楠ヶ丘25P仲間の広場

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タタールの歌

2007年05月25日 | イヴェント
服部です。みなさん、お元気ですか?

このところ投稿がなく寂しいのでにぎやかな写真を投稿してみることにしました。
ロシア連邦タタールスタン共和国からやってきた音楽・舞踊アンサンブル「サイダシュ」のダンサーたちです。



先日来日して名古屋から関東方面にかけて数ヶ所で公演を行いました。私は大垣(岐阜県)と名古屋の公演で彼らの通訳兼お世話役を引き受けて 彼らのパーフォーマンスを間近で見たのですが 歌もダンスもレベルが高く、衣装もゴージャスで楽しい公演でした。ただしどの会場でもお客の入りはよくなかったようです。織田さんは横浜公演を見たかしら?

チケットが売れないのはなんといっても「タタールスタン」が知られてないからでしょうね。この国がどこにあるかご存知でしょうか?ロシア学科出身者だって知らない人が多いでしょうから一般の方は知っているはずがありませんよね。
タタールスタンはウラル山脈の西側、ボルガ川の中流域に広がっている国です。彼らの首都カザンはモスクワを約700キロほど東に行ったところにあります。カザンは千年以上の歴史を持つ古い町で トルストイもここの大学で学びました。

民族としてはトルコ系で 言葉もトルコ語に近いそうです。タタール人は一時はロシアを支配していたこともあり 今でもタタールスタンの他にクリミア半島やシベリアにたくさん住んでいます。もっともタタールスタンの人口の半分はロシア人とのことでしたが。


こちらは歌手のИльшатさん。彼がそのすばらしい声で歌うタタールの歌に私はすっかり魅了されてしまいました。どこかなつかしいメロディーです。そして歌い方も「こぶし」を利かせるようなところがあって日本の民謡の歌い方を思わせる歌もありました。彼が手にしている細い棒のようなものは「クラーイ」という笛です。タタールスタンのものではなくてバシュキールの楽器とのことですが これがまた尺八のような音で奏法も似ているのです。遠い昔にロシアからモンゴル、日本へと歌が伝わったということはないでしょうか?



タタールスタンの北側にはマリ人とウドムルト人、東側にはバシュキール人が住んでいます。彼はバシュキール育ちということでこの笛を子供の時から吹いていたそうです。この衣装がとても素敵だったので本番前に舞台裏で写真を撮らせてもらいました。毛皮の帽子にルバーシュカ、その上に刺繍入りの膝の上まである長いジャケットを着ています。これはバシュキール人の衣装なんだそうです。

食事の時やリハーサルの合い間に彼からいろんな話を聞きました。タタール語が話せたらバシュキール語もトルコ語もウズベク語もわかるそうです。
日本にいると 民族の問題を切実に感じることはまずないのですが 彼らを見ていて疑問がわいてきました。
例えば タタール人とバシュキール人は外見では区別がつかず、言葉も通じる上に音楽も似ていて、同じイスラム教徒で同じような食生活をしているとしたら いったいどうしてタタール人とバシュキール人とに分けることができるのでしょう?

日本人、韓国人、中国人は見たところでは区別がつきにくいけれど しゃべりだしたら一目瞭然ですよね。日本語は孤独な言葉で ごく近い親戚にあたる外国語がないので タタール語とバシュキール語とで話して理解し合えるというのがどういう感じなのか ピンと来ないのでした。大阪弁と博多弁くらいの違いかしらね。
彼には「日本人なら中国語がわかるでしょう?」と聞かれてしまいましたが「漢字は共通しているものもありますが しゃべったら一言もわかりませんよ」と言ったら 彼も腑に落ちない顔をしていました。


五月

2007年05月13日 | 近況
今枝です。
とうとう義父の介護にも挫折して、老人ホームへ行ってもらうことになりました。
5月10日に隣のショートステイへ行き、準備できしだい老人ホームへ入ります。
3年前の5月10日は私が入院した日で、なんだか不思議です。
夫が昨日今日と釣りに出かけていて、昨夜は何年かぶりに一人でぐっすりと眠れました。
朝から晩までオシメを換えたり着替えさせたり、特別食を作ったり、トイレの介助・・・動けないのであちこちにつけたブザーで呼ばれて、自律神経がおかしくなってしまいました。
夫が退職しても家事が増えるだけ(熟年離婚の原因)
3年前は仕事、今回は介護とひとつずつ挫折していきます。(次は?)
健康な人でも介護は大変なのに、こんな病人では無理ですよね?
自宅入院したつもりで、当分ボーっとゆっくり暮らそうと思っています。

春の花の写真もなかなか投稿できませんでした。


アイリスかな?
今はもう花は終わりました。


昨年もブログに載せたような気がします。
クレマチス、今はもっとたくさん咲いています。


GW前に咲いていた牡丹はほんとにきれいでした。
まだまだたくさん咲きました。


畑の一角に咲いていて、門から入ると迎えてくれます。


ういろうと粽は子供の日の前に教室で作り、ちょうどお客様があってみんなでいただきました。
義父は毎朝和菓子を楽しみに食べていたので、また教室で作ったら施設へ持って行こうと思っています。
ホームメイド協会の手作りの和菓子は有名店の和菓子よりもおいしいと評判ですヨ



連休も明日までか・・・

2007年05月05日 | 近況
昨日は、夫の運転で、娘の惠も乗って行き、母と四人で亀岡にお墓参りに行きました。9:30頃に栗東を出たのですが、亀岡に着いたのは12:00を過ぎてて、お参りよりも先に、予約してた『日本料理』のお店に行きました。5/2が母の84歳の誕生日やったから。母には、サプライズやったから、大喜びでした。私の生母の50回忌が来年の2月なの。お寺でお経を貰って、このお店で、みんなで食事をしてもいいかな・・・と少し、リサーチしておきました。10人やと『貸切』にしてくれるとか。

そのあと、先に、亀岡の少し奥まったとこにある(そうそう、京都の奥座敷の湯の花温泉の近くなの)母の母のお墓(というより、母の実家の墓)にお参りしました。わたしも、数十年振りでした。まだ、母の実家も、昔は、殿様まで泊まらはった家柄らしいけど、跡取りが戦死されたりで、家も栄えず・・・今も墓石もないままの墓です。でも、母自身も5年振りくらいの墓参りで、とても、喜んでいました。

その後、茨木家の墓に参りました。こちらは、墓石もある、普通の墓です。3/21に私が一人で、電車で参ったけど、すの頃は、季節の変わり目で、母も無理だったので、今回は連れて行けてよかったなあと思います。

お墓と言えば、連休前半を過ごした『幼なじみの薫ちゃん』夫妻が、自分達の入ることを含めて、一年くらい前に亡くなった、旦那さんのお父さんのお骨を納める、墓地をを購入したと言ってました。薫ちゃん夫妻には子供がいてないんだけど・・・。まあ、よその話だけどね・・・。

今日はほんとは雨と言う天気予想だったけど、ちょっとズレタみたいね。なんか、よく照って、暑くなってきました。

私も、早く、デジカメ買おうかな・・・。ブログも字ばっかりじゃ、『ハレしない』もんね。かと言って、インスタントカメラのを、スキャナーで、取り込んで・・・まではネ。でもやってみようかな?でも、どうやって、添付するんだっけ?

そうそう、今日、小比加くんと電話ではなしたよ!何とか、頑張ってる様子でした。彼も、闇の中の光が、少し見え始めたかな・・・。

去年の卒業30周年の同窓会から、もうすぐ一年やね!また、皆で逢いたいね!集まれる人だけでもね。