「春来たり」をテーマに、手漉き和紙、陶芸、ガラス工芸作家が「あかり」の新しい楽しみ方を演出した「あかり展」を開きました。
会場は山梨県身延町下山「富士川クラフト・パークク内の移築民家」で幻想的な雰囲気最高。
次のサイトにスライド・ショウが見られます。
http://shtezuka.com/yamanashi/yamanashi_iyashi_tabi/kraft_park_akari/akari.html
「春来たり」をテーマに、手漉き和紙、陶芸、ガラス工芸作家が「あかり」の新しい楽しみ方を演出した「あかり展」を開きました。
会場は山梨県身延町下山「富士川クラフト・パークク内の移築民家」で幻想的な雰囲気最高。
次のサイトにスライド・ショウが見られます。
http://shtezuka.com/yamanashi/yamanashi_iyashi_tabi/kraft_park_akari/akari.html
お日様が西の山の端に沈む少し前の情景です。
完全な夕焼けではないので、明日の天気が気になりますが、落日前の情景として、心が慰められれば幸いです。
梅の花が咲き始めました !
今冬はなかなか寒さが来ず、暖かいのは嬉しいのでが、自然界にはその反動が必ずあるものと心すべきです。
日課のウオーキング途中の「梅の里 敷島梅園」では、例年より1ケ月早く梅の花の開花が見られるようになりました。
鳥鎮(Wu Zhen)は上海と杭州の中間にある古い運河の街でした。
その歴史をたどると唐代にに鎮として設置されたことから始まり、すでに千三百年以上の時空がこの街を形づくっています。また、中国の著名な現代文学の作家である茅盾の出身地としても有名です。 街は清代初期の特徴を残して民家や昭明太子読書処、修真観劇台などの名所旧跡が多く、江南水郷の一つとして人気の観光地でもあります。
鳥鎮は河に沿った町並みを丸ごと保存して、古きよき時代を売り物にしたテーマパーク風な感じがしました。(街に入るには入場料が必要)。そうは行っても現在もここに住んでいる人もいますので、街の外から見物に入ることは可能です。街を保存するためか、かなりの部分が博物館等に改造していますが、単に観光地としているわけではなく文化財産としての位置づけもしているようで、おみやげ屋も昔の家屋を利用していても、あくまで周囲の景観を壊さない配慮がされており、写真撮影やスケツチなどで一日いても飽きないにレトロの街でした。
* 魯迅の彫像・・・「魯迅紀念館」にて
魯迅の生家は、中国のお酒で有名な紹興市の南部にあり、現在は生家の一帯が「魯迅故里」と呼ばれ一つの博物館になって保存されている。
「魯迅故居」は魯迅の書籍を展示した「魯迅紀念館」、魯迅が子供の頃に通った塾である「三味書屋」などがあり、街並みも昔の雰囲気を残している。
魯迅(本名:周樹人)の生い立ちは、1881年9月25日に紹興で生まれ、幼少の頃は裕福だったものの、子供の頃に没落し、社会の冷たさを味わったと言う。1902年には来日し、1904年に医学を志すために仙台医学専門学校に留学した。
「魯迅故里」には、魯迅紀念館があり、魯迅の小説や写真等が陳列されている。(上海の魯迅紀念館よりも規模が少し大きい)、館内では、「故郷」の一場面が再現されていた。閏土の作り話を聞く魯迅である。小説の中で、「ああ、閏土の心は神秘の宝庫で、私の遊び仲間とは大違いだ。」と魯迅は語っている。
また「三味書屋」は魯迅は12歳から17歳まで、ここで学んでいる。魯迅が使用していた机と椅子が保管され、自由に使うことができるようになっていた。
魯迅紀念館の近くの魯迅中路には、魯迅の小説に出てくる「咸享酒店」があり、今までも繁盛し、昼間から紹興酒を楽しんでいる観光客で混雑していた。
魯迅は中国はもとより、アジアの近代にとってもっとも重要な作家の一人で、『狂人日記』や『阿Q正伝』等の作品によって中国文学に新しい息吹を吹き込み、近代中国を代表する思想家として活躍した作家でもある。