昨年私が制定した「世界一周の日」が今日です。少しでも世界一周をしている人のお役に立てるように「世界冒険者」のホームページも立ち上げそして商標登録もしました。今年から記念行事をしようと思っていましたが、サハラマラソン出場などでバタバタしてしまい、一年延期しました。来年の記念日をお楽しみにお待ちください。
由来
ジャーナリストで東京朝日新聞記者だった杉村楚人冠が企画して東京朝日新聞社が主催した「世界一周会」の一行が敦賀港に帰国した明治41年(1908年)6月21日にちなんで制定。
「朝日世界一周会」と名付けられて一般から参加者を募った日本初の海外パックツアー。1908年3月18日に横浜港を出港。米国を鉄道で横断し、さらに汽船で大西洋を渡った後、英国、フランス、イタリア、ドイツ、ロシアなどを通って6月21日敦賀港に帰国した。当初90日間の予定だったが、欧州に入ってからイタリアを追加したため96日間になったという。英国の旅行会社トーマスクックがプランを練って随行員を付けた。
費用は一人2340円で、現在の価値で1千万円ほど。定員は50人に80人の申し込みがあり、最終的に54人が参加した。銀行や株式仲買、繊維業など実業家が多く、野村證券の創業者の野村徳七も含まれていた。女性は3人だけだった。地域別では大阪が20人で東京の15人より多く、神戸や京都なども含めた関西が過半数を占めたという。
一行は、ナイアガラの滝やエッフェル塔、ピサの斜塔などを観光するだけでなく、銀行や証券取引所、大学、水力発電所などにも足を運んで見識を広めた。
英国の新聞には「記録上最大の世界一周観光団」と書かれ、各地で歓迎を受けた。ワシントンではセオドア・ルーズベルト大統領がホワイトハウスに招き、参加者1人ひとりと握手を交わしたという。
この旅行について杉村楚人冠が書いた記事をまとめた本「世界一周画報」ある。
(朝日新聞記事より転載)