ジャン・ギャバンと映画人たち

Jean Gabin et ses partenaires au cinéma

ダニエル・ドロルム Danièle Delorme

2015-07-26 | 女優


 『殺意の瞬間』でギャバンの相手役を演じた女優のダニエル・ドロルムは、自著「明日、すべてが始まる」Demain, tout commence(2008年)で、こんなこと書いている。(フランス語版ウィキペディアより拙訳)

――『殺意の瞬間』は、私たちの青春を不朽にした映画の一つになっています。ジュリアン・デュヴィヴィエは、私とは世代が違いますが、この監督と彼の作品に対して、私は憧憬の念を抱いていました。それで、まさかデュヴィヴィエが私に声を掛けてくれるとは思ってもいませんでした。彼が私に会いたいと言ったとき、気詰まりな感じさえ持ちました。初めて彼と会ったときのことは、今でも目の前に浮かぶように憶えています。デュヴィヴィエは、非常に印象的で、愛想が悪く、几帳面でした。彼は私に自分の映画の概要を話し、シナリオを読んだらすぐに返事がほしいと言いました。採用するかどうかは別として、すでに他の女優の何人かがこの役を志願しているようでした。
 デュヴィヴィエがプレッシャーをかけるので私は唖然としましたが、ちょうど路上に駐車してあった私の車の中で台本を全部読みました。彼の説明からは前進しましたが、でもなぜ彼が私を思い浮かべたのかがますます分からなくなりました。天使の顔をしたこの悪魔的な若い娘は、嘘つきで腹黒く、殺人さえ犯せる娘で、私がこの役を演じることができるのだろうかと思ったのです。ギャバンを操って、自分の鼻先に連れてきておもちゃのように弄ぶことなどできるのだろうか。そんなこと信じられません。無謀な挑戦だと思いました。でも私はすぐに承諾しました。この役が自分をまったく別の方向へ投げ込むと感じたからです。それに、ギャバンとの共演、どうして逃げ出すことができるでしょうか。
 撮影は10週間にわたりました。ビランクール撮影所にパリの古いレ・アールが再現されました。当時の状態とまったく同じセットでした。そして、数メートル四方に小さな寝室が作られ、中にレ・アールのレストランの主人ジャンと若妻の私の婚礼用ベッドが置かれました。
 デュヴィヴィエは椅子に座り、獲物を狙う鳥のように私たちの方をじっと見ていました。
 レストランの主人を惑わし、人殺しをする女が犠牲者の犬にずたずたに引き裂かれるというこの陰惨な物語が私にとって真の贈り物になりました。個人的にも素晴らしい思い出になりました。
 この映画はいわゆるクラシックの一つになり、観客は頻繁にこの映画を見たがっています。でもそれは、ギャバンの映画の一本、デュヴィヴィエの映画の一本をまた見たいと望んでのことです。一年前にも野外スクリーンにこの映画が映写されました。そして観客はこのたそがれの世界に感銘を受け(アルマン・ティエールのモノクロの素晴らしい撮影です)、1950年代の映画に込められた嘲笑と悪意に心を揺り動かされたようでした。




 ダニエル・ドロルムは、1926年10月9日、セーヌ県ルヴァロワ=ペレに生まれた。コンセルヴァトワールのピアノ科に学び、39年2等賞で卒業ののち舞台演劇を志しシュザンヌ・デプレのオーディションに出向いたり、ジャン・ウォールの講座に通うなどしていた。42年、16歳のときマルク・アレグレ監督の『呪われた抱擁』の端役で映画デビュー。戦時中はレジスタンス運動に参加し、解放後ルネ・シモン、タニア・バランショヴァの指導を得た後、舞台、映画に復帰した。舞台では『にんじん』『人形の家』の主役を演じている。映画では、55年ジャン・ギャバンと共演した『殺意の瞬間』での強烈な演技で注目された。俳優ダニエル・ジェランと結婚、二人で巡業公演もしたが別れ、イヴ・ロベール監督と再婚した。49年ヴィクトワール女優賞、翌50年フランス最優秀女優演技賞に輝く。63年『わんぱく戦争』を製作。2008年、自伝「明日、すべてが始まる」を出版しフランスで話題となる。88歳で今も健在。
 主な出演作は、上記のほかに、『賭はなされた』(47)『レ・ミゼラブル』(57)『5時から7時までのクレオ』(61)『流れ者』(70)



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