小学生の頃りょうはんがしていたのは海辺の町営住宅の有った場所にイワシを煮詰めてイリコにしていた。これが波打ち際に町が堤防作り出来なくなった。家では冬は布団の綿の内替えをしていた。これが関谷の事で有る。堀切では薦田政一の親の虎はんが関谷より少し大きい窯でイリコ作ってい。。そして政一は十一号が出来ると海側に小屋作りイワシ売りますとの看板出して十年以上イリコ売っていた。イリコ作る所はイリバとか言っていたかも知れない。昔の事で忘れた事有るかも知れません。箕浦の山を魚見山と言ってイワシの群れが見えると山から煙だして合図すると漁師が船出して取りに行っていた。
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