キツネの恩返し
むかしむかし、牛堀町(現・潮来市)の島崎にお城があった頃の話です。
このお城は山の上にあり、この山が北の方に続いているほか、まわりを沼地に囲まれていたため、攻めづらく、また殿様が良い人だったので村の人も安心して永い間、この村を治めておりました。
このお城から南の方の沼地を越したところに山があり、藤ヶ崎と呼ばれておりました。
その間は沼地の中でも一番せまく三百メートル位しかありませんが、泥が深く底なし沼と言われていました。
この藤ヶ崎の山がイタコ村へと続いております。
ある日、殿様は家来の与兵衛に「イタコ方面を見てくるように」と申しました。
与兵衛は供の者を連れないで「今日は藤ヶ崎の抜け道を調べながら行こう」と考え、一面のよし原の沼地へと入って行きました。
この沼地の道は秘密になっていて、お城が敵に攻められた時の逃げ道にするため、殿様と与兵衛しか知っている者はありません。
泥の中に大きな木が三本ずつイカダのように組んで埋めてあり、巾が一メートル余り、馬一頭がやっと通れるくらいでした。
木の間からもヨシが出ているので、よほど注意して行かないと泥沼に落ちてしまいます。
また、この道はつづら折れの細工がしてあり、左に折れたり、右に折れたりと三度も曲がって藤ヶ崎にたどり着きます。
まるで迷路のようになっていました。
与兵衛が注意してこの道を渡り、藤ヶ崎の坂道を登って行きますと、キツネが猟師の矢を受け血を流して苦しんでいるのが目に入りました。
そのまわりには二匹の子ギツネが心配そうにみつめていました。
与兵衛が近づいても逃げようともしません。
与兵衛はその矢を早速抜いてやり、血止めの薬草を見つけて塗ってやりました。
子ギツネはじっとそれを見つめています。
そして近くにあった観音堂のこわれそうな扉を開けて、その中にキツネをねかせてやりました。
「これで猟師がきても観音様に逃げ込んだキツネを殺しはしないだろう」と思い、そのままイタコ村へ行きました。
米の取れ具合や人々のうわさ話を聞いて、帰りに油揚げとメザシを買ってまた観音堂に戻って来ました。
キツネは、思ったよりも元気になり首を持ち上げて「ウーッ」と歯をむき出してにらんでいます。
「これこれ助けてやったのにその顔はなんだ、ほれ元気になるようにこれを食べろ」と油揚げとメザシをおきました。
二匹の子ギツネはすぐメザシに飛びつき食べ始めました。
親ギツネはそれをじっと見ています。
「水も置いていってやろう」と腰の水差しから御堂にあった平らな器に水をあけてやりました。
そして夕暮れの中、朝渡ったと逆に藤ヶ崎から島崎のお城へと帰りました。
それからキツネのことが気になり何度も観音堂へ様子を見に出かけました。
すっかり元気になったのでしょう、キツネの姿は見えませんでした。
ある時、与兵衛はイタコ村から延方村へと行き、帰りが遅くなって夜中になってしまいました。
沼地の中の道は泥に落ちる心配があるので用心深く渡り始めると、白い提灯が三つ足元を照らしているのです。
一つが道の真中、あと二つが道幅を照らすようにして与兵衛の先を動いているのです。
よく提灯を見てみると、なんとキツネがススキの大きな白い穂をくわえて、与兵衛が沼に落ちないように道を教えてくれているのです。
「この間のキツネの親子だ、感心なものだ」と思っていました。
そして無事に暗い夜の沼地を渡り終えました。
それから数日後のある晩、観音堂の前に強そうな武士たちが集まり、島崎城を攻める相談をしていました。
その中の一人が島崎城を攻めるため、しばらくの間この付近の様子を探っていたのでした。
どうしても渡れないと言われている藤ヶ崎から島崎への沼地に間道があることがわかったのです。
馬のひずめの跡が見つかったり、島崎の家来が行ったり来たりしている姿も見つけていたのです。
そして今夜、攻め込むことにしたのです。
武士たちは静かに沼地に集まりました。
そして、まわりをよく見ると都合の良いことに、白い提灯のようなものがいくつも島崎への道を照らしてくれていました。
よし、この道を通って一気に城まで攻めることができるとばかり、五十人位の武士が先を争って駆け出しました。
ところが、駆け出した武士たちは、ドボンと何人も泥沼の中へ落ちてしまいました。
なぜなら、その白い提灯は一番深い沼地へと続いていたのです。
島崎の方向を示していたはずの提灯の光は、あっと言う間に消えてしまい、もとの暗闇になってしまいました。
キツネがくわえていたススキの穂を落としたのです。
ほとんどの武士は沼の中に落ちてしまい、泥だらけになって動けなくなり、また他の者は逃げ帰ってしまいました。
この話をあとで知った殿様は大変よろこび、与兵衛に観音堂一番の土地を与え南の守りとしました。
そして島崎城の稲荷様のキツネはススキの穂をくわえた姿でまつってあったそうです。
おわり
※「キツネの恩返し」
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