「島崎城跡を守る会」島崎城跡の環境整備ボランティア活動記録。

島崎城跡を守る会の活動報告・島崎氏の歴史や古文書の紹介と長山城跡・堀之内大台城の情報発信。

「お投げの松」物語 ~潮来市(旧牛堀町)の昔ばなし~

2021-02-10 08:43:58 | 歴史

「お投げの松」物語 ~潮来市(旧牛堀町)の昔ばなし~

400年も昔、牛堀がいくつもの村に分かれていた頃、島崎村の山の上にお城があった。そこは、前に夜越川、後に山々が連なった自然の要塞で、それはそれは立派な山城であった。殿さまの名前は、島崎左衛門尉、桓武平氏の流れを組む立派な武将で、たいそう領民から慕われていた名君であった。良く晴れた日のこと、殿様は家来を連れてお堀の外へ田んぼの様子を見に出かけた。まったく偉い殿様で、百姓に交じって草取りまでしていたという。

そんな時、きれいな白い蛇をみつけたお殿様は、もっと近くで見ようと思って、田んぼのあぜ道へ入ろうとした。すると一人の百姓が走り寄って来て「そっちに行くのは危ねえだ」「その蛇は神様の化身だ」と殿さまを止めた。白い蛇を諦めて殿さまが帰ろうとした時、沼地でうっかり足を取られてしまった殿様は、足元に蛇の群れが、うようよと気味悪くのた打ち回っているのが見えてビックリした。やっとのことで沼地から抜け出した殿さまが帰ろうとした、その時、突然家来に近づいて来た白い蛇があった。とっさに家来は、棒で突いて蛇を殺してしまった。その家来は二日後に訳の分からない熱にうなされ、苦しみもだえて死んでしまったそうだ。

1591年、とうとうこの島崎にも、豪族佐竹氏の兵が攻めてきた。この戦いで島崎氏は追い詰められ、最強を誇った島崎城に火の手が上がり次々と燃え落ちていった。

それを見ながら殿さまは、何故か家来の殺した白い蛇を思い出しひどく後悔した。そこで蛇を殺した場所の辺りめがけて、天守から一番殿さまが大切にしていた立派な盆栽の松を投げ落とした。

その後、殿さまは城と一緒に滅んだのだが、その盆栽の松はしっかり根付き大きな松に成長した。

しかし、誰もこの松を切ろうとする者もいなかった。ところが土地改良が行われ、松の周りが渇き田になってしまうと、今まで元気だったこの松も、とうとう枯れてしまった。

地元の人たちが枯れた松を切ってみると、まるで蛇が住んでいたかのように大きな室ができていたそうだ。 

今でも「白い蛇は神様の化身だから金輪際殺してはならない」とこの地方で言い伝えられている。(了)

「お投げの松」の場所

当時の松のスケッチ~昭和40年代に松食い虫の病気で枯れてしまい現在は3代目

 

現在の「お投げの松」画像



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