日本人のように見えました。息子なんかえなり君にそっくり。内容はとても深く考えさせるものです。最後は想像以上に!でもこれが現実かも!格差社会、お隣の国の問題ではありませんね(泣)
日本人のように見えました。息子なんかえなり君にそっくり。内容はとても深く考えさせるものです。最後は想像以上に!でもこれが現実かも!格差社会、お隣の国の問題ではありませんね(泣)
世界を旅していつも思うことは、その国の宗教や思想です。こちらから見ると不思議でも、その国では当たり前。逆に日本の学校教育の校則や運動会、ましてや前に習えの整列などは、軍国主義そのものです。とは言ってもこの刑そして女性の執行官、なんだか戦争中の大日本婦人?会を思い出させます。
【AFP=時事】覆面姿の女性執行官が緊張した様子で近づき、所定の位置に着くと、女性受刑者の背中に連続してむちを下ろした。公開むち打ち刑が行われているインドネシア・スマトラ(Sumatra)島のアチェ(Aceh)州で結成された初の女性執行部隊だ。
【写真】公開むち打ち刑を行う女性執行官
むちで打たれた未婚の女性は、ホテルの一室に男性といるところを捕らえられた。イスラム教徒人口が世界最多のインドネシアの中でも唯一、イスラム法(シャリア)が施行されているアチェ州では、婚前交渉は道徳に反する犯罪とされている。
州都バンダアチェ(Banda Aceh)宗教警察の捜査主任は、今回担当した女性執行官について、「よくやったと思う。彼女の腕は良い」とAFPに語った。
むち打ち刑をめぐっては人権活動家らが反対し、メディアや政治家たちの間で激しい論争が展開されている。
ジョコ・ウィドド(Joko Widodo)大統領も公開むち打ち刑の廃止を求めているが、アチェ州で起きていることについての発言力はほとんどない。
アチェ州では婚前交渉の他、賭博や不倫、飲酒、同性愛者間の性行為などが犯罪とみなされ、刑罰として一般的に公開むち打ち刑が適用されるが、刑の執行はこれまで男性が行ってきた。
専門家によるとインターネットへのアクセス増加とグローバル化によって、地元の文化的・宗教的規範との衝突が拡大しており、婚前交渉や公共の場での愛情表現で犯罪に問われる女性が増えているという。
これに伴ってむち打ち刑の執行数も増加しており、アチェ州は現在、イスラム法に従って、女性犯罪者に対するむち打ち刑を担当する女性執行官を求めている。
しかし、女性たちに執行官になろうと思わせるのは簡単ではなく、初の女性執行部隊を結成するまでには何年もかかったという。
■「むち打ち執行官」への道
執行官になることに同意した宗教警察官の女性8人は、むち打ちの適切な技術や、受刑者のけがの程度を抑える方法を学んだ。
AFPは女性執行官への取材を求めたが、安全上の理由からアチェ州当局に断られた。執行官たちは身元を隠すため、布製の覆面と大きめの茶色い制服を着用している。
宗教警察の捜査主任は、「われわれは執行官が体力を維持できるようトレーニングを行い、適切なむち打ちの方法を教えている」と述べた。さらにむち打ちの「こつ」は同胞を叩くという精神的ハードルを乗り越えることであり、神と向かい合うことが必要だと説明した。
また「われわれが行っていることは、執行官が自分の役割についてより良く理解するための一種の教化だ。神の法を犯す者への慈悲は必要ない」と述べた。
アチェ州当局は公共の場や建物でのパトロールや、告発を受けての監視活動に平行して、むち打ち刑が犯罪を抑止していると主張する。
むち打ちの痛みは強烈で、失神したり病院に搬送されたりする受刑者もいる。同性愛者の性行為や未成年者との婚前交際などの最も重い罪に対しては、150回ものむち打ち刑が言い渡されることもある。
ある住民は、「アチェでのイスラム法(の適用)はまだ甘い」「むち打ちだけでなく、石打ちのようなより厳しい罰が必要だ。不倫した者は石打ち100回の刑に処されるべきだ」と述べた。【翻訳編集】 AFPBB News
最終更新:1/29(水) 15:03
AFP=時事
私が世界一周中に訪問したナイロビのスラム街で学校を運営している日本人早川千晶さんが、今回日本留学しているドリスの大学院進学のためのクラウドファンディングを立ち上げました。
https://readyfor.jp/projects/machius
私の妻が今回は以前もらった給与の一部を寄付したいと言ってくれました。是非皆さんもこのファンド以外にも何かご協力をお願いします。
https://blog.goo.ne.jp/sekaiojisan/e/00b1557153a7b6feb077db4772e8e3cc
ドリスの日本での大学院進学のためのクラウドファンディングに数多くの方々から応援いただき、本当にありがとうございます。心から感謝の気持ちでいっぱいです。
資金集めはこれからまだ30 日間続きます。引き継ぎ、応援、シェアや拡散をいただけると大変ありがたいです。どうかよろしくお願いいたします!
私自身の経験と想いを書きました。
とても苦労していた子どもだったドリスとの出会いから、保護、成長、これまでの歩みを振り返って私の想いを書きました。
そして未来に向けての第一歩。
ぜひ読んでください。
特に高校のときは、なかなか成績が伸びず苦しんだ。高校では、思春期特有の問題も起きる。
特に女子の間では、友達のちょっとした言動に傷つき、仲間割れが起き、その中で疎外感を感じふさぎ込むようなことが頻繁に起こる。
マゴソスクールの子どもたちは大なり小なり、誰もが困難を抱え、苦労した幼少期の傷を抱え、今現在も決して家庭生活が安定しているわけではないが、それでも、互いの中の小さな違いを子どもたちは気にし、比較し、優劣感を抱くものなのだということに、私は気がついた。
たとえ父親に十分な稼ぎが無く、飲んだくれだとしても、親が生きているというだけでその子にとっては優越感となる。
一方、親を亡くした子どもたちは、いかなる状況においても、それを指摘されたり、知られたり、蔑まれることが何よりも辛い。
たくさんの同級生や先輩、後輩がいる中で、ドリスは、家庭状況が最も悪いほうだった。
それが思春期の彼女にとって、いかに気持ちを後ろ向きにさせてしまう要因であったかということが、今になって私は痛いほどわかる。
しかしドリスはいつも、コツコツと、一人で努力を続ける生徒だった。繊細な心を持ち、同級生の感情的いざこざに胸を痛めつつ、それに巻き込まれず自分は自分、勉強に集中しようとしていた。
ドリスはマゴソスクールにとって初期の生徒の一人で、高校へ進学させることができた生徒たちのGeneration2(二期生)にあたる。当時まだ高校進学経験が浅かった我々(マゴソスクール運営陣)は、生徒たちのための高校探しに苦労した。
スラムの孤児や元浮浪児、貧困児童などへの高校進学に対し、まだ高校側の理解は薄く、環境のよい高校がなかなか得らなかった。
そんな理由で、ドリスが途中で転校しなければならなかったことも、成績に苦労した要因のひとつだと思う。
しかし、どんな困難があっても、ドリスは粘り強く、がまん強かった。
不平不満はなく、ひたすら努力した。そしていつも、誠実だった。
高校卒業時の全国統一試験の成績は、ケニア政府から大学の学費補助を受けられる高レベルの成績には達しなかった。
私は、あそこまで家庭事情が悪かったドリスが、高校卒業までたどり着けただけでも大きな成果じゃないかと褒め称えたが、ドリスはそれでは満足しなかった。
もっと高みを目指したい。
最も困難な状況にある子どもたちを助けるために、特別支援教育を学びたい。
その夢をドリスは持ち続け、マゴソスクールで働きわずかな収入を得ながら、それをコツコツと貯金して、いつか進学するのだと常に語っていた。
正直いって、果たしてその夢はいつか叶う日が来るのだろうか?と、私自身は確信は持てなかった。
なぜなら、月給わずか4000シリング(約5千円)しか得ていないドリスが、大学進学を可能にするほどの貯金を貯められるのは途方に暮れるほど長い道のりのように思ったからだ。
そんなあるとき、マゴソスクールの卒業生を連れて日本に講演ツアーに行く計画が持ち上がった。
私は、卒業生の中で希望者にオーディションをすることにした。
卒業生の全員が、そのオーディションに参加した。
一人一人、自分について語ってもらうというオーディションだった。
まだ高校を卒業したばかりの若者たちには、自分の過去や、負ってきた傷、苦しく辛かった経験について詳細に語るのは難しいことだった。
それはおそらく、本人たちも想像もしていなかった自分自身の中の激しい拒否反応であっただろう。
オーディションに参加したものの、審査委員を前にただ泣き続けたり、言葉に詰まって押し黙ったり、本当のことが言えなかったり、逆に、過大に誇張して語ってしまう生徒たちがほとんどだった。
ところが、ドリスはとても落ち着いて、自分の経験を淡々と語った。そうやって語る言葉が、どのように聞き手に届き、そのインパクトがどのように誰かの人生を変えていくかということを実際に経験していくのはもっとあとの話だ。
その時のドリスには、ただ真実を誠実に、ありのままに語ろうという姿勢があった。
その姿勢と落ち着きが、私が気に入ったポイントだった。
オーディションで彼女は選ばれ、約一カ月間の来日ツアーのメンバーとなった。
日本では、毎日毎日講演し、歌い、日本全国各地で合計5000人以上の人々の前で自分の人生や夢について語ったと思う。
おそらくこのときのこの経験が、ドリスの魂の扉を開いた最初のきっかけではなかっただろうか。
日本各地で、特別支援学校や児童養護施設、老人ホームを訪問し、交流し、学んだ。
日本の貧困の現場も訪れ、ホームレスの人々が数多く暮らすエリアで夜回りをし、おにぎりを手渡し、話を聞いた。
日本の若者たちとも交流し、中学高校で授業を受け、語り合った。
このような貴重な経験の中で、私は、人がめきめきと成長していく過程、魂の扉が開く瞬間、目が見開かれていく瞬間を、間近に目撃した。
ケニアの村やスラム街のどうしようもない貧困や、家庭崩壊による悲劇、スラムの貧困の連鎖という世界しか知らなかったドリスが、もっと広い世界へ一歩踏み出した瞬間だったと思う。
ドリスの内部で起きた変化は、その後次々と協力者を引き寄せ、想像もしていなかった奇跡へと彼女を導いていったと思う。
その後、トントン拍子に進んでいった、のちにドリスの日本留学を実現してくれた恩師との出会い、その恩師が呼び掛けて集まった支援者の努力により実現した日本留学、大学受験と合格、入学・・・。
そのすべてが奇跡と呼ぶにふさわしい出来事であったと思う。
しかし、夢にまで見た日本での大学生活は、想像以上に厳しいものだった。
難しい日本語の学習、次々と進む専門の授業、日本語が理解できず苦労の連続で、ドリスは毎日、泣いていたという。
長い時間をかけ、そんな困難を乗り越えることが出来たのは、ひとえに、恩師の皆様が常日頃、影日向に寄り添い、叱咤激励し、あきらめずに支援し続けてくださったおかげだと、感謝の気持ちで一杯である。
その感謝は言葉に尽くせない。本当に、ありがとうございました。
勉学に苦労した大学生活の前半だったが、それにも慣れ、軌道に乗った後半は、ドリスは精神と知性の扉をまたぐんぐんと広げていった。
大学院に進学したいという夢を語り始めたのもその頃だ。
四年間の大学生活を日本で送ることが夢のまた夢だったドリスが、大学院に進学・・・。
この夢は、日本で応援を続けてくださった身近な人々を驚き戸惑わせ、また、悩ませることになっただろうと思う。
大学院に進学したいと言ったって、その費用はどうするのか。
そこにどんな意味があるのか。
大学院に行くということをドリスはどのようにとらえているのか。
私自身もわかりかね、大学四年の二学期の終わりに、ドリスとじっくり一対一で話を聞くことにした。
ゆっくりと順を追って話を聞いていくと、ドリスの中の変化と成長がわかった。
ドリスは留学当初、とにかく頑張って勉強して、将来はマゴソスクールを助けたいとそればかりを夢見ていた。
しかし、大学の途中で、自分がこのまま大学で学んだ知識を持ってケニアに帰り、マゴソスクールに戻ることは、マゴソスクールを助ける最善の方法ではないと気が付いた。
むしろ、マゴソスクールで働き給料を得て、生活をすることになると、自分の存在が、マゴソスクールに負担をかける要因になってしまう。
日本で学ぶレベルの高い知識や実技は、キベラスラムの現実には必ずしもフィットしない。
さらに、実際に特別支援学校教諭の免許を取得しても、日本で取得した免許はケニアでは使えない。
また、大学で学ぶ多様性に富んだ教育理念や手法について、さらなる興味が広がっていた。
大学の研修で北欧を訪れ、その最先端の教育の現場に驚いた。
最も興味を引いたのが、障がいのある子どももない子どもも同じ場で学ぶインクルーシブ教育だった。
人間の多様性を尊重し、共生社会に貢献するための取り組み。
これは、ドリスの背景にある、貧困問題や、スラムという被差別コミュニティの問題解決にもつながる取り組みだと、私も直感的に感じた。
ドリスは、日本でインクルーシブ教育の研究ができる大学院を調べ、オープンキャンパスにも参加した。
そこで出会った国際基督教大学(ICU)大学院が、ドリスを大きくインスパイアした。
ドリスはこう言った。
「日本ではほとんどの大学で日本語で学ぶため、その後、例えばケニアやその他の世界の国々で日本の大学で学んだことを生かして進んでいくことが非常に難しい。
しかしICUなら、英語で学び研究が出来るため、その後自分がケニアを含む世界の様々な国に進出していくための大きな助けになるだろう。
だから、ICU大学院で学びたい。」
私は一対一でドリスと語り合い、彼女自身がこれから先の自分自身の道を様々な側面から洞察していることを知り、安堵した。
また、私が日本の大学への留学に送り出したときのドリスとは、全く違うレベルにドリスがいることを実感した。
あの、子守りをしていた家庭から逃げ、マゴソスクールの門の前で泣いていたドリスが、10数年の間にここまで成長し、視野を広げ、道を切り開いてきたことに感嘆した。
彼女の目に見えている世界は、すでに、ケニアのスラムの狭い現実ではなく、それは、世界に向かって広がっている世界だ。
4年間の大学での学びで、人はここまで変わることが出来るという実例を目の前に見て、まずはたゆまぬご指導をくださった先生方のご尽力に感嘆し、さらに、ドリス自身の持つ可能性を無限大に感じた。
ICU大学院で学びたい理由や目的、目標、将来へのビジョンをドリスから聞き、私の中でも明確にイメージすることが出来、今後のさらなる発展の可能性にワクワクする想いでいっぱいになった。
私自身は、生涯かけてケニアのキベラスラムの仲間たちと共に、一人一人がより良く生きていく道を模索していく努力を続けたい。
かつてドリスが生きていたそのスラムの現場から、ドリスへ、大きなエールを送りたい。
私が長年、スラムと接して実感するのは、今苦しんでいる人々、子どもたちへ、対処療法的に応急処置をし続け、なんとかいま救いたい命を救ってきているけど、これがいつまで繰り返されるのか、世界は果たして少しでもよくなっていっているのか。
アフリカで生き、寄り添い続けた32年間を振り返り、私は、ケニアの底辺の人々の暮らしが少しでも楽になっていると胸を張って言うことができない。
むしろ、さらに厳しくなっている貧困者排除の社会傾向に胸を痛めている。
このまま受け身でいてはならない。
世界中のすべての人々が等しく、人間としての尊厳を守り、生きていくことが出来る条件を獲得できる社会を構築したい。
人の心の中にある無意識の差別意識を越えて、誰もが手を取り合って共に生きる社会を構築したい。
その想いでスラムでの活動を長年続けている私だが、ドリスの成長や目標が、真っ暗闇の中、前方にまぶしく輝く光に見える。
ドリスが大学院に進むチャンスを得て、彼女の中ですでにイメージが出来始めている包括的な社会を構築していくための教育的取り組みへの研究を進めていくことが出来るなら、それは必ず将来、キベラスラムに、ケニアに、アフリカに、そして世界全体に有益な取り組みを生んでいくと私は確信している。
ドリスの中にやどった意志の力に触れ、この確信を持ったから、多くの皆様に再び、ご支援をお願いする決意に至った。
どうか、ドリスのさらなる挑戦への第一歩を応援してください。何卒よろしくお願い申し上げます。
早川千晶(マゴソスクール運営者)