っているはずがありませんよね。
タタールスタンはウラル山脈の西側、ボルガ川の中流域に広がっている国です。彼らの首都カザンはモスクワを約700キロほど東に行ったところにあります。カザンは千年以上の歴史を持つ古い町で トルストイもここの大学で学びました。
民族としてはトルコ系で 言葉もトルコ語に近いそうです。タタール人は一時はロシアを支配していたこともあり 今でもタタールスタンの他にクリミア半島やシベリアにたくさん住んでいます。もっともタタールスタンの人口の半分はロシア人とのことでしたが。
こちらは歌手のИльшатさん。彼がそのすばらしい声で歌うタタールの歌に私はすっかり魅了されてしまいました。どこかなつかしいメロディーです。そして歌い方も「こぶし」を利かせるようなところがあって日本の民謡の歌い方を思わせる歌もありました。彼が手にしている細い棒のようなものは「クラーイ」という笛です。タタールスタンのものではなくてバシュキールの楽器とのことですが これがまた尺八のような音で奏法も似ているのです。遠い昔にロシアからモンゴル、日本へと歌が伝わったということはないでしょうか?
タタールスタンの北側にはマリ人とウドムルト人、東側にはバシュキール人が住んでいます。彼はバシュキール育ちということでこの笛を子供の時から吹いていたそうです。この衣装がとても素敵だったので本番前に舞台裏で写真を撮らせてもらいました。毛皮の帽子にルバーシュカ、その上に刺繍入りの膝の上まである長いジャケットを着ています。これはバシュキール人の衣装なんだそうです。
食事の時やリハーサルの合い間に彼からいろんな話を聞きました。タタール語が話せたらバシュキール語もトルコ語もウズベク語もわかるそうです。
日本にいると 民族の問題を切実に感じることはまずないのですが 彼らを見ていて疑問がわいてきました。
例えば タタール人とバシュキール人は外見では区別がつかず、言葉も通じる上に音楽も似ていて、同じイスラム教徒で同じような食生活をしているとしたら いったいどうしてタタール人とバシュキール人とに分けることができるのでしょう?
日本人、韓国人、中国人は見たところでは区別がつきにくいけれど しゃべりだしたら一目瞭然ですよね。日本語は孤独な言葉で ごく近い親戚にあたる外国語がないので タタール語とバシュキール語とで話して理解し合えるというのがどういう感じなのか ピンと来ないのでした。大阪弁と博多弁くらいの違いかしらね。
彼には「日本人なら中国語がわかるでしょう?」と聞かれてしまいましたが「漢字は共通しているものもありますが しゃべったら一言もわかりませんよ」と言ったら 彼も腑に落ちない顔をしていました。
このところ投稿がなく寂しいのでにぎやかな写真を投稿してみることにしました。
ロシア連邦タタールスタン共和国からやってきた音楽・舞踊アンサンブル「サイダシュ」のダンサーたちです。
先日来日して名古屋から関東方面にかけて数ヶ所で公演を行いました。私は大垣(岐阜県)と名古屋の公演で彼らの通訳兼お世話役を引き受けて 彼らのパーフォーマンスを間近で見たのですが 歌もダンスもレベルが高く、衣装もゴージャスで楽しい公演でした。ただしどの会場でもお客の入りはよくなかったようです。織田さんは横浜公演を見たかしら?
チケットが売れないのはなんといっても「タタールスタン」が知られてないからでしょうね。この国がどこにあるかご存知でしょうか?ロシア学科出身者だって知らない人が多いでしょうから一般の方は知っているはずがありませんよね。
タタールスタンはウラル山脈の西側、ボルガ川の中流域に広がっている国です。彼らの首都カザンはモスクワを約700キロほど東に行ったところにあります。カザンは千年以上の歴史を持つ古い町で トルストイもここの大学で学びました。
民族としてはトルコ系で 言葉もトルコ語に近いそうです。タタール人は一時はロシアを支配していたこともあり 今でもタタールスタンの他にクリミア半島やシベリアにたくさん住んでいます。もっともタタールスタンの人口の半分はロシア人とのことでしたが。
こちらは歌手のИльшатさん。彼がそのすばらしい声で歌うタタールの歌に私はすっかり魅了されてしまいました。どこかなつかしいメロディーです。そして歌い方も「こぶし」を利かせるようなところがあって日本の民謡の歌い方を思わせる歌もありました。彼が手にしている細い棒のようなものは「クラーイ」という笛です。タタールスタンのものではなくてバシュキールの楽器とのことですが これがまた尺八のような音で奏法も似ているのです。遠い昔にロシアからモンゴル、日本へと歌が伝わったということはないでしょうか?
タタールスタンの北側にはマリ人とウドムルト人、東側にはバシュキール人が住んでいます。彼はバシュキール育ちということでこの笛を子供の時から吹いていたそうです。この衣装がとても素敵だったので本番前に舞台裏で写真を撮らせてもらいました。毛皮の帽子にルバーシュカ、その上に刺繍入りの膝の上まである長いジャケットを着ています。これはバシュキール人の衣装なんだそうです。
食事の時やリハーサルの合い間に彼からいろんな話を聞きました。タタール語が話せたらバシュキール語もトルコ語もウズベク語もわかるそうです。
日本にいると 民族の問題を切実に感じることはまずないのですが 彼らを見ていて疑問がわいてきました。
例えば タタール人とバシュキール人は外見では区別がつかず、言葉も通じる上に音楽も似ていて、同じイスラム教徒で同じような食生活をしているとしたら いったいどうしてタタール人とバシュキール人とに分けることができるのでしょう?
日本人、韓国人、中国人は見たところでは区別がつきにくいけれど しゃべりだしたら一目瞭然ですよね。日本語は孤独な言葉で ごく近い親戚にあたる外国語がないので タタール語とバシュキール語とで話して理解し合えるというのがどういう感じなのか ピンと来ないのでした。大阪弁と博多弁くらいの違いかしらね。
彼には「日本人なら中国語がわかるでしょう?」と聞かれてしまいましたが「漢字は共通しているものもありますが しゃべったら一言もわかりませんよ」と言ったら 彼も腑に落ちない顔をしていました。