志穂 つぶやかないで、いってみよう。

日々の出来事を書いていきます。

おひさま日記(3)

2011-07-25 10:17:04 | ドラマ
ドラマ自体は殆ど見てないですが、あらすじは毎日チェックしてます(笑)

陽子が働く小学校に、戦後、新しく赴任してきた萩原校長。
なんか、イチイチうるさいというか、嫌味ったらしいというか、
私にとって、

  「職員室でむかつく存在ワースト1

になりつつあります

前任の梅田校長の方がずっと好意が持てました。
戦争で、大切な人を亡くした悲しみや辛さが分かってる、
って感じがしました。

陽子が受け持つ「6年白組」の生徒たちに、
教室で教えたかったけれど、国の教育方針で
教えることが出来なかったことを、
一人ひとりに手紙にして渡そうとして、
放課後の廊下で手紙を落としてしまい、
梅田校長に中身を読まれてしまった時のこと。

 「これは、私が預かります」

と言った直後に、

 「教職を40年やってきて、私だって本当は子供たちに、
  命の大切さ、尊さ、生きる喜びを教えたかった。
  でも、今はそれが出来ないんです。やってはいけないんです。
  分かってください・・・」

という台詞。
なんか、ジーンときました。

そして、戦後GHQが学校にやってきて
GHQから色々聞かれた時(通訳がオクトパスだった。)

国の方針で軍事教育をしたことを問われると、夏子先生が

 「それは…それは国からの命令で、どうすることも出来なかった。
  (オクトパスに)あなたも日本人なら分かるでしょう?!!」

と言った時。

 「いいんです」

と静かに一言。
なんか、かっこいいなあ、ってちょっと思いました。

新任の萩原校長。
「自分はあの戦争は間違いだと思っていた」
って思ってるらしいですけど、
後から過去を振り返って言う分には、何でも言えますもんね。

な~んか、イチイチむかつく萩原校長です。

戦前の女子教育

2011-07-06 09:49:38 | ドラマ
朝ドラ「おひさま」の中で、現代の陽子が

 「女学校を卒業して、進学する人は殆どいなかった。
  私のころも、4人くらいだったわねえ。
  卒業後に嫁ぐ人も多かった」

と語るシーンがある。

先の日記に
 「90歳の祖母は終戦後、小学校の教師をしていてローマ字を知っているから、
  パソコンのキータッチが早い」
と書いた。
(ちなみに、携帯メールも凄い早さで打ち込んでる)

ローマ字をいつ覚えたのかは知らないけれど、
戦前に通った女学校では英語の授業はあっただろうし、
女学校を卒業して進んだ女子専門学校でも、
英語の授業はあったと思う。

「女子専門学校」は、今の学制でいうと、大学教育に当たる。

東京女子大は「女子大」って名称だったらしいけど、
女学校を卒業して進学する高等教育機関は
「女子師範学校」と「女子専門学校」くらいなものだったらしい。
(専門学校は、東京を中心に全国の色々なところにあって、
戦後は「女子専門学校」から「大学」に名称が変わった。)

女子大以外の「大学」は、基本的に男子学生のみの受け入れ、
いくつかの「大学」は女子を受け入れているものの、
そこへ入れるのはごくわずか。

早稲田大学は当時、女子学生の受け入れもしていて、
祖母は早稲田に行きたかったらしいけれど

 「早稲田なんぞ行ったら、男か女かわからなくなる

と、周囲に猛反対されて、仕方なく、都内の女子専門学校
(今は「某女子大学」になっている)に進学。

時々
  「戦後、強くなったのは女性とストッキング」
って言葉があるけれど「強くなった」というよりは
  「強くならざるを得ない、そうじゃないと生きて行かれない」
のだったと思う。

祖父が身体が弱くて、入退院を繰り返していたので、
祖母が大黒柱だった。

子供たちの世話は曾祖母が一手に引き受けて、
祖母は、吹けば飛びそうな小さくて華奢な身体で働いて、
曾祖母と祖父、自分(祖母)、子供4人を養った。

子供4人のうち2人は、祖母の妹の子供。
祖母の義弟は出征して帰ってこなかったそうで、
戦後の生活を建て直して子供を育てられる環境になるまで、
祖父母が預かり、母、母の兄と一緒に暮らしていた。

そして、母も教師だった。
中学の英語の教師。
就任して結婚するまでの僅か3年間だけど、
エネルギッシュな教師生活だったらしい。

いつだったか「また教壇に立ちたい?」と聞いたら、
  「学校は煩い先生もいるし、英語を教えるなら
  自分の裁量でやれる働き方がいい」
と、自宅で英語塾を開いた。

私は、全然教えることには向いてないけれど、
「戦後、強くなった女性」は、ちょっと憧れるなあ、と思う。

おひさま日記(2)

2011-07-06 09:35:24 | ドラマ
戦後、学校の教育方針がめまぐるしく変わり
教師も生徒も混乱してたんだなあ、、、という今回のお話。
(教育方針が変わるのは国からの命令なので、
小学校の校長にはどうもしようが無いけれど

さっき、母方の祖母からお中元が来た。
もう90歳になるのに、未だに元気だし、
お中元とかお歳暮とか、忘れずに送ってくれる。

そんな祖母も、終戦後から小学校の教師をやっていたので、
混乱期から始まった教師生活だったのかなあ…と思う。

祖母は、携帯の他にもパソコンも出来るんだけど、
パソコンのキータッチが早いのは、
小学校の授業でローマ字を教えていたからだという。

西鉄時代からのライオンズファンの祖母(野球のことね)。
90歳になったけど、あと10年は生きそう。
少なくとも、もう一度ライオンズが日本一になるまでは
生きてるかなあ。。。

おひさま日記(2)

2011-07-05 10:04:19 | ドラマ
先週後半あたりから、小学校(旧:国民学校)でのシーンがありません。
というのも、陽子の周辺の人たちが次々復員して戻ってくるので、
そっちに重点が置かれているのでしょう。

和成も帰ってきて、陽子と上手くやってるようですし。
(そりゃ、復員間もなく大げんか…にはならないでしょう…)

「おひさま」を観はじめたころ「最後までは観ないだろうなあ」
と思いましたが、たぶんあと1週間くらい観たら、
それ以後、殆ど観なくなるかなあ、、、と思います。

なんか、もう先が見えてきた気がして、
観なくてもいいかなあ、、、と。


おひさま日記(1)

2011-07-04 17:35:32 | ドラマ
NHKの朝ドラの「おひさま」です。

日本のドラマをマトモに観るなんて、今までに無いことです(笑)
基本的に、刑事・推理・サスペンス系のドラマしか観ないので…

ただ(ドラマ内で)終戦を迎えて、大きな区切りが出来たので、
この先は観ないかも…と思ってます。

ドラマ観ると、感情移入のしすぎ(?)で、腹立って怒ったりが多いです(^^ゞ

さて「おひさま」。
茂樹兄さん、タケオくん、和成さん…春樹兄さん以外はみんな無事でしたね。
あ…あの人がまだ残ってました。
生還出来なかった人がもう一人。

それにしてもタケオくんの一世一代の告白(?)、
陽子が結婚してるのを知らなかったとはいえ、
ちょっと可愛そすぎる気が…
あれじゃ、撃沈っていうか、戦争に負けたことよりショックが大きいかも(+_+)

本編からちょっと外れますが、須藤家のお仏壇にある
母・紘子と、春樹兄さんの位牌。

位牌に戒名が刻まれていますが、戒名にもランクがあるそうで、
高いランクの戒名になると、お坊さんへの謝礼も
かなりの額になるとか…と聞いたことがあります。

母・紘子さんの戒名は、最後が「大姉」。
春樹兄さんの戒名は、最後が「居士」。

この「大姉」と「居士」戒名の中でもランクが高いらしいです。
うちは、父方の祖父母が亡くなっていますが、
祖父の戒名は「居士」、祖母の戒名は「大姉」。
結構なお値段だったらしいです(*_*)

私は、戒名も仏壇も葬式も要らないなあ。。。