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戦国島津は本当に「強い」のか~政・軍両面から見るその実像~(2024)・・・姶良市姶良公民館

2024-10-05 19:18:41 | 日記
10月5日14時から姶良市姶良公民館において【戦国島津は本当に「強い」のか~政・軍両面から見るその実像~】の講演会が開催されました。
講演は第1部、第2部,第3部からなり、講演の間には休憩時間が設られていました。第3部が終わってから質問フォームから事前に申し込んだ質問に対して二人の講師が回答していました。
講演は事前に配布された資料、パワーポイント画面、ホワイトボードを使って行われましたが、講演中の写真撮影は禁止のため、メモをとりながら聞きました。
講演会の概要を紹介します。
【第1部】「戦国島津氏の軍事動員と合戦」・・講師;新名一仁氏・・南九州大学非常勤講師(中世島津氏研究者)
〇歴史学にとって「強い」とは・・①軍事編成で農村部で足軽などをどれだけ動員できるか(戦国大名北条氏は関東八か国を支配)②動員力→兵農分離→常備軍の整備→石高制などによる軍役の明確化(織田信長)
〇戦国島津家の軍事動員・・①島津家の合戦・・13の合戦を記載(資料参照)
②島津家の動員方法・・島津家家臣の給地面積が動員の単位・・壱町衆者主従2人・・十町衆者主従11人
〇戦国島津家の合戦・・上井覚兼日記より失敗例と成功例を紹介
【第2部】「軍事から見る、島津《軍》の本当の強さ」~島津《軍》は本当に強かったのか、弱かったのか~・・講師:樋口隆晴氏(歴史・軍事ライター)
〇「戦い」において、「強い」「弱い」とは・・戦争とは、相対的で流動的、かつ一回性のものである(ヘルムート.V,モルトケ)・・マニュアル化できない・・勝利のための定石はある・・「伝統」もまた「戦力→戦う力」になる・・戦いも「階層構造(レイヤーの位相)」が存在する。
〇戦争の階層構造の概説→島津軍はどの階層で強かったのか・・戦争の階層構造・・戦略→作戦→戦術・・島津軍・・戦略階層(意思決定速度が遅く「強くない」・・戦術次元(敵より強い)
〇言語化されていないドクトリン・・軍事用語では「戦いに対する思考の枠組みの共通化」・・戦いは流動的で一回性の状態・・マニュアルでは状況に応じて対応できない・・現代では言語化したドクトリン文書が整備されているが、戦国時代は存在しない・・島津家では毎日のように島津家直臣が酒を飲み戦いの話をしたと思われる・・しらずしらずのうちに「ドクトリン」のようなものを作り共有化・・「戦いに関する思考の枠組みを共通化」・・戦場において各個に判断でき、それが全体の目標に適応・・指揮速度が敵より早い・・幕藩体制下の島津家で拡大強化・・戊辰戦争・函館戦争で強兵ぶりをみせる。
【第3部】「≪強い≫戦国大名とは何か」・・新名一仁氏/樋口隆晴氏
〇1部と2部の講演を振り返って・・強さ・・動員力(北条氏など)常備軍(織田信長など)・・島津氏(戦術で強い)
〇歴史学と軍事学の関係・・歴史学→軍事史学(戦史)→軍事学
【質問コーナー】・・質問フォームから申し込んだ内容を司会が選別して一部を講師が回答(その一部を紹介)
〇島津氏と鉄砲について・・種子島に最初に伝来したため早くから鉄砲を活用。硫黄は地元で採取し、硝石は海外から輸入・・地理的に有利
〇島津氏は鎌倉から永く支配していた強みと弱みは・・同じ土地を長く支配していると地域との結びつきが強くなり過ぎて悪い面も出てくる・・秀吉の時代に大幅な領地の入れ替えがあった。
〇ドクトリンのようなものがあったのは島津氏だけか・・武田信玄の時代にあったと思われる。
以上で質問が終わり、講演会の説明があり閉会しました。
参考のため資料の一部をスキャンして添付します。

チラシ
開演前の会場
休憩時間のロビー
休憩時間のロビー
講演が終わって散会
 【資料】












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