天気予報の中で観音寺市を押すと一の宮公園が出てきた、白砂青松の遠浅海岸との古くから地元て言い伝えられていたらしい、六七十年前は海岸に大きな石がゴロゴロしていたりを豊浜町が埋め立て始めて現在の状態まで埋めて、今度は砂運んできて砂浜作ったが何度も砂無くなり人工砂浜を作った、公園の東側の大野原の海岸見ると大きい石が一杯ゴロゴロしている。それと同じ状態の海だったのを今の公園にしたのが豊浜町、青松の松原は昔から夜のデイトの松原として有名だった。誰がこんな出鱈目を平気で書いているのは関谷の綿神社と同じである、昭和五十年に建てた綿神社は合併して直ぐに綿神社の前を取り壊して何時建立したかも解らないようにして市が適当に宣伝しているが悪いことに加地が綿神社建立当時に写真撮り持っていたのてその写真置き土産にして旅立って行った。