~ SERENE SKY ~

流風香(るうか)の日々の日記や好き勝手な自己主張、呟きを書いていくブログ♪

10万の特別給付金に思うこと

2020-05-19 | AC・虐待する両親の行動と言動

最近、やっと、10万の特別給付金の申請が始まりましたね。

 

でも、流風香の住む地域では、申請書が、今月末に発送予定で、まだ、届いてません。

 

そう言えば、麻生さんが、リーマンショックの時、1万円の給付金出したと言ってたよね?

 

 

 

私、もらった記憶もなければ…

 

申請した記憶もないけど… (汗)

 

 

 

よくよく考えたら、その頃、ものすごい、鬱状態で、そんなこと考えてる余裕すらなかった時期のこと。

 

世帯主が申請、世帯主名義の通帳に振り込まれてたなら、父親が申請して、流風香と母親の分は自分の懐に入れてるな。

 

たぶん、父親の飲み代、もしくは、ゴルフコンペの費用などに消えた可能性大。

 

もし、今、父親が生きてたら…

 

 

 

その時と同じだっただろうな… (汗)

 

 

 

ただ、その時より回復してるから、流風香も黙ってなかっただろうけど、父親が渡すはずがない。

 

なので、ウィークリーマンションとか他の場所に住民票移せないか、いろいろ考える必要があったと思う。

 

そう考えると、今のこの時期の前に…

 

 

 

死んでてくれて、本当に、よかったよ…

 

 

 

だって、母親と流風香の分、合わせて、30万だからね。

 

絶対、渡さなかっただろうな。

 

モラハラ、経済的DV、身体的DVを、普通にやってた父親。

 

自分が家族の分も使うのは当然と思ってたはず。

 

本当に、父親が死んでから、いいことしか思い浮かばない。

 

これって、どうよ!?って思ったりもするんだけど、事実だから仕方ない。

 

申請書は、きっと、母親あてに届くはずだ。

 

当然、流風香の分はもらいます。

 

中には、年金や生活保護をもらってる人は給付金必要なし!!という人もいるけど、それは違う。

 

だって、もともと、ぎりぎりの金額しかもらってないんだから…。

 

たしかに、収入が減ってはいないけど、もともと、ぎりぎりか足りないかのどちらか。

 

なので、流風香は、いただいてもいいと思ってる。

 

それに、中には、介護離職してる人だっているはずで、そういう人たちは、自分の預貯金切り崩しながら生活してる。

 

なんで、そういう人に給付金必要ないなんて言えるの?

 

ぎりぎりの生活をしてるのは、シングルマザーだけとは限らないのに…

 

 

 

そこにしか視点がいかないのは、なぜ?

 

 

 

それでも、いろいろな制度が根底から崩れようとしている日本。

 

これから、どう持ち直すんだろうなぁ…。

 

なんとなく、こんなことを思う今日この頃の流風香です。

 

 

 

 

 


虐待死のニュースを見るたびに感じる違和感

2019-03-13 | AC・虐待する両親の行動と言動
最近、メンタル用語を安易に使う人たちに対して、ものすごく、違和感を感じる流風香。
何だろうなぁ… ブログなんかでも、よく「毒親」という言葉が出てくるようになった。
きっと、虐待事件などが起きたことで「毒親」とか「虐待親」という言葉が浸透してきたからだとは思う。
もちろん、そういう親はいます。実際、流風香の両親二人とも、毒親であり、虐待親だったからね。
でもね… そういう親に育てられたからこそ感じる違和感。

それって、毒親?

虐待親?

って感じるようなことを虐待だの毒親だのとブログに書いている人がいるのです。流風香からすると…

それって、親の行動として普通じゃない?

と思うようなことでも、なぜか、毒親、虐待親と主張している人がいます。ただ、そのブログの一部を読んだだけではわからないことも多いため、時間があれば、過去ログを読んだ上で判断しているのですが、それでも…

う~ん…

それって、本当に、毒親って言うのかな?

って感じる記事があるのですよ。そして、流風香の身近で知り合った人でも、恋人に頼られすぎて重いと感じると…

依存するな!!

これじゃ、共依存だろ!!

と怒る人もいました。でもね、母親と共依存関係にあった流風香からするとね…

たぶん…

それって、共依存ではないと思う…

それは、ただ単に、相手が優柔不断なかまってちゃんなだけだと思うんですよ。共依存関係にあるのは、自分で何もできないと思っている人を自分の思い通りに支配したい人が、相手の選択を相手ではなく、自分が決定して相手の人生を自分の思い通りにしないと気が済まない、そして、支配されてる人は、それが当たり前だと感じていて、生きづらさを感じつつも、その方が楽だから、それにしたがって生きているというお互いに依存しあう関係の人たちの歪んだ関係のことを言うのですよ。だから、ちょっと、頼られすぎて重いと言って嫌がっているということは、相手と自分の境界線がハッキリしているわけだから、共依存関係にあるわけではないのです。だけど、なぜか、こういうメンタル用語を使いたがる若い人が多いのは、なぜでしょうか?情報が氾濫しているネットで自分と相手の関係に当てはまると考えたのか…。しかも、共依存関係にある当事者たちは、全く自覚がないことが多いのです。だから、当事者が、そういう言葉を口にしていることに違和感を感じるし、それは、「毒親」とか「虐待親」という言葉を使う人にも感じます。こういう言葉を使えば…

ブログを見てくれる人が増えるからなのかな?

とも思う。だけど、深刻な共依存関係に悩んだり、虐待親であり毒親である母親との関係に悩んでいる流風香からすると…


簡単に、そういう言葉使わないでもらいたい


と思ってしまう。理由は、普通の家庭(普通に愛情を受けて育った)で育っていて、いわゆる、世代間の価値観や考え方の違いをお互いが受け入れられず、それで、親子関係が悪くなっただけなのに、自分たちが話し合う努力もせずに…

毒親

と決めつけるのは


いかがなものか… 


と思うんですよね。だから、最近では…


毒子


という言葉まで出てきてしまった。これは、何でも、親の責任にしてやりたい放題の子供のことだそうです。ハッキリ言って、安易に、こういうメンタル用語を使われるせいで、本当に、虐待親や毒親に悩まされている子供が…


本当は、あなたの方が毒子なんじゃないの?


と言われてしまう状況も出てきています。正直…

迷惑…(怒)

ブログの中には、本当にひどい虐待や毒親からの搾取に遭って、今も苦しんでいる人も多いのです。そういう人たちを追い詰めるような原因を作るようなことはやめてほしいと言うのが、流風香の今の気持ちです。ただでさえ、虐待親を持つ子供は、ずっと…


育ててくれた親を悪く言うなんて…


という世間の冷たい言葉に傷ついているんです。そういうことを言われて、説教されて、ただでさえ、うんざりしてるんですよ。もう、これ以上、メンタル用語を乱用してもらいたくないです。本当に深刻な状況で悩んでいる人がバカを見るような状況を作らないでほしいです。そして、この世間の常識というのが、虐待を見逃す原因になっていると思います。というのも…

親は、子供のためを思って厳しいことも言うもの

子供は、どんな親でも慕うもの

こういう親子であれば、絆と言う名目で、何でも許される… と言うような空気があると思う。そして、そういう常識が、事件になっている心愛ちゃんの父親に児童相談所が強く拒否できなかった理由ではないかと思う。そして、子供の中には、両親からひどい仕打ちを受けても慕う… というより…


将来への不安


から親の元に留まることを選ぶこともあるのではないかと思う。なぜなら、流風香が、そうだったから…。流風香は、父親から怒られるたびに…

施設に入れるぞ!!

と脅されながら育ちました。つまり、常に、親から見放されるという不安が付きまとうわけです。子供ながらに考えましたよ。施設に入った方が安心できるのか、それとも、このまま、我慢してでも、将来、やりたい仕事に就くために、親から見放されないようにした方がいいのか…。流風香は、親を利用することを選びました。こんな親だったとしても、とりあえず、学校には行ける。だから、その選択をした。だけど、心愛ちゃんの場合は、学校にも行けなかった。それでも、親の元に帰りたかったのは、親を慕う… と言うよりは、不安の方が大きかったからではないかと流風香は思います。子供の頃って、親に見放されたら、どこに行けばいいか分からないですよね?しかも、大人たちに全て勝手に決められたら、その通りにしないと生きていくことが出来ません。それは、虐待親の元に育った子供も同じです。しかも、暴力を受けていれば、正常な判断なんて怖くてできません。それを考えると、学校のアンケートに父親の暴力のことを書いた心愛ちゃん自身、どれだけ勇気が必要だったことか…。流風香からすると

心愛ちゃん、頑張ったよね…

って言ってあげたいです。それくらい、恐怖心と不安、そして、親への裏切り行為かもしれないという気持ちの葛藤の中で書いたのではないかと思うのです。親元に帰りたいと言ったのも、もしかしたら、心愛ちゃんの中に…

大好きなお父さんとお母さんを裏切ってしまったという罪悪感

から児童相談所の人に親元に帰りたいと言ってしまったのかもしれません。それが、本心でなかったとしても…。でも、普通の家庭に育った人には、その心愛ちゃんの言葉は…

親を慕う子供の言葉

という美化されたものにすり替わってしまうのです。それは…

子供は、どんな親でも慕うもの

という勝手なフィルターを通して見た言葉でしかありません。そして、世間で児童相談所の対応が叩かれているけど、実際、虐待親や暴力をふるう親と言うのは普通ではありません。流風香の父親にしても、とにかく、大声で怒鳴って、相手を怯えさせる。そして、相手を黙らせ、自分の思い通りにする人でした。特に、父親は、暴力的な人でしたから、どう考えても普通ではありません。そういう人を相手にするのは…

普通の人である児童相談所の人

ですよね?暴力振るわれそうになっても守ってもらえません。虐待親に強く出るための法的手段はあっても、暴力から事前に守ってくれる力は児童相談所にはないんです。だから、恫喝されたり、脅迫まがいのことをされたら、怖くて言いなりになったとしても不思議ではないと流風香は考えます。ただ、その後の処理の方法や対応に関しては、疑問の残るところではありますが、世間の人たちに知ってもらいたいのは、とにかく…


虐待親は、普通の考えや価値観は通用しない


ということを、頭の片隅でもいいので置いといてもらいたいと思うのです。だからこそ、虐待親は、自分が虐待しているという自覚がないんですよ。普通の価値観や考え方ではないし、しかも、自分自身は、教育やしつけの一環としてやっているだけだと思ってるから…。父親も、そうでしたけど…


家族は、自分の所有物


と思ってました。だから、


自分が家族を蹴ろうが、殴ろうが、自分の所有物だから俺の自由だ!!

乱暴に扱っても、教育やしつけなんだから、文句言われる筋合いはない!!


そんな感じの考えの人でしたね。例えば、高いボールペンを買っても、どんな使い方をするかは買った人の自由ですよね?高かったとしても、乱暴に扱っても文句言われる筋合いはありまあせん。それと、同じ感覚で、家族を扱っているんです。しかも、お金を稼いで養っているのは父親です。

俺が金稼いで養ってやるんだ!!

お前ら、俺の言うこと聞かなかったら分かってるよな?

こんな感じ…。児童相談所に保護されると親が怒鳴り込んできますよね?さっきの例えの高価なボールペンでいうと、乱暴に扱ったとしても、そのボールペンの所有権は買った人にありますし、それを、誰かが断りもなく持っていけば、それは、窃盗になります。虐待親も、児童相談所に子供を連れて行かれたら…

子供を盗まれた

と感じるわけです。つまり…

俺のものを勝手に持っていきやがって!!

この泥棒が!!

という感覚しかないので、怒り狂って怒鳴り込んでくるんです。なぜ、怒るのか分かりますか?自分に従い、ストレス発散できる相手がいないとストレスを抱えたままになり、自分自身の存在意義がなくなるからです。少なくとも、流風香の父親は、そういう人でした。母親は、共依存関係にある従うだけ、父親に決められたまま生きるだけの人で、父親から「お前は、自分一人では何もできないくせに!!」と言われ続けて、自分は何もできない人間だから従うしかない、そう父親に洗脳され、父親が亡くなった後も、生前言われていたことを守り続けて生きています。父親がいないのであれば、自由にやればいいのに… と思うでしょうけど、DVやモラハラが普通の生活になり、洗脳され続けた結果が、今の母親です。自分自身で考えると言うことが、全くできなくなっています。おそらく、心愛ちゃんの母親も、流風香の母親と同じ状態ではないかと思います。考えられないということは、理不尽なことを言われていても理不尽なことではないか?と考えることができないということなんです。だから、従ってしまう。そして、子供は、虐待され続けるし、子供が暴力を受けている間、母親が暴力受けることはない。だから、所謂、子供をスケープゴート(生贄)にして、自分は、父親の暴力から逃れようとするのです。


母親なのに助けないなんて!!


世の中の人は、簡単に言いますけどね、凄まじい暴力を何度も受けていると、どうしても…


助かりたい


という気持ちが出てきます。そして、子供が犠牲になっている間、自分は無事なのであれば見て見ぬフリをしようとする、それは、ただ単に、生存本能が機能した結果ではないかと思います。これは、実際、流風香自身にも起きていたことでした。子供の頃、流風香は、父親の暴力を受けている時、母親が助けてくれたり、かばってもらった記憶はありませんし、父親の暴力でできた傷の手当すらしてもらったことはありません。傷の手当なんてしたら、父親の逆鱗に触れるかもしれないからね。なので、母親が助かるためには仕方なかったから母親を許しているのかと言われたら、許す気なんてサラサラありません。でも、同時に、それが、母親である前に一人の人間としての弱さなのかもしれないとは思います。そして、流風香自身、どうしたら、両親のような人間にならずに済むのか、ずっと、ずっと、悩んできた。たぶん、流風香と同じように虐待親や毒親に育てられた人たちも同じように悩んでるだろうし、思うようにコミュニケーション取れずに困ってるんじゃないかと思います。だから、流風香は、子供を産みたいと思わなかったんだよね。母親のように、自分を守るために子供を犠牲にするような母親にはなりたくなかったし、かと言って、子供に普通に愛情を注げるか?と考えると…


絶対、無理!!


って思うから…。正直、この年齢になっても、自分の選択が間違っていたとは思ってません。子供を産まない女性は、少子化に貢献していないと批判されますけど、身体的な原因がなくても、親になる自信がなくて子供を産まない選択をする女性だっているわけです。そういうことを知りもしないで…

生産性がないとか言われてもなぁ…

って思う流風香です。だって、虐待死するニュースが報道されると…

こんな奴は、子供産む資格なし!!

ってSNSとかで言われるんですよね?流風香のように、子供はほしくないと思えればいいけど、中には、家族の温かさを知らずに育ったからこそ、自分で温かい家庭を作りたい、自分の家族を作りたいと思う人がいてもいいと思う。でも、その中で、必ず、弊害は出てくる。それを、誰が、どうフォローすればいいのか?を考えることの方が先でしょ?って思うんだけどな。批判だけするのは簡単。その対策を考えるのは、とっても、難しい。なぜって…


普通の人には分からないことだから…


だから、的外れなことばっかりやってるわけでしょ?少なくとも、流風香の目から見たとき、世間の人たちの言葉は、とても、無責任で感情的に批判しているだけにしか感じられません。虐待親に育てられた子供たちは同情がほしいわけではありません。


助けてほしいときに「助けて!!」と言える大人がほしいんですよ!!


助けの手を進んで差し伸べてくれる人がほしいんです!!


でも、自己責任と言う言葉で無関心がはびこってる今の日本に、そんなことしてくれる大人が、どれだけいるのだろうか?という疑問しかありません。これが、虐待親に育てられながら生き延びた流風香が感じていることです。ニュースやブログを見るたびに感じている違和感… その理由を書いてみました。少しでも、考えてもらうキッカケになればいいなぁ… と思いつつ、書いてみた。





過去の両親の行動に思うこと

2018-06-21 | AC・虐待する両親の行動と言動
最近、両親の過去の言動や行動で気になり始めたことがある。
両親は、流風香の大事にしていた物や祖父母からもらった物を取り上げることが多かった。
父親は、祖父がいとこに車を買ったから、流風香や妹にも買ってやると言った時、父親は、勝手に断り、そのお金を自分の車を買い替えるのに使いたいと言った。
母親は、祖母が、流風香と妹のために買って送ってくれた夏用の肌掛けを

これは、おばあちゃんがお母さんのために買ったものだ!!

と言って、流風香が使っていた肌掛けを取り上げた。子供の頃、流風香は初孫だからと両親の祖父母からいろいろな物を買ってもらうことが多かった。
それは、若いうちに結婚した両親にお金がないことを知って、援助するつもりで流風香に必要なものを送ってきたのだと思います。でも… 今、何となく思うのは…

初孫でかわいがられる流風香への嫉妬だったのではないか?

ということ…。両親は戦後生まれの世代ですから、いろいろなものが不足していた時代に育ちました。
当然、物不足で祖父母だけでなく、子供だった両親も苦労したと思います。
でも、時代が変わり、少しづつ豊かになりつつある時代に生まれ、祖父母から初孫だとかわいがられる流風香が気に入らなかったのではないか?と思うのです。
ちなみに、妹は、流風香ほど風当たりはひどくなかった。祖父母は、妹は二人目ということもあり、そんなにかわいがっていなかった気がします。そして…

自分たちは、子供の頃、ここまでやってもらえなかったのに、孫のためにはここまでするのか!!

みたいな感覚?両親の祖父母は、戦後だからというだけでなく、元々、裕福な家だったのに理不尽な理由で、急に貧乏になってしまった経緯があり、親戚からも両親は疎まれる存在で、よくいじめられていたようです。
そう考えると、流風香は、初孫で両親の祖父母、叔母叔父たちから可愛がられ、自分たちが手に入れられなかったものを全て与えられていました。
何となくですが、両親は、それが気に入らず、それは、流風香の甘えと捉えていたのではないか?と思うのです。
だから、流風香が祖父母から送られてきたものや大事にしていたものを取り上げては壊したり、捨てたりしていたのかな?と…。そう考えれば、母親のこの言葉に合点がいく。

あんたは、おじいちゃんとおばあちゃんに甘やかされてるから厳しくした

両親が祖父母の愛情に嫉妬した結果の結論だったとしたら、納得できる気がします。でも…

そんな理由で子供を虐待することなんてあるだろうか?

とも思う。流風香は、子供がいないので、親の立場にならないと親の気持ちは分からないでしょう。
でも、一つだけ確かなのは、両親に普通の人が感じるはずの父性や母性がなかったことです。
もし、祖父母の流風香への扱いが気に入らなかったのだとしたら、何となく、合点がいくのです。つまり…

流風香が受けてる祖父母からの愛情を自分に向けさせたい…

みたいな感覚?父親も母親も、もしかしたら、その傾向が強かったのかもしれない。
だから、流風香が受けるはずの車を買うためのお金を自分の車の買い替えのお金として受け取った父親と祖母が流風香にと送ってくれて使っていた肌掛けを取り上げた母親の行動は、両親にとっては当然の行為だったのかもしれません。
本来なら、自分たちが受けるはずの愛情を流風香が奪っていると感じていたとしたら、流風香に送られたものだったとしても、自分のものにしたいと思ってもおかしくはないです。
しかも、流風香が困っている時に限って、祖父母からのものを取り上げられていました。

そういうことってあるのかな?

よく世間では、親はお腹すいてたとしても、お腹すかせた子供のためなら自分は食べずに子供にご飯を与えるとかいう美談ありますよね?
うちの両親には、そんな気持ち全くありませんでした。逆に、流風香がお腹すいて、自分で作ったインスタントラーメンを取り上げて食べてましたからね… 父親。しかも、最後の一つだった。
ちなみに、小学生の頃の話です。こんなのしょっちゅうでしたね。だから、こういう話をされて

親は子供のためなら、何でもできるものだ

なんていうことを言われても…

???

って感じでしたね(笑)

え?

うちの親、平気で、私のご飯取り上げて食べてるけどな…

親が、自分は食べずに私にくれたことなんてないんだけど?

こんなところで、自分の親は、他とは違うらしいということだけは子供心に分かってました。
ただ、自分のイメージしている虐待とはかけ離れていたので、自分が虐待を受けているという自覚は全くなかったです。
でも、なぜ、自分が大事にしているものを取り上げて壊されたり、捨てられたりするのか、ずっと、分からなかったけど、何となく、謎が解けたかも… と思っています。
まぁ、だからと言って、両親を許すかというと許す気なんてサラサラありません。
でも、気付くことって大事なので… 自分の心を治すためには…。

なんとなく、気付いたことを書いてみました。





母親の本性

2012-06-14 | AC・虐待する両親の行動と言動
今まで、私は、母親のことを、思いっきり、誤解してたことに気づきました。私が思ってたような人間ではない。
自分のことしか考えず、自分勝手な言動や行動、場合によっては暴力をふるう父親と同じ人種で、結局は、
私の両親は似たもの夫婦なのだということが解りました。昨日書いたように、ちょっとしたことで揉めました。
怒り狂った父親とは、全く話にならず、解決策が見つからなかったため、今日、父親が仕事に行った後、母親に
そのことで相談したのですが、認知症の症状が進んでいる母親とは、なかなか話にならなかったのですが、
何とか、時間をかけて結論を出しました。その後、私は、父親のことを

あの人は、自分中心に世界が回ってると思ってる人だから…

と言ったら、母親から

お母さんも、自分中心に世界が回ってると思ってるから!!

と言われました。この言葉を聞いて、今まで、自分のせいで父親から暴力を受けてると思い込み、責任を感じてた
私の中で、今まで抱いていた母親のイメージがガラガラと音を立てて崩れていきました。子供の頃から、母親が
父親から暴力を受けてたり、喧嘩したりすると、必ず、仲裁に入って子供の頃から母親を守ろうとしてきました。
母親が父親から暴力を受けてるのは、全て、自分のせいだと思っていたから…。でも、そうではなかった。
母親は、父親の怒りの矛先が母親から私に向かって私に暴力を振るっても守ろうとはせず、父親と一緒になって
暴言を吐いていました。それでも、自分のせいで母親が暴力を受けるより自分が暴力を受けるべき人間なのだと
思ってました。もちろん、14年間のカウンセリングの中で父親の母親への暴力が私のせいではないということは
頭では分かっていました。私は、いわゆる、母親と親子逆転した共依存関係だったんですよね。本当なら、子供の
悩みを親が聞くものだけど、私は、母親の悩みや相談、父親の愚痴まで聞かされてきました。私にも、当然、
悩みや相談したいことはありましたが、両親には、とても相談できず、どんな問題も自分で処理してきました。
なので、私は、人を頼ったり、甘えたりすることができませんでした。カウンセリングを受けていくうちに、
14年間、お世話になった先生には、悩みや相談をすることができるようになりましたが、かなり、時間がかかり
ました。そのカウンセリングの中で、私と母親の関係が共依存関係だと分かったのです。そして、両親も、共依存
関係だということも分かってきました。なので、先生のアドバイスに従って、母親との距離を少しづつ取るように
してきました。でも、6年ほど前から母親に認知症の症状が現れ始めましたが、父親や妹は、全くの無関心…。
しかも、4、5年前には、激しい喧嘩をして、すごい物音がしたので下に行くと、逆上した父親が母親の首を
絞めていたこともあり、私が、この家を出る前に、何とか、母親を精神科か保健所や福祉事務所などで相談して
何とかしなければ… と思って奔走していたのですが、そんなことをする価値のある人間ではなかったんです。
いくら、認知症だったとしても、父親と同じような価値観や考え方をしてるような人を守ったり、病気の心配を
する必要なんてなかったんです。家を出る前に、何とかしなければと思っていましたが、私一人の力ではどうにも
ならず、しかも、犬猿の仲の父親が母親のことで私が、保健所や福祉事務所に行って相談に行ったところで耳を
貸すとも思えず、結婚して家を出た妹の言うことなら父親も聞く耳を持つから協力してほしいと言っても、全く
協力してもらえず、困ってたところに母親のこの言葉を投げつけられました。いくら、認知症だったとしても、
この言葉は、恐らく、本心でしょう。だから、母親を守ろうとした私が父親から暴力を受けても守ろうとせず、
父親と一緒になって暴言を吐いたりしてたのも、その言葉を聞いたら納得がいきます。つまり、

自分さえよければいい!!

これが、母親の考え方であり、価値観だったのだと思い知りました。なので、もう、母親のことを心配するのは、
金輪際、やめることにしました。そして、認知症がひどくなって、後々、介護が必要になったとしても、家を
出たら、両親の世話は、一切、しないことにしました。私は、私なりに母親を体を張って守ってきたんですから…。
これ以上、もう、何もする必要がないことが、よく解りました。後は、両親に可愛がられて育った妹が両親の
面倒を診ればいいだけの話です。その方が、両親も私が世話をするより喜ぶでしょうから…。

ただ、今まで、両親が似たもの夫婦だったということに気付かなかった自分が情けなくて仕方ない。
私は、結構、人を見る目がある方だと思っていたけど、一番身近にいる母親の本性を見抜けなかった。
妹は、両親に、できるだけ関わらないようにして生きてきたと言ってたのは、きっと、母親の本性を見抜いてた
からもしれない。

私、今まで、一体、何のために母親を守ろうとしたんだろう?すっかり、騙されていた。正直、すごく悔しい。
でも、過去に戻って過去を変えることなんてできないし、ひどい目に遭った記憶だって消すこともできない。
もし、変えられるとしたら、現在と未来だけです。私は、もう、父親だけでなく母親も捨てることにする。
例え、また、逆上した父親に殺されかけてたとしても、私は、もう、母親を助けるようなことはしない。
それで、母親が死んだとしても、私は知らない。

私にとっての一番の汚点は…

あの二人の子供として生まれたこと…

子供は、親を選べませんからね。私は、もっと、あの二人に冷たくしてもいいんだと思えるようになった。
もっと、距離を置いてもいいんだと思えるようになった。ショックだったけど、ある意味、認知症だという
ことで、なんだかんだと母親の面倒を診ようとして、ズルズルと共依存関係を続けていたけど、もう、
そんな関係も、これで終わりにする!!もう、あの二人に振り回されるのは、もう、ゴメンだから…。

両親との確執

2012-05-08 | AC・虐待する両親の行動と言動
昨日、母親が言っていたように父親が4日間のお休みで、朝からリビングに入り浸り…。
まぁ、それは、別に、気にしなければいいだけのことだし、バカ男(父親)のことだから家に、ずっといると
いうことはなく、必ず、出かけるはずなので心配はしてません。もう、バカ男の言いがかりに関しては、無視
するというか、透明人間か何かだと思って何か言いがかりをつけられても聞こえないふりをすることに決め
ました。

でも… バカ男を無視するだけでは済まず、事件(?)は起きた。問題は、母親です。
最近、暖かくなってきましたが、この時期になると、なぜか、トイレが、すごく臭うようになるのですよ。
毎年のことなんですけど、今回は、恐らく、母親がトイレ掃除をサボっていたのが原因と思われます。
というのも、数か月前に、早朝からトイレ掃除をしていたのにバカ男がトイレに入り、きれいにしたトイレを
思いっきり汚したまま出てきたのを見た母親は…

トイレ掃除をしたばかりなのに汚して!!

と言って怒り心頭!!それからというものトイレ掃除を放棄するようになって数ヶ月が経つのですが、それで、
今までバカ男が汚してた便器をきれいにする人がおらず、しかも、なぜか、便座まで黄色いしみが数か所に
見られるようになったため、気持ち悪くて、私は、除菌効果のあるトイレシートを買い、トイレに入るたびに
汚れがないかどうか確認し、汚れてたらトイレシートで拭いてから用を足し、使った後も拭いてから出ると
言う感じで、この数ヶ月やってきたわけですよ!!もう、

なんで、こんなとこが汚れるかなぁ~!?

と思うようなところまで便座が汚れていたりする始末で、しかも、トイレシートは自腹で買ってました。
それでも、汚い便座に座るよりマシですからねぇ…。そんなこんなで数カ月経って、臭い始める季節になった
今日この頃…。さすがに、母親もトイレ掃除をしなきゃいけないと思ったようです。もう、トイレ掃除を放棄
してから数ヶ月が経ってますので、トイレの際は黒ずんでたし、何と言ってもトイレを流すところ(水が
たまっているところ)が汚れで茶色になってるような状態でした。恐らく、トイレ用の洗浄剤みたいなものを
使わないと汚れは落ちないと思われます。そして、トイレの臭いは、普通、その汚れなどが原因だと思うはず…

なのですが!!

昨日、母親からトイレ掃除をしたけど、アンモニア臭いのが消えないのは、私の汚物入れが原因と言われ、今日、
トイレに入ってみたら、私になんの断りもなく、しかも、汚物入れのフタは、乱暴に扱ったと分かるような
ずれ方をして中身だけがなくなっていました。アンモニア臭と言うのは、尿の臭いですよね!?しかも、私が、
まだ、使ってる最中なのに、勝手に汚物を処理するなんて許せず、母親に抗議すると…

開き直った!!

あくまでも、アンモニア臭がするのは、私の汚物のせいだと言い張る母親。というのも、トイレ掃除をしても
臭いが消えないから… と言う理由だけでした。ていうかさ!!それって、今まで、

トイレ掃除をサボってたツケでしょ!?

と思う愛里なのですよ。季節柄もあるとは思いますが、私以外、汚物入れを使う人はいないので処理は、私が、
ちゃんとしてるんですよ。なのに、アンモニア臭がするのは汚物入れのせいだと決めつけて、勝手に処理する
なんて許せないですよね。ていうか、終わったら、いつも、

自分で処理してるし!!

それで、アンモニア臭がするのは汚物のせいではない!!と言うと、母親は、開き直って

だったら、アンタもトイレ掃除しなさいよ!!

と言う始末…。なので、頭に来て、トイレに入るたびに便座が汚れてたらトイレシートで拭いてることを言ったら
黙りましたけどね!!ていうかさ!!トイレの臭いが、この時期するのは、毎年のことのはずなのに、なんで、
今年だけ私のせいなわけ!?しかも、私の使ってるものを勝手に触った挙句に、きちんとフタなども閉めないで
フタを思いっきり乱暴に扱ったことが解るような感じなのもムカつく!!

でも、その時は、バカ男がいたので、また、口を挟まれると、例の口癖の

気に入らないなら出て行け!!

と言うのが解ってたので、その時は、引き下がりましたけど、もう、我慢の限界!!なんでも、私に言いがかり
つけるのやめてよね!!って言いたいですよ!!しかも、母親に勝手に

私の物に触らないで!!

と言うと、父親と同じように

だったら、自分の部屋に持って行け!!

と言う始末…。普通、生理用ナプキンを交換するのはトイレなわけで、だから、トイレに汚物入れを置いとくわけ
ですよね!?それを説明したら、不満そうな顔をしながらリビングに引っこみましたけど、バカ男の訳の分からない
言いがかりと言い、今回の母親の言いがかりと言い、もう、

やってらんない!!

早く家出たいけど、チョコのこともあるし、引越し費用の計算をしてみたら年内に引越しできるかどうか怪しい
感じになりつつある。でも、もう、こんな両親から言いがかりをつけられたり、嫌がらせをされたりする生活は

もう、やだぁ~!!

お金なくても引越しする方法ないかなぁ…?と考えてしまった愛里でした。

愛里キレる

2011-08-05 | AC・虐待する両親の行動と言動
今日、私、傷害事件を起こしました。相手は、母親です。また、両親の嫌がらせ、つまり、私の買った物を
無断で処分したり、隠したり、話しかけるときは、いつも、ケンカ腰で、もう、我慢も限界だったのかも…。

なぜ、傷害事件を起こしたかというと、先日のケンタでもらった「ワンピース」のシャーベットマグを、前日の夜、
冷凍庫に入れて、今日の朝、シャーベットを食べられるようにしておいたはずなのに、そのマグが冷凍庫から
消えていたんだよね。正直、

また、やられた!!

と思いましたよ。でも、いつもと同じように我慢してゴミ箱から隠しそうな場所をあちこち探したけど、なかった
ので、母親に聞こうと思ったけど、いつも、知らぬ存ぜぬを通す母親です。そう簡単に吐くとは思えない。
だから、キッチンにある私専用の包丁と目に入ったアイスピックを両手に持ち、リビングのソファで寝ていた
母親の首に包丁を当て脅しながら話しかけたら、起きた母親が知らないと言いながら抵抗してきて、揉み合いに
なり、気が付いたら、私の両手が血まみれになっていました。恐らく、母親に手首を掴まれていたので、その際、
母親の手を傷つけたのだと思います。母親は、私が怪我をしたと思い込み、病院に行くよう言われましたが、
断り「もう、いいよ!!」と言って自分の部屋に行こうとしたら、母親は、私が、自殺でもするのではないかと
思ったらしく、包丁を取り上げられました。そして、血まみれになったアイスピックは、ちゃんと水で洗い流し、
手を洗ってからダイニングにあったおにぎりを持って自分の部屋に戻りました。午前中は、ずっと、具合が悪く、
食欲もなかったからシャーベットマグを使ってシャーベットを作って薬を飲むつもりだったのですが、仕方なく、
おにぎりを食べてから薬を飲んで寝ていたら、母親から連絡を受けたのか、父親が職場から帰ってきて、私の
部屋に来て

警察に通報するから下に来い!!

と言われました。ハッキリ言って、その時の私の精神状態は不安定でしたから、また、両親の顔を見たら、何を
するか分かりません。なので、下に来るように言う父親に「支度するから…」と言って、警察が来るまで自分の
部屋にいました。午前中からめまいなどがあったので調子は良くなかったですが、それ以上に精神状態も不安定。
こんな状態じゃ、また、何をしでかすか分からなかったし、父親に何を言われるか、何をされるかも判りません。
なので、警察の人たちが来るまで自分の部屋にいました。しばらくすると、警察の人たちが入ってきたのが分かった
ので、事情を説明するために、今迄、両親からの嫌がらせや暴言の数々をメモしたメモ帳を持って下に行きました。
とりあえず、両親とは別の部屋で事情聴取されたのですが、事情を話しているうちに、だんだん、興奮状態になり、
涙が止まらず、泣き叫びながら

1日も早くこの家を出たいんですよ!!

と訴えていました。警察の人たちが、このままだと良くないと判断したのか、警察署に行くことになりました。
警察に行ったときは、薬が効いていたので、なんとか、パトカーの中では普通に話をできましたが、取調室という
よりも相談室みたいな部屋で2、3人の警察官の見張り付きで事情聴取をされるのを待っていました。
刑事が話を聞くから… ということだったのですが、待てど暮らせど、誰も来る気配がない。そのうち、めまいが
始まり、警察官の人にめまいがすることを伝え、うつぶせになっていました。気が付いたら、見張りの警察官は1人
だけになってた。めまいが、どんどん、ひどくなっていき、そのうち、動悸や吐き気までするようになってきた。
最後は、もう、座っていられないくらいの倦怠感が出てきて、座ってるのがつらくなり、たまたま来た婦警さん
らしき人に「具合が悪くなってきたので、横になりたい」と言ったら、すごい愛想のない対応で、

何?具合悪いの?横になりたい?ちょっと待って…

と言って、見張りだった警察官の人が来て「横になれるところはあるけど、ここみたいに冷房もきいてないし、
牢屋みたいなところだけど、そこでも良ければ…」ということだったのでOKして連れてってもらいました。
いわゆる、「留置場」ってやつ?だんだん、具合が悪くなっていって、まともに歩けず、倒れこむように布団の
上に横になりました。結局、救急車を呼ぶことになり、4時半に父親が迎えに来ると言ってたのですが、来るか
どうかなんて判らない。今まで、外出先で倒れて、何度も救急車で運ばれたことがあったけど、一度も迎えに来た
ことなかったですからね。でも、さすがに警察に言われたせいか、救急車の到着と同時に父親が迎えに来たよう
でした。初めてですよ…。体調が悪くなって救急車で運ばれそうになって迎えに来たのは…。

結局、事情聴取をしないまま自宅に帰ることになったのですが、両親の顔を見たくなかったのでタクシーで
帰りたいと救急隊員の人に伝えたら、父親がお金を渡すことになったのですが、もう、しばらく、両親の顔を
見たくなかったので、お金も警察官の人から渡してもらい、救急隊員の人から「必ず、返すようにね。」と
言われました。親子間のお金の貸し借りはしないという約束事があるので、きっと、父親はタクシー代なんて
貸したくなかったはず…。でも、車の中で父親と2人きりになったら、何を言われるか判ったもんじゃない。
なので、帰りのタクシー代3,000円を借りてタクシーで帰りました。そして、帰った時に、すぐに家に入れる
ように鍵やチェーンをかけないこと、私が帰っても両親は出てこないことを約束してほしいことを救急隊員の
人に警察官を通して父親に伝えてもらいました。なので、事情聴取はしないまま、家に帰ったわけです。
警察の人たちが、タクシーの運転手さんに私の体調が悪いことを伝えてくれたので、タクシーから玄関まで
付き添ってくれました。玄関を上がると母親が顔を出してきましたが、無視して自分の部屋に戻り、
グッタリしたままベットで横になってました。帰ったのは、大体、夕方5時半頃で、気が付いたら、夜の11時に
なってました。めまいがひどくて仕方なかったのですが、薬を飲まなければならないので、何とか起き上がり、
コンビニに行き、おにぎりと翌日も両親と顔を合わせなくてもいいようにパンなどを買って帰りました。
めまいや疲れがひどくて、眠りたくても眠れない状態だったので安定剤が必要だったので買わざるを得ませんでした。
なぜかというと、元々、胃が弱いので、何も食べずに薬を飲むと胃の調子も悪くなってしまうからなんですよね。
それで、何とか、薬を飲むことができました。当然、眠剤も飲みましたよ。でも、眠れるかどうか…。

そんなわけで、大変な1日でした。でも、被害届を出すとかって父親が言ってたのが聞こえてきたけど、
被害届を出されたら、前科がつくのかなぁ…?などと考えてしまう私は、やはり、おかしいのでしょうか?
こんなことを考えてしまった愛里でした。

届いたぁ~!!

2011-06-02 | AC・虐待する両親の行動と言動
今日、届きましたよ!!この間、配送を頼んだ室内物干しが…。それで、今日一日、体調が悪かったのですが、
組み立てるとどのくらいの大きさになるのかが、急に、気になりまして、1時間もかけて組み立てましたよ!!
体調悪かったから、休み休みだったので時間がかかったのですが、思ったより、かなり、

でかい

とりあえず、妹の部屋に置いてみたら、ギリギリって感じでした。まぁ、でも、ベットも置いてあるし、まぁ、
通り道みたいなところが狭いので仕方ないけど、使えないことはないみたいです。とりあえず、母親にも話して
おきました。本当は、今日、父親にメモを書こうと思ったのですが、体調が悪いのに無理して室内物干しを
組み立てたりしたもんだから、疲れ果ててしまいメモを書く気力がなくてメモを書けませんでした。とりあえず、
母親には話してあるし、あとは、父親の了解を得るだけですよね。とにかく、組み立てるのが大変で、疲れた。
でも、こういうものが増えていくにつれて、これから、この家を出る準備ができつつあることを考えると、
すごく、うれしい気分になるんですよね。父親が私を追い出したがってる以上に出て行きたいと思ってるのは、
私のほうなんですから…。だって、14年間もの間、ひどい暴言の数々や嫌がらせや嫌味に耐えてきながら、
うつ病を、何とか、治そうと前の先生と話をしながら、ここまで頑張ってきて、やっと、あのひどいうつ状態
からここまで良くなったんですから…。本当に、14年間、お世話になった前の先生には『感謝』と言う言葉
しか見つかりません。後は、昨日、予約したクリニックの先生と相性が合って、信頼して安心して相談できる
先生であることを願うのみです。そうすれば、私は、この家を出て行く日が近くなり、もう、両親からのあの
ひどい暴言や嫌がらせや嫌味を言われながら生きる生活から開放されるのですから…。もちろん、精神状態も
いい状態とは言えないし、体調不良も未だにあるから、この家をすぐに出るのは無理だと思うけど、少しづつ
準備していって、自立できるところまで行ったら転院先の先生と相談しながら自立する方法を教えてもらったり、
相談機関に相談したりしていこうと思います。まだ、あの虐待する両親の家に住んでいなきゃいけないけど、

この家を出てうつ病を完治させる


と言う目標を達成させるためにも、少しづつでもいいから一歩づつ進んで行きたいと思った愛里です。

でも、今日、母親に室内物干しを妹の部屋で使ってもいいか話したときに、先生にうつ病の原因は、両親の
ひどい暴言や嫌がらせだから、そこから離れない限りは、なかなか、うつ病が完治するのは難しいけど、今の
私の精神状態や体調で家を出ても家事をこなせなかったら困るので、そういう訓練をして、ある程度の家事が
できるようになったら家を出るようにしましょうと言われたと母親に言ったら、なんて言ったと思います!?

家を出ても完治しなかったら先生を許さないからね

だって…。ていうかさ、私のうつ病の原因は、アンタのひどい暴言で、ここまでうつ病を回復させてくれた
のは先生なわけよ。そういうこと、全然、分かってないということに呆れ果てました。母親が、私のうつ病が
完治しなかったら許さないなんていう資格ないにも関わらず、よくもまぁ、こんなことを言えるものだと思い
ましたね。しかも、一度、両親は、先生から私とどう接するようにしたほうがいいか話をしてもらったんです。
それを、母親が言い出だしたので、私も、どういうことを話したか、後から先生から聞いたよ… と言ったら、

先生、なんて言ってた?

だって…。直接、アドバイスされた本人は、先生に言われたことを全部忘れてるみたいでした。これじゃ、私の
うつ病が治るはずないですよね。だって、先生のアドバイスを覚えてないんですから…。たぶん、父親も同じ
なんでしょうね。だから、この間みたいな一方的に怒鳴り散らして、無理難題を押し付けてきたんでしょうから…。
とりえず、今日は、室内物干しを組み立てただけで疲れ果てたので、体中が痛いです。でも、一日も早く、この
両親から離れるために、少しでも前に進めるように毎日を過ごしていきたいですね。

カテゴリーを増やしました

2011-05-29 | AC・虐待する両親の行動と言動
ネットができるようになって、いろいろと精神状態が悪化するようなことが家庭内で起こりました。
今まで、私なりに我慢してきたつもりだったのですが、もう、

我慢の限界

というわけで『AC・虐待する両親の行動と言動』というカテゴリーを作りました。ネットを使って復讐する
ことに決めました。あんな横暴なことをする両親が、世の中を大手を振って堂々と生きているのは許せない。
なので、私が子供時代からの虐待行為や今の暴言の数々を、ここで暴露していきます。ここで書くのは、私の
家庭の場合ですので、全てのAC(アダルト・チルドレン)が同じ目に遭っているかというとそうではないです。
ACとは、機能不全家庭に育った人のことを言います。なので、私のように、父親からの身体的暴力や性的虐待、
両親二人からの言葉の暴力を受けた人だけがACだというわけではないんです。機能不全家庭にもいろいろな
種類がありますので、興味がある方は検索して調べてみてください。せっかく、大きすぎるショックの連続で
精神状態の悪化や体調不良が安定してきたと思ったのに、今度は、両親からですからね。でも、今回のことで
前の先生から

『今の暴言や嫌がらせをする両親から離れない限り、あなたのうつ病は完治しないよ。』

と言われた意味が、改めて、よく分かりました。なので、昨日、うつ病が完治するまでこの家にいるのではなく、
うつ病でも、ある程度、家事ができるように訓練していこうと思っています。そして、大体の家事ができる
ようになったら、生活保護などの何らかの方法で自立できる方法を探していくつもりです。でも、その前に、
このブログで、私を家から追い出すために嫌がらせやひどい暴言を吐いたりした両親のことを暴露します
とりあえず、個人情報を公開すると違法になるので、誰が愛里の両親かを特定するヒントみたいなのを
書きますね。まず、父親の名前は『F.博明』(さすがに、苗字は公開できないので…)で生年月日は、
昭和20年10月11日でパチンコ店の警備の仕事をしています。本籍は、福岡県で三人兄弟の長男で、自分では
しっかりしてると思ってるみたいだけど、全然、しっかりしてません。仕事はまじめみたいですが、長続き
しませんでした。ちなみに、今のパチンコ店の警備の仕事は、契約社員なので1年更新だそうです。
これで、そのパチンコ店の人事の人に、このブログを見て気が付いたりしたら、完全に更新してもらえない
でしょうねぇ…。母親の名前は『F.かつ子』で生年月日は、昭和24年2月17日です。5,6年前から妄想癖と
幻聴が聞こえるらしく、あることないこと言い出し、そのうち興奮して勝手に怒り出して、父親と私に
怒鳴り散らしたりします。ちなみに、病院にはかかってません。父親が何もしないし、私は、自分のことで
精一杯ですから、ひどい暴言を吐くこの女の面倒なんて見たくありませんよ ちなみに、住んでいる所は、
関東で都心に近いところで、せんべいで有名な市で遊○町というところに住んでいます。分かる人には、
分かるでしょうねぇ…。私は、別に、バレてもかまいません。両親に対して、このブログで復讐できる
なら、なんでも暴露しますよ 私は、もう、絶対、この二人を許しません。徹底的に叩きます。それに、
虐待をする両親が、どういう人たちなのかを知ってほしいというのもあります。まぁ、これは、私の家の
場合ですけどね。でも、どんなに両親から嫌がらせやひどい暴言があっても、絶対、負けません!!

負けてたまるか

徹底的に、復讐の準備をしていこうと思っています。それでは、出会い系サイト暴露話と共にうちの虐待した
両親の暴露話もお楽しみに…。

妹に相談する

2011-02-26 | AC・虐待する両親の行動と言動
この間、パープルダイヤルで相談した時、母親のことと私の持病のことを話したら、家族の誰も私の病状を知らないのは、おかしいと言われ、両親が、私の病気に理解がないなら、妹さんに話すようにと言われたんだよねいろいろ考えて、結局、妹に相談することにしました。まず、母親のことを話して、そのせいで私の精神的な状態が、どうなってしまったかを話しました。妹は、黙って聞いてたけど、私が、父親に母親のことを病院に連れて行くように話してくれないかと言ってみた。そしたら、私が言ってお父さんが、動くか分からないよと言ってたけど、父親は、私より妹のことを信用してるから、私より聞く耳を持つと思うんだよねと言って、なんとか、妹に父親に母親のことを話してもらうことになった。ただ、妹が、OKするまで3時間かかったけどね携帯で連絡したから、ちょっと、痛いけど、母親のことを考えると、このくらい安いものだと思う。とりあえず、父親は4月に妹のマンションに行くことになってるらしいので、その時、話してみると言ってくれたよかったぁ~