太田市長とれたて日記

清水まさよしが太田の元気をお届けします

「学校耐震化100%」をしたい

2008年06月02日 | Weblog

「これはビッグチャンス」直感した。
そういう『ひらめき』っていうのはだれにでもある。私の場合、そのことをあっちでしゃべり、こっちでしゃべる。また、こういうふうに書いてしまう。
押しつけがましく「やってしまうにはどうするか」と、関係者に投げかける。
10回押しつけて、1,2回成功すればそれで満足。『ひらめき』が、100%同意がとれるなんてことになったら逆に怖い。
職員からの「NO」はあまり気にしない。

 

昨晩、係長会があった。酒解禁日だったのだろう、教育長がいつになくご機嫌で「合併にデメリットなんてない」論を論じていた。大泉町との合併のことだ。
彼の話は常にストレートで分かりやすい。私の気質に似ているといつも思う。ものごとを率直にズバズバ言う。先輩だが気持ちが若い。
「市長はズバズバ言っても大目に見てもらえるんだよな。おれが言うと(議員から)やられる」
不公平だと言わんばかりにぶつぶつぼやく。そういえば、議員から「発言を取り消せ」と、やられたことがある。
そして、私が押しつけ的に持ち出した「全小中学校の耐震化」の提案に話題は移った。
「市長が学校耐震化100%をやろうと言い出したのはずっと前のこと。今出てきたものじゃあない。やった方がいいよ」
教育長はこのことに前向きだ。いけそうな予感がした。

 

退職した竹吉さんが教育部長だった1、2年ほど前だったか、「学校の耐震化100%、やれるか」ということを話し合ったことがある。当然、教育長もその報告を聞いていた。
あのときは合併後で3町にどのくらいの予算が必要なのかなどの不確定要素をいくつかかかえていた。でも「全校やってしまいたいね」と部長とは意見が合致していた。
「いくらかかる?」
「70億から80億くらいですか」
「ちょっと無理だな。見通しがつくまで、もう少し待つか」
一般家庭の耐震にかかる経費に補助金をつけるという条例(全国的にも少数である)はつくったが、即刻学校までということは見送った。
そのとき、計画的に耐震化していくための計画だけはつくった。年次計画では平成28年までには昭和56年以前に建てられた学校の改修、改築が終わるということだった。

 

今、役所内で「学校の耐震化100%」が動き出している。あの長期計画は無視である。
私の『ひらめき』が注目されはじめているのだ。
「だめ」なときは、こんな雰囲気にはならない。「また、市長が馬鹿なことを言いはじめた」くらいで静かに消えていく。私の「耐震化100%」案は財政的な面でも支持されつつある。
中国の四川省が連日報道された。特に、学校の倒壊で子どもたちの多くが死んだ。
このことで私の頭の中が混乱した。
「もしも、太田市で神戸のような直下型の地震が起きたらどうなるか。子どもたちは・・」
という心配であった。
瓦礫の中から救い出される子どもたちの映像はショックであった。
5月28日の新聞をみた。「学校耐震 9割国負担、自公民拡充に合意」という見出しである。さすがにこの記事は見逃さなかった。
「これはビッグチャンス」というのは直感でしかなかった。秘書室で「ビッグチャンス」の話を伝え、職員は財政的な裏づけを検討しはじめてくれた。旧尾島町役場にある教育委員会に訪問、以前につくった資料の再検討を依頼した。
薮塚本町中学校で耐震工事をしたばかりであるが、他に安価でできる手法がないか検討を担当課にお願いもした。
「なぜ急ぐのか。それがお前の悪い癖」といつもいわれるが、これは事情が違う。すでに、職員もそのつもりでプロジェクト作業に入っているらしい。さすが太田市の職員だと鼻が高い。
文部大臣は3年間でやりたいと言っている。
どうしても早期にやりたかったこと。いつ起こるかわらない地震、今国会で国が補助率を上げてくれるという。できれば9月補正から予算を組みたいという気持ちである。
文部大臣のいうように3年間でやってしまいたい。

 

各派代表者会議の席で,議題は人事案件であったが「学校の耐震化100%」の考えを話させてもらった。「借金は増えるかもしれないが、100%を可能にしたい。そのときは了解願いたい」と。

 

財政的にも苦しい時代を迎えている。市町村だけで「耐震化100%」はなかなかむずかしい。そして、補助基準単価は低い。
国が補助率を上げることは英断だと思う。高く評価をしたい。と同時に、県の出番でもあるような気がする。こんなとき、県にも協力していただいて「耐震化100%」の学校づくりができればと願っている。
太田市の場合、3年間で80億円くらいはかかる。


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