※記事としてここに書きましたが、実質、どちらかと言うと皆さんよりも僕へ向けた記事です。
色々考えましたが、僕の目に止まりやすいように記事にすることにしました。
このブログを書き始めて2ヶ月。
写真をここに残して、2ヶ月。
そういえば、「写真を撮る」ことの始まりはいつだったんだろう。
最近ふとそう思う。その度に、少しずつ考えていた。
何度かここにも書いているが、僕に大阪が与えた影響は大きいはず。
だからきっと、「写真を撮る」こともここにあるはず。
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小学5年になる春。僕は父の仕事から大阪に行った。
新しい世界は、見るものすべてが全く新しいモノだった。新鮮すぎるほど、新鮮で、夢の中に来たようにも感じていた。
まず、大きく惹かれたのが、確か鉄道文化だった。
札幌とは桁違いに複雑な街並み。それらを結ぶ多様な鉄道。
もともと機械、特に交通機関は当時から好きだった事と、大阪の鉄道環境のよさに余計に惹かれたのだと思う。
引っ越してまだ間もない頃。最初の被写体は、きっとこれらだったはずだ。
そして、僕の手にあったのは、家にあって、撮り切っていないものを親から譲ってもらったレンズ付フィルムだった。
でも、いまや初めて撮った写真はどれかわからない。もしかしたら、無いかもしれない。
それから。
気付いたとき、僕は写真を撮ることが好きになっていた。はじめのうちは専ら列車や、飛行機を撮っていた。
どこか初めての場所へ向かうときは、そこの列車を撮ってきていた。
阪急電鉄。この鉄道は素晴しかった
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そして。
引っ越した年の夏休み。折角大阪に来たんだからと旅行へ行くことになった。道のりは、天橋立、鳥取砂丘、倉敷、高松、徳島、淡路島。
この頃には、カメラを手元に持ち歩くほど写真を撮ることが面白かった。しかし、未だ手元にはレンズ付フィルム。
そして、この旅行で、本格的に「カメラが欲しい」と思うようになった。しかし、小学5年の身には高すぎる。
そして、2000年冬。今でもよく覚えている。軽い風邪だが、学校を休んだ日。
僕にカメラと言う届け物が届いた。
親が僕のために買ってくれたもの。
Konica Z-up60というカメラだった。
それは、この冬の日から僕の愛機となり、何処にでもついて行く事となる。
走り、時にターミナルで休む列車、聳える高層ビル、近所の坂道、遠くに霞む街。
そういえば、昔から僕の撮る写真には空の占める割合が多い。意識はしてないけど、どこか僕の知らないところで空に対する思いが強かったのかなぁ。やっぱり、写真を撮ることは、大阪時代にあるみたいだ。
左:ベランダから南、大阪市外。7階からの絶景。
右:左の写真から視線を左へ。丘に沿って林立するマンション群。
どちらも北海道には無い景色。
その後も、和歌山方面や、石川方面、奈良や京都などにも旅行へ行き、何度も写真を撮った。
しかし。
二年後のこと。再び引越しで大阪を去ることとなり、札幌へ戻ってきた。大阪に居た時間が短かったせいか、やっぱりこの二年は夢見心地。
札幌に戻り、日常が日常に戻った気がした。それにつれて、ファインダーを覗く日も減った。
それでも、旅に出ればあの時を思い出し、何度もシャッターを降ろしてきた。
その度にあの時を思い出し、今を見る。
そして、再びの札幌で4年が過ぎた冬。愛機を作り出したメーカー、コニカ(コニカミノルタ)が、2006年3月一杯でカメラの生産を打ち切ることとなったのを知った。
僕はそれが少し悲しかった。そして、もう一度カメラを持ち歩こうと思った。
コニカ最後のカメラを持とうと思った。
初めてカメラを手にしてから5年。
今、僕の手には新しいカメラがある。
再び、目の前の一瞬を切り取っている。
何度も思い返してきて、最近少しわかってきた。
それはきっと、あの時を忘れない為に。そして、今を忘れない為に。
カメラを持ってまだ知らない「時」へと行こう。そこは遠くたって、身近であったっていい。
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今日、3月31日。
コニカミノルタ。カメラの世界からその名は今日限りで消える。
しかし、その歴史は、その名が刻印されたカメラが時を切り取り続ける限り続いてゆく。
コニカ・Z-up60。これからもよろしく。