葉っぱが小枝にぶらさがっている。もう少しで落ちるか落ちないか、はらはらするような葉っぱたち。黄色とオレンジ色が雲間の太陽に照らされていた。
桜の巨木のがっしりとした真っ黒な幹と紅葉とのコントラストは表現のしようもない美しさがあった。歩道に敷きつめられた桜の葉の重なりは冬が間近であることを感じさせていた。
お堀の周りはこのまちの歴史そのものである。
弘前市が周辺町村と合併して18万人のまちになった。11月15日の合併記念式典に招かれた。同時に友好都市の盟約調印式が行われた。津軽藩の関係で旧尾島町と友好都市の関係にあったのを引き継いだわけだ。
会場は冬支度をはじめた弘前城一角にある市民会館であった。いっぱいの市民のみなさんが集まっていた。
相馬市長の式辞の後に来賓のみなさんがあいさつをした。その後、市章が発表された。旧弘前市と同じ「卍」に決まった。市の花は「さくら」である。後ろに座っていた市議会議員のみなさん、だれでもが納得の様子であった。
そして、「市の鳥は・・」司会者が発表するかにみえた。後ろの席がざわついた。こればかりは予測不能のようだった。
「からすでないか」「からすでは格好悪いから『黒鳥』とでもすればいいんじゃないか」冗談話をしていた。
なかなか決めかねたようだ。市の鳥は持ち越された。
アトラクションは子どもたちの「一輪車」乗りだった。芸術である。音楽に合わせて演技をする。20人近い子どもたちが舞台で走り回る。シンクロナイズの集団演技があるが、あれを一輪車の上で演技していると想えばいい。世界大会にも出場しているという紹介があった。
児童館ではじめたという。ただ児童館に集まっているだけでは・・、ということか。指導者がいたのだろう。目的をもって指導に当たられる方がいれば子どもたちはこんな風に成長するんだなあ、彼らの演技に感動した。
斜里の午来町長さんもいっしょであった。相馬市長さんも私も同年代で話ははずんだ。年代が同じというのは親近感が増す。
宿に着いて「津波警報」である。オホーツク沿岸は2mの津波が予報されていた。斜里町ももちろん避難勧告がでた。別々の宿で、町長さんがどんな様子かわからなかったが想像はできる。便はないし、電話に釘づけではなかったか。朝の報道では「被害なし」のこと、何よりだった。
帰りは弘前の職員に駅まで送ってもらった。
途中、黒鳥の話をだした。
飲食店街のそばの公園内にあるごみ集積場に生ごみが散乱している。ネットをかけてもシートで覆ってもごみの散乱は続いているとのこと。糞害もすさまじいらしい。昔の南一番街を思い出した。何万羽?ものからすが電線に黒く積み重なっていた。私の家から太田駅までぎっしりと、である。
「解決方法を教えますよ。からすが目をさます前に片づけておけばからすはいなくなりますよ。これがからす撃退の秘伝です」
なんとも簡単な話だ。太田ではこれが実行できた。今はからすにお目にかかるのがむずかしい。
「言われてみればそうですね」
「桜の咲く季節にいらしてください」
相馬市長さんはグランドゴルフが好きなようだ。来年はグランドゴルフで交流するのもいい。市民のみなさんに声をかけて、交流事業が進めばいいなあと思った。