goo blog サービス終了のお知らせ 

定年後の人生に花咲かせよう!

明日を生きるために きょう1日を大切にする 青春を忘れない

日本人好み「生」でなくっちゃ

2025年05月31日 | 日記

  この時期は半袖になったり長袖になったり、日焼け止めを塗ったり雨傘を差したり、毎日が変化の日々です。そして1日、1週間、1月、1年が川の流れのように通り過ぎていきます。歳を重ねるごとに速く感じて時間の大切さが身に染みます。

 今年の夏も平年より暑い夏になると気象庁、仕事が終わるとチョット1パイ生ビールを飲みたいものです。何で「生ビール」でしょうか。言葉の頭に「生がつくから」でしょう。

 「生」は、「新鮮でソフトな舌ざわりに加えて美味しい」と言うイメージがあるからで、他にも、生クリーム、生ハム、生玉子、生ジュース、生ワカメ、生めんなどがあります。

                                                                 

 生で食べる物と言えば、刺身を好む日本人は、魚以外でも生で食べたりすることが好きな人は、新鮮だからといって食べるのは危険が伴うことを自覚すべきで、この時期は特に注意が必要です。

 法律で、牛レバー、豚肉(内臓を含む)を生食用として販売・提供することは禁止されています。そして鶏肉を生や半生で食べると食中毒になる可能性があり、十分熱を加えて食べましょう。

 魚など「刺身で食べる文化」を持つ日本人は、これからの時季は菌の繁殖で「危険」との隣り合わせです。魚や肉は「生煮え」や「生焼け」ではなく、十分熱を加えて安心して食べたいものです。

 5月も最終日となりました。このgoo blogもきょうで最後となりました。長い間お読み下さって、ありがとうございました。     6月からは「アメーバ ブログ」に投稿の予定です。「志賀孝一ホームページ」のブログボタンで・・・。

 

 他にも「生」が頭に付く言葉では・・・、テレビの「生放送」を見ていても「生あくび」が出て、これなら「生演奏」が聞きたいと、「生意気」な自分を反省もせず、「生ぬるい」また「生半可」な暮らしを続けています。


政府が関与して良いか?「市販価格5キロ2,160円で・・・」

2025年05月29日 | 政治

 江戸時代、大人1人が1年間に食べるコメの量を「1石(こく)」と言い、約150Kg(2俵半)のコメを生産できる土地(面積に対する生産性)を現していました。大名や藩の経済力を測る目安とされ、農民に対する年貢米も「石」を元にして徴収していたようです。

 農民からの税については、田で収穫したコメを銭に換えて税を納めるのではなく、コメそのままという方法で徴収し、戦時中は「配給制度」があり、政府がコメを統制し、政府がコメを国民に配給していました。

 驚くことに、「食糧管理法」は平成7年(1995年)まで存在していました。平成16年(2004年)の食糧法の改正により、ようやくコメの流通は量や価格が完全に自由となり、民間にゆだねられることになり、現在のコメの価格決定は、原則として今まで直接的な政府の関与はありません。

 農業の根幹として手厚く保護してきた日本の稲作でしたが、1993年(平成5年)政府は外国の圧力を受けてコメの輸入を年間77万トンと決定しました。外国産の安いコメを大量に輸入すれば、生産性が低くても100%安定供給ができる国産のコメ農家が崩壊するからです。

 小泉農相はマスコミを通じて、政府備蓄の古古米を30万トン放出と言っていますが、キログラムに換算すれば3億キロで、日本の人口で割ると1人約3キロ、年間の消費量を7~800万トンとすれば、わずか3~4%程度の量で、政府がコメの流通価格を調整できるとは考えられません。完全に自由(生産量と価格)となったコメが、民間にゆだねられていることを忘れてはいないでしょうか。

 さらに、備蓄米の放出方法として、一般競争入札から随意契約に変えるということは、「特定の企業に対する補助(金)」であり、今後、政府はコメに対する生産から販売・消費までの根本的な食糧政策の検討を行うべきだと思うのです。

                                                               

                                                           写真:令和6年産・愛知県岡崎産のコメ「あいちのかおり」精米後の27キログラム入り袋


出身地はどこですか?

2025年05月27日 | 日記

 25日、大相撲5月場所の千秋楽を終えて、大関・大の里が14勝1敗で優勝、どうやら横綱への昇進が決まりそうです。出身地は石川県だそうで、地元の人が喜んだ様子をテレビで報じていました。

 今から10年前の5月場所は、横綱白鵬の攻めの速さ、鋭さ、柔軟に相手を受ける相撲は、大相撲を語る時、モンゴルの出身地を意識していたでしょうか、強さと美しさは日本が誇る「大相撲の大横綱」でした。日本の大相撲が盛り返した大恩人ともいうべきでしょう。

 当時も今も、外国出身(モンゴル・ロシア・ウクライナ)の関取がいて、活躍が目覚ましく、必ずしも出身地が人気上昇の絶対的な条件ではないと思います。

 外国出身のアスリートとは逆に、アメリカなど諸外国へ行って活躍する野球やサッカー、バスケットボール、バレーボールなどがあり、ファンにとって人気の本質は競技者の活躍する姿や結果でしょう。

 日本で言う「出身地」とは、法的根拠はないそうですが、15歳まで育った中で、最も長く住んだ場所(幼少期から中学卒業までの人格形成に強い影響を与える時期に、最も長く住んでいた場所)を言うらしいのです。

 私の場合は豊橋市の生れで、人に聞かれるとその様に答えてきましたが、今後、聞かれた場合は「岡崎市出身です」と・・・。

 一般的に、生まれ育った場所に愛着を感じるものですが、移り住んだ土地に強い愛着を持つ人が「第二の故郷(ふるさと)」と呼ぶ場合があります。

                                                                             

 


衣替えの季節となって

2025年05月25日 | 日記

 日本では多くの地域で、季節の推移に応じて衣服を替える「衣替え」が毎年6月1日と10月1日に行われ、一定の組織や集団に所属する人の場合は一斉に衣替えをします。しかし、地域によって気候風土が違うので、2週間から1カ月の移行期間で、衣替えの日程を調整する、あるいは春・秋用の合服を採用するところもあります。

 制服を定めている場合を除けば、気になるのが「おしゃれ」です。「おしゃれ」は、料理と同じで、基本は「清潔感」「サイズ感」「色使い」だそうです。やらなくてもよいことはせず、必要なことのみすれば良いといいます。

 とは言え、衣替えの時期を迎え、本当に必要なもので、質の良い物、気にいった物を選択する良い機会だと思います。服装だけでなく、持ち物や、生活必需品など見直して、快適に過ごす知恵を出す機会だとも思っています。

 「おしゃれ」には、流行とスタイルがあり、流行は一定の期間を楽しみ、やがて消え去りますが、スタイルは生き方の表現で、一目だけで自分を理解してもらうことは、なかなか難しいと思います。

 それでも、成功する人は自分のスタイルを持っていて、人に強い印象を与え、一瞬で自分を売り込むと言います。スタイルは自分流の生き方を表現し、仕事や生活でチャンスをつかむこととなり、カギは「人は見かけによる?」とも・・・。

 衣替えは、パジャマから外出着、仕事着、散歩や運動着、家庭着と、今一度「おしゃれ」を見直す季節がやって来ました。

                                                                                                     


まさか(思いかけず)の転機

2025年05月23日 | 日記

 昨夜は久しぶりに名鉄電車に乗って名古屋へ出掛け、笹島交差点近くの豊田通商ビル地下、居酒屋で飲み仲間と7名と一緒でした。ふとしたことで知り合った仲間で、懐かしい昔話しから日本の政治・経済の話まで、毎回(毎月1回)話題に事欠きません。

 “ふとしたこと”は、思いもかけない機会にあうなど、人生が変わると思えることを「人生の転機」と言いますが、健康や仕事、人間関係などで、仲間に救われることがあります。

 年齢を重ねると、病気や体調の管理などで不安になることもあります。ピンチに陥るとき、負う心の痛みや悩む部分は、経験した当事者にしかわかりません。経験していなくても、内容を理解することはできるかもしれませんが、深いところで共感し、的確な悩みの対処方法などは同じ経験をしている人からです。

 「人生の転機」は、目の前に巡ってきた「運」に気づいて行動する瞬間のことだと思っています。誰でも明日はどうなるのかなど分りませんから、何かを感じたら行動することだと思っています。

 建設会社へ入社して、生コン=ready-mixed concrete(工場で練り混ぜをしてから打設現場に運送するコンクリート)から、高強度コンクリートやブロック製品など、毎日のようにコンクリートと向きある日々が続いていました。ある日突然、人に関わるしごと(人事や労務)へ転換を余儀なくし、未経験から大いに悩みました。

 ピンチと向き合い突破していくことは、自分の経験値になるだけでなく、誰かに対して寄り添えるという“力が持てる”のではないか、人生の転機ではないか、これはチャンスだと信じました。

                                

 それ以後、私が人と会う機会が多くなり、お酒の席が増えたことも印象に残っています。