国会中継・参院予算委員会をラジオで聞いていて、高市氏が放送法の政治的公平に関する行政文書について「ねつ造」と発言したことで、議論になっていました。
岡崎でも桜は咲きかけ、梅の紅白に続き、山野にも街にも春の色が満ち始めました。桜といえばピンク色、幼いころ赤と白の絵の具を混ぜ合わせて桜の花びらを描いたものですが、ぼかし具合が決め手で、うまくぼかすと先生に褒められたものです。
“ぼかす”といえば、文章に「何々等」あるいは「など」が入ると、たちまち対象と本質が“ぼけ” てしまい、文章では“ぼかす”方が都合の良い場合もあります。
ところが曖昧な文章は、ことと次第では困惑を招く恐れもあり、つじつまが合わなくなることも覚悟しなければなりません。中間色で表せばピンクか灰色?かも・・・・。
例えば、安全保障法制の骨格では、国際的な平和協力活動は「国連決議等」、つまり「何々等」はくせもので、一般的な公文書も、この手に出くわすことがあります。憲法を改正せずに戦後から、つじつまを合せる方法の自衛隊法は、「不磨の大典」ではないはずです。
“ぼかされて”派遣される自衛隊員や家族の身にもなってほしいものです。改正しない日本国憲法の方が現実から 離れていて、法律による「何々等」でぼかすのではなく、現状に合致した「平和主義に徹する憲法改正」を行うのが先ではないでしょうか。
放送法の政治的公平に関する行政文書についても、おそらく完璧さに欠けることから解釈の仕方が分れるのではないでしょうか。「ねつ造か?」どうかは別にして、ぼかし具合が決め手で、うまくぼかしてあるのでは・・・・。
やれ・やれ、国の予算委員会も「ぼかし」の程度を議論にするようでは、先が思いやられるというものでは・・・。
「 ボ ケ」の 花 岡崎公園内で撮影