『知価は模倣か独創か』(UFJ Institute Report 2004.9)を読んでみた。タイトルに引かれたのだが、最後に書いてあるのは「”知価”は模倣であっても恥じることはない。模倣の上に独創が成り立つことを謙虚に認めることが、知価の源泉になる。」とある。「発想の根底には模倣がある」という主張には異論はないが、なんか期待はずれな感じを受けた(私の理解力不足かもしれないが)。
知価のパターン分類を参考のためメモしておく。
”知価”とは”知識”や”知性”の価値であり、場合によっては”価格”になることがある。大雑把
に分類すると、”知価”にはいくつかのパターンがあると思われる。”知価”とは、
①自らが知識そのものを吸収すること、備えること、蓄えること
②知識をベースにして自らが判断を下すこと
③知識をベースにして自らが問題解決能力を発揮すること
④自らの知識を次代(周囲)に解説すること、普及させること、継承すること
⑤発見や発明により新たな知識を生み出し、人類・社会・文化の進展に貢献すること
筆者によると、「①は模倣であり、⑤は独創になる。②③④には何らかの形で独創の要素が入っているといえるのかもしれない。」とのことである。①から⑤にかけて、影響の範囲が広がっているのはわかるが、模倣VS独創の議論とは違うと思う。どちらと言うと、知識VS知恵とか、学習VS創造とかの対比の方がシックリくる気がする。
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