こんばんは。
東日本大震災から今日で3年。
改めて被害に遭われた方々にお悔やみ申し上げます。
一昨年は福島県いわき市、昨年末は岩手県は陸前高田のほうへ足を運び、当時の状況を聞かせていただいたり、現状を見させていただきましたが、実際に現地で見ると本当に復興にはまだまだ時間がかかると改めて感じました。
1人の人間として出来ること。そして僕らプロサッカー選手が出来ることはなにかと何度も考えましたが、
被災地に足を運んで子供たちとサッカーを通して触れ合うこと、海外でプレーしている僕は精一杯プレーして少しでも日本に明るいニュースを届けること、チームメイトたちや現地の人に日本の状況を伝えること…
「地震」というロシア語はすぐ覚えました。
でないとチームメイトたちに伝えられないし、彼らの質問にちゃんと答えることもできないですから。
ラトビアでもウズベキスタンでもたくさんの人たちが日本のことを心配してくれ、いまだにみんな気にかけてくれています。
2011年5月、決勝戦でリエパーヤを敗りラトビアカップで優勝したとき、試合直後のピッチで被災地の方々まで届くことを願ってラトビアの報道陣に向けて出したこのメッセージ
当時ラトビアのメディアに多数掲載されていましたが、日本まで、被災地の方々まで届いたかどうかはわかりませんでした。
しかし、昨年末のユアテックスタジアム仙台で行われたJPFAチャリティーマッチの後、仙台駅で帰りの新幹線に乗ろうとしたところ改札前で数人の方々に声をかけられ、サインや写真対応などをしていたところ…
ある男性から「これにサインしてください」と、この写真をプリントしたポストカードのようなものを差し出されました。
ラトビアのメディアから発信されたこの写真が仙台まで届いていたのだと分かり、さらにはその写真を持っていてくれた方に出逢え、当時遠くラトビアの地にいながら自分に出来ることはなにかと考えた末の行動でしたが、もし少しでもなにかを感じてもらえたのならよかったな、と想いながら帰りの新幹線の中を過ごしました。(もちろんそのポストカードにもサインをさせていただきました。)
自分に出来ることは本当に微々たることかもしれませんが、一日でも早い復興に向けて継続して出来る限りのことをしていきたいです。
海外生活は長いですがラトビアの場所は柴村選手が行くまで、正確な位置が判っていませんでした。(恥ずかしいです・・)
住んで、働いているかたの声は、説得力があるので、今後もブログ、楽しみにしています。